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interview with Shuya Okino & Joe Armon-Jones

ジャズはいまも私たちを魅了する──沖野修也とジョー・アーモン・ジョーンズ、大いに語り合う

interview with Shuya Okino & Joe Armon-Jones

UKジャズを牽引する1組、エズラ・コレクティヴのメンバーとしても知られるジョー・アーモン・ジョーンズの最新シングルはなんとストレートなダブ! そんな彼を以前から高く評価し、交流も重ねてきた沖野修也は、KYOTO JAZZ MASSIVEとして昨年デビュー30周年を迎えている。

取材・文:小林拓音 Takune Kobayashi    通訳:長谷川友美 Yumi Hasegawa
photographer:YUKI KAWASHIMA
Jan 10,2025 UP

ジョージ・デュークとかハービー・ハンコックとか、ロニー・リストン・スミスとかハリー・ウィテカーとか、キーボーディストが好きなんですけど、そういったレジェンドたちと比べてもジョーのコードのチョイスはすごくいい。(沖野)

 これはもはやジャズではなくルーツ・レゲエそのものではないか──ジョー・アーモン・ジョーンズの最新シングルをチェックしたリスナーの多くはおそらく面食らったにちがいない。
 大胆にアフロビートやラテン音楽などをとりいれる雑食的スタイルで10年代後半以降のUKジャズを牽引してきたグループのひと組、エズラ・コレクティヴ。その鍵盤奏者であり、ソロ・アーティストとしても確固たる地位を築きあげているのがジョー・アーモン・ジョーンズだ。UKらしいというか、おなじトゥモロウズ・ウォリアーズで学んだヌバイア・ガルシア同様、音楽的冒険を厭わない彼の射程にももともとレゲエ/ダブが含まれており、その影響は当初から作品に反映されてきた。
 しかしここまでストレートなルーツ・サウンドに舵を切るとだれが予想できただろう。12月6日にリリースされた「Sorrow」によくあらわれているように、2024年にジョーンズが自身のレーベルから送り出した3枚の12インチ・シリーズは、どれもこれまで以上に深くダブに傾斜している。ただ、さりげなく3枚ともB面にローズ・ピアノ・ヴァージョンが収められている点は見過ごせない。それらのヴァージョンからは、通常異なる文脈にあると思われている音楽との接点を探ろうと果敢に奮闘する、ひとりのジャズ・ミュージシャンの姿が浮かび上がってくるからだ。
 そんなジョー・アーモン・ジョーンズのことをかねてより高く評価してきたのがKYOTO JAZZ MASSIVEの沖野修也である。2024年にデビュー30周年を迎えた沖野は、これまでKYOTO JAZZ MASSIVEがカヴァーしてきた曲を集めたコンピレイション『KJM COVERS』を12月4日にリリースしている。彼らがどんな音楽からインスパイアされてきたのか俯瞰できるありがたい1枚だが、ブギーからブロークンビーツまで横断するその軽やかな身ぶりは、ジョー・アーモン・ジョーンズの越境性と共通するところかもしれない。
 そんなわけで、ほぼおなじタイミングで最新タイトルを発表したふたり、昨秋来日していたジョー・アーモン・ジョーンズと、まもなくKYOTO JAZZ MASSIVEとしてリリース・ライヴ(1月16日@COTTON CLUB)を控える沖野修也による特別対談をお届けしよう。

優れたジャズ・ミュージシャンというのは毎年、あるいは10年ごとに自分の音楽的なアプローチやジャンルをまったく違った方向性に変えながら進化しているひとたちなので、自分もそうありたいと思う。(JAJ)

おふたりが直接対面するのは、今回が初めてですか?

沖野:いえ、以前から何度も会っていました。最初はジャイルズ・ピーターソンの《Worldwide Festival》で。あと、コロナ前に大阪でエズラ・コレクティヴのライヴがあったときに、ジョーはぼくのラジオ番組で「ベスト・ニュー・アーティスト」というのを受賞していましたので、トロフィーをあげました(笑)。大阪まで持っていったんですよ、トロフィーを。そのときに初めてちゃんと話をしました。

JAJ:2019年ころだったと思う。

沖野:最後に会ったのは去年の《We Out Here》というフェスティヴァルで、彼はエズラ・コレクティヴとしてメインステージにいたんですが、ぼくもKyoto Jazz Massiveとして早い時間にライヴをやって。そのときにも会いましたね。

ジョー・アーモン・ジョーンズさんは以前インタヴューでKyoto Jazz Massiveのことをすばらしいと発言していましたが、Kyoto Jazz Massiveの音楽と出会ったのはいつごろで、どういう経緯で知ったんですか?

