Home > Reviews > Album Reviews > Vladislav Delay Quintet- Vd5

フィンランド出身のサス・リパッティことヴラディスラフ・ディレイは、ダブ・テクノ、グリッチ、電子音響、即興演奏といった領域を横断しながら、電子音楽の可能性を拡張し続けてきた音楽家である。
本作は、サス・リパッティ/ヴラディスラフ・ディレイによるヴラディスラフ・ディレイ・クインテット名義のアルバムだ。その名のとおりリパッティが考える「ジャズ」を実験・実践した作品である。だが、その「ジャズ」は一般的に語られるジャズとは異なる。ジャズ的でありながら、電子音響的でもあるのだ。
ヴラディスラフ・ディレイのファンであれば、ヴラディスラフ・ディレイ・カルテット名義の作品群を即座に思い浮かべるだろう。実際、本作のサウンドはカルテット名義の発展形に位置づけられる。
このように作品ごとに異なる名義を用いること自体が、リパッティの活動を特徴づける重要な要素でもある。ヴラディスラフ・ディレイ名義では『Anima』(2000)、『The Four Quarters』(2005)、『Tummaa』(2009)、『Vantaa』(2011)、『Kuopio』(2012)、『Visa』(2014)など、電子音響作品の重要作を数多く発表してきた。なかでも〈Raster-Noton〉から発表された『Vantaa』『Kuopio』は、緻密かつ重厚な音響設計を極限まで推し進めた代表作として知られる。また、ルオモ(Luomo)名義による『The Present Lover』(2000)はクリック・ハウスの名盤として高く評価されている。
2020年代以降も、ヴラディスラフ・ディレイ名義の『Rakka』『Rakka II』、リパッティ・デラックス(Ripatti Deluxe)名義の『Speed Demon』、ダンス・フロア・クラシックス(Dancefloor Classics)名義の『Dancefloor Classics Vol. 1』『Vol. 2』、リパッティ(Ripatti)名義の『Fun Is Not A Straight Line』などを発表。未来的な電子音響から架空のダンスフロアのための音楽まで、その表現領域を広げ続けている。
こうした複数の名義を用いて発表された作品群は電子音楽として語られることが多い。しかし私には、リパッティの創作の根底にはつねにジャズ的な感覚が存在しているように思える。彼はドラマーとしてキャリアをスタートさせており、即興演奏における身体感覚と時間感覚を身につけていた。完成された構造を反復するのではなく、生成し続ける時間に反応する態度、それが彼のジャズ的な側面だ。
その感覚が鮮明に表れたのが、2011年のヴラディスラフ・ディレイ・カルテット(Vladislav Delay Quartet)『Vladislav Delay Quartet』だった。ミカ・ヴァイニオ、ルシオ・カペーチェ、デレク・シャーリーとの共演による同作は、ジャズ編成を採用しながらもテーマやソロを中心とする伝統的形式から離れ、持続音やノイズによって空間そのものを変容させる作品だった。電子音響とノイズ、そしてジャズという一見相反する要素を融合した成功例であると断言したい。
今回発表されたヴラディスラフ・ディレイ・クインテット(Vladislav Delay Quintet)の『Vd5』は、カルテットにおける実践と実験の発展形といえる。彼らは2025年にBandcampのサブスクライバー専用の配信で『vd5 2025』を発表しているが、フィジカル盤も含む一般向けのリリースは、今回の『Vd5』が初となる。
リリース・レーベルはヘルシンキの実験的ジャズ・レーベル〈We Jazz Records〉である。DJのマッティ・ニヴズ(Matti Nives)が主宰し、カール・ストーンらの作品も送り出してきた同レーベルは、ヴラディスラフ・ディレイ・クインテットの音楽性と極めて親和性が高い。
