Home > Interviews > interview with Ravi Coltrane - 母アリス・コルトレーンの思い出
ジョン・コルトレーンの夫人にして、自らもピアニスト/オルガン奏者/ハープ奏者として活動したアリス・コルトレーン。ジョンの生前最後のバンド・メンバー及びコラボレーターで、1967年の死別後はソロ活動に転じ、〈インパルス〉や〈ワーナー〉などに数々の作品を残している。1970年代にはファラオ・サンダースやジョー・ヘンダーソンらと共演し、『プター・ジ・エル・ドード』(1970年)、『ジャーニー・イン・サッチダナンダ』(1971年)、『ユニヴァーサル・コンシャスネス』(1971年)など、現在のスピリチュアル・ジャズの源流となるような作品をリリースする。スピリチュアル・ジャズやフリー・ジャズと言っても、彼女の場合はインドの思想や音楽に影響を受けたメディテーショナルなサウンドが特徴で、一方『ジ・エレメンツ』(1974年)や『エタニティ』(1976年)ではエキセントリックな電化ジャズ・ファンクを見せ、1980年代以降の作品は宗教色やゴスペル色が強まり、ニューエイジ・ミュージックやヒーリング・ミュージックとして捉えられるものも少なくない。後進のミュージシャンにも多大な影響を与えてきたが、そうした後進にはジョンとの息子であるサックス奏者のラヴィ・コルトレーンがおり、そのはとこにあたるフライング・ロータスもアリスの影響を受けた血縁者のひとりである。
2007年に没するアリス・コルトレーンだが、生前の彼女は演奏活動以外ではヒンディー教に入信し、教育活動にも力を注いできた。1980年代は商業音楽から身を引き、教育や礼拝で使う音楽をプライヴェートで制作している。1982年に自主制作で発表した『トゥリヤ・シングス』もそうした作品で、オルガン演奏のほかに彼女の初めての歌声も聴くことができる貴重な録音だ。今年は〈インパルス〉の創立60周年を記念し、アリスの〈インパルス〉時代のアルバムが次々とリイシューされていくが、それと同時にこの『トゥリヤ・シングス』が新たに『キルタン~トゥリヤ・シングス』として蘇る。この初CD化に際してラヴィ・コルトレーンが企画に関与し、新たにミックスとマスタリングを施したものとなっているそうだ。そこにはある理由が存在するのだが、ラヴィ自身にその理由や『トゥリヤ・シングス』にまつわる話、さらにアリスとの思い出などを尋ねた。
リリースのタイミングがいまこの時期だったというのは、偶然なのかどうかわからないけど、世界がこの音楽を聴くタイミングはいまなんじゃないか、と思うんだ……。みんなをひとつにし、世の中を悩ませる物事に癒しをもたらすのではないかと思っている。
■この度アリス・コルトレーンが1982年にカセット・テープで発表した『トゥリヤ・シングス』が、『キルタン~トゥリヤ・シングス』として初CD化されます。当時アリスは商業的な音楽活動から身を引き、東洋思想に傾倒して宗教音楽や音楽教育に力を注いでいたのですが、このテープも音楽教育の一環として彼女の生徒たちに配るために作られたものでした。今回CD化をおこなうに至った経緯についてお聞かせください。あなたも参加したアリスの生前最後の作品『トランスリニア・ライト』(2004年)の制作中に、この音源が再発掘されたそうですが。
ラヴィ・コルトレーン(Ravi Coltrane、以下RC):そうだね、母が当時メジャー・レーベルの契約の責務を離れて、あらゆる意味でメジャーな音楽シーンから遠ざかって、スピリチュアルな道に突き進んでいた(註1)、という君の見解は正しい。母は1960年代も1970年代もスピリチュアルな方向性に動いていたんだけど、1980年代には完全にスピリチュアル方面に従事していたようだね。当時の彼女が作っていた音楽は、そのスピリチュアルなコミュニティに向けてのみ制作していたようだ。『トゥリヤ・シングス』は特に彼女のアシュラム(註2)のメンバーに向けてのものだった。カセットのみのリリースで、商業的なリリースではなかったんだ。そうした音楽は教育のものでもあったけど、彼女の生徒たちとコミュニティを高揚させるものでもあった。
