Home > Reviews > Exhibition Review > RYUICHI SAKAMOTO + SHIRO TAKATANI AMBIENT KYOTO - TOKYO

今回「AMBIENT KYOTO ‒ TOKYO」で(再)設置される坂本龍一+高谷史郎《async – immersion》は、2023年に開催された「AMBIENT KYOTO 2023」において制作、展示された、坂本龍一のアルバム『async』(2017)の全楽曲をベースに、高谷史郎による映像と、ZAKによるマルチチャンネル音響によって構成されたインスタレーション作品《async ‒ immersion 2023》を、会場である麻布台ヒルズギャラリーの空間にあわせて再構成したものである。「AMBIENT KYOTO」は、2022年にはブライアン・イーノの大規模な個展「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」を開催して話題となった。「AMBIENT KYOTO 2023」は、その第二回となる展覧会で、会場はイーノ展同様、京都中央信用金庫旧厚生センターで、そこでは3つのフロアにコーネリアス、バッファロー・ドーター、山本精一の作品があった。坂本龍一+高谷史郎《async ‒ immersion 2023》は、別会場の京都新聞ビル地下1階の印刷工場跡地に展示されていた。その地下の広大な空間は、地下鉄の駅を思わせるような、剥き出しの空調ダクトや、多くの柱、印刷機械の置かれていたと思われる段差と床の縞鋼板やペンキで描かれた線や文字、など、天井、床、壁すべてが、いわゆる美術館やギャラリーのようなホワイトキューブとは対極にある、それ自体が巨大な構築物としての存在感を持つものだった。その中で、25メートルを超えるLEDパネルによる光の面が会場の長手の空間をつらぬくように設置された、どこかSF映画的な光景でもあり、多くの観客にとって普段体験することのできない異空間としての印刷工場跡地を、さらに異化するものとなっていた。さらにそれは、音響空間としても、ステレオあるいはサラウンドといった、オーディオの規格化された音源で聴かれてきた『async』という作品の印象を徹底的に覆す体験でもあったのだ。プレーンなキューブとは言えない、雑多な要素の多い空間は、それゆえにサイトスペシフィックな、場との強い関係を結ぶ作品となっていたこともたしかであろう。それは体験としても強度を持った作品となって、観客に深い印象を残すものだった。

同作品は、その翌年、東京都現代美術館での個展「坂本龍一 | 音を視る 時を聴く」(2024—25)でも《async–immersion tokyo》(2024)として再設置された。それは、京都での展示とは異なり、美術館の展示室というニュートラルで、視覚的にもノイズの少ない空間と空間的規模の制約、そして展覧会の多くの作品のひとつとして展示されていたという鑑賞時間の制約(もちろん体験時間の制限があったわけではないが、全体の体験時間を考えると次の作品に行かねばならないと思わせる)、といったこともあってか、どうしても京都の縮小版という感は否めなかった。というのも、京都では前述したような、いくつかの特別な要因があってのことであれば、いたしかたなしと言うべきかもしれない。また、この作品が題名にも冠しているように、「immersion」という「環境に浸ること」をテーマにしたものであることを思えば、そうした印象にはいくつかの理由が考えられるだろう。ここでの「immersion」に意図されたものとは、作品と環境との同化、観客の作品への没入、時間感覚の無化、といったようなことが挙げられる。そして、それらは、坂本がインスタレーションとしての作品、さらには設置音楽というアイデアを実現する上での制作における関心の変化にあらためて注目してみるべきだろう。
坂本が晩年にいたるインスタレーション作品へ本格的に取り組む契機となったのは、2007年に高谷と制作した《LIFE – fluid, invisible, inaudible...》(山口情報芸術センター(YCAM)の委嘱作品)である。この作品は、1999年に初演されたオペラ『LIFE』をインスタレーション作品として再構成したもので、オペラで使用された、20世紀のアーカイヴとしての膨大な量の映像データを素材として、水や霧といった不定形で制御不可能なものに投影し、ランダムに生起する音楽が、プログラムによって変化する映像とともに、その組み合わせを変化させ続ける。オペラという音楽作品のリニア(直線的)な時間構造を解体し、ノンリニア(非直線的)な構造を持つインスタレーション=空間芸術へと更新したものである。

坂本龍一
以降の坂本の音楽的関心は、たんに音楽制作にとどまらず、そのリアライゼーション(実現や上演の方法)とあわせて考えられるようになる。それを下記のようにまとめることができる。
1. ノンリニアで無時間的な音楽作品
2. ものの音や響きへの関心
3. データの可視化・可聴化
4. 空間的コンポジション=設置音楽
5. CDなど既成の規格に依拠しない=脱フォーマット
6. 没入的環境の創出=イマージョン
ここでは各項目について細かくは触れられないが、上記1の「ノンリニアで無時間的な音楽」への関心にはじまるインスタレーションの制作から東日本大震災をへて、作品や活動に坂本自身をとりまく状況にともなう思考の変化が感じられる。音や響きへの関心、植物や電波、地震データの可視化・可聴化、そして「設置音楽」というアイデアは、アルバム『async』の発表とともに登場したコンセプトであり、英語では「Installation Music」であることから、これまでのインスタレーション作品との関係が混乱するところではある。ちがいのひとつは、『async』の構成をそのまま使用しているということではノンリニアではなく、むしろ空間に音を立体的に設置するということの方に主眼が置かれたものとなっていることである。
「設置音楽」とは、既存の規格にとらわれずに音楽を空間的にコンポーズする手法だとすれば、これまでの複製技術を基盤とする音楽にたいする脱フォーマットを指向するものである。『async』の発表を機にはじまった「設置音楽展」(ワタリウム美術館)は、高谷、Zakkubalan、アピチャッポン・ウィーラセタクンによる映像と『async』の5.1chによる音響による3つのヴァリエーションが制作された。同年制作された、津波で被災した宮城県名取市の農業高校のピアノを含むインスタレーション作品《IS YOUR TIME》(NTT インターコミュニケーション・センター [ICC]による委嘱制作)も設置音楽のシリーズとして展開されたものだ。
では、この《async – immersion》はどこに位置するものとなるのか。もちろん、作品の実現に際して、坂本が関与することができないものであることは前提として、この作品は、京都でのサイトスペシフィックな展示からはじまり、美術館での展示へ、そして、映像のサイズとしては京都と同規模の今回の東京での展示、そして今後もさまざまな場所での展示が想定される。それが都度、展示空間にあわせてアレンジされるという意味では、脱フォーマットとしての作品の実現であろう。また、音楽と映像の「非同期」、というよりはむしろ「ずれ」による、ゆるやかに変化していくつねに異なる状態を提示する作品は、観客を含み込むひとつの環境となっている。それは、ひとつの作品を十分な時間をかけて体験することを求める。実際、京都でも東京でも、『async』の収録時間を超えて、何回も何時間もその作品の作り出す環境にとどまっている観客が多くいる。あるいは、場所を移動しながら、《async – immersion》という環境に浸るように繰り返し音楽と映像に没入する。それ自体はリニアなものであるにもかかわらず、映像とのずれの効果であるのか、作品に長時間聴き入ることができる(京都でも東京でも、寝ころんで体験できたら、と思わせる)。それは「設置音楽」の理想とされるものであったのだと思う。時間から空間へ、作品から環境へ、そして音楽をフォーマットから解放していこうとする、一貫した坂本と、それを引き受け、実現する高谷、ZAKといった共同制作者たちの探究がそこに結実している。

高谷史郎
畠中実