Home > Columns > Kamasi Washington- 愛から広がる壮大なるジャズ絵巻
小川充 photo by B+ May 03,2024 UP
1960年代のジョン・コルトレーン、1970年代のファラオ・サンダースと、ジャズ・サックスの巨星たちの系譜を受け継ぐカマシ・ワシントン。もはや21世紀の最重要サックス奏者へと上り詰めた感のあるカマシは、2015年の『The Epic』で我々の前に鮮烈な印象を残し、2018年の『Heaven and Earth』で今後も朽ちることのない金字塔を打ち立てた。しかし、『Heaven and Earth』以降はしばらく作品が止まってしまう。もちろん音楽活動はおこなっていて、2020年にミシェル・オバマのドキュメンタリー映画『Becoming』のサントラを担当し、ロバート・グラスパー、テラス・マーティン、ナインス・ワンダーと組んだプロジェクトのディナー・パーティーで2枚のアルバムを作り、2021年にはメタリカのカヴァー・プロジェクトであるメタリカ・ブラックリストに参加して “My Friend of Misery” をカヴァーするなど、いろいろな試みをやっている。しかし、自身の作品やアルバムのリリースは止まってしまっていて、もちろん音楽活動そのものはずっと継続しているものの、気づけば『Heaven and Earth』から6年が経っている。
この間にはコロナのパンデミックでいろいろな活動が制限される時期があり、自身の私生活での変化など、さまざまなこともあった。そうした私生活の変化のひとつに、パンデミックのさなかに娘が誕生したことがある。パンデミックの中で子育てをするという経験は、カマシにこれまでになかった視点をもたらし、新たなスタートを切るきっかけにもなった。そうして誕生したニュー・アルバムが『Fealess Movement』である。『Fealess Movement』というアルバム・タイトルは、パンデミックがもたらした世界的な混乱や恐怖と無関係ではないだろう。そうした恐怖に対して勇気をもって立ち向かうことを暗示するタイトルだ。「前に進むためには、手放すことを厭わないこと、恐れを知らないことを選択することが必要なんだ。恐怖にしがみついていたら、前に進むことはできないからね。自分の不安を全て捨て、動き、ただ音楽に身を任せる。アルバム・タイトルには、そういう意味が込められているんだ。アルバムのテーマは様々で、曲それぞれが意味を持っている。でも全体的には、これまでの作品よりももっと、身近な日常や自分の周りの人々とのつながりに焦点が当てられていると思う」
『Heaven and Earth』は天と地になぞった社会における理想と現実の差異を映し出したもので、宇宙的なテーマと実存的な概念に基づく中で、人種差別の問題、世の中におけるさまざまな不平等なども投影されていた。一方で『Fearless Movement』は日常的なもの、すなわち地球上の生活を探求することに焦点を当てている。そうした日常のひとつに娘との生活がある。アルバム・ジャケットにも映っている幼女がその娘で、名前はアシャというそうだが、彼女が生まれたことによってカマシ自身も変化していった。「世界全体を見る視点が変わったんだ。彼女の視点から世界を見て、物事を考えるようになった。父親になり、大切な存在が出来たことで、僕を奥へ奥へと導き、自分を見つめ直させてくれた。彼女の視点から世界を見て、物事を考えるようになったんだ。例えば、僕があまり心配しないようなことでも彼女は心配するし、彼女が恐竜に興味を持ち始めた時は、僕も恐竜好きだったのを思い出させてくれた。そうやって、人生に新しい発見、新しい視点をもたらしてくれているのが娘の存在なんだ」。アルバム2曲目の “Asha The First” は、アシャがピアノをおもちゃのように遊びながら初めて弾いていたとき、そのメロディを元に書かれたものだ。
