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interview with Kinnara : Desi La

interview with Kinnara : Desi La

「アートによって、私は世界に満足できるようになりました。アートが、私の孤独の多くを壊してくれたのです」

──緊那羅:デジ・ラ、インタヴュー

野田 努    写真:小原泰広 Sep 15,2026 UP

 このところ、J・G・バラードのディストピア小説のような気候が続いている。それはたしかに、ぼくたちの内面と共鳴しているんじゃないかと思えてしまう。「緊那羅:デジ・ラ」の音楽もまた、雨の降り方が異常なこの薄暗い世界で鳴っている。とはいえ、彼の音楽は、近い将来人びとが共有することになるであろう、奇妙な悪夢からの脱出だ。インダストリル・ドラムンベース、ダークで荒々しいが、生まれ変わった太陽を目指し、突き抜けようとしている。

 「緊那羅:デジ・ラ」——この奇異な名前を名乗っている人物は、ニューヨーク生まれでニューヨーク育ち、2000年から東京に移住し、音楽活動をしているひとりのアフリカ系アメリカ人である。もっとも、こうした人種に規定された言われ方を「緊那羅:デジ・ラ」は好まない。「Kinnara : Desi La」、これはどこにも所属しない謎の存在、トランスレイシャルな記号なのだ。それに、東京という街の無関心さは、彼にとってちょうどいいのかもしれない。

  ボアダムス、大友良英、灰野敬二、メルト・バナナ——これらアーティストとの出会いがなければデジ・ラ=通称デジさんが東京に住むこともなかっただろう。かれこれ、彼は25年以上も東京で暮らしているのだ。生活のために働きながら、しかしおそろしく精力的に自分の作品をリリースしている。売れるとか、注目されるとか、そんなことは関係ない。デジ・ラにとって重要なのは、まずは作品を作ること。発信することなのだ。

 

 エレクトロニック・ミュージックは、いまでも実験的なるもののための場所として機能している。あらたな「現在」を上書きし、それを再文脈化する。緊那羅:デジ・ラは今年、2時間半におよぶ大作アルバム『DEMONS TO SOME, ANGELS TO OTHERS』(ある者にとっては悪魔、ある者にとっては天使)をリリースした。Bandcampで聴けるから、ぜひとも再生してみて欲しい。とんでもなくヘヴィーな音楽で、はっきり言って、全篇通して聴くには忍耐力を要するだろう。なにせ2時間半もある大曲なのだ。「おまえたち人間には信じられないようなものを俺は見てきた」と、映画『ブレードランナー』の最後でアンドロイドが言うように、救いの手はない。そして、これがデジ・ラの世界なのだ。

私の音楽は、サンプルを操作することだけで完全に作られていました。DJのようにではなく、肉屋が肉を捌くようにサンプルを取り出し、切り刻み、誰にも元の音だとわからないレベルまで変異させていくような手法です。

ニューヨーク生まれニューヨーク育ちのあなたが、なぜ東京を住む場所に選んだのでしょうか?

Desi La:なぜ東京か? 移住を決める数年前、日本、中国、香港などのアジア映画が流行していたんです。北野武、『BULLET BALLET/バレット・バレエ』、『ピノキオ∫964』などですね。生々しい日本のアンダーグラウンド・ミュージックもそうでした。当時、そうしたアーティストやバンドの多くがアメリカに渡ってくるようになっていました。メルト・バナナ、灰野敬二、ボアダムス、大友良英といった面々が、私のお気に入りのミュージシャンになったのです。ジョン・ゾーンのライフスタイル——NYCと高円寺の両方にアパートを維持する生き方——にも大きな影響を受けました。自分もぼんやりと似たようなライフスタイルを描いていたんです。東京がどういう場所なのか、明確なイメージは何もありませんでした。いまの多くの人たちとは違って、別に「日本オタク」というわけではなく、ただ音楽と映画に興味があっただけなんです。

なるほど。

Desi La:なぜ東京を選んだかというのは、ほんの一時点の話に過ぎません。なぜ東京を選び続けているのか、ということのほうが重要です。東京は、アートに没頭するには実に素晴らしい場所だと感じています。金銭的な側面は悲惨ですが、集中できるという点において。

集中?

Desi La:ここでは制作に集中するのが非常に簡単です。東京のデジタル・ミュージシャンたち、クラブ・シーン、そして構造的な物事の仕組みのおかげで、2013年にはじまった自身のイベント〈BEAUTIFUL MACHINE〉を誕生させることができました。アメリカにいたら、7年間にわたって〈BEAUTIFUL MACHINE〉を続けたり、29枚ものアルバムをリリースしたりすることはできなかったと思います。グラフィック・デザインに対する敬意が浸透していること、スタジオでの練習や移動、新しいアイデアへの取り組みの容易さがあるからこそ、私は東京を選んでいます。そして東京の治安の良さは、生産性を上げるために極めて重要な要素です。東京は、多くの人びとが精力的に制作や創造を行っている肥沃な土地なのです。最初にここへ到着したときはまったく予期していませんでしたが、私がミュージシャンでありアーティストになれたのは、東京のおかげです。

「Kinnara : Desi La」のBandcampにおけるもっとも古いリリースは2016年に遡ります。これがあなたの最初の作品なのでしょうか?

