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interview with Mitsuru Tabata

interview with Mitsuru Tabata

アウトサイダーの履歴書――田畑満

大久保潤    photos by Yasuhiro Ohara   Oct 20,2010 UP

東京に出てきてまずびっくりしたのが家賃が高いことで。このくらいだったら払えるっていうところだと国立とかになるんですよ。国立で、音の出せるピアノ可みたいな部屋にしたら電車の真横で。引越しの仕事をしながらやってましたね。

東京へ出てきた理由は何なんですか?

田畑:当時CBGBってライヴ・ハウスに勤めてて、その上に住んでたんですよ。そこの店長が何と言うか難儀な人で。俺このまま一生ここにいるんやろかって思って。

それで心機一転というか。

田畑:そうですね、環境を変えたかった。

新しいバンドで環境も一新して。関西の人が東京に出てくるときってそれなりに決意とかがあるじゃないですか。

田畑:いないですよ、実際あんまり。俺が知ってる人だと芳垣安洋さんとか向井千恵さんくらいですよね、関西生まれでいまもこっちに住んでる人は。東京に来なくてもできるじゃないですか。東京に出てきてまずびっくりしたのが家賃が高いことで。このくらいだったら払えるっていうところだと国立とかになるんですよ。国立で、音の出せるピアノ可みたいな部屋にしたら電車の真横で。引越しの仕事をしながらやってましたね。アメリカに初めて行った頃には。

ディスクユニオンで働いてたのはゼニゲバで出て来てすぐですか?

田畑:国立で働いてたときに、駅のそばに国立店があったんですよ。それで前をいつも通ってて、肉体労働がキツくなってきた頃に募集してたから。

じゃあ最初から新宿店ではなかったんですか。

田畑:じゃなかったんですけど、そのうちに新宿店から来いよって言われて異動して。

やっぱりレコードに詳しいっていうのがあったんですか。たしかその頃ディスクユニオンのフリーペーパーがあってサイケのマイナー盤を紹介するような連載をやってましたよね。レコードマニアだったのかなと思ってたんですけど。

田畑:いや、あそこにいると詳しくなるんですよ。西口にヴィニールってレコード屋があるじゃないですか。昼休みになると走ってあそこにレコード買いに行ってて。レコード買いすぎて金銭感覚がおかしくなってきて「○○のオリジナルを2万5千円で見つけたよ!」「安いですね!」とか言って。2万5千円のLPのどこが安いねんっていまは思うけど、その頃は真剣に「安いですね」って言ってた(笑)。全部売りましたけどね(笑)。

ゼニゲバは海外ツアーを精力的にやってますけど、最初から海外を視野に入れてやろうっていうのはあったんですか?

田畑:いや、そんなことは全然ないと思います。最初NULLさんがソロで呼ばれて、その後バンドもってことになって。『全体去勢』ってアルバムのレコーディングをシカゴのスティーヴ・アルビニのスタジオでやったんですよ。スティーヴ・アルビニのスタジオはいまは「エレクトリカル・オーディオ」って言ってますけど、その頃は普通の民家の地下にあって、トイレが流れる音がすると録音に入っちゃうようなとこでしたね。当時は8チャンネルで。アルバムのレコーディングを5日くらいでやって、録り終わったら初ライヴがあって、対バンがバストロやったんです。

ああ、じゃあ今日のTシャツはそのときに。

田畑:そのときもらったやつです。そのときはXLでブカブカやってんけど(笑)。

アメリカでライヴをした体験は、その後どのようにフィードバックされましたか?

田畑:ほんまに人気あったんやって思いましたね(笑)。アメリカに行く前はお客さんも少なくて、〈トランス・レコード〉周辺なんかのシーンも終わりかけてた頃で。そんな時期に向こうに行ったら、日本の音楽っていうのがこんなに求められてるのかって。その頃からボアダムスとかもみんな知ってましたね。ボアも行く前やったんですけど。それが91年。

日本ではいわゆるバンド・ブームが終わった頃ですね。

田畑:呼んでくれた人の家がマディソンってところにあって、小さい街だったんですけど、そこでライヴをやったりしてて。そこに行ったら対バンがメルヴィンズやったんです。当時は全然知らなくて、そのときに知り合いになったんですけど。その後はNULLさんがツテがあったからサンフランシスコに行って。

ほぁ。

田畑:ペイン・ティーンズが知り合いで、シスコでいっしょにやったんですが、最初に出たのがニューロシス(NEUROSIS)やったんですよ。まだみんな20歳とかで。そのときにジェロ・ビアフラが来てて、うちから出さないかって話になって。

どういう人でした、ビアフラは。

田畑:いや、よくしゃべる親爺やなって(笑)。そのときに録った『全体去勢』ってアルバムは、マディソンの人がやってた〈パブリック・バス(Public Bath)〉ってところから出たんですよ。〈パブリック・バス〉っていうのは日本のバンドをアメリカに紹介するレーベルで。最初にそこから出して、その次からがビアフラの〈オルタナティヴ・テンタクルス〉で。

93年の『苦痛志向』ですね。その前にNULLさんのレーベルから『内破』(92年)が出てますけど、これも録音はアルビニですね。

田畑:そうです。その時から2ヶ月とかツアーするようになって。わけわからへんですよ、2ヶ月も回ってると。最初は全然英語しゃべれへんかったんですけど、しゃべれるようになったからねえ。