もうひとつ、『Fearless Movement』にこめられたキーワードにダンスがある。カマシ自身はこのアルバムを「ダンス・アルバム」と呼ぶ。実際に収録曲の “Prologue” のミュージック・ビデオには多数のダンサーたちをフィーチャーしているが、俗にいうダンス・ミュージックのアルバムということではなく、人びとの身体を動かすようなリズムを持った音楽が詰まったアルバムという意味だ。「叔母がダンサーだから、僕は子供の頃、叔母のダンス・スタジオによく行っていたんだ。その影響で、僕は表現力豊かで即興的な動きと音楽の強いコネクションを身近に見てきた。そのダンス・スタジオでは、皆がマッコイ・タイナーやジョン・コルトレーンのような音楽に合わせて踊っていたからね。だから、僕はずっと、もっと人々がそれにインスパイアされて身体を動かしたくなるような音楽を作りたいと思っていた。このアルバムのサウンドについて言葉で説明するのは難しいけれど、僕はとてもリズミカルなサウンドだと思っている。強いリズムに包まれるような、そんなサウンド。“Dream State” のようなフリー・フローの曲でさえ、リズムがたくさん盛り込まれているしね」。ダンス(舞踏)の源流を辿ると、収穫祭などで神への感謝を捧げたり、祈祷するといったころがある。ジャズという音楽はアフリカを起源とし、そのリズムにはそうした舞踏のためのものという側面もある。ジャズという音楽の舞踏という側面が、カマシの中から素直に発せられたアルバムということが言えるだろう。
“Lesanu” という曲は2020年に亡くなったカマシの友人の名前で、そのトリビュート曲であると同時に、神への感謝の意が込められている。その友人はカマシにエチオピアの言語と聖書について教えてくれたそうで、曲の中の言葉はエチオピアの教会で使われるゲエズ語という言語で、聖歌集の一部を朗読している。古代では音楽や舞は神への捧げものであり、“Lesanu” もそうした信仰心から生まれた作品である。『The Epic』や『Heaven and Earth』でもそうした神聖なものをモチーフとした作品はあったが、『Fearless Movement』は日々の生活を通じて生まれる素直な感謝の念や感情に包まれていて、カマシの肉声に近いものが音となっている。「このアルバムは、さまざまなアイデアや、人生におけるさまざまな場所について言及している。その中でも、僕は “Lesanu” でアルバムをスタートさせたかった。なぜなら、この曲は人生に対する感謝の祈りのような曲だから。僕にとってこの曲の目的は、ただ「ありがとう」と言うことなんだ。神様、あるいは宇宙を初め、僕に今の道を与えてくれた全てへの感謝を表現した曲。僕は音楽が大好きだし、自分の人生のために音楽を作ることができていることが本当に嬉しい。その機会、そしてその機会を与えてくれている全てに僕は感謝しているんだ」。『Fearless Movement』は「ダンス・アルバム」であると同時に、「祈りのアルバム」でもある。
アルバムにはサンダーキャット、テラス・マーティン、パトリース・クイン、ブランドン・コールマンら旧知の仲間のほか、アウトキャストのアンドレ・3000、BJ・ザ・シカゴ・キッド、イングルウッドのD・スモーク、コースト・コントラのタジとラス・オースティンなど、ヒップホップやR&B系アーティストの参加が目につく。さまざまな声(アーティスト)によるさまざまな日常風景や世界を描くのが『Fearless Movement』である。「彼らはそれぞれ、異なる世界観をもたらしてくれた。僕は、それらを必要としていたんだ。例えばタジとラスは、すごく若いのに、彼らのスタイルは1990年代のヒップホップの黄金時代に繋がるものがある。僕はそれが大好きで、彼らのラップを聴いていると、僕がヒップホップを聴き始めた頃に戻ったような気分になるんだ」。