JAJ:Kyoto Jazz Massiveは日本のアーティストで最初に好きになったバンドなんだ。たぶん、ジャイルズ・ピーターソンがプレイしていたのを聴いて知ったのが出会いだったんじゃないかな。それで興味を持って、作品を聴いたりライヴを観たりしてすごくいいなと思って。

逆に沖野さんがジョー・アーモン・ジョーンズの存在を知ったのはいつごろでしょうか。

沖野:ぼくもジャイルズがかけていたのがきっかけで。『Starting Today』に収録されていた曲を彼がかけていて。

JAJ:『Starting Today』はアルバムって呼ぶひともいればEPって呼ぶひともいるんだ。

沖野:以降、ジョー・アーモン・ジョーンズの名前の音源が出るたびにチェックしていて、自分のラジオ番組でもかかて、アウォードにもノミネートして。

JAJ:ジャズがつないでくれたコネクションだよね。とてもありがたいと思う。

沖野:ジョーの音楽はコードのセンスがいいんですよ。ぼくはジョージ・デュークとかハービー・ハンコックとか、ロニー・リストン・スミスとかハリー・ウィテカーとか、キーボーディストが好きなんですけど、そういったレジェンドたちと比べても彼のコードのチョイスはすごくいい。もちろん作曲能力もすばらしいんですが、最初にぼくが惹かれたのはコード感ですね。

JAJ:いま名前が挙がったひとたちはぼくのヒーローでもあります。Kyoto Jazz Massiveの音楽は、たとえばロンドンのような都会に住んでいると「ジャズとはこういうものだ」っていう固定観念があって、みんな同じようなことをやっているし過去のコピーに陥りがちなんだけど、それらとはまったく違った音楽性、サウンドにたいするアプローチを感じて、そこにすごく惹かれた。新しいエネルギーを感じたね。ジャズっていうのは本来そういうものであるべきで、他人と違った新しいアプローチこそジャズのすべてだと思うんだけど、まさにそれをやっているなと思った。

雑食性または横断性はおふたりの音楽に共通するものかもしれません。

沖野:もともとジャズってハイブリッドな音楽ですし、ぼくはさっきコードのことしかいいませんでしたけど、ジョーの音楽にはいろんなエッセンスが入ってもいる。ジャズ、フュージョン、ソウルにファンクに、R&Bにレゲエに、アフロビート。そのミックスされた感じが彼の魅力でもあるし、ぼくらに共通するジャズのあり方かなと思います。混ざってる要素が必ずしも一致してるわけではないんですが、いろんな音楽をとりこんで自分のサウンドにするという点はKyoto Jazz Massiveにもジョー・アーモン・ジョーンズにも共通する要素だと思いますし、指向性は似ているかもしれないですね。

JAJ:その意見には賛成だね。いろんなジャンルをとりこむか、もしくはまったく新しいジャンルを生み出すものがジャズだと思っています。ぼくが好きな尊敬しているジャズ・ミュージシャンもそういうことをずっとやってきていると思う。ロンドンに来て、音楽を勉強するためにカレッジに入ったとき、そこでは「スウィングがジャズにとって大切だ」とか「技術的にどうインパクトを与えるか」といったような部分ばかりが強調されていて、学生たちもそういうことに執着していたんだけど、ぼくが思うジャズはもっと「音楽のための音楽をつくる」ものというか、コンセプトありきで、自分の発想のなかで自由に音楽をつくっていくものなんじゃないかな、とずっと考えていて。たとえばソウルフルなものをつくるのでもいいし、即興でもいいんだけど、優れたジャズ・ミュージシャンというのは毎年、あるいは10年ごとに自分の音楽的なアプローチやジャンルをまったく違った方向性に変えながら進化しているひとたちなので、自分もそうありたいと思う。

沖野:こういうふうにしっかり語れるのも彼のすごいところ(笑)。自分の意見をしっかりもっているひとだなと思います。日本にはなかなかいないですね。UKのひとたちは年齢はそこまで関係なくおなじ視点で話せるんですよ。それもあってぼくはロンドンが好きですね。

JAJ:いまのイギリスには2種類の上の世代がいて、いちばん上の世代のなかには、若いひとたちがやっていることには興味を示さず、若いひとたちのギグを観に行ったり音楽を聴いたりはしないんだ。自分のやっていることだけで完結しているような、ちょっとオタクっぽいひとたちがメインで、自分のやっていることと違うことを受け容れられないひともいる。一方で、自分にも若いときがあって、自分が新しいことをやりはじめたときに上の世代がどう感じたかをちゃんとおぼえているひともいて。
 たとえばギャリー・クロスビーがいい例だと思う。彼は若者が新しいことをはじめるとき、それに興味を持ってサポートをしてくれるんだ。自分がエズラ・コレクティヴをはじめたときも手厚いサポートをしてくれて、「どんな音楽をやっても大丈夫だし、どんな服装でも大丈夫だよ」って受け容れてくれた。UKのジャズ・シーン全体もいまはそういう方向に向かっていて、若いひとたちをもっとサポートしていこうというムードになっているから、それはすごくいいことだととらえています。

