Home > Interviews > interview with Ralf Hütter(Kraftwerk) - マンマシーンの現在
発電所(kfarftwerk)がない世界に戻ることは、ジブリの映画でもない限り想像が難しい。音楽においてもそうだ。クラフトワーク(発電所)はなかったと、いまから音楽を作ろうとしている人間のなかで、そう言えるひとはあまり多くはないだろう。
テクノロジーの問題はたしかにある。終末論的にそれはかねがね題材にされてきている。が、しかし、クラフトワークはテクノロジーに対して基本的にニュートラルな立場でいる。もちろん、その中立から降りることは、たとえば“レディオアクティヴィティ”のような曲をいま演る場合は起こりうる。クラフトワークはつまり、原子力“発電所”に対する反対の立場をはっきりさせているし、そうした政治的な声明を恐れることもない。
とはいえクラフトワークがテクノロジーそのものを批判することはそうそうないし、かといって『コンピューター・ワールド』がコンピュータ礼賛のアルバムであるはずもない。ただあのアルバムは、エレクトロニクスの応用が音楽を更新させるという意味において明らかに未来的だったし、いま現在のクラフトワークの基盤となっていると言ってもいいだろう。今回の来日ライヴ(4/16~4/19まで東京、22日大阪)においても、“ナンバーズ”の非の打ちどころがないエレクトロニック・グルーヴはショーの1曲目だったし、座席で座って聴くには酷ともいえる、それは’あまりにも躍動するダンス・ビート・ミュージックだった。
1946年生まれのラルフ・ヒュッターは、いうまでもなくクラフトワークの中枢である。ヒュッターより1歳下のフローリアン・シュナイダーと1968年に出会ったことで、やがて音楽を電子化するプロジェクトの胎動がはじまった。1970年にそれがクラフトワークとなったときには、しかしまだ試行錯誤の状態、いわゆる“初期段階”だった。1973年までのあいだに残した最初の3枚のアルバムはある時期から公には封印され、いっぽうでジュリアン・コープのようにその3枚こそが名作であるという極端な意見も後を絶たないが、しかしながら、シュトックハウゼン風の電子音楽やフルクサスからの影響の名残もあるこの“初期段階”が完璧にクラフトワーク史から切り離されていないことは、セカンド・アルバムの1曲目が彼らのスタジオ名=クリング・クラングになっていることからもうかがい知れる。
だが、いま存在するクラフトワークは1974年の『アウトバーン』以降のそれである。『コンピューター・ワールド』以降の、強力なエレクトロニック・ダンス・ビートを有するプロジェクトであり、さらにまた、たったいま存在するクラフトワークは、ヒュッターをはじめ、へニング・シュミット、フリッツ・ヒルバート、そして映像を操るファルク・グリーフェンハーゲンの4人によるオーディオ・ヴィジュアル・プロジェクトとしてのそれである。
4月18日の午後、渋谷のBunkamuraオーチャードホールの小さな楽屋には、ラルフ・ヒュッターが取材のために佇んでいた。海外の記事を見るにつけ、気むずかしく、ときに取っつきづらいという、エレクトロニック・ミュージックの世界においてはなかば神のごとく尊敬されているこのドイツ人はなんともリラックスしているようだった。風評とは違って、質問者の緊張感を煽るような仕草はない。もちろん、宇宙から帰還した宇宙飛行士のようでもなかった。黒いポロシャツ姿のヒュッターは、ぼくたちに与えられた30分のあいだ丁寧に答えてくれたと思う。取材にはクラフトワークのライヴを1981年の初来日以来、日本およびUKのおいても何度も観ている赤塚りえ子さんに同行してもらった。ぼくはゆっくり録音機のボタンを押した。
みなさんが知っているように、私たちは1968年の世代です。なので、こうしたムーヴメントは私たち歴史の一部のようなものです。アートは社会にインパクトを与えるものです。芸術の自由やクリエイティヴィティがいまの社会にはもっと必要だと思います。
■ドイツ語の通訳を手配できませんでした。申し訳ないです。とはいえ彼女は良い通訳なので。
ラルフ:なにも問題ないよ。私はフランス語も喋るし、ヨーロッパに行くときはイタリア語やロシア語も使います。日本語は喋れないけど……。デュッセルドルフにはとても大きな日本人コミュニティがあります。たくさんの日本の企業も入ってきてるし、デュッセルドルフから日本まで直行便も出てるんです。私も今回それに乗ってきました。とてもレアなんですよ。普段はフランクフルトからしか直行便が出てないんです。
大昔に日本人の友だちに“Pocket Calculator”を“電卓”へと訳してもらいました。なので、私は日本語は喋れないけど日本語で唄います。
通訳:喋りはできないけど、日本語と触れてきたということですね?
ラルフ:そうです。わりと最近では、私の友だちの坂本龍一が“レディオアクティヴィティ”の歌詞の一部を訳してくれました。ですから、いまでは“レディオアクティヴィティ”も日本語で歌ってます。
ラルフ:今夜のライヴは見にきますか?
■ぼくたちは明日行きます。ちなみに彼女は、6年目の赤坂Blitzも、1981年の来日ライヴも観ているんですよ。
赤塚:81年の『コンピューター・ワールド』ツアーのライヴですね。
ラルフ:81年! 私たちが初めて日本に来たときですよね? たしか。
赤塚:ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールのライヴも観にいきました(笑)。
ラルフ:去年のですか? いや、2年前か。
赤塚:2年前です。
ラルフ:あのロンドンでのライヴの後には、デュッセルドルフでやりましたよ。
■そろそろはじめましょうか。
ラルフ:そうですね。
■渋谷の街は歩かれましたか? 来年のオリンピックを控え、東京がいまものすごいスピードで再開発されているのがおわかりだと思いますが、どのような印象を持たれましたか?
ラルフ:ドイツではみんながオリンピックに対して反対しました。立候補として上がったときにドイツ国民が反対したんです。オリンピック自体が古すぎる文化だからです。
通訳:投票をしたってことですか?
ラルフ:はい、投票が行われました。次のオリンピックじゃなくて、もっと先のオリンピックだったと思います。そもそもオリンピックというのは、19世紀のものなんですよ。
通訳:ほとんどの国民が反対したんですか?
ラルフ:そうです。バカなことにお金を使いすぎだと思います。そうですね、だから、あ、でもハチ公は見ましたよ(笑)。
通訳:ハチは変わってないですもんね(笑)。
ラルフ:そうです(笑)。
■ブレグジットや黄色いベスト運動など、ヨーロッパはいま政治的に揺れ動いていますが、こうした状況がクラフトワークに影響を与えることはありますか?
ラルフ:みなさんが知っているように、私たちは1968年の世代です。なので、こうした(政治的)ムーヴメントは最初から私たち歴史の一部のようなものです。アートは社会に衝動を与えるものです。芸術の自由やクリエイティヴィティがいまの社会にもっとも必要なものだと思います。
通訳:こういう運動や問題があなたに刺激を与えるってことなんですね?
ラルフ:ちょっとコーヒー飲んでもいいですか? まだ時差ボケがあって……夜中に3時間ほど目がさめるんです。そのあとは普通に寝れるので大丈夫なんですけどね。生活リズムが変わっただけです。
取材:野田努/協力:赤塚りえ子(2019年5月13日)