Home > Reviews > Album Reviews > Jahari Massamba Unit- Pardon My French
ヒップホップの世界でもっともジャズに接近したアプローチを見せるひとりが、マッドリブことオーティス・ジャクソン・ジュニアだろう。ジャズのネタをサンプリングするヒップホップDJやプロデューサーは多いが、彼の場合は実際に楽器を演奏してジャズ・ミュージシャンさながらの作品を作ってしまう。父親のオーティス・ジャクソン・シニアはR&Bシンガーで、ジャズ・サックス奏者のジョン・ファディスが叔父など音楽一族出身ということも、そうした演奏能力に影響を及ぼしているだろう(もっとも彼の場合は譜面を読んで演奏を学んできたのではなく、もっぱらレコードを聴いて耳でコピーしてきた口だが)。
マッドリブがジャズの才能を開花させたのは、もうかれこれ20年ほど昔のイエスタデイズ・ニュー・クインテット(YNQ)だ。5人のミュージシャンが集まったこの架空のバンドは、実はマッドリブが全ての楽器をひとりで多重録音したプロジェクト。ここから発展してマッドリブ名義で〈ブルーノート〉の音源と自身の生演奏を融合したトリビュート・アルバムも作ったし、モンク・ヒューズ名義でウェルドン・アーヴィンのカヴァー・アルバムも作った。ほかにも〈ストーンズ・スロー〉を舞台にジョー・マクダーフィー・エクスペリエンス、オーティス・ジャクソン・ジュニア・トリオ、ヤング・ジャズ・レベルズ、ザ・ジャジスティックス、ザ・エディ・プリンス・フュージョン・バンド、ザ・ラスト・エレクトロ=アコースティック・スペース・ジャズ&パーカッション・アンサンブルなど、さまざまな名義のジャズ・プロジェクトをやってきた(これらも基本的にYNQと同じくマッドリブがひとりでやっている)。こうした活動は本物のジャズ・ミュージシャンからも一目置かれ、アジムスのイヴァン・コンティとジャクソン・コンティというユニットを組んでアルバムも出している。
一方、カリーム・リギンズもジャズとヒップホップの両方の草鞋を履くアーティスト。ロイ・ハーグローヴやレイ・ブラウンのジャズ・バンドでドラマーとして活動する一方、ザ・ルーツ、コモン、スラム・ヴィレッジ、Jディラなどとも仕事をするなどヒップホップ・プロデューサー/ビートメイカーとしての顔も持つ。そんな彼の名が広く知られるようになったものに、カール・クレイグによるザ・デトロイト・エクスペリメントへの参加があり、近年はロバート・グラスパーとコモンと組んだオーガスト・グリーンも話題を呼んだ。ソロ・アーティストとしては〈ストーンズ・スロー〉からソロ・ドラムとビートメイクを融合したビート・アルバムをいくつか出しており、そうしたところでマッドリブとはレーベル・メイトでもあった。
マッドリブも『ビート・コンダクター』などさまざまなビート・アルバムを作ってきたが、そうしたひとつの『メディシン・ショー』を制作するために〈マッドリブ・インヴェイジョン〉を立ち上げたのが2010年。〈マッドリブ・インヴェイジョン〉からはラッパーのフレディ・ギブズと組んだ作品をいろいろリリースしてきているが、そうした中にカリーム・リギンズも参加することがあり、今回マッドリブとカリームのプロジェクトであるジャハリ・マッサンバ・ユニットが興された。
イスラム系の人名のジャハリ・マッサンバ、『下手なフランス語ですみません』というアルバム・タイトル、赤・黒・緑の汎アフリカン・カラーをあしらったアルバム・ジャケット(ちょっとア・トライブ・コールド・クエスト風でもある)と、いかにも思わせぶりな要素が並ぶが、これらはマッドリブらしい遊び心に富んだもの。曲名は全てフランス語となっていて、フランス語を公用語に用いる国が多いアフリカ大陸を関連付けているのだろうか。
ドラムをカリーム・リギンズが担当し、それ以外の全ての楽器をマッドリブが演奏するという役割で、当初カテゴリー的にはスピリチュアル・ジャズ・アルバムと呼ぶはずだったところ、〈トライブ〉の創設者であるジャズ・トロンボーンのレジェンド・ミュージシャンのフィル・ラネリンから、「これはブラック・クラシック・ミュージックと呼ぶべきだ」とアドバイスされ、そう呼ぶようになったとのこと。未来へのジャズの遺産となるような作品を残したい、そんなマッドリブの想いが込められたものとなっている。
祖父のジャズ・レコード・コレクションからジャズを学んできたマッドリブは、たとえばサン・ラー、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィス、デヴィッド・アクセルロッドなどの作品に魅せられ、本作でもそうした1960年代から1970年代にかけてのジャズの影響が端々から伺える。全てがインスト曲で、フリー・ジャズ調の “ジュ・プランドレ・ル・ロマネ・コンティ(ピュタン・ドゥ・リロイ)” は、1960~70年代のジャズ・ミュージシャンにも多大な影響を及ぼした黒人詩人のアミリ・バラカ(リロイ・ジョーンズ)をモチーフにしているのだろうか。ヴィブラフォンの音色が神秘的な “デュ・モーゴン・オ・ムーラン・ナ・ヴァン(プール・デューク)” はデューク・エリントンに捧げているのだろうか、でも実際はボビー・ハッチャーソンやハービー・ハンコックの新主流派ジャズ的だったりする。
誰かの演奏に寄せつつも、単なる物真似に留まらないオリジナルな作品にまで昇華させている点は、マッドリブとカリームの昔のジャズに対する知識や研究の深さと、それをベースに音楽を造形してしまう応用力の高さを物語る。アイドリス・ムハマッドの “ローランズ・ダンス” を下敷きにしたと思われる “オマージュ・ア・ラ・ヴィエール・ガルド” などはその典型と言えよう。そして、ヒップホップというビート・ミュージックに関わってきたふたりだけあって、“リスリング・プール・ロベール” におけるソリッドなリズム・セクションはさすがだ。
小川充