註1:スピリチュアルについてはさまざまな意味があるが、そのなかに霊的なものや精神世界があり、現代では占星術やヒーリング、ヨガなどの分野から、カルト宗教やオカルト世界においても用いられる。アメリカでスピリチュアルに関する顕著な例として、1960年代から1970年代にかけて大きなうねりを生んだニューエイジ・ムーヴメントがあげられる。人間性の解放を謳うニューエイジ・ムーヴメントは、反戦運動やヒッピー・カルチャーといった当時の世相や風潮とも結びつきを見せ、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーが提唱したインドの瞑想思想とコミットして精神世界へ足を踏み入れていった芸術家や作家、知識人がいた。著名なところでザ・ビートルズ、シンガー・ソングライターのジョン・デンバー、女優のシャーリー・マクレーン、アップル創業者のスティーヴ・ジョブスなどがいるが、アリス・コルトレーンも時代的にこうしたニューエイジ・ムーヴメントの影響を受けたひとりだった。
註2:ヒンドゥー教における山間の僧院のことで、この場合はヨガなどのセミナーをおこなっていたと考えられる。
1970年代の母は年に数回に渡りインドへ旅をしていて、年によっては数回以上訪れたこともあった。そして行くと数週間滞在していたものだ。ヒンドゥー教などを学び、スピリチュアル・グル(註3)やアドヴァイザーなどを探し求めていた。伝統的なヒンディー語の曲や歌を学んだりしていくにつれて、自分でもその手の音楽の作曲をするようになった。サンスクリット語や古代のヒンディー語の言葉で歌われるような楽曲を作るようになったんだ。『トゥリヤ・シングス』というタイトルになったのは、20年以上の音楽キャリアを積んできた母が初めて自分の声をスタジオでレコーディングしたからなんだ(註4)。母はかなり若いときから音楽活動をしていて、1958年の後半から1959年にパリでしばらく活動をしたりした。そうしていろいろなキャリアを重ねていったから、この手の新しいタイプの音楽を作るという風になったときでも、もうすでにそれに対する準備は整っていたんだ。
註3:グルはサンスクリット語で師や指導者を指し、ヒンディー教における精神修養の先生を意味する。アリス・コルトレーンはグルのひとりであるサティヤ・サイ・ババに師事している。
註4:トゥリヤとはアリス・コルトレーンのヒンディー教の改宗名であるトゥリヤサンギータナンダを由来とする。
オリジナルの『トゥリヤ・シングス』を初めて聴いたときのことを覚えているよ。レコーディングがおこなわれた1981年、僕はまだ16歳だった。母の声をレコーディングとして聴いたことがなかったので、ものすごくパワフルな声で母が実際に歌っているということに驚いた。非常にユニークで豊かなアルトの音域だった。母がもともとリリースしたオリジナルの『トゥリヤ・シングス』は好きだったけど、2004年にいままでに聴いたことのなかったあるミックスを発見したんだ。オリジナルの『トゥリヤ・シングス』では聴くことがなかった録音を発見したんだよね。1982年のオリジナル版には重ね録りしたパートがたくさん入っているけど、2004年に発見したものは1982年ヴァージョンの元になったと思われる音源で、母の歌と自身でウーリッツァー(註5)を伴奏した録音が入っていただけのものだったんだ。ほとんどファースト・テイクで、修正などはほぼ入っていない作品だった。それに母はストリングスやシンセサイザーのアレンジ、嵐や風の効果音を付け足して1982年にリリースしたんだ。
註5:楽器メーカーのウーリッツァー社はエレクトリック・ピアノ、オルガン、シンセサイザーなど様々な鍵盤楽器を製作していたが、アリス・コルトレーンはセンチュラ・プロフェッショナル・オルガン・ウィズ・オービット・III・シンセサイザーというアナログ・シンセ内蔵オルガンの1971年製805型を愛用していた。
