Home > Columns > 和音を刻む手- ——坂本龍一のピアノ音楽——
坂本といえば、少年時代に出会ったドビュッシーとラヴェルを敬愛し続けた音楽家として知られており、坂本自身もこの2人の影響を折に触れて語ってきた。だが、 “Asience-fast-piano” は違う。この曲には、坂本がドビュッシーやラヴェルを通して習得し、彼独自の和声語法のひとつへと昇華した、くぐもったような和音の響きがほとんど感じられない。
坂本龍一の2枚のセルフカヴァー・アルバム——2004年発売の『/04』と2005年発売の『/05』——が2枚組リマスター盤『/04 /05』として再発されることになった。2枚とも坂本のピアノ曲のベスト盤ともいえるのだが、全ての収録曲が坂本自身によって再構成されており、ほとんどの収録曲はオリジナルの楽曲とはすっかり別の新しい音楽に生まれ変わっている。ピアノを主柱としているものの、この2枚のアルバムは性格がやや異なる。
『/04』は坂本によるピアノ独奏だけでなく、チェロの藤原真里(『Undercooled-acoustica』、 “Tamago 2004” )、同じくチェロのジャキス・モレレンバウム( “Bibo no Aozora” )、尺八の藤原道山( “Seven Samurai – ending theme” )らとのコラボレーションも交えた構成となっており、ピアノを中心としたアンサンブルや室内楽の可能性を感じさせる。
多重録音を駆使して全演奏を坂本ひとりが担っている『/05』は、『/04』と比べると内向的な印象を与えるかもしれないが、この状況を究極の自己完結性とも言いかえることができるだろう。
【参考映像】『/04』2004年発売時のメイキング映像
ここで坂本は「こういう曲はピアノではできないと思っていたものも、あえて挑戦してとりあげているんですよね」と語っている。
本稿では、楽曲の内容や作曲技法のみならず、演奏も含めた広い概念として坂本のピアノ曲を捉えたいので、 “ピアノ音楽” という言葉を使うことにした。
坂本のピアノ音楽の特徴をじっくり考えてみようと、アルバム2枚をまずは1曲ずつ収録順に聴いてみた。決して大げさな表現ではなく、『/04』の1曲目“Asience-fast-piano”に筆者は強い衝撃を受けた。2003年にシャンプーのテレビCMのために書き下ろされたこの曲を覚えている人も多いだろう。当時、CMで流れていたのは、『/04』のボーナス・トラックとして収録された鮮やかなオーケストレーションを特徴とするオリジナル版だった。この曲のピアノ版では、輪郭のはっきりした下行形の跳躍モティーフで始まるメロディを右手が弾き、そこに左手が伴奏として和音を刻む。中間部では、新たなモティーフが高音域と低音域で呼び交わし合い、その後、東南アジアのどこかの地域(それは想像上の場所かもしれないが)の音階を思わせるパッセージで冒頭のメロディへと戻って曲が締めくくられる。シャンプーのCMということもあってなのか、清潔感さえ漂わせる、この簡潔で清々しい小曲に筆者は本当に驚愕してしまった。これはこんなにすごい曲だったのかと、ピアノ版で思い知らされたのだった。
坂本といえば、少年時代に出会ったドビュッシーとラヴェルを敬愛し続けた音楽家として知られており、坂本自身もこの2人の影響を折に触れて語ってきた。だが、 “Asience-fast-piano” は違う。この曲には、坂本がドビュッシーやラヴェルを通して習得し、彼独自の和声語法のひとつへと昇華した、くぐもったような和音の響きがほとんど感じられない。フランス近現代音楽とは明らかに異なる、この曲の明瞭さはどこに由来するのだろうか。そこで筆者の頭に浮かんだのがモーツァルトだ。幼い頃からクラシック音楽の技法、理論、歴史を身につけてきた坂本にとってのモーツァルトの存在は、当然、通っておくべき教養であり、バッハやベートーヴェンと並んで、身近な作曲家だったはずだ。また、これは坂本に限らず、いわゆるクラシック音楽を体系的に学んだことのある人ならば、今も昔も誰もが通る道だろう。
聴き手にまっすぐに飛び込んでくる晴朗な旋律は “Asience-fast-piano” の 「モーツァルト感」を特徴付ける要素だが、左手による和音の連打も看過できない。たとえば、モーツァルトの “ディヴェルティメント ニ長調 K136” (1772)は弦楽四重奏曲なのでピアノの音色ではないが、第1楽章の明るい旋律と小気味よく刻まれる和音は、 “Asience-fast-piano” の華やかさとどこかで繋がっているようにも思える。
