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デンマークの電子音楽家ヨナス・ムンクによるソロ・プロジェクト、マニュアル(Manual)が、約16年ぶりにフルアルバム『True Bypass』をリリースした。そう、あのゼロ年代エレクトロニカの名作『Ascend』を生み出したマニュアルの新作である。
マニュアルは、2000年代初頭に脚光を浴びたエレクトロニカ・アーティストだ。ギターのループやディレイ、電子ノイズを用いながら、フェネス(Fennesz)やシーフィール(Seefeel)、ボーズ・オブ・カナダ(Boards of Canada)、グレッグ・デイヴィス(Greg Davis)、ヴンダー(Wunder)、キム・ヨーソイ(Kim Hiorthøy)といったエレクトロニカ/電子音響アーティストたちと共振しつつ、当時のエレクトロニカ・シーンにおいて高い評価を獲得した才人である。
初期作『Until Tomorrow』(2001年)や『Ascend』(2002年)では、ドローンとメロディの融解、持続とレイヤーの構築を推し進め、10年代以降の『Drowned In Light』(2010年)ではビートを導入するなど、音響とリズムの関係性を更新してきた。
この歩みを踏まえると、『True Bypass』は過去の総括というより、複数の時期にわたる手法を再編成した作品として捉えるべきだろう。エレクトロニカ的サウンドスケープ、アンビエント/ドローン志向、ビート感覚が、高い解像度で統合されている。
加えて、本作『True Bypass』を理解するうえで重要なのが、リリース元である〈Darla Records〉の文脈である。同レーベルは設立以来、アンビエント、ドリーム・ポップ、エレクトロニカを横断してきたことで知られている。とりわけ〈Darla Records〉で展開された「nBliss Out」シリーズは、浮遊感とメロディを兼ね備えたエレクトロニカの重要なアーカイブとして機能していた。マニュアルも同シリーズに作品を残しており、またスウィート・トリップ(Sweet Trip)の『Velocity : Design : Comfort』(2003年)のように、エレクトロニカとシューゲイザーを架橋する作品群も送り出してきた。
近年のマニュアルは、ヨナス・ムンク名義でアンビエント作品を発表してきた。『Altered Light』(2021年)や『Mirror Phase』(2024年)においては、ビートや構造を削ぎ落とし、持続と位相変化によって時間感覚を変容させるミニマルな音響へと接近していた。
この流れから見れば、ビートを再導入したマニュアル名義での新作は、一見すると後退のようにも映るかもしれない。しかし実際には逆である。アンビエント的探求によって獲得された時間感覚や音響処理が、本作においては、より複合的な形で再配置されているのだ。
ここで参照すべきは、近年進行している「ゼロ年代エレクトロニカ再評価」の潮流である。ボーズ・オブ・カナダ『Geogaddi』(2002年)、オウテカ(Autechre)『Confield』(2001年)、そしてフェネス『Endless Summer』(2001年)に代表される作品群は、デジタル処理やグリッチなどの電子音響を通じて、先鋭的なサウンドに抒情性やロマンティシズムを接続し、電子音楽の地平を大きく拡張した。現在、それらの作品が持っていた持続性や時間感覚は、過剰な情報と即時性に覆われた環境への対抗軸として再評価されつつある。
本作『True Bypass』は、そうした時代のムードに見合った、まさに期待通りの出来栄えだ。00年代エレクトロニカの語法を現在の音響環境へ適合させた、きわめて精度の高いアップデートとして機能している。テクスチュアとしての音の扱い、デジタル処理による空間構築といったエレクトロニカの基本語法は継承されているが、より透明度の高いミックスと精緻なサウンド・レイヤーによって、現代的なリスニング環境へと最適化されているのだ。
何より重要なのは、『True Bypass』におけるビートの大胆な導入である。1曲目“M2”の冒頭、フレッシュな質感のビートが鳴り始め、そこに透明なアンビエンスの電子音が重なった瞬間、「新しいマニュアル」の始まりを実感した。キックとスネアは輪郭を保ったまま反復され、その規則性は揺らがない。
2曲目“Goldmohn”では、穏やかなビートの上を、フォークトロニカ風のギター旋律が滑っていく。3曲目“Reset”はノンビートの楽曲で、シンセ・メロディが反復しながら進行し、後半ではその旋律も消え、柔らかなアンビエントへと変化する。
4曲目“Lumitone”では、穏やかな環境音に導かれるようにチルなムードが展開する。ミドルテンポのリズムとギター、電子音の絡みは、南国の桃源郷を思わせる。5曲目“Blue Plateau”も穏やかなトラックで、硬質なビートと夢の中で煌めくような電子音の交錯が、心身を静かに解きほぐしていく。6曲目“Padparadscha”は、乾いた電子音が転がるインタールード的な楽曲だが、その簡潔さも実に愛らしい。
7曲目“Iso”は、硬質なエレクトロ・ビートにポスト・ロック的ギターが絡む楽曲で、ある意味、本作をもっとも象徴する一曲といえるだろう。8曲目“Mezzo”はノンビートのアンビエント・トラックである。1分40秒ほどの短い曲ながら、耳の感覚をリセットしてくれるような心地よさがある。
9曲目“True Bypass”は、アルバム表題曲にふさわしく、明快なリズム、柔らかなアンビエンスの電子音レイヤー、明瞭な構成と、本作の特徴をすべて備えている。リズム層とアンビエント層の融合は実に繊細で、本作におけるミックスの的確さを堪能できる。10曲目“Viraha”では、緩やかなテンポのなか、細やかに組み上げられたビートと電子音のフレーズがレイヤーされていく。終盤ではビートが消失し、アンビエントへと移行する。
アルバム最終曲“Rain On Gravel”は、“Viraha”終盤のアンビエントを引き継ぐように、ギターと電子音による真夏の夕暮れを思わせるフォークトロニカを展開する。最後の2曲によって、初期作『Until Tomorrow』や『Ascend』へと円環するような感覚も立ち上がる。現在と過去が接続されていくような感覚を覚えた。
『True Bypass』の最大の特徴は、ビート/リズムがアンビエント的なサウンドと高精度で共存している点にある。ビートの導入自体は、かつて『Drowned In Light』などでも試みられていたが、それは部分的には機能していたものの、必ずしも完全ではなかった。サウンドがやや単純化してしまっていたからだ。
しかし本作は違う。透明な電子音響と明確なグルーヴが互いを阻害することなく構成され、両者はむしろ相補的に作用しているのだ。透明な電子音響と明確なグルーヴが高い精度で共存する本作は、エレクトロニカという形式の可能性をあらためて提示してみせた作品といえるだろう。
デンシノオト