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「ポスト・アリーヤ」という形容は誇張でもなんでもない。ケレラ・ミザネクリストス。彼女は、多様化し、拡散し、たったいまも変化を続けているであろうR&Bの新たなる希望の星だ。〈フェイド・トゥ・マインド〉からフリー・ダウンロードでリリースされたケレラの処女作、『CUT 4 ME』がそれを証明する。『CUT 4 ME』は情熱的で、繊細で、実験的で、時にはダンサブルでもあり、そしてなによりもポップだ。ここではアンダーグラウンドからオーヴァーグラウンドへと食い込むであろう、力強く野心的なR&Bが花開いている。まあとりあえず、ダウンロード・アンド・プレイ・イット!(http://fadetomind.net/KELELA/)
さて。突如現れたインディ・R&Bのディーヴァ、ケレラの生い立ちに軽く触れておく必要があるだろう。
1970年代にアメリカへ移住してきたエチオピア移民の両親の元、ワシントンD.C.に生まれたケレラ・ミザネクリストスは、その隣州、メリーランドの郊外で育った。幼少時代はオーケストラでヴァイオリンを演奏する一方で、ナタリー・コールと南アフリカの歌手ミリアム・マケバとを並列で聴いていた。インタヴューではマイノリティとして育った環境についても語っている。「わたしはアメリカ人だと感じるように育った。でも、人々には絶えず『別物』にされたわ――そこには内面化されたレイシズムと、(移民)第二世代としての不思議な感じがあるの」。
彼女の滑らかで美しく、時には官能的な歌声の背後には、さまざまなシンガーたちがいる。かつてはマライア・キャリーやSWVのココの歌マネをし、ジャズ・シンガーを目指していた頃はサラ・ヴォーンやベティ・カーターを目標にしていたとも語っている。一方で、幼少時に聞いたジャネット・ジャクソンの『リズム・ネイション 1814』(1989年)、あるいはトレイシー・チャップマンのファースト・アルバム(1988年)は彼女のクリエイティヴィティやソングライティングを大いに刺激したという。
とりわけ彼女がインタヴューで度々言及するシンガーはグルーヴ・セオリーのアメル・ラリューとスウェーデンのバンド、リトル・ドラゴンのユキミ・ナガノだ。とくにリトル・ドラゴンの音楽は、彼女がソングライターとなる導線ともなったという。
ケレラの歌声には、『ザ・ヴェルヴェット・ロープ』(1997年)の頃のジャネット・ジャクソンに通じる繊細さと肌触りがある一方で、ユキミ・ナガノのような特異な出自に由来するエキゾチックな響きが同居している。ベース・ミュージックの急先鋒、〈フェイド・トゥ・マインド/ナイト・スラッグス〉のオールスターによる挑戦的なプロダクションもさることながら、ケレラの歌とソングライティングそのものにはR&Bのオルタナティヴを切り開きながらもメインストリームを歩もうとする野心が宿っている。
FACTのインタヴューでケレラは次のように言っている。「私はブランディをやりたいの。けどもっと風変わりにね。たいていの人に響くであろう何か、でもちょっと人を不快に感じさせるような何かを」。
そうした彼女の目論見と野心は『CUT 4 ME』というアルバムとなって結晶化した。
そもそも彼女を最初にフックアップしたティーンガール・ファンタジーとの"EFX"からして冒険的だった。激しく金属的に響き渡るパーカッションが絡み合うビート、分厚く折り重なる荘厳なシンセサイザー……そのなかでケレラは歌っていた。
一方で本格的なデビューとなった〈フェイド・トゥ・マインド〉の創設者、キングダムとのコラボレーション、"バンク・ヘッド"では、冷めたビートを包み込むように繊細なファルセットでもって、ケレラはパッションとチルとの狭間を漂っている。
エングズエングズによる"エネミー"(http://www.youtube.com/watch?v=79KDzkQoe4Y)はベース・ミュージックのストイシズムを感じさせるアグレッシヴなトラックで、ケレラのパッショネイトな歌唱と相まってひりつくような緊張感を湛えている。先ごろEP『エクストリーム・トレンブル』をリリースしたNA(a.k.a. エングズエングズのダニエル)の手になる“ドゥ・イット・アゲイン”は、ヒプナゴジックなシンセ・リフへ暴力的なパーカッションが介入する。〈ナイト・スラッグス〉のDJ、ボク・ボクの“ア・ライ”は、フィールド・レコーディングしたかのような自然音や鳥の声を敷き詰め、重たいエレクトリック・ピアノとケレラの歌声を中心に据えたアンビエント・ソングだ。
そして、昨年の『クラシカル・カーヴズ』で我々の耳を混乱させ、驚かせた〈ナイト・スラッグス〉のジャム・シティ。彼のプロダクションによる“キープ・イット・クール”は揺れ、唸るベースが支配するミニマルな構造を持っている。もう1つのジャム・シティによるトラック、『CUT 4 ME』の幕を閉じる“チェリー・コーヒー”は、音数をグッと削ぎ落とした非常に美しい静謐な曲だ。明滅する単音のシンセが1分間の空白を制し、やがて夜が明けるようにストリングスとベースラインがゆっくりと立ち現れる。2分を越えるまでケレラの歌声は聴こえてこない。やがて口を開いたケレラに、ピアノとインダストリアルなハンマー音が寄り添う。
『CUT 4 ME』はもちろん〈フェイド・トゥ・マインド〉のショーケースとしても楽しめるが、しかしケレラの歌声はあまりにも魅力的だ。インクやトータル・フリーダムが夢中になったのも無理はない(ちなみに『CUT 4 ME』はインクのダニエルとキングダムによってミキシングされているらしい(http://saintheron.com/music/interview-kelela/))。
ミックステープ『CUT 4 ME』は、一昨年のウィーケンドの『ハウス・オブ・バルーンズ』に匹敵するような、いやもしかしたらそれを凌ぐような衝撃をもたらしつつある(既にソランジュは主催するレーベル〈セイント・ヘロン〉のコンピレーションにケレラをフックアップしている)。ダンス・ミュージックの急先鋒たちによる野心的なトラックとケレラのエキゾチックで繊細な歌声との奇妙な均衡からなる『CUT 4 ME』は、まだ見ぬR&Bのオルタナティヴとポップの荒野を開拓する見事な傑作となった。
天野龍太郎