レゲエのレコードを買うのが好きなんだけど、かならず違ったフォーマットのトラックが入っていて。そういうふうにいろんなヴァージョンをつくっていくことは、ジャズとおなじだと思うんです。(JAJ)

ジョー・アーモン・ジョーンズさんは2024年に3枚シングルを出しています。これまでもダブの要素は大きな特徴でしたが、今回のシリーズはジャズとのブレンドではなくかなりストレートなルーツ・サウンドですよね。

沖野:ぼくもびっくりしました。ぐっとルーツに寄っていて。でもヴァージョンがあって、最新シングル「Sorrow」も、ホーンが入っているもの(“Sorrowful Horns”)とローズ・ピアノのもの(“Sorrowful Rhodes”)が収録されていて、アウトプットをちゃんと考えているなと思いました。「ルーツに寄ったね」ってみんなから言われることを想定したうえでフェンダー・ローズを弾きまくっているのがすごく気持ちよくて。発信の仕方を練っているなと感じましたね。

最初の「Wrong Side Of Town」でもヌバイア・ガルシアのサックスがフィーチャーされていました。

JAJ:レゲエのレコードを買うのが好きなんだけど、かならず違ったフォーマットのトラックが入っていて、たとえばA面にはヴォーカル・ヴァージョンとダブ・ヴァージョン、B面にはホーン・ヴァージョンとディージェイ・ヴァージョンが入っていたり。そういうふうにいろんなヴァージョンをつくっていくことは、ジャズとおなじだと思うんです。キング・タビーにしても、いろんなヴァージョンのものをひとつにまとめてリリースして。そういうやり方はもともとはジャズの大ファンだったひとによって発明されたんじゃないかな、って考えることもある。たとえばジャズのスタンダード “Autumn Leaves” もいろんなひとが新たなスタイル演奏したり新しいヴァージョンをつくってきた。そういうことに面白さを感じる。

昨年ヌバイア・ガルシアに取材したときにロンドンのサウンドシステム文化で育ったことが大きいと言っていたんですが、ジョー・アーモンさんもやはりおなじ文化から影響を受けてきたのでしょうか?

JAJ:さまざまな音楽のジャンルの多くはロンドンから出てきたもので、たとえばドラムンベースもそのひとつだけど、そういったもののルーツをたどるとかならずダブやサウンドシステム文化に行きつく。だからダブやサウンドシステムは、ジャズに限らずいろんなジャンルに影響を与えていると思う。
 ぼくは田舎育ちだから、ロンドンのサウンドシステム文化で育ったわけではなくて。上京してきた17歳、18歳のころに出会ったんだ。サウンドシステムでプレイされる音楽はある意味で守られたジャンルというか、ラジオで聴くことはできなくて、そういう場やなにかのイヴェントに行かないと出会えない音楽だった。それ以前からレゲエ自体はふつうに聴いていたけど、強くおぼえている初めてのダブの体験は、ロンドンのスカラというヴェニューでやっていた《University of Dub》ってパーティだね。通常のイヴェントであれば、みんなDJのプレイに集中しているけど、そこではひとつの部屋にふたつのサウンドシステムがあって、ひとつのサウンドシステムで30分プレイして、次にもうひとつのサウンドシステムで30分プレイする、っていうのを行ったり来たりするような感じなんだ。両サイドから音楽が流れてきてクラッシュしているような瞬間もあった。最初はそれぞれが違ったものをひとつの部屋でかけているということにすごく混乱したけれど、来ているオーディエンスもDJがそれぞれやっていることにフォーカスするというよりも、部屋全体に流れている音楽を楽しんでいたのがすごく印象的だった。DJのことを見ているというより、音楽そのものを聴いているような感じがしてね。そこでは自分の好きなDJ、たとえばムーディマンなんかもプレイしていたんだけど、そういうDJたちを観る感覚ではなくて、純粋に音楽を楽しめたんだ。

沖野さんにお伺いしたいんですが、「ジャズとダブ」というキーワードからはどういった作品が思い浮かびますか?