ゲスト・アーティストそれぞれの個性を鑑み、そこに音楽的にしっくり嵌る楽曲で起用しており、単純にヒップホップ調やR&B調の楽曲を用意し、そこに無難に当て嵌めた起用とはなっていない。例えば “Dream State” にはアンドレ・3000が起用されているが、ラップではなくフルート演奏で参加している。昨年彼がリリースしたアルバム『New Blue Sun』のようなアンビエントやニュー・エイジ的な作品となっている。「僕は以前、アンドレ・3000のためにレコーディングしたことがあって、その時に彼が、何か自分にできることがあれば言ってくれ、と言ってくれたんだ。で、彼にもちろん参加してもらいたいと思ったけど、具体的に何をしてもらおうかはわからないまま数曲用意していたんだけど、彼がスタジオに来た時、フルートを持ってきてさ(笑)それを彼が吹き始めたんだけど、その瞬間、レコーディングした曲のことは忘れようと思った(笑)そのフルートを使って、一から新しい曲を作ろうと思ったんだ。だから、あの曲はそのフルートを使って即興で出来たものなんだよ。それに合わせて皆でプレイして、その瞬間で出来上がった曲なんだ」。ある意味、もっともジャズ的な即興音楽である。
“Get Lit” にフィーチャーしたD・スモークに関しては、ラッパーでありながらも音楽的だから彼を起用したということだ。「“Get Lit” はすごく音楽的で、あの曲にラップが欲しいと思いつつも、その音楽的な部分を大事にしたかったんだ。D・スモークはピアノも弾くからその辺のセンスがあるし、ハーモニーをはじめ、ラップ以上のものをもたらしてくれた。あれはヴォーカル・パフォーマンスだったし、それはまさにあの曲が必要としていたものだったんだ」。そして、この曲にはP・ファンクの総帥であるジョージ・クリントンも参加する。近年はフライング・ロータスのフック・アップによって、ロサンゼルスの音楽シーンにおいて若い世代のファンからも身近な存在となってきているジョージ・クリントンではあるが、やはり伝説的な存在であることには変わりない。カマシにとっても今回の共演は念願が叶ったもので、カマシの音楽にファンカデリック的な世界観が見事に融合した作品となっている。「僕は、小さい頃からずっとジョージ・クリントンの大ファンなんだ。昔スヌープ・ドッグと一緒にプレイしていた頃に何度か会ったことがあって、その後も数回会う機会があったんだけど、話す機会はなかった。でも去年、彼が展覧会を開いたんだよ。僕の妹のアマニが画家で、今回のアルバムのジャケットに載っている絵を描いたのも彼女なんだけど、ジョージ・クリントンがアート・ショーをやると教えてくれてね。彼はヴィジュアル・アーティストでもあって、そっちの才能も本当に素晴らしいんだけど、そのショーで彼の作品を観て、僕は本当に驚いたし圧倒された。で、その時に、せっかくだから彼に話しかけてみて、やっと彼と話すことが出来たんだ。そして、“Get It” という彼にピッタリの曲があったから、思い切ってその曲で演奏してくれと頼んでみたら、なんと話に乗ってくれてさ。それですぐにスタジオを予約して、彼が来るのを指くわえて待ってきたら、本当に来てくれたんだ」
『Fearless Movement』は日常的なものごとを描いていると前述したが、想像や空想もそうした日常から生まれるもので、宇宙的なモチーフの “Interstellar Peace” やSF的な “Computer Love” が非日常的な曲というわけではない。“Interstellar Peace” は盟友のブランドン・コールマンが作曲した楽曲で、日頃の彼との会話の中から広がっていった。「彼と僕は、二人とも宇宙やSFが大好きで、それについてよく話すんだ。偽りを見破り、本当の自分を見つけるためには、自分の身近にある目に見えるものを超えて、想像力を伸ばす必要がある。星間の安らぎや平穏、というのがこの曲のアイデアだった。自分の住んでいる地域、都市や国、あるいは惑星を越えた、普遍的なものを考えながら作ったのがこの曲なんだ」
