Home > Interviews > interview with Toshimaru Nakamura - 世界を魅了する、類い稀なる電子音響

Fenneszとの共演。(by Yuko Zama)
ロイ・ブキャナンとかピーター・グリーンとか、J・J・ケイルとか。あとはニール・ヤング。ちょっとぶっ壊れた感じのブルース・ギター、ロック・ギターみたいなね。その好みはいまでも全く変わってないです。
■先ほどおっしゃっていたギタリスト時代のバンド活動というのが、当時日本に住んでいたイラン人のサックス奏者、サダトことソーラブ・サダト・ラジュバーディが率いたSADATOへの参加ですよね。また、としまるさん自身もパラゴン・オブ・ビューティを結成して活動していました。
中村:はいはい。まあ、いまやってることの前にね、そういう活動もあったという程度で。
■当時のジャズ雑誌を掘り返すと、ジャズ・ロック系ギタリストのニューカマーとして、としまるさんが紹介されていて。そこからノー・インプット・ミキシングボードへと移ったことが、他の同時代的な動きを見ても重要な気がするんです。
中村:ジャズは意識してなかったですけどね。サダトさんは80年代終わりぐらいに新宿とか高円寺の周辺でジャム・セッションを主催していて、そこに僕が参加したのが知り合ったきっかけです。90年だったかな。彼としてはオーディションという気持ちもあったのだと思う。僕のことを気に入ってくれて、「自分のバンド・メンバーを固めていきたいから、ギターで参加してくれ」と誘われ、それで91年にSADATOに加入しました。で、92年にニューヨークに渡って、マーティン・ビシのBCスタジオでレコーディングするんですよ。もともとビル・ラズウェルも設立に関わった有名なスタジオなんですが、あそこにサダトさんと僕のふたりで行って。アート・リンゼイのアンビシャス・ラヴァーズで演奏していたベーシストとドラマーに参加してもらって作ったのが『1992』というアルバム。翌93年も同じスタジオに行って、今度はポスト・パンク〜ノイズ・ロックのLive Skullというバンドをやっていたメンバーを含むツイン・ギター編成で録音しました。それはお蔵入りになっていたんですけど、最近、発掘されて出たんですよ。
■サダト氏がSoSaLa名義で自レーベルから出していましたね。
中村:それです。で、94年にCBGBでやったライヴ盤も一昨年出て。同じときにBCスタジオにも行ったんですが、そこでは日本のメンバーをリズム・セクションに入れてレコーディングして、それは当時95年に『No More Reggae』というタイトルで出しました。ま、そんなようなことをやっていたんですけど、詰め込みすぎたというか、バンドという形で人と一緒に演奏するのに疲れてしまったというか。95年のアルバムを最後にSADATOから抜けてしまいましたね。
■残された音源を聴いてみると、としまるさんはギタリストとしてもユニークで刺激的な演奏をされていたなと。
中村:そうですか(笑)。でも、発掘リリースされて久しぶりに聴いてみたら、そんなに悪い音楽じゃないなとは思いました。あの頃の自分の自己評価に比べればギターもちゃんと弾いているなと。
■SADATOに参加する傍ら、92年にとしまるさんのリーダー・グループ、パラゴン・オブ・ビューティを結成されて、95年に同名のアルバムを発表しています。
中村:リズム・セクションは『No More Reggae』と同じで、サックスで竹内直さんや広瀬淳二さんが参加していました。パラゴン・オブ・ビューティは僕が全部曲を作っていたんです。コンセプトまでは考えていなくて、ただもうやりたいことをやるグループでした。
■当時どんなギタリストに憧れていましたか?
中村:自分でやっていることとは全然関係ないような人たちですけどね。ロイ・ブキャナンとかピーター・グリーンとか、J・J・ケイルとか。あとはニール・ヤング。ちょっとぶっ壊れた感じのブルース・ギター、ロック・ギターみたいなね。その好みはいまでも全く変わってないです。
■いわゆるインプロやノイズのギタリストではなく。
中村:そこら辺は知らなかったですからね。ただ当時、アート・リンゼイが歌モノの三部作を出していて、あれなんかは聴いていましたけど。まあギターといってもアート・リンゼイですから、チューニングもしていないような音で。でもいい声してるから好きでしたね。そのあたりで言うなら、マーク・リボーも好きでした。ビル・フリゼールも聴いていたなあ。
取材・文:細田成嗣(2026年9月07日)
細田成嗣/Narushi Hosoda