沖野:意外と少ないんですよね。自分のキャリアのなかでもレゲエとかダブの影響が入った曲って2曲しかプロデュースしたことがなくて。MONDO GROSSOがカヴァーしたことでも知られるファラオ・サンダースの “Oh Lord, Let Me Do No Wrong” (1987年)はレゲエ寄りの曲ですね。MONDO GROSSOのカヴァーはキーボードがスタイル・カウンシルのミック・タルボットで、ヴォーカルは2年前に亡くなってしまったんですが、UKのソウル・シンガーのノエル・マッコイでした。その後、MASA COLLECTIVE(Sleep Walkerのサックス奏者、中村雅人によるソロ・プロジェクト)でおなじノエル・マッコイをヴォーカルにフィーチャーして、フレディ・マクレガーの “Natural Collie” をカヴァーしています(2007年)。ジャザノヴァのマネージャーのダニエル・ヴェストが〈Best Seven〉というダブのレーベルをやっているんですが、“Natural Collie” もライセンスされてそこから出ていますね。
 あとはやっぱりエズラ・コレクティヴになりますよね。最近の、ヤスミン・レイシーとコラボした “God Gave Me Feet For Dancing”(最新作『Dance, No One's Watching』収録)ではジャズとダブのテンポが入り混じっていて。すごくよくできた曲なんです、遅いテンポと早いテンポが混在していて。だから、レゲエのエッセンスをとりいれるうえではやっぱり、エズラ・コレクティヴやジョー・アーモン・ジョーンズがすごく参考になる。もし次のKyoto Jazz Massiveの曲にレゲエとかダブのエッセンスが入っていたら、それは彼に影響を受けたものになると思います(笑)。

JAJ:やっぱり自分たちの世代だと、たとえばハービー・ハンコックのようなレジェンドからインスパイアされることが正しいとされがちなんだけど、それは間違っていて、やっぱり同世代やおなじ時代の音楽家からもインスピレーションを受けるべきだと思う。

自分の目指す理想に向かって近づけているかどうかにしか関心をもっていないですね。仮に実現できなくても、そこに向かおうとするプロセスが大事だと思う。(沖野)

ジョー・アーモンさんの「Sorrow」とほぼおなじタイミングで、Kyoto Jazz Massiveのデビュー30周年記念盤『KJM COVERS』もリリースされましたね。これまでのカヴァー曲を集めたコンピレイションですが、なぜカヴァー集になったんでしょうか?

沖野:じつはぼく、Kyoto Jazz Massiveではカヴァーを禁止しているんです。むかしイギリスの先輩DJに「日本人アーティストはカヴァーが多すぎる」と言われたことがあって。ぼく自身も “Still In Love”(2011年)というローズ・ロイスのカヴァーがヒットしたりしているので、Kyoto Jazz Massiveとしては封印しているんですよ。だからこの先もカヴァーはやらないと思うんですが、30周年記念としてなにかしら出したいなと思ったときに、こういう区切りであればファンへの感謝として、これまで出してきたカヴァーをまとめるのも許されるかなと。それと、次のアルバムを出すにあたって、自分たちが影響を受けてきた音楽をもう一度検証する機会でもあった。ただ、先ほど話に出た “Natural Collie” は諸事情あって漏れているんですけど(笑)。

最後に、おふたりそれぞれ、音楽活動をしていくうえでポリシーのようなものがあれば教えてください。

JAJ:ひとつ言えるのは、自分がバンドで曲を書くときは、各パートの音楽性をメンバーに押しつけるんじゃなくて、メンバーごとに解釈を任せられるように、オープンな部分を残しておくことはかならず念頭に置いているね。それはたとえばデューク・エリントンがやっていたことでもあるんだけど、ぼくは彼のやり方を参照していて、その姿勢を自分の創作にもとりいれている。すばらしいジャズのアーティストたちは──たとえばマイルス・デイヴィスもそういった余白をバンド・メンバーに与えていたと思うから、そういうことは心がけているね。

沖野:ぼくの場合は、これまで出した曲よりいい曲を書くこと、それにしか興味がないんです……ってあらゆるインタヴューで答えています(笑)。できれば、ハービー・ハンコックとスティーヴィー・ワンダーのあいだにかけられる曲とか、ロイ・エアーズとかアース・ウィンド・アンド・ファイアのあいだにかけられる曲をつくりたいと思っているんです。もちろんすごく高い目標ですし、ぼくは現時点ではまだその域には達していない。だから、自分の目指す理想に向かって近づけているかどうかにしか関心をもっていないですね。仮に実現できなくても、そこに向かおうとするプロセスが大事だと思う。そういうことは、かならずしもレジェンドたちだけではなくて、ヤスミン・レイシーとジョー・アーモン・ジョーンズのあいだにかけられる曲とか、ヌバイア・ガルシアとエズラ・コレクティヴのあいだにかけられる曲とか、ぼくはコンポーザーですがDJでもあるので、やはりこの曲とこの曲のあいだに挟みたい、ということはよく考えるんですね。
 もうひとつは、繰り返しになりますが、できればカヴァーはやりたくない(笑)。カヴァーにもどの曲をどうアレンジするのかっていう面白さがあるんですが、やはりオリジナルで勝負したいなと思っています。

取材・文:小林拓音 Takune Kobayashi(2025年1月10日)

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