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新名義は日本語に訳すと「どんな天気であれ」。曲名はすべて摂氏。アンビエント作品にとりくむにあたり、天気や気温をテーマに選んだ時点でロレイン・ジェイムズに勝機はあったのだろう。なぜならそれらは、つねにわれわれの生活を「とりまい」ているものだからだ。例外はない。どんな場所に住んでいようと、どんな階級・人種・性であろうと、天候はわれわれの「周囲」にあり、その影響を否応なくわれわれは受ける。
新作でマスタリングを担当しているテレフォン・テル・アヴィヴ(やむをえないとはいえ、昨晩の来日公演中止は残念でした……)やバスなどのエレクトロニカ、あるいは mouse on the keys や toe といった遠い東洋のマスロックに惚れこんだロレイン・ジェイムズは、それらとはべつのところにいると思われているグライムや、リベラルの良識派から嫌忌されるドリルのストリート感覚さえもとりこんで、90年代エレクトロニカのスタイルをアップデイトしてきた。われわれはすでに2枚のクラシック、『For You And I』と『Reflection』を知っている。 全盛期の〈Warp〉なら間違いなく、なにを差し置いてでも契約していたアーティストだろう。
ファースト・アルバムの高層公営住宅の風景は、彼女がどこから来たのかを物語っている。二枚重ねの写真が指し示すそれは、彼女がけっして余裕があるとはいえない経済状況のなかDIYで音楽をつくりはじめた場所であり、その後ジェントリフィケイションによってコミュニティごと破壊されようとしていた場所だ。
郊外の公営団地に育ち、ラップをはじめる──のではない。彼女はIDMを愛し、それをわが音楽とした。文化的な観点からも、彼女の存在は因習打破的だ。労働者階級出身の黒人クィア女性が紡ぐ電子音は、天候が人間にとっての環境であるように、IDMやアンビエントが白人だけのものではないことを控えめながら、しかし強く主張している。
アンビエントといっても、新作を構成する4割くらいはビートを持った楽曲である。ドリルンベースの “17°C” は、90年代後半以降のエイフェックス•ツインやスクエアプッシャーへの愛を惜しみなく披露している。“0°C” におけるもの憂げなメロディとマシナリーなドラムの組み合わせは、もろにAIシリーズを想起させる。それだけだと懐古的に映るかもしれないが、ジェイムズ本人が歌う “4°C” や “30°C” では、声の響きとビート両面における現代的な冒険が繰り広げられている。かつて心酔した音楽へのリスペクトと、未知を探求する好奇心。
ノンビートの曲はどれもうっとりするほど美しい。アートワークどおりひんやりした空気を漂わせつつ、不思議なぬくもりをまとってもいる。どこかジャズっぽいコードのおかげかもしれない。寒くもなく、暑くもなく、夢見心地でありながら現実逃避的にはなりすぎず、うまく日常に寄り添いもするサウンド。前2作にあったラップがないかわりに、本盤は極上の心地良さを搭載している。『AMBIENT definitive 増補改訂版』が「2022年」のページで大枠に選出しているのもむべなるかな、今年上半期におけるエレクトロニック・ミュージックのクライマックスがここにある。
かつてイーノが「周囲の」とか「とりまく」といった意味のことばを初めて自作に冠したのが1978年。14年後、ビートのある音楽をもってそれを書き換えたのがエイフェックス•ツインだった。両者にないバックグラウンドを持つロレイン・ジェイムズは、その固有の感性で先人たちの試みを更新している。
小林拓音