その歌とオルガンだけの元の音源を聴いたときに、僕はそれにいたく感動した。彼女のヴォーカルとウーリッツアーのパフォーマンスの深みのある感覚を体感できたんだ。いままで重ね録りをしていたことで聴くことができなかった細部がクリアに見えてきた。
そうして2004~2005年ぐらいからいままでずっと気になっていた音源だったんだ。できることなら重ね録りの部分が入っていない、アリスの歌と伴奏のみのこの最初のヴァージョンをリリースしたいと思っていた。これらのパフォーマンスには慈愛が感じられたんだよね。
これを聴くと僕は当時のみんなで集まる日曜日の礼拝に戻ることができる。母はオルガンの前で演奏し、このような歌をみんなで歌いはじめる。より直接的に、パーソナルな形で音楽と繋がる方法だと思ったんだよね。
■今回のCD化にあたってはウーリッツァーと歌声のみにフォーカスし、なるべく最初のテイクに近づけたミックスやマスタリングがおこなわれているそうですね。
RC:もともと『トゥリヤ・シングス』は1982年に個人的にリリースされたものだったけど、インターネットの普及によってシェアされたりして人の手に渡ってきた。そうしたこともあって、アリス・コルトレーンのファンはこの1982年ヴァージョンをすでに知っていると思う。多くの人たちはオリジナル・リリースのファンでもあり、この1982年のヴァージョンもみんな大好きなんだよね。
でも、僕が聴いてみて思ったのは、2004年に発見したファースト・テイクのオルガンとアリスの声だけのほうが、アリスの本当の世界を体験できるんじゃないかなということなんだ。実際に1980年代当時の母が演奏しながら先導するキルタンの礼拝に出るとこういう感じのものだったよ。場合によっては20~30名ほどの人びとが部屋のなかにいて、母がオルガンの前で演奏するという感じのものだった。当初はできればこのファースト・テイクを世に出したいと思っていたのだけれど、残念ながらそれはただのミックス・テープで、CDとしてきちんとリリースできるような録音状態ではなかった。
そうするなかで昨年に1982年版のマスター・テープ(1981年の録音時の24トラック・マスター)が見つかって、それを元にファースト・テイクに近づけるように編集することを思いついた。僕もリモートでミックスとマスタリング作業に立ち会って、こうして今回リリースする『キルタン~トゥリヤ・シングス』はファースト・テイクに近い形で歌とオルガンにフォーカスしたものになったんだ。これを聴くと僕は当時のみんなで集まる日曜日の礼拝に戻ることができる。母はオルガンの前で演奏し、このような歌をみんなで歌いはじめる。より直接的に、パーソナルな形で音楽と繋がる方法だと思ったんだよね。
■企画者、プロデューサーとして、いま『キルタン~トゥリヤ・シングス』を再リリースする意味についてお聞かせください。
RC:タイミングが全てだと思っている。物事というものは、それぞれが持つ適切なタイミングでおこなわれなければならないと思っている。『キルタン~トゥリヤ・シングス』は2004年とか、2005年とかにリリースされてもよかった。2010年、もしくは2015年にリリースされてもよかった。でも2020年、僕たちは地球上に住むうえでもっとも大変な時期をいま迎えていて、2021年も僕らはまだヒーリングを求めている。この惑星上ではヒーリングに対してのニーズが高まっているんだ。高い意識と人としての強いコネクションをみんな求めている。人類はひとつのファミリーとして、お互いを認識するようになっている。このような音楽は人びとをまとめてくれて、人びとのスピリットを高揚させると思う。リリースのタイミングがいまこの時期だったというのは、偶然なのかどうかわからないけど、世界がこの音楽を聴くタイミングはいまなんじゃないか、と思うんだ……。みんなをひとつにし、世の中を悩ませる物事に癒しをもたらすのではないかと思っている。
質問・文:小川充(2021年7月21日)