Home > Reviews > Album Reviews > Crystal Castles- III
クリスタル・キャッスルズのメイン・ソングライターであるプロデューサー、イーサン・ケインには、音のテクスチャーというよりは、音を音としてあらしめる諸条件について、独特の感覚や嗜好性があるのではないかと思う。ジャケットこそファッショナブルで小奇麗だが、このカナダの男女エレクトロ・ユニットには、デビュー作『クリスタル・キャッスルズ』のころから、セカンド『II』のゴシックな気味悪さ、今作『III』の死のモチーフに通底するダークなヴァイブと攻撃性があった。それは音質よりも音圧に表れていて、ちょっと神経にさわるような不快で苦しい圧迫感と、その向こうにぽっかりとできた真空との意図の見えない入れ替えによって、聴く者に衰弱を強いる。セーラムなどウィッチハウス的なムードもあるが、実際にクラブの経験がなかったというバイオもふくめ、シーンでも異色な存在感を放っていた。
アリス・グラスのヴォーカルへの加工もとても猟奇的で、ただズタズタとチョップされているというよりは、なにか実際に物理空間へのダメージを与えているような......彼女の身体が刻まれ、あるいは打撃を受けているような、そしてそのなまなましい感触が突如無感覚になってしまうような、空気そのものへの作用/不作用を感じさせる。 今作でも"レス・オブ・ゴッド"や"ペイル・フレッシュ"などにおいては、彼女の声は幾重にも遮断されて異様な間接性のなかで響かせられている。なぜそうしたいのか、そこにあまり音楽的野心がないように思われて筆者は戦慄する。そうするように駆動しているのはほとんど彼の狂気とも言うべきもので、クールだと思っていたり、方法的な新しさやテクニックの高さを示すものだと思っていたりするのではなく、ただそうしたいのだろうということの異様な説得力に筆者は打ちのめされるほかない。「僕らはイクイップメントよりも虫やゴーストにたかられ荒らされる方を好む」というのはイーサンの言葉だが、虫やゴーストとは理性の外側からやってくる彼の狂気の喩であることは明白だ。そのことが、フォームとしてはわりとストレートなエレクトロであり、旬を過ぎたようにも思われる要素、また先鋭性よりもあくまでポップ・ミュージックであることが優先された楽曲を、彼らの無二の音楽性として転換する。何枚アルバムを重ねようが、この狂気が封じられないかぎり、クリスタル・キャッスルズの音が古びることはないだろう。
音は虫に侵されたいと欲望するのかもしれないが、詞に繰り返し現れるのはむしろ「浄化」のモチーフである。「clean」という語が何度となく使用されている。「わたしは不純なものを浄化する」「あなたの傷を濯ごう」("ケロシーン")、「あなたをピュアに、あなたをきれいにしなければならない」("プレイグ")のほか、"チャイルド・アイ・ウィル・ハート・ユー"にも出てくる。この負のマッチポンプもまた、彼らの音の中核を成すものだと言えるだろう。祈りや教会的な意匠にもことごとく腐敗と浄化のイメージが交互にあらわれている。彼らの録音が、壊れたキーボードを拾ってきて、それを直して音を出すところからスタートするというエピソードはとても興味深い。「壊れ」は傷みや不浄に重なり、「修繕」はまさにクリーンを意味するだろう。彼らが音をつくるという営みは、狂気のために破れた部分の修繕し、またその縫い目が狂気によって破られることのリフレイン、つまり彼らの生そのものなのではないか。よって、タイトルは『Ⅲ』だ。それは繰り返され、続いていくものなのだ。主題が作品ごとに変わろうはずがない。彼らが地元トロントで、地域労働奉仕の仕事(犯罪を犯した人間が罪を償う為に行う奉仕活動、だそうだ)を通して知り合ったという馴れ初めを、こうした部分に重ねるのは安直だろうか。
橋元優歩