アルバム・タイトルのとおり、編成は五重奏である。参加メンバーには、リカルド・ヴィラロボスとのコラボレーションやモーリッツ・フォン・オズワルド・トリオのメンバーとして知られるマックス・ローダーバウアー(ピアノ、エレクトロニクス)、そしてデンマークのインプロヴァイザーであるマリア・バーテル(トロンボーン)が新たに加わった。一方、ルシオ・カペーチェ(サックス)と、マサヨシ・フジタとの共演でも知られるデレク・シャーリー(ベース)はカルテットから引き続き参加。リパッティ自身はエレクトロニクス、プロダクション、ミックスを担当している。
本作を特徴づけているのは、ジャズ・アンサンブルが電子音響へと変容していくような感覚だ。リパッティはジャズという身体的な形式を再編成し、管楽器やベース、ピアノを旋律や和声の担い手ではなく、「音響」として扱っている。その結果、どこまでが生演奏でどこからが電子処理なのか判別できなくなる。音は演奏者から切り離され、空間を漂う存在へと変化していくのである。
アルバムには全10曲を収録。1曲目 “Two” ではローダーバウアーのピアノと透明な電子音が空間を形成し、やがてノイジーなベースが脈打ち始める。テーマやソロを中心とした展開はなく、各楽器は巨大な音響の流れへ溶け込んでいく。2曲目 “Twelve” ではトロンボーンとサックスが旋律楽器というより、空間に亀裂を生じさせる装置として機能する。ジャズ的なフレージングは現れるものの、次第に拍節感は曖昧になっていく。1970年代の電化マイルスを電子音響化したような楽曲であり、各演奏者の音は音響レベルで相互に浸透していく。
3曲目 “Nineteen” ではリパッティらしい電子音響が前景化する。断片化されたリズムはグリッチやインダストリアルを想起させ、その背後では管楽器が不穏な持続音を引き延ばしている。4曲目 “Nine” は、本作では珍しくほぼ未加工のサックス演奏を軸に展開する。真夜中のざわめきのようなノイズが交錯しながらも、アルバムのなかでは比較的ジャズに近い印象を残す。5曲目 “Fourteen” では硬質なドローンが展開し、6曲目 “Thirteen” では管楽器やピアノの輪郭が現れながらも粒子状に分解されていく。この2曲においては管楽器が持続音と旋律の双方を担う重要な役割を果たしている。
7曲目 “Twenty” は本作でもっともアコースティックな響きを持つ楽曲だ。無調的なピアノにノイズとかすれた管楽器が重なり、静謐な空間へ傷を刻むように響く。後半ではノイズとピアノによる美しいアンサンブルが展開される。8曲目 “Fifteen” では管楽器の単純な反復にノイズが非同期的に重ねられる。インダストリアルなムードが濃厚で、どこか壊れた行進曲を思わせるサウンドである。
終盤の9曲目 “Ten” と10曲目 “Three” では電子音響とアコースティック楽器の境界はほぼ消失する。そこで展開されるのは、高い精度を備えたドローン/アンビエントであり、どこか雅楽を思わせるような響きも印象的だ。
『Vd5』はジャズでも電子音楽でもアンビエントでもインダストリアルでもありながら、そのどれにも属しきらない。管楽器の呼吸やベースの振動、ピアノの打鍵は抽象化され、「演奏された音」としての輪郭を失う。しかしそれは演奏の否定ではなく、アコースティックな音の物質性を極限まで拡張する試みである。
リパッティはこれまでヴラディスラフ・ディレイ名義でダブ・テクノや電子音響を更新し、ルオモ名義でクリック・ハウスを刷新してきた。そしてカルテットからクインテットへと続くプロジェクトでは、ジャズそのものの音響化を推し進めている。
いわゆる「電子音楽家によるジャズ作品」を期待して聴けば、その異様なサウンドに戸惑うかもしれない。しかし予想を裏切り続けることこそが、ヴラディスラフ・ディレイというアーティストの本質なのである。彼は「音楽とは何か」という「問い」そのものを常に解体するのだ。
デンシノオト