Desi La:いいえ、違います。いちばん最初のリリースは、たしか2004年頃に「La Bruha La Negra」という名義で出したものだと思います。それは自分が歌い、ノイジーなギターを弾くスタイルでした。その後、音楽性が変化して、エフェクター・ペダルを操作しながら韓国の太鼓(長鼓など)を叩き、歌うスタイルになりました。これが数年続きましたが、肉体的にプロジェクトを続けるのが難しくなり、2009年に「La Bruha Desi La」名義で『POPPY FLOWER RHYTHMIC PARTY』をリリースしたのを機に、デジタル・ミュージックの制作へとシフトしました。
 私の音楽は、サンプルを操作することだけで完全に作られていました。DJのようにではなく、肉屋が肉を捌くようにサンプルを取り出し、切り刻み、誰にも元の音だとわからないレベルまで変異させていくような手法です。この手法は2016年の『WARPED VERTEBRAE』のリリースで限界を迎えました。創作上の壁にぶち当たり、デジタル・シンセや異なる編集ソフトウェアへと切り替えたのです。2017年の『DEAD MACHINE』の頃には、音楽制作に対する世界観が大きく変わり、アーティストとして現在の自分へと生まれ変わりました。 2009年以来、29枚のアルバムを制作してきましたが、この10年間の作品こそが自分にとってもっとも意味のあるものです。

現在のスタイルで音楽制作をはじめたのはいつ頃ですか?

Desi La:2017年の『DEAD MACHINE』のリリースからです。その時期、精神的に多くのことが流動的でした。サンプルをこねくり回すだけの作業に嫌気がさし、何でも自由に作れる解放感を求めていたんです。古い手法を捨て、まずはiPad上のモジュラーアプリを使いました。『DEAD MACHINE』は完全にiPadだけで完成させたものです。そこからパンデミック直前の2020年にかけて、私の音楽制作手法はサンプルの解体から、モジュラーアプリ、ソフトウェア、MIDI操作を駆使した、極めてデジタルに特化したものへと変化していきました。また、モーション・グラフィックスの制作もはじめ、自身のヴィジュアル表現をより主体的にコントロールするようになりました。自分が初めて制作しパフォーマンスを行ったオーディオ・ヴィジュアル(音と映像の融合)作品は、東京、大阪、名古屋で披露した『DEAD MACHINE』のためのものでした。
 『DEAD MACHINE』によって、より多様なタイプの音楽を作る自由が得られたと感じました。さまざまなテクスチャーを実験できるようになったのです。ずっと作りたかった音楽を、ついに制作できるようになりました。私は単一のジャンルを念頭に置いて音楽にアプローチすることはありません。どちらかといえば、感情を追求する作曲家のような感覚です。ゼロから完成に至るまで、すべてのサウンドをより自在にコントロールできるようになりました。来年は10周年になるので、何か企画をするかもしれません。

デジさんにとって、主な影響やインスピレーションの源となっているものは何ですか?

Desi La:数多くの異なるシーンに関わってきたことです。メタル・シーン、ドラムンベース/レイヴ・シーン、そしてNYダウンタウンのエクスペリメンタル・シーン。ニューヨークの音楽シーンが持つ自由さを目撃してきたことですね。本当にたくさんのコンサートを見てきました。
 ニューヨークにおける私の唯一のメンターは、有名な文筆家であり、アヴァンギャルドなコンダクション(即興指揮)・グループ「Burnt Sugar」のバンド・リーダーでもあったグレッグ・テイトです。彼は私を温かく迎え入れてくれました。私がまだ若く経験も浅かったにもかかわらず、ニューヨークにいるときはいつでも、彼が率いる15人以上のダウンタウン・ミュージシャンたちのグループで演奏させてくれました。当時のニューヨークは、音楽や人間がいかに自由であり得るかというインスピレーションを与えてくれたと思っています。
 そしてボアダムスです。音楽そのものだけでなく、それが私をどれほど自由な気持ちにさせてくれたか、という点においてです。ボアダムスは一貫性や他人の目をいっさい気にせず、毎年ドラスティックに異なるレコードを作り出していました。
 池田亮司も非常に重要な存在です。彼がまだDUMB TYPEに所属していた頃、ニューヨークでの初期のソロ・コンサートを見る機会がありました。日本に移住してからは、運良くDUMB TYPEのパフォーマンスを何度も目にすることができました。ミュージシャンから、オーディオ・ヴィジュアルのオーソリティーへと進化していく彼の姿を追いかけることができたのです。彼のオーディオ・ヴィジュアル作品が与えた衝撃と畏怖は、見た目こそ彼とはまったく異なるものの、私が自分自身の作品を制作するに至った大きな理由となりました。
 最後に、建築への愛も常にインスピレーションとなっています。『DEAD MACHINE』をリリースした後、私はご想像の通り建築からインスパイアされた『ARCHITECTURE』という、もっとも重要な録音作品のひとつを作りました。それだけでなく、『DEAD MACHINE』以降、私は音楽を単なる音としてではなく「建築」として捉えるようになり、多くのトラックがアーチや橋、螺旋状のタワーを備えた「都市」となっていったのです。最初はゼロとイチから作られたデジタル・ミュージックが結合し、超現実的な作品を生み出していくのです。

取材:野田努(2026年9月15日)

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