ele-king Powerd by DOMMUNE

MOST READ

  1. rural 2025 ──テクノ、ハウス、実験音楽を横断する野外フェスが今年も開催
  2. Jane Remover - Revengeseekerz | ジェーン・リムーヴァー
  3. Columns ♯13:声に羽が生えたなら——ジュリー・クルーズとコクトー・ツインズ、ドリーム・ポップの故郷
  4. Saho Terao ──寺尾紗穂のニュー・アルバムは『わたしの好きな労働歌』
  5. interview with Mark Pritchard トム・ヨークとの共作を完成させたマーク・プリチャードに話を聞く
  6. interview with aya 口のなかのミミズの意味 | 新作を発表したアヤに話を訊く
  7. MAJOR FORCE ——日本のクラブ・カルチャーの先駆的レーベルの回顧展
  8. Mark Turner - We Raise Them To Lift Their Heads | マーク・ターナー
  9. Hüma Utku - Dracones | フーマ・ウツク
  10. Mark Stewart ——マーク・スチュワートの遺作がリリースされる
  11. 別冊ele-king 渡辺信一郎のめくるめく世界
  12. interview with IR::Indigenous Resistance 「ダブ」とは、タフなこの世界の美しきB面 | ウガンダのインディジェナス・レジスタンス(IR)、本邦初インタヴュー
  13. interview with Louis Cole お待たせ、今度のルイス・コールはファンクなオーケストラ作品
  14. Big Hands - Thauma | ビッグ・ハンズ
  15. Jane Remover ──ハイパーポップの外側を目指して邁進する彼女の最新作『Revengeseekerz』をチェックしよう | ジェーン・リムーヴァー
  16. Joseph Hammer (LAFMS)JAPAN TOUR 2025 ——フリー・ミュージックのレジェンド来日、中原昌也誕生会にも出演
  17. caroline - caroline | キャロライン
  18. Sharp Pins - Radio DDR | シャープ・ピンズ、カイ・スレーター
  19. 青葉市子 - Luminescent Creatures
  20. DREAMING IN THE NIGHTMARE 第2回 ずっと夜でいたいのに――Boiler Roomをめぐるあれこれ

Home >  Reviews >  Album Reviews > Eiko Ishibashi- Evil Does Not Exist

Eiko Ishibashi

Soundtrack

Eiko Ishibashi

Evil Does Not Exist

Drag City

野田努 Sep 26,2024 UP

 映画とはやはり映画館で観るものだ、ということは身体全体で体験的に音楽を聴いているクラブ・ミュージックのファンにはとくに通じる話だろう。まあ、そう思っていてもじっさいは配信で観てしまうものだが、映画館という装置の、時間感覚の狂わせ方にはものすごいものがある。見終わって外に出たときのあの気持ち……。

 ぼくは冒頭でやられてしまった。雪が残る森のなかを天を見つめながら歩いていく。この詩的な、絵画のように美しくもどこか陰鬱なシーンが象徴的にずいぶんと長く続く。石橋英子の音楽が流れている。言いようのない複層的な気配に胸が高鳴った。それからおよそ1時間半後に物語は終わり、画面のエンドロールを眺めながら、いや、もうただ目を開けているだけで眺めてもいなかったのだが、とにかく衝撃のあまり、しばらくのあいだ映画館の椅子から起き上がることができなかった。何というか、多様な矛盾をすべて調和させるがごとく、『悪は存在しない』はじつに静的で(ありふれた日常で)あるがゆえに圧倒し、それはたしかに、ある意味では濱口竜介と石橋英子のコラボレーションと言えるような映画だった。

 飾り気のない天候、木々、風、空、雲、雪、川のせせらぎ、子供たち、山の生活。こうして言葉を並べると、まるで心穏やかな絵画のようなだが、そこに貫通する鋭い何かから血が流れている。そんな一筋縄ではいかない局面を直視して表現することが切実なものになるのは当然なのだろう。映画を観てからそれなりに時間が経っているというのに、アルバムの最初と最後のテーマ曲を聴いていると、いまでも思い耽ってしまう。

 “Hana V.2”も気に入っている。ジム・オルークのエレクトロニクスが、ぼくにはクラウトロックめいた澄み切った荒涼を呼び寄せる。短い曲だが“Fether”における物静かなピアノも、“Smoke”における山本達久の軽快なドラムも、“Deer Blood”の突き刺すようなストリングス(バイオリン、チェロ)でさえも、眠たくなるアート系映画と違って、ものごとの見方を揺るがし、夢から目覚めさせようとしているこの映画におおらかな光と影をもたらしているように思える。

 映画を、ほとんどなんの予備知識(あらすじや批評など)も無しに、ほとんどまっさらな状態で観たことが良かったと思っている。その映画の深遠さは、映像と音楽とともにあった。映画を観たからそこのサウントドラックも聴いてみたいと思った。そして『ドライブ・マイ・カー』以上に、今回は映画と切り離して聴くことが難しい。だから自分のなかの感傷的なところが、“Missing V.2”をついつい飛ばしてしまうのだった。とはいえ、音楽作品として聴いた場合、ここには多くの魅力があるのもたしかだ。じっさいぼくの友人には、映画は観ていないがこのアルバムを繰り返し聴いているひとがいる。

 また、ぼくはこの映画を解明したいと思わなかったと言えば嘘になるが(編集部コバヤシに、読むのに多大な忍耐を要するニーチェの『善悪の彼岸』まで借りたくらいで、いわく「人間が自然に従って生きようなんて、欺瞞!」)、いまはもう思っていない。ニーチェも途中で挫折したし、自分のなかで納得がいく言葉が出てくるまで、もう少し時間がかかりそうだ。

野田努