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2021年、電子音響アーティスト、ピタ/ピーター・レーバーグが53歳の若さで亡くなった。クララ・ルイスの『Thankful』は、その彼への追悼の作品である。
ピーター・レーバーグは、電子音響/エレクトロニカの歴史に大きな足跡を残したアーティストだ。90年代中期以降、彼はグリッチ・ノイズを用いて無機的でありながらも叙情的なムードの電子音響作品のリリースを重ねてきた。加えてピーター・レーバーグはスティーヴン・オマリーとのハードコア・ドローン・ユニット KTL のメンバーでもあった。
同時に電子音響・エクスペリメンタル・シーンに多大な影響を残したレーベル〈Editions Mego〉の主宰でもある。前身〈Mego〉時代から含めて同レーベルからリリースされたアーティスト/アルバムは電子音響・エレクトロニカの歴史において重要な作品ばかりだ。フェネス『Endless Summer』(2001)、ヘッカー『Sun Pandämonium』(2003)、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー『Returnal』(2010)などをリリースしたことは、まさに偉業といえよう。
彼の死は電子音響/エクスペリメンタル・ミュージック・シーンにとって大きな喪失感をもたらした。精神的支柱を失ったとでもいうべきか。かくいう私も彼の新しい音が聴けなくなったことをとても寂しく思った。1996年リリースの『Seven Tons For Free』からずっと聴いてきたのだから。
しかし〈Editions Mego〉が現在も新しい作品をリリースをし続けていることは希望を抱かせるものである。ピーター・レーバーグがその生涯をかけて情熱を注いだエクスペリメンタル・ミュージック・レーベルの意志はいまも確実に継承されている。そして、クララ・ルイスの新譜『Thankful』も、本年2024年に〈Editions Mego〉からリリースされたアルバムだ。
クララ・ルイスはワイヤー/ドームのグラハム・ルイスの娘として知られているが、何より2010年代中期以降のエクスペリンタル・ミュージックを代表するアーティストでもある。この年代のエクスペリメンタル・ミュージックを考えるとき、クララ・ルイスのノイズ、サウンド、コンポジションは極めて重要ではないかと常々思っていた。
10年代のエクスペリメンタル・ミュージックはどこかノイズとコラージュを基調としたものが多く、それがまるでアンビエントのような質感で展開する。夢の中を漂うような不定形なノイズ・コンポジション。コラージュ感覚のサウンドスケープ。クララ・ルイスの音は、まさに「アンビエントとノイズの中間領域」を彷徨うような音作りになっていたのである。
クララ・ルイスのアルバム『Ett』が〈Editions Mego〉からリリースされたのは2014年だった。以降、ルイスは〈Editions Mego〉から多くのアルバムをリリースしてきた。特に2016年のソロ作『Too』はノイズを用いたアンビエンスなサウンドが確立した重要作だ。
以降、2020年に20分ほどの『Ingrid』や、2021年にライヴ作品『Live In Montreal 2018』などをリリースしているが、『Ingrid』が20分ほどのEPに近い音源だったことを踏まえると、本作『Thankful』は『Too』以来、8年ぶりのソロ・アルバムといえる。そのソロ作がピーター・レーバーグへの追悼だった。これは重要なことである。
なぜか。ルイスはソロ作以上にコラボレーション・アルバムが充実しているアーティストなのである。例えば2018年にリリースされたサイモン・フィッシャー・ターナーとのエクスペメンタル/アンビエントな『Care』、2021年に〈The Trilogy Tapes〉からリリースされたペダー・マネルフェルトとの実験的テクノの『KLMNOPQ』、2023年に〈Alter〉からリリースされたニック・ヴォイドとのノイズ・コンポジションが冴え渡る『Full-On』、2024年に〈The Trilogy Tapes〉からリリースされたユキ・ツジイとの環境音楽的な 『Salt Water』などなど、彼女のコラボレーションはじつに多岐にわたる。ある意味、ソロ・アルバム以上に充実した作品群だ。
そう考えると『Thankful』はピーター・レーバーグへの追悼でありながら同時に「不在のピーター・レーバーグとのコラボレーション」ともいえなくもない。じっさい『Thankful』のサウンドはどこかピタの音に近い。
特に1曲目 “Thankful” はピタの傑作にして電子音響/エレクトロニカ史に残るといっても過言ではない『Get Out』(1999)収録の “Track 3” へのトリビュートであり、そのロマンティックでマシニックな響きと持続はどこかピタとの共演を希求しているような曲である。しかも曲名が “Thankful” なのだから泣いてしまいそうになる。サウンド自体も素晴らしい。90年代末期〜00年代以降の電子音響/エレクトロニカにあったロマンティックな面を拡張したような感覚がうごめいていた。
2曲目 “Ukulele 1” は1分16秒ほどの短いトラックだ。その曲名どおりおそらくはウクレレで奏でられた短い演奏だ。だがこれが4曲目 “Ukulele 2” につながる重要な伏線になる。一転して3曲目 “Top” も2分30秒ほどの短いトラックだ。ここでは極端な音使いアシッド・テクノ風のサウンドを展開する。2019年にリリースされたピタの『Get On』のサウンドを思わせもする。
4曲目 “4U” からアルバムはふたたび叙情的な電子音響に変化する。クラシカルな音が次第に加工されノイジーな音響が侵食してくるトラックだ。どこかサイケデリックな趣もある。5曲目 “Ukulele 2” も同様にノイズへの生成変化が巻き起こるトラック。“Ukulele 1” 同様にウクレレらしき音が反復するが、それが次第にグリッチな電子ノイズが侵食しはじめ、8分45秒を過ぎたあたりから強烈なノイズの音響がトラックを覆うのだ。まさにピタが得意としたような電子ノイズの炸裂が展開しているわけである。この曲は12分あり、1曲目 “Thankful” に次ぐ長尺である。アルバムの冒頭と最後の曲にピタ特有のサウンドを展開するなど、クララ・ルイスは亡きピーター・レーバーグと対話するようにアルバムを織り上げている。
5曲目 “Ukulele 2” の終盤はグリッチ・ノイズの嵐が収まり、元になったウクレレの音がまた聞こえてくる。静かにアルバムは終局を迎える。まるでピーター・レーバーグとの別れを惜しむかのように最後の一音まで大切に鳴っていた。
本作は電子ノイズの中に、「悲しみ」と「喪失」の感情が満ちている。かといって暗く沈むような感覚はなく、どこか不思議と解放的なムードがあった。思えばピタの楽曲もそうだった。彼のサウンドは、尖端的・先端的なグリッチ・ノイズの集積のような音でありながら、彼の音は天上へと昇るような不可思議な解放感があったのである。クララ・ルイスはまさに不在のピタとコラボレーションをするように、その解放的なグリッチ・ノイズを受け継いだのだろうか。そして未来へ。
デンシノオト