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interview with Phew

interview with Phew

真ん中になにを置くか?──Phew、インタヴュー

アナ・ダ・シルヴァ&Phew~レインコーツとアーント・サリー、ふたりのヴォーカリストの交流が生み出す電子音楽

松村正人    Sep 26,2018 UP

 数年前から軸足をソロ活動のほうに向けじはめた Phew はアナログ~モジュラー・シンセをはじめ、もろもろの機材にとりまかれ、ヘッドセットをしたその姿に私はコクピットに腰をすえた宇宙飛行士を連想したものだが、スピーカーからとびだす予測不可能な音の群はレトロな近未来感をうっちゃる独特な響きがあった。みたこともない世界とアマチュア無線に興じるさまをのぞきみるような、空間に散らばった音をハンダゴテで接着するような、音の連なりにはソフトウェア主体の音づくりではとどかない太さと強さがあり、名づけるならその呼び名はやはりエレクトロニック・ミュージックというより電子音楽のほうがしっくりくる。むろん古典的な電子音楽のセオリーに属しているというより、出てくる音が発明的なのがそう思わせるのだった。2015年の『A New World』は電子音楽の方法と歌をポップに折衷した、2010年代の Phew のドキュメントというべき重要作だが、音響の探究はとどまるところを知らず、昨年には声のみのサウンドストラクチャー『Voice Hardcore』をものしている。これはほとんど無明の荒野をひとりすすむような、その名のとおりハードコアな作品であり、未聴の方はすべからくお聴きいただくにしくはないが、ソロでの究極的な自己対話の傍らで Phew はコラボレーションもおこなっていたのである。
 アナ・ダ・シルヴァがそのお相手で、彼女の名前になつかしさをおぼえた方もそうでない方も、あのレインコーツでギターとヴォーカルを担当したひとだといえば、ピンとくるであろう。メンバー全員が女性のレインコーツは70年代末の〈ラフ・トレード〉からレッド・クレイオラのメイヨ・トンプソンがプロデュースした同名のファーストで、パンクの以前と以後を截然と劃したばかりか、『Odyshape』(1981年)、『Moving』(83年)の3枚で90~2000年代を予期しながら時代のなかに雌伏したが21世紀に復活し2010年には初の来日公演をはたしている。ふたりの交流は、Phew がレインコーツの公演をサポートしたときにはじまったというが、それがいかにしてアブストラクトでありながら多彩で自在な純電子音響+ヴォイス作品にむすびついたか、Phew にその背景を訊いた。

楽器は道具にすぎないんです。それはアナもおなじ気持ちだと思います。最初に自分の身体がある、それはふたり共通していると思います。

■いまライヴではおもにアナログ・シンセとヴォイスですよね。

Phew:それとリズムボックスですね。

■そのようなスタイルでソロ活動をはじめられてから、海外でライヴされる機会が増えましたよね。

Phew:ソロ・ライヴではじめて海外に行ったのが2年前で、ポーランドのフェスでした。フェスに出演したあと、ロンドンでもライヴをしたんです。お客さんも多くて、会場もあたたかい雰囲気だったんですが、そこにアナも来てくれました。アナとはレインコーツが来日したとき、私がサポートをした縁で知り合いました。とはいえ、そのときは会うには会ったものの、話はあまりしなくて、こんにちは、くらいのものでした。震災の前の年だったとので2010年ですね。

■ロンドンのライヴで再会したんですね。

Phew:その前に私、CDRで作品を出していたんですね。それをアナに送ったらすごく気に入ってくれて、その後にできたアルバム『A New World』も送って、それも気に入ってくれて、みにきてくれたという経緯がありました。

■メールや手紙でのやりとりがあったんですね。

Phew:でも、CDすごくよかったです、といったやりとりくらいですよ。それだけで、ライヴを観に来てくれて、しばらくしたらアナから写真が送られてきたんです。「モジュラーシンセ買いました」と文章を添えて(笑)。

■Phewさんの影響ですか?

Phew:買ったのはけっこう前だったみたいですが、「いまは離れていてもファイルの交換で音楽がつくれるから一緒にやりませんか」と書いてあったんです。

■連絡が来たのは何年ですか?

Phew:2016年。なので2年前ですね。連絡が来てしばらくして、彼女が録りためた音が届いたんです。たしか5、6曲。そのなかの何曲かに音を重ねたのが最初でした。

■その曲はアルバムに採用したんですか。

Phew:はい。1曲目の“Islands”、6曲目(“Here to there”)もそうかな。けっこうちゃんとした曲になっていました。それまでアナに電子音楽をつくった経験があるかとか、つっこんだ話はしたことはありませんが、アナはモジュラー以前にシンセサイザーはもっていたみたいです。前のソロのアルバムは自分でミックスもやったといっていましたから。

■チックス・オン・スピードのレーベル〈Chicks On Speed Records〉から2004年に出した『The Lighthouse』ですね。

Phew:機材やエンジニアリングにもともと興味をもっていたのだと思います。

■音源にたがいに反応し合ううちに曲になっていったということですか。

Phew:とっかかりはアナが録ったものに私が音を重ねていった曲です。アナから来たものに音をかさねて、そのラフミックスをアナに送り、足りない部分を補い、それをまたこっちに送り返してもらう。“Konnichiwa!”とか“Bom tempo”は私が音を録った音源にアナが音を重ねています。往復1~2回でだいたいの曲ができました。作業自体はすごく早かった。

■曲によって主導権がちがう?

Phew:主導権というより、きっかけですね。どういうものにするというのも、ことばでのやりとりはなくて、いきあたりばったり(笑)。とはいえ、アナはロンドンに住んでいますけどポルトガル人で、私は日本人。おたがいちがう文化をもっていて離れたところに住んでいるのは最初から意識していました。わりと早い段階でアナにこのコラボーレションのテーマはコミュニケーションということはいったと思います。それでおたがいの言語をとりかえたんです。私がポルトガル語でアナが日本語をつかうという図式ができました。

■Phewさんはポルトガル語ができるんですか。

Phew:できるわけないじゃないですか(笑)。でもノリはよかったし早かったですよ。おたがいにパンク出身だから(笑)。

取材・文:松村正人(2018年9月26日)

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