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The Durutti Column

AmbientIndie Rock

The Durutti Column

Renascent

London Records/Ritmo Calentito

Amazon

野田努 Aug 12,2026 UP
E王

 夏、夕暮れどきに聴いたら最高の曲を知っている。ザ・ドゥルッティ・コラムの “夏のスケッチ(Sketch for Summer)” だ。1980年にマンチェスターの〈ファクトリー〉からリリースされたファースト・アルバムの1曲目である。

 昨年、ele-king booksから伊藤ガビンの『はじめての老い』を刊行したとき、ある年配の方から、「還暦過ぎたぐらいで “老い” なんて言ってるようじゃねぇ」と、愛あるイジりをされた。「ほんとうの “老い” は、もっとその先にあるからな」と、古希に達したその人は言った。
 正直なところ、同年代の人間が書いた『はじめての老い』を読むまで、ぼくは “老い” について深く考えたことがなかった。白髪になったからといって染めたこともないし、若く見られようとも思っていない。吉田兼好の『徒然草』を座右の書とする人間としては、そこはもう、ただ、なすがままに生きるだ。
 とはいえ、たしかに60を越えると、生物体としての機能がまたいち段階低下しはじめていることを実感する。伊藤ガビンを契機に、自分も “老い” を気にするようになって、その手の本をいくつか読んでみた。高橋源一郎の “老い” の本がなかでも圧倒的に面白くて、なるほど、最初の50ページほど読めば「還暦過ぎたぐらいで」という言葉に納得するしかなかった。魅力的なエッセイ集だが、自分がもしこれから10年以上も生きていればこうなるのかと思うと、暗い気持ちになったのも事実だ。まあでも、そのときがきたら、なるようになれである(だれもがそう思っているんだろうけど)。

 ザ・ドゥルッティ・コラムのヴィニ・ライリーは、2010年には3度目の脳卒中を起こしている。とうぜんそれは演奏能力に深刻な影響を及ぼした。ギターを弾けなくなった彼だが、経済的にも困窮し、生活保護の受給が認められるのを待っているあいだにアパートも失った。深刻な精神疾患も患った。ライリーはいま73歳だから、脳卒中で倒れたときは50代後半、いまのぼくから見たらまだ “若い” 。
 2023年、『ガーディアン』に70歳になったライリーのインタヴューが載った。なかなか衝撃的な内容で、そのひとつは彼の若き日の話だ。早くに父親を失い、10代で路上生活者となり、暴力とギャングの世界に巻き込まれ、ひとりの友人は自分の膝の上で息絶えた。この絶望的な生活のなか、彼は三回自殺未遂をしている。PTSDにもなり、13人の精神科医に診てもらった。こうした彼の人生の延長線上に、ジャズ、クラシック、フラメンコをアンビエント風に融合させた、あの崇高なまでに美しい2枚のアルバム、『The Return of the Durutti Column』と『LC』があったのだ。
 そう、この2枚のポスト・パンクの傑作は、そんな作者の苦しみなど微塵も感じさせなかった。『LC』のどこをどう聴けば、ギャングの暴力や精神疾患の痛みが見えるのだろう。ぼくは、そしておそらくほとんどのリスナーも、パンクの叫び声に対する解毒剤のような、繊細で、水墨画のように透明で、美しいギター・サウンドにただただうっとりしていただけだった。

 16年ぶりのアルバム『リナセント(復活を意味する)』も同じだ。この音楽から、長年の闘病や困窮は見えない。美しく、素晴らしく静かなひとときがまたしてもある。
 というか、より正確に言えば、誰もがザ・ドゥルッティ・コラムの新作を聴けるとは思っていなかったことだろう。2020年にはライリーが自宅で演奏しているYouTubeの映像があがったものの、くだんの『ガーディアン』の記事では、「脳卒中後もずっと練習を続けてきて、ある程度のレベルには達したけれど、以前のレベルにはほど遠い」と話しているのだ。もうやることはやった、演奏を諦めてもいいとまで、そのときライリーは言っている。だから、16年ぶりの新作それ自体が奇跡といっていい。

 ドラマーのブルース・ミッチェルのサポートが大きい。この人は、『LC』からバンドに加入し、以来ライリーを支えてきた。しかし、もっとも大きいのは、21世紀になってじょじょに高まっていった再評価の波だ。ブラッド・オレンジの昨年のシングル曲 “The Field” で、思い切りあのギター・サウンド(98年の曲)がサンプリングされたことが話題となって、今年の6月にはハリー・スタイルズがキュレーターを務めたメルトダウン・フェスティヴァルで、公式プログラムとして「For Vini: A Tribute to The Durutti Column」というトリビュート公演があった。フランク・オーシャンもファンらしいが、本人はいまも昔も日陰の存在で、だからこそのヴィニ・ライリーなのであって、むしろ、セレブリティにはなんの興味もないインディ・ロック・リスナーを中心に、ここ日本でも若い世代に再評価されている。そういえば、横田進もマーク・フィッシャーも、ドゥルッティ・コラムのファンだった。

 アルバムは、ブルース・ミッチェルほか、キア・スチュワート(1998年の『Time Was Gigantic... When We Were Kids』からずっと共同作業している楽器奏者)のふたりを軸に、マンチェスター出身のシンガー/鍵盤奏者、カオイルフィオン・ローズ(〈ゴンドワナ・レコード〉からソロ作も出している)も参加。レコーディング・セッションは、こうした気心知れた仲間と一緒に、2017年からライリーの自宅のキッチンなどで、最小限の機材を使っておこなわれたそうだ。
 往年のファンであれば、最初の2曲を聴いただけで、思い切り感傷的な気持ちに浸れるだろう。エレクトリック・ギターと、そしてクラシック・ギターが細い糸のように、少しもやのかかった空間を行ったり来たりしている。この、まさにザ・ドゥルッティ・コラム・サウンドと呼ぶべき蜃気楼のような音楽のなかで、2曲だけ、ドラムがはっきりしている曲があって、そのうち1曲ではライリー自身が歌っている。
 カオイルフィオン・ローズは2曲歌っているが、2曲とも独特の哀愁があり、そのうち1曲は(ライリー作品では珍しい)ピアノ・バラード、で、これに続くのが、もう1曲、ライリーによる寝ぼけたようなヴォーカル曲だ。1曲、ヴァイオリンやフレンチホルン、クラリネットをフィーチャーしたちょっとした室内楽(80年代の代表曲 “For Belgian Friends” のリワーク)もある。最後の曲では、もうひとりのゲスト・ヴォーカリスト、ルーカス・エリオットがライリーのギターをバックに歌う。
 とまあ、この復帰作では、いろいろやっている。

 しかし、やはり、往年のファンは、ライリーは今作で、ほんとうにどこまで演奏しているのだろうかと案じているに違いない。先に触れた2023年の『ガーディアン』の記事で、もうひとつ衝撃的だったのは、70歳のライリーが90歳ぐらいの老人──もとから痩せ型だったが、病によってすっかり衰弱し、さらに痩せこけた白髪の老人──に見えたことだ。
 ぼくとしては、ここはありがたく、 “ザ・ドゥルッティ・コラムの奇跡的な新作 ” として聴くことにしている。ここ数年は、どこかに行くわけでもなく、夏が来ていることだけで満ち足りている気持ちに、ザ・ドゥルッティ・コラムの “夏のスケッチ”を重ねることがあったけれど、今回はそれをする必要がない。年寄りも若い人も、いまこのとき、この『リナセント』を聴けばいいのだから。

野田努