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暗い部屋、居心地の悪い場所、恥辱の物語、そんなものこだわる必要がアレハンドロ・ゲルシにはあった。
「そんなわけで、僕のこれまでの人生というのはずっとこう、思うに……“中間に存在する”っていう瞬間の集積なんじゃないかな。で、“中間点”っていうのは、普通はみんなが避ける場所なんだよ。というのも、ものすごく居心地の悪い状態だから」
2017年のele-kingのインタヴューにおいてゲルシはそう語っている。
自分にはアクセントがないとゲルシは言う。ヴェネズエラで生まれながら、ヴェネズエラの訛りなしの英語で話す。ふたつの言語をアクセントなしで喋っている。それは彼がアメリカにもヴェネズエラにも所属意識を持てないこととも関係し、また、ゲルシのジェンダー感覚にも及んでいる。“中間に存在する”ということ。それはアルカの『Xen』や『Mutant』における、ときには苦しみの籠もった過酷な電子音が描いたところであろう。
ゲルシは言う。「まず、“自分はドロドロの沼地の中に立っている”、そういう図を想像してみてほしい。で……そこは何やら暗い場所で、しかも沼は毒を含んだ有害なもので。その水に、きみは膝まで浸かっている。いや、もっとひどくて、胸までその水に浸かった状態、としよう。ところが、そんな君の頭上には、白い光のようなものが差している、と。だから、その有毒な水というのは、きっと……深淵や罪、そして悲しみすら表現しているんだよ」
アルカにおける抽象的で、他の誰とも違う電子音響や前作『Arca』におけるオペラまがいの歌も、ゲルシの痛みのヴィジョンであり、おおよそゲルシの自己表現である。自分を晒すことがそのまま表現に繫がるというのは誰にでもできることではないが、ゲルシにはそれができる。できてしまえる。あらためて“Nonbinary”のMVを見よう。半透明の身体の彼女は妊娠する。ロボットの外科医たちのメスが入るそのアナーキーなペルソナは、これまでのアルカ作品に見られた支離滅裂さに表れているが、しかし妊娠を果たした彼女が妖しく再生するように、4枚目のアルバムとなる本作『KiCk i』は、ひらたく言えばポップになっている。リズミカルで、ダンスホールで、しかもレゲトン(乱暴に喩えるなら、現代音楽やスカしたIDMの対極にある下世話でラテンなダンス)である。アルバムとして音楽的に、しかもアルカのテイストとしても整合性がある。
3曲目の“Mequetrefe”がとくに素晴らしい。それは突然変異したレゲトンで、ソフィーをフィーチャーした“LaChíqui”は異次元でうごめくIDMだ。Shygirlのファスト・ラップが入る“Watch”もそうとうにイカれたUKガレージで、破壊的なリズムがマシンガンのように音を立てている。ポップ……いや、過去の3作と比べればずっと間口が広いとはいえ、ゲルシの世界は変わらずそこにある。官能的だがなんとも言えない緊張感があり、あまりにも奇妙。しかもそれをゲルシはわかっていてやっている。ビョークも参加し1曲歌っているが、彼女のパワフルな声をもってしても……アルカの世界はアルカの世界として成立している。
前掲のインタヴューでゲルシはこうも言っている。
「たとえば僕が自ら“恥だ”と感じるような物事、それらを僕は……祝福しようとトライする、というか。自分を悲しくさせてきたいろんな物事、それらのなかに、僕は……美を見出そうとする」
これはわかりやすい作品解説に思える。彼の世界では、いや、誰の世界であっても、ダークサイドはある。が、そのなかにさえも“美を見出そうとする”ことはリスクもある。そうでもしなければ壊れてしまいそうな心があったとしても。
「だから単純に公平でニュートラルというのではないし、ただたんに“自分が楽に存在できる空間を作ろうとする”ではないんだよ。そうではなく、自分が自分のままで輝けるスペースみたいなものであり、かつ……自分は愛情を受けるに値するんだ、そんな風に感じられる空間、ということなんだ」
そういう意味で『KiCk i』は、その空間に初めて他者を招き入れることに成功している作品なのかもしれない。なにせここにはダンスがある。それにこの展開は驚きではない。アルカの音楽は異様で、ジェンダーを上書きしたとしても、彼女は自分を見失ってはいないのだから。
※ご存じの方も多いかと思いますが、ミックステープ作『&&&&&』がリマスタリングされて9月18日に〈PAN〉からリリースされます。
野田努