Home > Interviews > interview with Kensho Omori - 大森健生監督、『Ryuichi Sakamoto: Diaries』を語る
『Ryuichi Sakamoto: Diaries』イスラエルとの結びつきが問題視されているボイラールームで、去年、最高のDJを聴かせてくれたアルカはクライマックスで“Rain”をドロップ。ピュリティ・リングはセルフ・タイトルの新作に「坂本龍一の思い出に」という副題をつけた“Glacier”で“戦場のメリークリスマス”をモチーフにした曲をアルバムの締めくくりに置き、イーライ・ケズラーは今年のブリープ・ミックスに“Chasm”をフィーチャーするなど、世界各地で、そして、思わぬ方向から坂本龍一への追悼が途切れなく続いている。坂本龍一が過ごした最後の3年半を追ったNHKスペシャル「Last Days 坂本龍一 最期の日々」(2024年4月7日放送)はその後、『Ryuichi Sakamoto: Diaries』として新たに映画公開されることに。ディレクターとして携わったNHKスペシャルの制作時から、映画版もつくるつもりで始めたという、大森健生監督に制作当初の話からその過程で気がついたことなどを訊いた。
「受け入れた」と仮定しないと進めない部分もあるのですが、撮っている映像などを見返すと、ある1日を境に言葉も写真もポジティヴに見えるところがありました。2022年4月18日の、「こうなったらどんな運命も受け入れる準備がある」というところです。
■最初は「一人の人間の死」と「坂本龍一」であることは分けて考えたいと思います。これまでに誰か個人の死を扱った作品や番組をつくったことはありましたか? 今回が初めてだった場合、人の死を扱う時に初めて感じた感情や気持ちはありましたか。初めてではない場合、他の作品との違いは何でしたか?
大森:人の死ということでは戦争を扱ったことがあります。NHKのディレクターになり1年目から2年目の時に、NHKスペシャル「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」という番組を制作した時です。人の死を扱ったのはそれが初めてでした。北海道の北に広がるサハリンはかつて「樺太」と呼ばれ、40万人の日本人が暮らしていたんですけど、昭和20年8月、終戦後にもかかわらず、住民を巻き込んだ地上戦が1週間にわたって続き、5000人とも6000人とも言われる人たちが命を落としたんですね。沖縄以外でも地上戦が起きていたということを伝えるために、その時は生き残った方々と何度も対話を重ねました。
■有名無名を問わず、一人の死を追ったことは?
大森:有名という意味では、三島由紀夫、森鴎外、山本五十六などの生涯を追いました。今回の作品ほどディープに、一人の方の晩年を見つめたのは初めてです。
■これまでと違ったところはありましたか?
大森:坂本さんはお亡くなりになってすぐのタイミングでしたし、歴史上の人物を扱う時とはどうしても肌感覚が違います。ご遺族も、世間も、そして私もまだ完全にはその死を受け入れていない時期でしたし、さっきまでそこにいたという気配が残っているんです。そこが大きく違いました。
■坂本さんの音楽は以前からお好きだったんですか?
大森:YMOのアルバムや、よく知られている曲は聴いていました。
■ファン目線というよりは距離をおいて題材に取り組めたということですね。
大森:曲をどんどん聴くところから始めました。日記を読みつつ、映像を見つつ。全般的にピアノ曲がすごく好きなんです。坂本さんは節目節目に、同じ曲を弾いて、アルバムに残されているんですよね。制作を続けている間に聞こえ方はだんだん変わっていきました。例えば“戦場のメリークリスマス”も繰り返し演奏されてきて、いろんなタイミングの坂本さんが記録として残されているからこその変化を感じられますよね。

■NHKサイドの企画としてスタートした話だと聞きましたけれど、そもそも「坂本龍一の最期」を番組化しようと思ったのはなぜですか。また、番組用につくられたものが映画になるという話はいつ・どこから始まったのですか。
大森:坂本さんが亡くなって2日後に追悼番組を「クローズアップ現代」で放送すると決まり、僕はディレクターの一人として参加するところから始まりました。「クローズアップ現代」以外にもNHKでは「NHK MUSIC SPECIAL」で(最後のピアノ演奏を収めた)『Opus』の映像を通して軌跡を辿るなど、さまざまな番組で紹介してきました。本作のプロデューサーでもある佐渡岳利さんがほとんどの番組を担当されていたと思います。長尺版にしたいというのは最初から考えていて、それをかたちにできるのは映画というフォーマットかなということもぼんやり考えていたかもしれません。
■坂本龍一に関する様々な番組のなかで「LAST DAYS~」を担当されたというのは、ある意味一番ヘヴィーな部分を担ったことになりますよね。
大森:「クローズアップ現代」で追悼番組を担当して、それ以前から坂本さんにアプローチしていた記者の方がいて、その方と一緒に遺族にお会いする機会を持てたんです。その時にお話をさせていただいたところが始まりでした。坂本さんはいったい、どんな晩年を過されたのか。それをテーマとして企画・構想しつつ、ご遺族と徐々に対話を重ねていきました。余談ですが、「世に名を残した人々は、晩年をどのように過ごし、何を考えていたのか」というテーマについて、大学生くらいの時に調べることに熱中したことがあるんです。正岡子規をはじめ、梶井基次郎、宮沢賢治などを調べました。川端康成、芥川龍之介、三島由紀夫……晩年はみんなすごいんです。いまは私が生まれた年に亡くなった、安倍公房が気になっているんですけど。
■作家さんがお好きなんですかね?
