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Fennesz

Abstract Drone Glitch

Fennesz

Mosaic

Touch /Pヴァイン

Amazon

野田努 Dec 25,2024 UP

 海、またしても海だ。サーファー映画からヒントを得たという『エンドレス・サマー』(2001)をはじめ、水の都『ヴェニス』(2004)、そして陰鬱な『ブラック・シー』(2008)に前作『アゴーラ』(2019)、そして本作『モザイク』……オーストリア人のギタリスト兼ラップトップ奏者はこれまでも海にちなんだ作品を制作し、アートワークにはたびたび海の写真が使われている。
 さて、まずは振り返ってみよう。いまから30年近く前の話だ。クリスチャン・フェネスは、敢えてこういう言い方をするが——「ポスト・オウテカ/ポスト・エレクトロニカ/ポスト・アンビエント」におけるグリッチ・ミュージックを代表するひとりとして我々の前に現れた。テクノロジーを間違って使うことで発生するサウンドの粒子をパレットとするこのスタイルは、テクスチャの快楽と作者の想像力なしでは楽曲たりえない。フェネスはそれを独自に、深みのある表現へと発展させることができた数少ないひとりだ。

 また、美術学校で音楽を学んだ彼は、90年代後半のウィーンの小さなコミュニティ——ピーター・レハーグ(通称ピタ)による〈Mego〉というレーベルを拠点とした、ユーロセントリックな電子の実験場の主要人物としても知られる。すなわち、英国産のエレクトロニカ台風から離れて、アカデミアでもなければテクノでもない欧州独自の回路を見出した一派、そこにはジム・オルーク、あるいはベテランのキース・ロウ、ブルクハルト・シュタングルのような即興家たちも合流した。この辺境(オルタナティヴ)において、フェネスはそして放浪者デイヴィッド・シルヴィアンと共演し、坂本龍一と共作したことはここ日本ではよく知られるところである。

 ピタ、オルークとのラップトップ・アンサンブルによる即興作品もいまだ根強い人気をほこっているが、彼の初期作品のほとんどはギターとエフェクトを駆使して作られている。そのセットはいまでも彼の主要機材で、彫刻に喩えられる彼の音響工作は、ドラムとベースがないどころか、多くのエレクトロニック・ミュージックと構造が異なっている。そして、なんと言っても彼には、数多の不協和音作品にはないメロディの再発見があり、受け入れるか否かはともかく、楽曲にはヨーロッパ的な美学、とくに古くから日本人が思い浮かべるようなそれが横溢しているようにぼくには思える。フェネスを聴くことはゲーテやトーマス・マンを読むことに近いとは言い過ぎだが、彼の音楽には詩的な美があり、生きることの葛藤があり、そして内的な深みがあることはたしかだろう。ただ、フェネスの音楽を聴いていつも感嘆するのは、その緻密さと大胆さが入り乱れた表現力だ。ロスコの抽象絵画が観る距離や鑑賞時の精神状態によって見え方が異なるように、フェネスの抽象音楽は聴く度に違って聴こえたりもする。

 本作『モザイク』、フェネスにとって5年ぶりのアルバムは、その微細なタッチで描かれる詩的描写と精神性が融和した力作だ。前作よりも、入りやすい。ことにアルバム冒頭の“Heliconia”は出だしが出色で、あざやかな幕開けがある。聴いて数十秒、目の前にはあたかも海(たとえばアドリア海)が広がるようだ。海中には、それこそ無数のテクスチュアがある。光と闇があり、重力と時間は変化する。うねるような音の循環、音の煌めき、複数のレイヤーが並走するなかフェネスらしいメロディが立ち上がる。そのじつに魅惑的な音響工作に対し、2曲目の“Love And The Framed Insects(愛と額装された昆虫)”のドローンは静的にはじまり、内省的に展開する。エーテル状に加工されたサウンドはゆらめき、他方では軋むようなグリッチが遠い記憶の向こうで鳴っている。この曲における速度を落とした感覚はその次の“Personare”にも感じられるが、こちらはよりダビーな残響のなかで抽象化される。 

 『エンドレス・サマー』のようなアルバムを出してしまったフェネスは、それ以降の作品すべてがその傑作と比較されてしまうという、ある意味不幸な状況にある。日本のアンビエント作家と呼ばれる人たちから「『エンドレス・サマー』は好きだけれど……」という言葉をぼくはなんど耳にしたことか。もっとも、そう言われるだけの代表作をもつアンビエント作家が何人いようか、とも言えるわけだが、まあそれはさておき、たしかにカリフォルニア西海岸の情景には、多くの人が感情移入できる牧歌性があった。しかし、海辺の情景がつねに黄金色であるとは限らない。4曲目の“A Man Outside”には寒々しい曇り空が広がっている、そんなふうに思える曲だ。よりミニマルに、しかも茫洋と続くこの曲のどこかでは雨も降っているのだろう。「海にいるのは、あれは、浪ばかり」(中原中也)——そんな感じである。

 終わらない夏は終わりつつある。神妙な響きをもったドローンに導かれながらはじまる5曲目“Patterning Heart(パターニングする心)”もまた感動的な作品だ。いまでも多くの電子音楽家に好まれている映画監督にアンドレイ・タルコフスキーがいるが、その映像におあつらえ向きの曲だと言えるし、ぼくはその重みにおいて坂本龍一の『async』との共鳴を感じた。しかしながら、アルバム最後の、謎めいた曲名の“Goniorizon”の荘厳さに関しては、いまはなんと言ってのかわからない。海に飛び込んで、哲学的な内省に向かっている、そう喩えていいものかどうか。それほどまでに聴いている人間の心に突き刺さる魔力がある。いずれにせよ、美を忘れることはない、奥深いヨーロッパの音楽。そして海、またしても海があると。 

(追記:日本盤のよろすず氏の解説はたいへん勉強になった。ここに書かれていることと一切重ならない。ファンには一読をお薦めする)

野田努