過去に、坂本はモーツァルトについて、 「かなり弾かされたし、聴いてもいるし、自分のなかにずいぶん入ってはいますけどね。でも扱いにくい人ですよね、モーツァルトは」(『コモンズ:スコラ 音楽の学校 第18巻 ピアノへの旅』アルテスパブリッシング、2021年、123頁。)と発言している。この発言の背景を詳述すると、音楽の訓練の痕跡が見つからないにもかかわらず、モーツァルトの音楽は全てが最初から完結していることと、彼のピアノ曲を完璧に弾くのは限りなく不可能なこと(同前、123-124頁)から、坂本はモーツァルトを 「扱いにくい人」と言ったのだった。この発言をふまえると、坂本のピアノ音楽を語る際にモーツァルトを持ち出すのは無謀にも思えるが、それでもやはり、彼のピアノ曲における和音の連打を聴くと、モーツァルトのいくつかの楽曲を連想せざるを得ない。
映画『ラストエンペラー』の音楽として書かれた、『/04』5曲目の “Rain” も和音の連打が効果的に用いられている。皇帝溥儀の第二皇妃、文繡は決然とした口調で 「I want a divorce(私は離婚したいのです)」と溥儀に訴え(この時、溥儀は彼女にまともに取り合っていない様子だが)、召使いが差し出した傘を晴れやかな顔で断り、降りしきる雨の中、彼のもとを去って行く。 “Rain” はこの緊迫したシーンそのものだと言ってもよいくらい、ここで起きる出来事や人物の機微を見事に捉えている。劇中でのオリジナル版ではシンセサイザーの短い前奏の後に、高音域の弦楽が端正なメロディを奏で、低音域の弦楽が和音をすばやく刻む。この緊張感はもちろんピアノ版でも変わらない。粒の揃った硬質なタッチで連打される和音がただならぬ雰囲気を放ち、聴き手を音楽に引き込む。そして、ここでまたもモーツァルトが思い出される。 “ピアノ・ソナタ第8番 イ短調 K310” (1778)(『新モーツァルト全集』以降は第9番に変更された)の第1楽章は、モーツァルトのピアノ・ソナタには珍しい短調だ。第1楽章の冒頭、右手のメロディと左手の和音の激しい連打のぶつかり合いは “Rain” の緊張感に通じるものがある。このソナタに限らず、私たちはモーツァルトの短調の曲に特別な意味を持たせようとしてきた。古くは小林秀雄が 「モオツァルト」(1946)の中で、 “弦楽五重奏曲第4番 ト短調 K516” (1787)を 「モーツァルトのかなしさは疾走する」と評した。 “Rain” から感じるのは悲哀だけではなくて、新たな世界に対する期待や高揚感も含まれるが、いずれにせよ、短調の和音が決然と連打されることによる音楽的、心理的な効果ははかり知れない。
【参考映像】
本文中で言及したモーツァルトの3曲。 「和音の連打」やモーツァルトの「かなしさ」が何を指すのかを実際に聴いてみてほしい。モーツァルト “ディヴェルティメント ニ長調 K136” 第1楽章
モーツァルト “ピアノ・ソナタ第8番 イ短調 K310” 第1楽章
モーツァルト “弦楽五重奏曲 第4番 ト短調 K516” 第1楽章
ピアノの弦の間にボルトやゴムなどを挟んで、ピアノの本来の音色を変化させるプリペアド・ピアノにも坂本は積極的だった。『/04』8曲目 “Riot in Lagos” でのプリペアド・ピアノは打楽器的な用法に徹している。一方、『/05』最後の “Rainforest” でのプリペアド・ピアノは、ピアノを楽器という枠組みから解放し、単なる物体と捉えて様々な音を出している。音を発する物体と、音そのものへの関心は2017年のアルバム『async』につながった。
坂本とモーツァルトを並べてみたところ、実は和音の連打が坂本のピアノ音楽にとって重要な役割を持っているのではないか。そんな仮説さえ成立しそうだ。拍に合わせて和音を規則的に刻む方法はとてもシンプルだが、打鍵の強さやテンポ次第で音楽は様々な表情を見せるだけでなく、リズムを担う低音部や打楽器セクションの効果も期待できる。和音の連打はピアノ音楽の表現の幅を広げていると同時に、坂本のピアノ演奏のスタイルを特徴付けているようにも感じられる。先に紹介した2曲の他に、『/04』と『/05』のいくつかの楽曲においても、和音の連打が効果的に用いられている。
『/04』4曲目 “Merry Christmas Mr. Lawrence” では、後半に差しかかると、1拍目にアクセントを付けた和音の連打が聴こえてくる。それまでのゆったりとした曲調が一転し、あのなじみ深いメロディがどこかへ向かっているような感覚を得る。多重録音のピアノにのせて坂本自らが歌う5曲目 “Perspective” の和音の連打は、内省的で落ち着いた雰囲気を揺さぶるような効果をもたらす。冒頭のメロディがとても有名な『/05』4曲目 “Energy Flow” では、古典舞曲のような中間部を経て、もとのメロディに戻った時に、高音域での和音の連打が出てくる。これら3曲の和音の連打にはモーツァルトの音楽に感じる悲哀はなく、曲全体の均質性に対する変化や刺激としての役割を持っている。
『/05』3曲目 “Amore” のオリジナルは1989年のアルバム『Beauty』に収録されている。オリジナルではアート・リンゼイとユッスー・ンドゥールが参加して賑やかな音楽に仕上がっているが、ピアノ版では右手がメロディを弾き、左手が柔らかで控えめな打鍵で和音を鳴らしている。メロディもコード進行も同じはずなのに、2つのヴァージョンはまるで別の曲のように聴こえる。
