Home > Columns > P-VINE 50th Anniversary Interview- Pヴァイン50周年対談
談:髙地明×水谷聡男 (司会・構成:野田努) Sep 10,2026 UP
「俺にとってのブルースは、けっして形式的なことじゃないんだよ」
■2010年代以降、とくに僕は思うんですけど、音楽リスニング文化であったりとか、かつてあった音楽産業のエコロジーが崩壊して、劇的に変化しました。こうした現代の音楽文化全般の変化に対して、どのように思ってますか?
水谷:う~ん。難しいです。ただやっぱり、世の中がもうそうなってるんで、それに対して良い音楽がうまく届くようにするだけかなと思いますね。サブスクかレコードっていったら、個人的にはレコードのほうが好きですけど、サブスクにも良い面はありますし、この状況は受け入れていかなければいけない。その一方で、そういうことが起きてもぶり返しがあるというか、一部の人たちは、レコードに戻るワケじゃないですか。そうやってバランスが取れるんだなぁって思ったし。実際ウチはいま、レコードのプレス工場もやっているワケですからね。だから、世の中の流れに対応しながらも、昔から僕らが大切にしてる部分もバランスよくビジネスができるようにもなっている。そういう意味では、Pヴァインらしく、いろんなことをやっていきたいっていう思いは僕にはあります。日暮さん、髙地さんから受け継がれたブラック・ミュージックもそうなんですけど、広い意味でいうところのオルタナティヴなものを大切にしていきたいですね。
■レコード工場作ったのは、ぼくはすごいなと思いましたが、髙地さんどうですか?
髙地:いや、それは俺、何回か言ってるけど、プレス工場をやるっていう発想は日暮さんや俺にはまったくなかったから(笑)。
水谷:だって(国内には)工場があったんですもん、当時は(笑)。僕のときはもう簡単にできない。ほとんど、海外の工場に発注するしかなかったんですから。
髙地:いま、サブスクっていうことについて、どう思いますか? って質問されたとき、思ったのは、いまはトンデモナイ状況だよね。たとえば、日暮さんと一緒に作った音源もいまPヴァインで世話になってるけども、ダウンロードで1000あっても、何円、何十円入るか入んないかとか、そういう仕組みじゃない。かと言って、作り手がいなくなっちゃったら音楽はもうこれ以上伸びないワケで。売れる音楽だけの世界になっちゃうかもしれない。でも俺自身、サブスクってやってないし。インターネットで聴く俺の唯一の方法は、YouTubeの古いシングル盤とかそれだけなんで(笑)。
水谷:そうなりますよね。
髙地:だからいまのPヴァインがやってることに関しては、ロバート・ジョンスンの10インチの復刻も含めて、すごくありがたく思ってる。俺はサブスクのこの時代については何も答えられないけど、ひとつ、ちょっと違うんじゃないかと思っていることはね、一昔前は自分でレコードを持ってるか、あるいは必死になって情報集めて友だちが持っていたらそれを聴かせてもらうかしないと書けなかった原稿が、いま、誰でも書けちゃう時代じゃない。それって嫌だな、と思ってるのね(笑)。そんなジジイの苦労話みたいなものは、いまではクソなんだろうけど、方法ということでなく、当たり障りのないカタログ紹介文言で、何がいいのか、何が素晴らしいのか、その音を聴いた悦びが伝わらないことが多々あるのが、それがとても物足りない。
■僕もアナログ・ネイティヴな世代なので、そのお気持ちわかります(笑)。デジタルの時代の問題のひとつは、何ひとつ深く味わうことなく腹を満たしてしまうことだってよく言われますよね。そういうこともあって、レコードが見直されているんだと思います。プレス工場は、文化的な意味でも大きい気がしました。21世紀には、過去を振り返ることが新しいモノにつながったり、忘れられたモノやかつて棄てたモノを掘り起こすことが大切になっているように思います。
水谷:それって世の中が、やっぱりそうだったっていうことなんでしょうね。世の中がそうやって、かつてのアナログをしっかりと認めはじめている。
■今回の50周年でね、水谷さんはそのロゴマークをPヴァイントレインにしましたよね。やっぱりそこに原点があるっていうメッセージですか?
水谷:そうですね。やっぱり50周年を考えたときに、デザイナーといろんな話をしてくなかで、やっぱり社名の由来でもあるP-VINE列車っていうのと。これが、ちょっと汽車に見えるよね? みたいな感じから。で、ここに煙突つけて、みたいな。それ以外あんまり思いつかなかったんで。
■バック・トゥ・ベーシック的な?
水谷:まァそうですね。もしかしたら僕はそんなにブルースに対してっていうのは、個人的な趣味としての造詣はないのかもしれないですけど、でもやっぱりPヴァインのベーシックに対する思いはつねにあるから、それと変わらないことをつねにやってるっていうのはありますよね。
■ブラック・ミュージックっていうことですよね。
髙地:俺にとってブルースは、ブルースが録音された1920年代~30年代から、60年代70年代80年代、2000年ぐらいまでの、いわゆる黒人のあいだで歌われてきたブルースっていうのがもちろんいちばん好きで、そこが出発点なんだけども、けっしてブルースを、音楽の形式で聴いてるワケじゃないのね、日暮さんも俺も。ちょっと前、ヒップホップがさ、ここまで商業的になる前に、ヒップホップやファンクは現代のブルースである、という言われ方をよくしてきたのね。レゲエもそう。あれはジャマイカのブルースだと。それは形式的な16小節の、あのブルースの古典的な形式的なことを言ってるんじゃなくて、やっぱり、自分たちがそのとき歌いたいこと、訴えたいこと、それは生活の根底にある、日々の生活の苦しさもあるし愉しいこともあるし、いろんな幅があるんだけども、それはけっして形式的なことじゃなくて、やっぱり音楽の本質的なことだと思うんだ。何で自分は歌を歌うのか、それはソウルであってもいいしファンクであってもいい。なぜ歌を歌うかっていうことの欲求と衝動というか、そういうものを感じさせる音楽がいちばんやっぱり好きだね。それをブルースと呼ぶか呼ばないかは別として、やっぱりそういう音楽にいちばん惹かれる。それがPヴァインの精神、いまの精神でもあると思う。若いディレクターたちがそんなことを意識してなくてもさ、やっぱり自分たちが聴きたいっていう欲求から生まれる音楽っていうのが根底にあるんじゃないのかな。
■水谷さんにとってもブルースは、ブラック・ミュージックということですよね?
