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Eiko Ishibashi

Soundtrack

Eiko Ishibashi

Evil Does Not Exist

Drag City

野田努 Sep 26,2024 UP

 映画とはやはり映画館で観るものだ、ということは身体全体で体験的に音楽を聴いているクラブ・ミュージックのファンにはとくに通じる話だろう。まあ、そう思っていてもじっさいは配信で観てしまうものだが、映画館という装置の、時間感覚の狂わせ方にはものすごいものがある。見終わって外に出たときのあの気持ち……。

 ぼくは冒頭でやられてしまった。雪が残る森のなかを天を見つめながら歩いていく。この詩的な、絵画のように美しくもどこか陰鬱なシーンが象徴的にずいぶんと長く続く。石橋英子の音楽が流れている。言いようのない複層的な気配に胸が高鳴った。それからおよそ1時間半後に物語は終わり、画面のエンドロールを眺めながら、いや、もうただ目を開けているだけで眺めてもいなかったのだが、とにかく衝撃のあまり、しばらくのあいだ映画館の椅子から起き上がることができなかった。何というか、多様な矛盾をすべて調和させるがごとく、『悪は存在しない』はじつに静的で(ありふれた日常で)あるがゆえに圧倒し、それはたしかに、ある意味では濱口竜介と石橋英子のコラボレーションと言えるような映画だった。

 飾り気のない天候、木々、風、空、雲、雪、川のせせらぎ、子供たち、山の生活。こうして言葉を並べると、まるで心穏やかな絵画のようなだが、そこに貫通する鋭い何かから血が流れている。そんな一筋縄ではいかない局面を直視して表現することが切実なものになるのは当然なのだろう。映画を観てからそれなりに時間が経っているというのに、アルバムの最初と最後のテーマ曲を聴いていると、いまでも思い耽ってしまう。

 “Hana V.2”も気に入っている。ジム・オルークのエレクトロニクスが、ぼくにはクラウトロックめいた澄み切った荒涼を呼び寄せる。短い曲だが“Fether”における物静かなピアノも、“Smoke”における山本達久の軽快なドラムも、“Deer Blood”の突き刺すようなストリングス(バイオリン、チェロ)でさえも、眠たくなるアート系映画と違って、ものごとの見方を揺るがし、夢から目覚めさせようとしているこの映画におおらかな光と影をもたらしているように思える。

 映画を、ほとんどなんの予備知識(あらすじや批評など)も無しに、ほとんどまっさらな状態で観たことが良かったと思っている。その映画の深遠さは、映像と音楽とともにあった。映画を観たからそこのサウントドラックも聴いてみたいと思った。そして『ドライブ・マイ・カー』以上に、今回は映画と切り離して聴くことが難しい。だから自分のなかの感傷的なところが、“Missing V.2”をついつい飛ばしてしまうのだった。とはいえ、音楽作品として聴いた場合、ここには多くの魅力があるのもたしかだ。じっさいぼくの友人には、映画は観ていないがこのアルバムを繰り返し聴いているひとがいる。

 また、ぼくはこの映画を解明したいと思わなかったと言えば嘘になるが(編集部コバヤシに、読むのに多大な忍耐を要するニーチェの『善悪の彼岸』まで借りたくらいで、いわく「人間が自然に従って生きようなんて、欺瞞!」)、いまはもう思っていない。ニーチェも途中で挫折したし、自分のなかで納得がいく言葉が出てくるまで、もう少し時間がかかりそうだ。

野田努