Home > Reviews > Live Reviews > Hazel English- @新代田Fever
ヘイゼル・イングリッシュの音楽は記憶の中で鳴っているみたいな音がする。あるいはそれは2010年代に差しかかった時代のUSインディの音の面影なのかもしれない。オーストラリア出身で現在LAを拠点に活動する彼女の音楽は初期のビーチ・フォッシルズにオールウェイズの輝きのフレバーを振りかけたみたいなもののように感じられるのだ。柔らかい光の投影のようなそれは最新作のプロデューサーDay Waveの音楽にも重なって感じる部分でもある。2枚のEPを合わせるようにして作られた最初のフルレングスの編集盤『Just Give In/Never Going Home』以来、再び彼と共に制作したという『Real Life』を聞いているとほんの少しだけ世界が色づいたような感覚に陥る。メロディアスなギターのフレーズに優しく憂いを帯びたヴォーカル、記憶のフィルターみたいなシンセの音、それは世界を変えるみたいな大げさなものではなくて、家に帰った後にお気に入りのTVが始まるみたいな子供の頃の帰り道のワクワク感や待ち合わせをしている友達のもとに向かっている時に感じる心地よい胸の高鳴りに近いのかもしれない。
そんなことを考えながら2025年のヘイゼル・イングリッシュの来日ツアー、最終日のライヴに向かう。夏のような暑さが続く6月後半の日、最新アルバムの曲をたくさん聞けたらいいななんて思いながらの道にやはり胸が高鳴っていく。こんな穏やかな興奮を味わえるのもきっと彼女の音楽の魅力だろう。
新代田のFeverの壁にヘイゼルの名前を見つける。入場を待つ会場も心なしかワクワク感に包まれているような気配がある。オープニングアクトは浮。始まった瞬間に会場の空気が変わる。静かに、心に波紋を描いていくギターの弾き語りはひんやりとした神社の石段の冷たさを感じながら聞く童歌のようだと思った。クーラーの風が冷たく沁みて思わず目を閉じたくなる。
そうしてしばらく置いて20時45分、バンドと共にヘイゼル・イングリッシュが登場する。シンセ・プレイヤーの姿はなく2本のギターとベースにドラムのベーシックな編成、だけどもドラム・セットがマーシャルのギター・アンプの横、ステージの端に置かれるというちょっと変わった配置。出囃子はなし。スゥっと入ってスッと始まる。そして70年代風のワンピースを着た小柄な彼女がギターを構えた瞬間、想像の世界の夏が訪れる。それはきらきらしていて柔らかな、ほんの少しだけ重力がなくなった世界の日々の思い出なのだ。オープニングトラックの “Make It Better” にしても続けて演奏された “More Like You” にしても憂いを帯びていて、いわゆるインディーポップの曲としてはしっとりしている。しかしその塩梅がなんとも心地良い。まるで雨上がりの水滴混じりの街のように、憂いを含んだ歌声がギターの輝きを反射してノスタルジックに曲を染める。
進行ミスすら愛おしく思える会場全体を包む暖かな空気もまた格別だ。バンドは曲を間違えてやり直す。でもそれすら嬉しく感じる。ゆるいのではなく暖かい、それは彼女の音楽が格式ばったところではない、何気ない日常と接続される場所から来ているからなのかもしれない。友達との会話で噛んだり言い間違えたりしたときにちょっと笑ってネタにしてそのまま話を続けるのと同じように、笑顔で一言声をかけてなにごともなくそのまま音楽が続いていく。そうやって演奏された “Other Lives” はオリジナルよりもずっと柔らかく優しいアレンジで、まるで硬さのあった初対面の出会いから気心の知れた仲になったみたいに思えて、日常からほんの少しだけ抜け出した幸福をそこに感じた。
ライヴ中盤、ギターを置き60年代のポップ・ミュージックに影響を受けたようなアルバム『Wake UP!』(赤い帽子と服が印象的なやつだ)から “Five and Dime”、“Shaking” と2曲続けて披露される。スタンドからマイクを外し、控えめに彼女は踊る。マイクを片手にゆらゆらと体を揺らす姿はこれ以上ないくらい曲にフィットしている。まるでレトロなテレビに映るポップ・スターみたいな様相で、だけども派手に主張することはなく曲に寄り添い音の隙間に入り込むように揺れていく。
このセクションの流れの中で披露された “There She Goes” もまた素晴らしかった。瑞々しくスッと突き抜けるようなラーズの原曲と比べて、厚みを出さずほとんどギター単独でゆったりと余白を作るみたいに演奏されるヘイゼル・イングリッシュ・ヴァージョンはやはり憂いを含み、そこに広がる空間に思い出を浮かばせているような雰囲気があった。こうやって聞くとこの曲は60年代的なフィーリングを多分に含んでいる曲なんだなと思わせられる。
そしてヘイゼル・イングリッシュには郷愁がある。「今日この辺りを散歩したんだけど凄く良かった。東京はいつも違った印象を与えてきて、訪れる度に探検してるみたいな気分になる」なんて言葉の後に演奏された “All Dressed Up” に強いノスタルジーを感じる。頭の中のアルバムをめくるようにして思い出が映し出されるタイプのノスタルジー。街には知らない誰かの記憶が刻まれている。ヘイゼル・イングリッシュの音楽の中にある憂いは失われた、あるいは遠く離れてしまった場所との距離なのだ。そうした感情がインディ・ポップ/ドリーム・ポップの淡い光の中に接続されて小さな幻想を生み出す。それこそがきっとこの心地よさの正体だ。
そんな風にしてこの理想の夏は終わりに近づいていく。待たせることなくすぐさま出てきてのアンコール。会場から「5モア」「10モア」の軽口が飛んで(あぁここからも会場を包む暖かい空気を感じる)ちょっとはにかんで「まだ私に飽きていないんだ」なんて言ってから演奏された最後の2曲はまた格別だった。不安に対処することについての曲だという “I'm Fine”。オリジナルとは違ったアレンジ。シンセの同期に頼らずにシンプルにギターを効かせ歌を聞かせる。そうやってギターと声の曇り空に切なさが滲み出す。構造的には “There She Goes” のカヴァーと同じような作りだけれど、 やはりヘイゼル・イングリッシュの声は奥行きがあって特別だ。
そして最後はダンスで終わる。再びギターを置き、バンド・メンバーを紹介した後「次で本当に最後の曲。日本のショーの本当に最後」と言って “Wake UP!” が演奏される。派手に飛び跳ねるような渦の中、笑顔を浮かべて別れてく。インタヴューで彼女は自分の曲を時間の小さなスナップショットみたいに捉えていると言っていたけれどこの日のライヴはまさにそれだった。暖かく優しくほのかに幸せ、ヘイゼル・イングリッシュの音楽は感情を撫で上げて頭の中に心地の良い日々の記憶を残していく。
文:Casanova.S