大森:言われてみたらそうかもしれません。政治家や思想家にも興味はありますが、まったく違う世界にも興味はありますね。
■人の晩年に興味を持っていたのは昔から?
大森:昔から、「なぜ人は○○するのか」という人類普遍のテーマに興味を持ちやすいタイプなんですよね。例えば「人は最期をどう迎えるか」というような感じで。急にある対象の「なぜ?」に興味が向くんです。これまでも、なぜ手紙を?とか、なぜ往復書簡を?とか。今回は、なぜ日記を? ですよね。ハマるとテーマ読みしてしまうところがあるんですよね。
■『Ryuichi Sakamoto: Diaries』の要所要所で田中泯さんが読み上げていく坂本さんの日記も、大森さんはすべてお読みになったんですよね?
大森:読みました。最初はびっくりしましたよね。「僕は古本とガードレールが好きだ」とか書いてあって(笑)。ただテキストだけを読者に届けるのとは違って、メディアを通して日記を紹介するとなると、全文を出すことは難しい。だからこそ全部読んだ上で、大事なエッセンスをより精査・吟味した上で、出さないといけないなと思いましたね。それはご遺族とも話したことでした。
■制作しながら、他の誰でもなく、扱っているのが「坂本龍一」だと感じることがあったとしたら、それはどの部分でしたか。
大森:坂本さんの私物をたくさんお預かりしたので、それはもう非常にリアリティがありました。そういう意味では、何から何まで坂本龍一だし、坂本龍一を扱っているという実感につながりました。撮影はリアルのみでやりきりたいと粘る一方で、さまざまな事情があり、打診をしたすべての場所で撮影許可が下りたわけではありませんでした。なので例えば、病院内のシーンでは、預かった私物を配置して坂本さんがいた病室を再現したりして。坂本さんのそばにあったものがどのように置かれていたか、出来る限り忠実に再現していきました。そして言葉だけではなく音楽もあるという点ですよね。坂本さんの場合は。音楽を聴いてその人を知っていくという作業は他の方とは違います。坂本龍一という固有名詞とまではいかないかもしれませんが、”音楽家”を扱っているという気持ちがありました。
■曲としてインプレッションがもっとも強かったものは何ですか?
