Home > Columns > P-VINE 50th Anniversary Interview- Pヴァイン50周年対談
談:髙地明×水谷聡男 (司会・構成:野田努) Sep 10,2026 UP
※以下は、紙版『ele-king vol.37』に収録されている記事の転載です。
2025年12月24日に設立50周年を迎えたPヴァイン。その創業者のひとりである髙地明氏と、現・代表取締役社長の水谷聡男氏に、同社の歩んできた歴史とこれからの展望について語ってもらった。
若きブルース研究者であった日暮泰文氏を中心に、雑誌『ブルース』(後の『ブラック・ミュージック・リヴュー』)の創刊を契機として誕生したPヴァイン。ブルースのリリースからそのキャリアをスタートさせながらも、やがてジャンルを横断し、洋楽・邦楽を問わず、メインストリームにはない個性的で刺激的な音楽を発信し続けてきた。
また、新譜のリリースにとどまらず、近年ではアーカイヴ・レーベルとして数々の名盤のリイシュー(再発)を精力的に展開し、海外のファンも拡大。さらに自社プレス工場を設立するなど、その深いレコード愛を21世紀の現在も具現化し続けている。
独自のスタイルで音楽ビジネスを牽引する同社のこれまでとこれから。おふたりの対話から見えてくる、Pヴァインの真髄をどうぞお楽しみください。
「『ザ・ブルース』が入社のきっかけでした」
■ブルース・インターアクションズとして会社を設立したのが1976年ですか?
髙地:はい。
水谷:76年の12月24日に登記した。
■社名Pヴァインに変わりながらも、組織として50年続いている。半世紀ですね。
水谷:髙地さん、失礼ですけど、いま?
髙地:今年の10月で71。
水谷:もうピッタリ、20歳から?
髙地:うん。僕は。
■20歳からなんですか?
髙地:まだ高校三年のとき、18ぐらいから日暮さんと。
■そのときは会社だったんですか?
髙地:いや。そのときはまだ会社じゃなくて、事務所という感じで。
■雑誌『ザ・ブルース』(『ブラック・ミュージック・リヴュー』の前身)。
髙地:そうそう。まだミニコミだった『ザ・ブルース』が日販で流して貰えることになって、そのためには会社組織にしなくちゃいけないということで株式会社にしたの。日販との取引のために。
水谷:それが76年なんですね?
髙地:そう。
水谷:会社じゃないとこと取引はできない、みたいな。それがキッカケなんですね。
■それで、水谷さんがブルース・インターアクションズに入社されたのって?
水谷:僕は、2000年か2001年の末かな。ちょっと憶えてないすけど、それぐらいですね。
■それ以前は某大企業に勤めて。それ辞めて。何で、ブルース・インターアクションズに就職しようと思われたんですか?
水谷:レコード会社にずっと入りたくて。大学時代に普通に就職活動するとメジャーしかないワケじゃないですか。だけど、僕のときは氷河期がはじまった頃で、話が合わなかったのか、僕の実力不足なのか、受けたところ全部落ちたんですよ。それで普通に就職したんですけど、どうしても音楽の仕事がしたかった。就職した会社は、当時は半官半民といって、公務員みたいな感じだったんで、ラクではなかったのですが仕事のボリュームもある程度守られてて。でも仕事って、10時から一日の半分取られるワケじゃないですか。それがこれから50年だか続くと思うと、ちょっと無理だな、と思ったんです。しかも、大のレコード好きだったんで、第二新卒で某メジャーだけ受けたんですけど、それでも最後に落ちて。これはもう、ちゃんと気合い入れて探そう、と。
その当時、会社の寮に住んでいたんですけど、退職後もそこに1年間住めたんです。で、寮には新聞があって、朝日新聞の日曜の朝刊には求人募集が載っている。だから日曜日の朝は早起きして、いち早くその一面を破って、何かないかチェックしていました。そんななかで、ブルース・インターアクションズの求人募集を見つけたんです。
ブルース・インターアクションズという会社のことは、高一でヒップホップに目覚めてから、『bmr(ブラック・ミュージック・リヴュー)』を読んでいましたから、もちろん知っていました。僕が16のときって90年だから、いわゆる黄金期なんです。WAVEに行ってCDを買って、レキシントンとかシスコにも行って12インチを買って、みたいな生活をやっていたんですけど、『ブラック・ミュージック・リヴュー』はWAVEで知りましたね。いろんな情報がめちゃくちゃ載っていて、「こんなの、あるんだ」って、そこからずっと買い続けていたんで、ブルース・インターアクションズという会社名はよく知ってたんですよ。で求人広告を見て「そこだ!」と思って、履歴書を出したっていうことなんですけどね。
■憶えてますか? 髙地さん。
髙地:レコード会社っていうのはメジャーでも、制作と営業の二本柱だったのね。邦楽は知らないけど、ロックやブラック系は、制作をやっているのは大抵が以前からの知り合い関係っていうか、そんな感じが多かった。で、Pヴァインで募集したとき、俺は制作のほうには関わっていたけど、営業に関しては、たぶん面接はしてないと思う。
水谷:いや、(面接)していますよ、髙地さん。
髙地:オレがしてる?
■そのとき、営業で募集されてたんですか?
水谷:だと思います。制作なんてできないし。そのときは、営業が必要だからと、営業を募集していたんですよ。また、その当時、日暮(泰文)さんはヒップホップを好きなヤツを探していたと。で、僕はヒップホップだったし、当時、安い12インチですけど、レコードを4000枚持っていたんです。それを面接で伝えたら、日暮さんがけっこう反応してくれて。面接が終わって、部屋にCDの山があって。「好きなの選んでお土産に持って帰っていいよ」っていうことをやってたんですよ。
髙地:やってた。面接に来てくれたからお土産にって。足代出せないけども、っていうことで。
水谷:ただ、それも日暮さんのなかでは選考する際に参考にしていたそうで。そこには、ヒップホップのCDがいっぱいあったんですけど、僕はリトル・リチャードのベスト盤を選んだんです。単に、ロード・フィネスのカッコいいネタが入ってるから選んだだけなんだけど、日暮さんは、「コイツ、あれだけヒップホップが好きなのにリトル・リチャードを選ぶのはなかなかだな」って思ってくれたようで(笑)。
■Pヴァインらしい、いい話ですね(笑)。
髙地:Pヴァインって、営業職を募集しても、Pヴァインが出してるものをちゃんと好きで理解しているかどうか、そこが人を選ぶひとつの基準だよね。
水谷:いや、でも、『bmr』とヒップホップ系とリイシューを出してるブルース・インターアクションズに入社したつもりでいたんですけど、実際に入って営業やらされるなかで、営業するCDの半分がロックだったんですよ(笑)。その当時はポスト・ロックが盛んで、僕はブラック専門だったんで、ぜんぜん聴いたこともないし(笑)。「ヤベェ……」って思いましたね。
ただ、作品が良かったんで、知識がなくても、その世界に入っていけたんですよ。しかも、営業やったら、どんどん受注が入るわけです。Pヴァインに入ってなかったら、ロックはたぶん聴いていなかった。ゴッドスピード(・ユー!・ブラック・エンペラー)なんて出会わなかっただろうし。ヨ・ラ・テンゴとか、〈Matador〉とか〈Drag City〉とか、「ロックってこんなにカッコイイんだ」って思いましたね(笑)。Pヴァイン入って良かったなと思いましたよ。