Home > Columns > スクエアプッシャーはいつだってテクノロジーの限界を超えていく- ――7月20日(月祝)@昭和音楽大学、特別講義のレポート
文:小林拓音
Photo by Donald Milne (Squarepusher) / Toru Miyazaki (lecture)
Aug 09,2026 UP
ヴィブラート、スタッカートにピッツィカート。弦、管、木琴、鍵盤とドラムスが織りなす豊かな響き──。4月10日にリリースされたスクエアプッシャー通算14枚目のオリジナル・アルバムは『Kammerkonzert(カンマーコンツェルト、ドイツ語で室内演奏会)』と題されている。これを初めて再生したリスナーのなかには、ハイブラウな雰囲気に戸惑いをおぼえた者もおられるかもしれない。最新アルバムでトム・ジェンキンソンはかつて一度も見せたことのない表情をあらわにしている。『Kammerkonzert』はスクエアプッシャー流のモダン・クラシカル作品なのだ。
むろん彼はジェンキンソン。これまで覆面バンドやらロボットやらソフトウェア開発やら、さまざまなアイディアにとりくんできたチャレンジャーだ。今回も当然ながら一筋縄ではいかない。自身のベースの独奏+伴奏による3楽章構成、というありきたりな協奏曲(独:konzert/伊:concerto)の形式が採用されているわけではないし、というかそもそも、たったひとりですべての楽器をこなし多重録音しているのはもはや狂気の沙汰で、ベースだけでは飽き足らずピアノやヴァイオリンや管楽器まで習得してしまうとは、いったいどんだけ多才なのよ、と。
彼らしいテクニカルなベースの演奏にコード進行、さりげない808が室内楽と融合していく “K2 Central”。あるいはこれまた彼らしいジャングルのビートにストリングスが覆いかぶさっていく “K4 Fairlands” あたりが今回の代表曲になるだろうか。クラシカルに苦手意識のあるリスナーはまずこの2曲から入っていくのがオススメだけれども、最高に昂奮させられるのは “K7 Museum” だろう。チェンバロが炸裂するモーダルな同曲では、『Ultravisitor』にも潜んでいたジェンキンソンのバロック的なものへの志向とダンス・ミュージックの身体性がみごと融合、スクエアプッシャーの新境地と呼ぶべきサウンドが生み落とされている。パイプオルガンのみでアルバムを締めくくる最終曲も印象的で、かつてのオルガン奏者ジェイムズ・マクヴィニーとの邂逅はなるほど、今作の布石だったのねと(『Kammerkonzert』のプロジェクト自体はすでに2016年にはじまっている)。
クラシック音楽といえばアカデミズムでしょう、というわけでもないのだろうけれど、この驚異的な新作を受けふたつの大学で特別講義が実施されることになった。
ひとつは京都精華大学で開かれた「見える室内楽 ― 構造を可視化する視聴会」。講師を務めたのはin the blue shirt名義で音楽活動をしているプロデューサーの有村崚だ。そしてもうひとつが、川崎市にある昭和音楽大学の「音楽プロデュース論」なる科目。授業を担当しているのは作編曲家の益田トッシュで、7月20日日曜日、幸いにもその講義にもぐりこむことに成功した。休日だというのにキャンパスはさまざまな楽器を手にした若者たちでにぎわっている。ふだん音大に足を運ぶ機会などない身としては新鮮な景色だ。くだんの「音楽プロデュース論」はどうやらDAWなどのテクニカルなことを学ぶコマのようで、出席した学生は20人ほどだろうか、階段教室にふとなつかしさをおぼえたり。

学生たちに向け益田はまず、ファイル形式の作成やPAの組み立て方など、具体的な方法の習得がいかに大事かについて語りはじめる。なぜなら技術は創造性と直結するから。楽器演奏でいえば、思いついたことをその瞬間にいかにすばやく手を動かし形にできるか──その世界一がスクエアプッシャーだ、というところから彼の話に入っていく。
面白かったのは、他方で益田が座学だったり、楽器やソフトウェアの操作法の習得だけで満足してしまってはいかん、と力説してもいたところだ。彼は〈Warp〉や〈Metalheadz〉が全盛だったころ、ロンドンに渡りその身体で音楽を吸収したことにより考え方が変わったことを告白、「現場」での体験もまた重要なんだよと。
そうしてスクエアプッシャーの代表曲 “Squarepusher Theme” が例にとりあげられる。あの複雑な音楽がきわめて限られた機材によって生みだされたこと、こんにちのように一瞬でテンポやキーを合わせたりすることなど不可能な時代に、手さぐりで適切なサンプルやBPMやピッチを探しあてていくところにこそクラブ・ミュージックの醍醐味があったこと――この流れを受け、制限のなかで機械と向きあうことこそが人間自体に進化を要求するのだ、というトム・ジェンキンソンのことばが紹介され、“K2 Central”のMVも上映されることに。
ただのソフトウェア任せではこうした音楽は生みだせない、アーティストというのはここまでやってこそだと強調する益田。その後も、菊地成孔+大谷能生『憂鬱と官能を教えた学校』の推薦、冨田恵一やJazztronikの仕事ぶり、南青山ブルーノートでの思い出、近年のドミ&JD・ベックにみられる生演奏とDJ文化の交錯、はたまたKポップなど、さまざまな例を交えながら話は重要なポイントに向かって進んでいく。
たとえば動物が獲物を狙うとき。やつらはたんに獲物が逃げた道を追っているわけではない。獲物が急にかくんと右に曲がった瞬間、追う側もまたその急に曲がる感覚を共有しているのだ。テクノロジーの発展により、わたしたちはそうした感覚を失ってしまった。だからこれからのわたしたちに必要なのはその野生の勘、エスパーのような能力、第六感であり、だからみんなアンテナ磨いていこうぜ、と。この興味深い話を益田は、スクエアプッシャーのアティテュードへと接続していく。
AIがアウトプットする候補から選ぶだけでたやすく音楽をつくれてしまう現代。しかし、AIがすでにわたしたちが知っているルールの外からなにかをもってくることはない、とジェンキンソンは考えている。自分に必要なのはAIにはけして生みだせないもの、もとめているのは人間の想像力が未知の領域からなにかをつかみとってくるような飛躍、「幽霊化の瞬間」なのだ、と。これは、AIへの丸投げにより人間がどんどんアホになっていくだろう現代において非常に重要な話であると同時に、いまほどテクノロジーが進展していなかった “Squarepusher Theme” の時代から、スクエアプッシャーの創作スタンスが一貫していることを示してもいる。
最新作『Kammerkonzert』はたしかに、これまでエレクトロニック・ダンス・ミュージックの文脈からもクラシック音楽の分野からも出てくることのなかっただろうアイディアを実現している。あの手この手のエピソードでその核心に迫ろうと奮闘する益田トッシュの講義(ちなみに最後には同大で講師をつとめる音楽評論家の柳樂光隆もゲストで登場)には、いや、学生のころこんな授業を体験できていたら楽しかっただろうなあと思わせられた次第。