大森:坂本さんの若い頃の演奏が好きです。若くて元気な頃の演奏と、映画にも出てきた最期の演奏『Opus』の両方があるからこそ、坂本さんが“生きてきた”ということがよくわかる。僕はいま32歳なのですが、とにかくアグレッシヴで過剰とも思えるほどエネルギーが注ぎ込まれた音のほうが、自分のなかに入ってくる感じがあります。爆発が起きているみたいで。そして50代くらいになってから、その頃の楽曲をピアノアレンジしていることにもすごく感動しました。“千のナイフ”で、あそこまで過剰とも思えるほどエネルギッシュに音が詰め込まれていたサウンドを、ハンドクラップに置き換えることで表現したり、大人にならないとできない余裕を強く感じました。YMOのアルバムや『/05』も好きですし、30代・50代・70代と変化していく音楽が好きだなと思えるきっかけになったのは、やっぱり最後の演奏を記録したアルバム『Opus』ですね。
テレビ版はあれでひとつの完成形ですが、映画版はもう一度、ゼロから再構築する必要がありました。なので音を中心に編集をし直しまして。内容面でいうと、譫妄のシーンであったり、入院してから苦しんでいる話は少なくしたり。
■坂本龍一が「死に抗う」と「死を受け入れる」を交互に繰り返したと感じますか、それともどこかで「抗う」から「受け入れる」に切り替わったと思う瞬間はありましたか。
大森:「受け入れた」と仮定しないと進めない部分もあるのですが、撮っている映像などを見返すと、ある1日を境に言葉も写真もポジティヴに見えるところがありました。2022年4月18日の、「こうなったらどんな運命も受け入れる準備がある」というところです。もっとも体調がすぐれない時期については、映像や写真というものが他の時期に比べて少ないんですよね。日記に記述はあるけれど、写真や映像が非常に少ない。病気や精神的に苦しい時は、日常生活で記録を残すどころではないですよね。それに対して、4月18日を境に、記録が爆発的に増えてきて、メンタルの変化がもたらした変化としても見て取れたように思えます。
■そうか、表現しようとする気力や欲求がない時期もそれなりにあったんですね。そこは言われてみないとわからなかったな。『Ryuichi Sakamoto: Diaries』はテレビで放送した「Last Days 坂本龍一 最期の日々」に要素を増やしただけですか? ラストシーンは違っていましたけれど、ほかに削ったところもありますか?
大森:テレビ版はあれでひとつの完成形ですが、映画版はもう一度、ゼロから再構築する必要がありました。なので音を中心に編集をし直しまして。内容面でいうと、譫妄のシーンであったり、入院してから苦しんでいる話は少なくしたり。それをフィーチャーしてしまうと、視点が身体に行きすぎてしまうかなと、あとは松尾西行の句を読むところなども文学表現も、少し引き算しています。その分、月をモチーフにする目的もあって「8月8日 僕の身体はぼろぼろだ」という部分にニコライ・ネフスキーの『月と不死』を入れるなど、編集は随分変えました。
■坂本龍一の気力をもっとも感じた部分はどこでしたか?
大森:ずっとですね。熱が39.6度ある、とか書いてたりするんです。そんなに高熱だったら、自分だったら日記なんて書けないんじゃないかなと思ったり。驚きました。
■坂本さんの映像は家族が撮影したものですが、もしも大森さんがあの場にいて、自分で撮影していたとしたら坂本さん本人に直接、訊いてみたかったことはありますか?
大森:たくさんありますけどね……ちょっと言えないです(笑)。
■「言えない」って(笑)。言えるようになったらいつでも連絡ください(笑)。それはあまりにも気になります。

2024年に放送された「Last Days 坂本龍一 最期の日々」はTV番組としては演出がとても抑制されていて、必要以上に感情を刺激するものではなかった。NHKだけではないけれど、番組の演出があまりに大袈裟で、とくに音楽が番組の感じ方を特定の方向に誘導するものが多く、もう少しフラットに番組を進めてくれないものかなと思うことが多い。内容に興味があっても途中で見るに耐えられなくなってしまうことも少なくない。当時、ディレクターを担当していた大森監督による演出はその点、坂本龍一が最後に過ごした3年半を素材のまま見ているような気持ちにさせてくれ、どのように感じるかは観るものに委ねられる自由があった。映画版となった『Ryuichi Sakamoto: Diaries』でもその演出方法はそのまま活かされている。全体の中で大きな意味を持つものではないけれど、僕は多くの人が「キョージュ」と呼んできた坂本龍一を東北ユースオーケストラを構成する若いメンバーだけが「カントク」と呼ぶシーンがとても好きだった。「キョージュ」と呼ばれ続けた男が亡くなる少し前は「カントク」と呼ばれていた。どういう欲望なのか自分でもよくわからないけれど、僕も坂本さんのことを「キョージュ」ではなく「カントク」と呼んでみたくなった。
日本を代表する曲だと言われながら、〝戦場のメリークリスマス〟に賞を与えたのは世界でもこれまでにイギリス・アカデミー賞だけである。坂本龍一は紫綬褒章も授けられていないし、日本で与えられた賞といえばレコード大賞編曲賞や都民栄誉賞ぐらい。ブラジルやフランスが国民栄誉賞を坂本龍一に授けているのとは雲泥の差がある。それだけにNHKがこうして坂本龍一の番組をいくつもつくり続けていることは坂本龍一を正当に評価してこなかった日本において大きな意味を持ってくるのではないかと僕は思う。
取材・文:三田格(2025年11月27日)