Home > Reviews > Film Reviews > 『成功したオタク』
2012年から世界的な広がりを見せたK-POPのなかでもトップを切り、16年には韓流グループで初めてフォーブス誌の「世界で最も稼ぐ有名人100人」に選ばれたBIGBANGは日本の観客動員数も(2位の嵐をダブルスコアで抑えて)1位となるなど破竹の勢いで10年間を駆け抜けた……と思いきや、その年の暮にメンバーのV.Iがケータイを没取して女性たちとパーティをやっているという報道が出たと思ったら、そこからスキャンダル報道がとまらなくなり、翌年にはT.O.Pが大麻で逮捕、事務所の株価暴落、兵役で特別扱いに非難、19年2月にはV.Iが経営するクラブ、バーニング・サンで暴行事件、同クラブで麻薬と性犯罪の疑惑も取り沙汰され、V.Iは警察に出頭、3月に入ると隠し撮りしていたセックス・ヴィデオを芸能関係者8人がアプリで共有していたことが発覚し、V.Iは引退を発表、韓国よりも日本のファンがV.Iを擁護したことも話題になった。さらにアプリを運営していた歌手のチョン・ジュニョンも逮捕され、同アプリに登録していたHIGHLIGHTやFTISLANDのメンバーもグループを脱退もしくは引退。この時も日本のファンが脱退阻止を働きかけて話題となり、V.Iは資金の横領など計9件の容疑(売買春あっせん、買春、違法撮影物の流布、業務上横領、常習賭博、外国為替取引法違反、食品衛生法違反、特定経済犯罪加重処罰などに関する法律違反、特殊暴行教唆)で実刑を課され、昨23年には早くも出所、チョン・ジュニョンには7年の刑が言い渡された。一連の事件はバーニング・サン事件もしくはスンリゲート事件と呼称され、V.Iと警察の癒着も明らかになったため警察幹部も立件されたことで疑惑は警察組織全体へと広がっていった。韓流衰退の合図だったともされる同事件を題材に『ガールコップス』や『量子物理学』といった映画もつくられ、うまく逃げおおせたと考えられている特権階級に対しては手段を選ばずに追及する姿勢がいまも続いている。
ここまでのことは韓国では誰もが知っていて、それを前提につくられたドキュメンタリーが『成功したオタク』。チョン・ジュニョンがアイドルとして人気を博していたシーンを冒頭にちょっとだけ置いた以外は事件以後の余波が扱われ、彼らのことを「推し」ていた監督のオ・セヨンや他の女性ファンが自分たちの気持ちに整理がつけられず、怒りや虚無感、あるいはどう名づけていいのかわからない感情に振り回される場面が延々と記録されている。「成功したオタク」というのは「推しに覚えられるほど熱心なファンになった」という意味で(英題は『FANATIC(熱狂的)』)、セックス・ピストルズの親衛隊だったスージー・スーがデヴィッド・ボウイのようなメイクで有名になったプロセスとまったく同じ。そのようにして他のファンにも認識されるほど目立つファンになったことが、しかし、推しが(ここではバーニング・サン事件によって)ロクでもない存在になった途端に仇となり、「成功したオタク」だったことを悔いるようになっていく(ファンダムが崩壊した時に事態をどう受け止めればいいのかというケース・スタディというか)。「推し」というのは説明するまでもないけれど、ひいきのアイドルのことで、アイドルの応援を生きがいにすることは「推し活」や「推しごと」などと呼ばれている。「推し活」は人生を豊かにし、生き生きとしたものにしてくれ、たとえば鈴木愛理のソロ曲〝最強の推し!〟(https://www.youtube.com/watch?v=k8YRcE6BPNY)を観ると、「推し活」が無限大のパワーを与えてくれ、会社で出世し、政治家として成功する原動力になるものとして描かれている。基本的に「推し活」の背景には労働環境が劣悪で、働くことに喜びが感じられないという前提があり、そのような社会とのつながりを強化する効果が期待されている。社会に背を向けるような感覚は微塵もない。
オ・セヨンは他の女性ファンたちと語り合い、彼女たちの声を記録し、慰め合い、裁判を傍聴しに遠くまで出かけ、買い集めたグッズの葬式を行う。捨てられるようで捨てられない。過去に対する複雑な感情が思いもかけない角度から滲み出す。セヨンはバーニング・サン事件を報道したパク・ヒョシル記者に最初は罵声を浴びせたことを反省し、謝りに行く。ヒョシル記者はセヨンを優しく慰めてくれ、このような事件が起きてもなお「推し」を擁護するファンは「パク・クネ元大統領の支持者たちに似ている」と言われる。セヨンはパク・クネを支持する人たちの集まりに足を運び、「ファナティック」を客観視することができ、かつてのファンたちにこれ以上、カメラを向けても仕方がないことを悟る。どんどん内省的になっていくセヨンは、さらに自分の母親もまた#Me Too運動で自分と同じように「推し」が犯罪者として糾弾され、自殺したことに苦しんでいることを知る……
チョン・ジュニョンもパク・クネもいわば間違った指導者である。セヨンの言葉を借りると「推し活」というのは「(推しを)自分自身と同一視し限りなく信頼するという経験」で、「〝推し〟その人になりたい」という欲望へ発展していくという。それはおそらく指導者が他者ではなくなることを意味し、一種の神秘体験と同じ意味を持っている。ナチズムを研究した思想家、エリアス・カネッティは社会を構成する個々人には潜在的に接触恐怖があり、その恐怖から解放されたくて人々は群衆を形成するという(『群衆と権力』)。コミュニケーションがSNSなどの間接的な場で行われる頻度が増えれば、当然のことながら現実の生活において接触恐怖は増すだろうし、「群衆」も小規模なものが生まれやすくなる。「推し活」が増えるのもむべなるかなで、そうすれば間違った指導者と自分を同一視する機会も増えていくのは明らか。チョン・ジュニョンの例とパク・クネの例をここで重ね合わせているのはおそらく偶然ではないし、『成功したオタク』で描かれているのは、共同体が壊れたことで、むしろ、様々な接触が生まれていくプロセスである。複数で多様なコミュニケーションの増大。セヨンが最後に出会うのが、そして、母親だったという流れはそれこそ彼女がなぜ「推し活」に向かったかを示唆しているようで、かなりやるせない。
三田格