『/05』7曲目の “Happy End” は “Amore” 以上にオリジナルと乖離している。この曲は1981年にシングル “Front Line” のカップリングとして発表され、同年のYMOのアルバム『BGM』にも別のアレンジで収録されている。1981年のYMOのウィンター・ライブでもこの曲は演奏された。これら3つを聴き比べるだけでも十分に面白いのだが(この中では『BGM』ヴァージョンが最も抽象的だ)、『/05』では4台ピアノ版に再構成されている。整ったメロディ+規則正しく刻まれる和音+これらを支える低音の明瞭な構造は、バロック時代の古典組曲のひとつ、ガヴォット(2拍子系の中庸なテンポの舞曲)を想起させる。筆者はこのピアノ4台版を聴いて、この曲の全貌がようやくわかった。また、この曲は坂本の最後となった演奏を記録したコンサート映画『Opus』(2023)でも演奏されている。ここでの演奏では和音の連打は消え、ガヴォットから荘重な足取りのパヴァーヌ(2拍子系の厳かな舞曲)へと変貌を遂げている。
『/05』6曲目 “The Last Emperor” と10曲目 “The Sheltering Sky” はどちらも映画のテーマ曲としてオーケストラ編成で書かれた。この2曲のピアノ版でも和音の連打が登場する。 “The Last Emperor” では、メイン・テーマが終わって中間部に移ると、和音は音域を低くしていき、最後にはトレモロをダイナミックに奏でる。 “The Sheltering Sky” はシンプルに右手の高音域でのメロディに左手が和音で伴奏をつけるシンプルな構成だが、 “The Last Emperor” と同じく、曲が進むにつれて左手の音域が低くなり、和音よりもさらに劇的な効果を生むトレモロを経て、静かに幕を閉じる。
以上が『/04』と『/05』に聴くことのできる、坂本による和音の打鍵の数々だ。ここでは、あえて音の響きではなくて、音のアタックに着目して彼のピアノ音楽を紐解いてみた。もちろん、彼のピアノ曲と演奏には他の多種多様な要素が複雑に絡み合っている。たとえば、『/04』3曲目の “+33” にミニマル・ミュージックとのつながりを見出すこともできる。また、YMOをよく知っている人なら、この曲にYMOの映画『プロパガンダ』(1984)の最後を飾った “M16” を思い出して懐かしい気持ちになるかもしれない。『/05』5曲目の “Aqua” と9曲目 “Fountain” は水の音楽だ。水をテーマにした曲をいくつも遺したドビュッシーやラヴェルに限らず、水は古今東西の音楽家に大きなインスピレーションを与え続けており、坂本もその例外ではなかった。2009年のアルバム『out of noise』の中で、坂本がハンディ・レコーダーや水中マイクを使って採取した北極圏の様々な音を聴くことができる。
ピアノの弦の間にボルトやゴムなどを挟んで、ピアノの本来の音色を変化させるプリペアド・ピアノにも坂本は積極的だった。『/04』8曲目 “Riot in Lagos” でのプリペアド・ピアノは打楽器的な用法に徹している。一方、『/05』最後の “Rainforest” でのプリペアド・ピアノは、ピアノを楽器という枠組みから解放し、単なる物体と捉えて様々な音を出している。音を発する物体と、音そのものへの関心は2017年のアルバム『async』につながった。
『/04』と『/05』2枚組リマスター盤発売に合わせて、このアルバムのスコアブック(楽譜集)も発売される。作曲家と演奏家の分業化が進んだ現在、自作曲の演奏をこれほど多く残している音楽家は坂本の他になかなかいないのではないだろうか。自分の曲を弾くことについて、坂本は 「十年一日というか三十年一日のごとく同じように弾くのは嫌なので、なんとか違う新鮮な弾き方がないものかと、いつも頭の中で考えてはいるんですけれど、なかなかないんですね、これが」(『コモンズ:スコラ 音楽の学校 第18巻 ピアノへの旅』91頁。)と言っている。だが、この発言に続けて、10年くらいのスパンで弾き方、和音、テンポが変わっていることもあり、たまに伴奏の仕方を変えてみるとも述べている(同前、91頁)。自作曲を自分で書いた楽譜通りに演奏することにこだわり、自分の曲を完全に客観的に捉えてピアノを弾くフィリップ・グラスと違い、坂本にとってのピアノ演奏は、自分の創作の足跡を確認し、そこから新たな可能性を発見する大事な作業だったのかもしれない。
■坂本龍一『/04 /05』はワーナーミュージック・ジャパンから12月18日発売。また、大規模なインスタレーション展『坂本龍一 | 音を視る 時を聴く』(https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/RS/)は東京都現代美術館にて2024年12月21日から。
Ryuichi Sakamoto
/04 /05
ワーナーミュージック・ジャパン