日常の中から普遍的な真理について思いを馳せた楽曲である。“Computer Love” は1980年代にクラフトワーク、ザップ、エジプシャン・ラヴァーの同名異曲があったが、カマシはこの中でザップをカヴァーしている。サップはジョージ・クリントンに見出されてPファンクの前座を務め、1980年にデビューした。ザップのリーダーであるロジャー・トラウトマンが “Computer Love” を作ったのは1985年のことだ。「ザップのこの曲を聴いた時に、この自分のヴァージョンが頭の中に聴こえたんだ。人と人とのつながりについて考えさせられたんだよ。ロジャーがこの曲を書いたのは、ある種の予言のような気がした。なぜなら、彼はあの曲で、人ではなくコンピューターを通して伝わる愛について語っているから。当時はそれが普通の状況ではなかったのに、今はそれが普通になっている。でも、現在のそのエネルギーは、彼が想像していたものとは違うんだ。コンピューターを通して、という部分は同じなんだけれど、エネルギーが違う。だから、あの歌を書きながら彼が見ていたものを、実際の今の世界のものにチューニングしたらどうなるんだろう、と思ったんだ。今、僕たちはテクノロジーによってもっと繋がることが出来ているけど、スクリーンを通してつながっていることで、実際の繋がりは薄くなっている。実際に会って繋がる、という繋がり方は減っているわけで。だから、人間らしさというものに関して考えたんだ。距離が縮まっていながら、同時に遠くもなっている。僕のヴァージョンでは、それについて描かれているんだ」。人と機械やAIの関係ではなく、現在における人間関係のあり方についての楽曲なのだ。
『Heaven and Earth』は大がかりなオーケストレーションやコーラス隊がフィーチャーされ、ダイナミックでドラマ性に富むサウンドとなっていたが、『Fearless Movement』の楽器構成は比較的シンプルな小編成である。カマシの日常的な視点が、大がかりなものではなくコンパクトな編成、サウンドに繋がっているのだろう。「大抵の場合、僕はその曲に満足がいくまで色々と積み重ねていくような感じで曲を作っていく。そして、前回の時はそれが大きくなりオーケストレーションにつながっていったわけだけど、今回のアルバムは、曲があまりそれを必要としていなかったんだ。オーケストラ的な要素は、自分をどこか他の場所へと連れて行ってくれる。でも今回のアルバムは、その要素が要らなかった。その分、今回は他のアルバムよりもパーカッションやドラムが多いと思うね」。
楽曲によって個々の楽器のソロが前面に出ているところもあるわけだが、特に耳につくのはロックやヘヴィ・メタル風のギター。ギターはサンダーキャットが弾く場合もあり、それ以外ではブランドン・コールマンがシンセを弾いてギター風の音色を出すこともあるそうだが、カマシ自身の “Prologue” でのサックスも、ある種ロック・コンサートにおけるギタリストのソロでの盛り上げに近いものを感じる。2021年にメタリカ・ブラックリストに参加したことも影響のひとつとなっているのだろう。「それがきっかけになったかまではわからないけど、今回はサックスでディストーションを使ったんだ。僕のアイデアで、エンジニアと一緒にいる時、なんかそれをやりたくなったんだよね。メタリカの影響も、意識まではしていないけどもしかしたらあるのかも。あのスタイルのサックスをやったのは、あの時が初めてだったから」
この “Prologue” はアルバムの最終曲となっている。もともとはアルゼンチン・タンゴの巨匠として知られるバンドネオン奏者のアストル・ピアソラの曲だ(正式タイトルは “Prologue - Tango Apasionado”)。通常であればプロローグ(序章)はアルバムの冒頭に来るものだが、カマシは敢えてアルバムの最後にした。アルバムにある種の余韻を残すと同時に、このアルバムが何かの終わりではなく、始まりを示すものだということを暗示している。「今僕は娘がいるから、これからの世界がどんな世界であってほしい、という願望がより強くなった。多くの場合、何かの始まりは何かの終わりでもある。言い換えれば、何かが終わることで、新しい何かが始まるわけで、将来手に入れたい何かを掴むためには、今持っている何かを終え、手放す勇気が必要な時もある。僕にとってこの曲は、今あるものを手放して、次にやってくる新しい何かを掴む勇気を表現した曲なんだ」