水谷:いま、高地さんはすごい本質的なことを言ったと思うんですけど、もうちょっと僕は子どもっぽい感じで。僕はさっきも言ったように、16のときに90年で、パブリック・エナミーとか、虐げられてる黒人のパワーみたいな。やっぱりそれが子どもの僕にとってはものすごくパワーを感じたんですよね。社長としては、いまやロックはもちろんのこと全方位網でやっているんですけど、個人的な思いとしては、Pヴァインがブラック・ミュージックの会社だっていうことに対する誇りみたいなものはありますね。
■じゃあ最後に。おふたりの長いキャリアのなかで、いろいろ思い入れのある作品はあると思いますが、ご自身のなかで金字塔と思える作品、なにかあれば、ぜひお願いします。
水谷:さっきも言ったように、僕はヒップホップ、そこからレアグルーヴにいって、「GROOVE DIGGERS」というリイシュー・シリーズとかをしているワケじゃないですか。それで言うと、自分のなかでいちばん好きだったメイン・ソース、それの『Breaking Atoms』っていう名盤をウチで出せてる、これは高校時代の自分を思うと、やったなっていう思いがあって(笑)。あとは、ベタな話で恐縮ですけど、ウェルドン・アーヴィンの権利を、まさか自分の会社で買い取るなんて思ってなかった。マイティ・ライダースもそう。両方ともヒップホップのサンプリングネタの、で、レアグルーヴの金字塔じゃないですか。直近でいうと〈Tribe〉のウェンデル・ハリソン楽団によるファラオ・サンダースのトリビュート・ライヴ(『Love Is Everywhere~Pharoah Sanders Tribute Live』)、それに携われたっていうのは、会社の運営とは別に、個人的には大きなモノがありますね。
■デトロイトの伝説的なジャズ・レーベル、〈Tribe〉のウェンデル・ハリソンの新譜ですからね。それが日本のレーベルから出たってのはすごい。しかし、こういうことは、仕事冥利に尽きますね。
水谷:自己実現というか。だってまさか、高校時代に。あのときの自分に。「オマエがいちばん好きなそれを、自分がやるんだぞ」みたいな。それをまさか、自分が最終的に携わって再度、世間に広めるとはね。
■Pヴァインは、海外のレーベルで言うと、〈Rush Hour〉や〈Honest Jon’s〉に近いですよね。日本には似たようなレーベルはないですからね。髙地さんはどうですか?
髙地:自分でいちばんやり甲斐があったと思うのは、もちろんすべてのブルースがそうなんですけど、自分が動いて契約して選曲して出したという意味で、20代後半にロンドンに行って音源を集めて制作したレゲエのLP。3枚作ったんです。『This Is Lovers Rock Stylee』っていうのと『Reggae in Nah Disco Stylee』というのと、あともうひとつ、『DJ in Nah Yard Stylee』。12インチ・シングルの音源を使ったので、ダブ・ヴァージョンがくっついてるような形のアルバム。それ、ロンドンのジャマイカのコミュニティを歩いていって、飛び込んで、契約にこぎ着けた音源ばかりなの。日暮さんに電話して、「こういうのでやりたいけど、これでやっていいですか?」って言ったら、「いいよ、やれやれ」とか言って。
■何年ぐらいですか、それ。
髙地:80年代入ってすぐだったと思う(注:82年リリース)。さっきの自分にとってのブルースとは何か? っていう話とちょっとダブるけど、ジャマイカの、ルーツ・レゲエの曲っていうのは、あの頃ではジャマイカのブルースだっていう捉え方だったよね。俺もレゲエが好きで、ジャマイカから移り住んできた連中がロンドンでやってるレコード店に飛び込んで、そのレコード店が権利持ってるやつを契約して出したのが、自分としては楽しかったし、やり甲斐を感じた。その3枚のLPが自分のなかの金字塔だね(笑)。
■それ、売れたんですか?
髙地:あの当時はけっこう売れたと思う。でも、当時は日暮さんも俺も、何枚売れようとそんなこと関係なくて。売れればありがたいけど、何枚しか売れないから出さないっていうのは頭になかったんだよ。幸せにも、それでも会社が成り立ってたから。クラブ活動みたいなもんだよ(笑)。でも、売れたんだよ。
■羨ましい限りです。
髙地:日暮さんが株式会社ブルース・インターアクションズを起こしたときに、俺が大学を卒業するかしないかのときで、俺、1年留年しちゃったから5年行ったんだけども、その頃に、日暮さんから言われた言葉として、「普通の会社勤めするよりは給料キツイかもしれないけれども、ほんとに一緒にやりたいと思うから一緒にやらないか」ってことを言われた。それで俺、「やります」と。あのときの俺はとにかくブルースのレコードが欲しくてさ、普通に勤めるよりはレコードが買えなくなるかもしれないけど、ちょっとガマンしてこの仕事を続けようと思ったんだよ。
水谷:その選択が、正しかったってことですね。
(2026年6月9日@Pヴァイン)