じゃあもうそういうツアー生活っていうのも20年近いんですね。アメリカのバンドは、ほんとに小さいところまでツアーを回りますよね。

田畑:変なところでいっぱいやってますよ。ランドリー・バーっていうのがあって、ランドリーとバーが合体してるんですよ。洗濯しながらライヴを見る(笑)。オハイオ州のコロンバスってところで。「こんなところ誰もやらんやろ」って思ったけど、日程見たらジーザス・リザードとか書いてあるから「みんなやってんや」って。あとゲームセンターね。日を空けたらあかんので、移動の距離が開いてるときは間に無理矢理ライヴを入れたりするんですよ、ゲームセンターでオールエイジ・ショーとか。やらないよりマシやから。最後のほうはここがどこだかわからなくなってきますね。

ゼニゲバって日本のバンドで長い海外ツアーをやるっていうスタイルの先駆けに近かったんじゃないかと思うんですよ。

田畑:どうなんでしょうね。いまだったらメルト・バナナがすごいやってますけど。

そうですね。メルト・バナナもやっぱりゼニゲバの影響はあったんじゃないですか。

田畑:NULLさんが最初にメルト・バナナのアルバムをリリースして、そのときから海外ツアーをはじめたんじゃないかと思います。

91年ならスティーヴ・アルビニってもうかなりのビッグ・ネームでしたよね。

田畑:そうなんでしょうけど、あまりそういう感じを与えない人ですよ。日本にも呼んだりしましたね。シェラックとか。あ、シェラックの前にひとりで呼んだのか。ゼニゲバ&スティーヴ・アルビニで。あのときは初めての日本だったんですけど、ツアーするバンドと違ってひとりで来るから、着いていきなり日常に放り込まれて。大学の寮に泊まってました。

ゼニゲバ&スティーヴ・アルビニでライヴ・アルバムが出てますね。『内破』の録音もそのときで。ゼニゲバのヨーロッパ・ツアーはどういういきさつで行くことになったんですか?

田畑:〈サザン・レコーズ〉っていう〈オルタナティヴ・テンタクルス〉の支社があって、ヨーロッパでのディストリビュートもやってるところで。結構もう確立されてたんですね。いろんなバンドが使うバンを貸す会社みたいなのもあった。93年くらいで。そのときのツアーマネージャー兼ドライバーがアメリカ人なんやけどヨーロッパに来て気ままにやってるような女の子で、後でGREEN DAYのマネージャーになりました。フランスからイギリスに入るときにワーキングビザが絶対必要じゃないですか。そしたらイギリスのオーガナイザーがその女の子の分だけ取ってくれてなかったんです。だから前日に物販担当の女の子とふたりで先に行ってるからってことになって。それでバンドだけでワゴンを運転して行ったら、フェリーに乗り込む段階で警官に囲まれて犬がぶわーっと出てきて。いろんなバンドに貸してるから、怪しい匂いでも染み付いてたのか(笑)、身ぐるみ調べられてるあいだに「ああー、フェリーが行っちゃうー」とか。ポーランドで車ごと機材を盗難に遭ったりとか、いろいろとタフな経験もしてます。

ヨーロッパだとどこがいちばん受けましたか?

田畑:当時はイタリアでしょうかね......。いちばんクールな感じなのはドイツで。でもドイツがいちばん重要で、いちばん回らなきゃいけないって言われますけど。

ゼニゲバが活動休止状態になったり、レニングラードも2000年前後にはあんまり活動しなくなった時期があったと思うんですけど。

田畑:あのときはまあプライヴェートでややこしかった時期やったんで、生活をまず立て直さないとあかんかった(笑)。

2002年くらいからまた活動が活発になって、バンドやユニットも爆発的に増えていきますね。

田畑:ちょうどその頃またゼニゲバをやるようになったんですよ。オール・トゥモローズ・パーティーズに呼ばれて。それが2002年だったと思います、ワールドカップがあった年だから。そのときはワイヤーとかチープ・トリックとか。俺らはチープ・トリックの前の前の前くらいやったんです。会場の2階が2000人くらい入る大きいボールルームになってて、ゼニゲバのときも結構満員だったんですけど、チープ・トリックの番になったらごそーっと減って。1階の1000人くらいのホールでザ・フォールがやってて満員になってて、うわ可哀想って思った。ああいうところではやっぱチープ・トリックとか人気ないねんな。

日本じゃ武道館なのに。

田畑:毎日のヘッド・ライナーがワイヤーとチープ・トリックとブリーダーズ。シェラックがキュレーターだったんですけど、シェラックは一階の小さいほうのホールで毎朝オープニングでやるんですよ。普通キュレーターのバンドがトリじゃないですか。シェラックは毎日前座(笑)。

アルビニもチープ・トリック好きですもんね、たしか。

田畑:たぶんはよ終わって観たかったんやないかな。

文:大久保潤(2010年10月20日)

Profile

大久保潤大久保潤/Jun Okubo
1975年東京生まれ。書籍編集者として菊地成孔・大谷能生『東京大学のアルバート・アイラー』、佐々木敦『「批評」とは何か』、『アメリカン・ハードコア』『ブラック・メタルの血塗られた歴史』、ミック・ファレン『アナキストに煙草を』などを担当。ポストパンクバンド「大甲子園」、即興ドゥームロックバンド「Filth」、即興ハードロックバンド「Filth Iconoclast 666」等のギター。
ブログ:http://www.noiznoiznoiz.com

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