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Burial

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Burial

Tunes 2011-2019

Hyperdub / ビート

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髙橋勇人   Dec 09,2019 UP
E王

 この原稿を書いている今日12月2日の午前11時に、イギリスの諸大学では黙祷があった。先月29日にロンドン・ブリッジであった凄惨なテロの犠牲者(ふたりともケンブリッジ大卒の二十代の若者だった)を悼むためである。現在、大学はストライキ中なので、僕はキャンバスにはできるだけ立ち寄らないようにしている。なので家で1分間、目を閉じて、事件のことを思った。
 ロンドンとテロというと、意外かもしれないが、僕はベリアルのことを思い出す。2005年にロンドンで同時多発テロが起きたとき、ベリアルはダブステップのミックス・テープを聴きながら混乱する街を歩いていた。その時、音楽が街を癒していくように感じたと、彼は述べている。
 ベリアルの音楽とある種のアーバンスケープは切り離すことができず、その集合体は盤上に抽象的な何かを作り上げている。タイトル、雑踏、金属音、煙のようなクラックル・ノイズ、その他多くのパーツが、不可避的に見えない都市を浮かび上がらせてしまう。自分の作品から作り手の存在を意図的に消去し続けてきたベリアルだが、こればかりは作家性がにじみ出てしまっている。ひときわダークでエレガントで凶暴だったゼロ年代初期のダブステップ・サウンドに、崩壊しかける都市との相関性で癒しを感じたという強靭な感性の持ち主を僕は他に知らない。
 今作『Tunes 2011 to 2019』は、レーベルのボス、コード9が本誌インタヴューで語っているように、2011年から2019年の間にベリアルが〈Hyperdub〉からリリースしたソロ・シングルを網羅的に集めたものである。この期間に、ベリアルはゾンビーとの共作10インチ「Sweetz」(2016年)と、片面にコード9によるフットワーク・リミックスを収録した「Rodent」(2017年)が同レーベルから出ているものの、今作には収録されてはいない。
 デビュー・アルバム『Burial』(2006年)とセカンド『Untrue』(2007年)以降、彼はシングルを主なリリース形式として活動している。去年はコード9との共同ミックスを〈Fabric〉から出してはいるものの、サード・アルバムに匹敵するヴォリュームの楽曲集は出されてはいない。なので、このような形でこの8年間の音源を聴き返すのは、2019年にいたるベリアルのモードを考えるのに良い機会だ。

 というわけで、まずはこの8年のベリアルのキャリアを振り返ってみよう。この間、アルバムの発表こそなかったものの、ベリアルはソロ、共作、リミックスの発表を精力的に行ってきた。まずは2011年にフォー・テットとの共作の発表が、彼の〈Text Records〉からあった。ヴァイナルでのみリリースされたシングル「Moth/Wolf Cub」、さらにはそのコラボにトム・ヨークを迎えた「Ego/Mirror」を同年に発表(ベリアルとフォー・テットは、2007年に出たヨークの『The Eraser Remix』にも参加している)。そこにふたりによる「Nova」のリリースが翌年に続いた。特に最初の「Moth/Wolf Cub」の評価が高く、真っ黒なラベルの12インチ上で、ベリアルの跳躍するガラージのリズムが、フォー・テットの荘厳で流浪なメロディと有機的に響いている。ソロイストとしての彼のポテンシャルは、この3枚でさらなる他者性へと解き放たれたと言ってよいだろう。
 2015年にはベリアルの良き理解者でもある、マーティン・クラークことジャーナリスト/DJ/プロデューサーのブラックダウンが主宰する〈Keysound Recordings〉から、ホワイトラベルの12インチ「Temple Sleeper」を発表(なおベリアルは2006年にブラックダウンの“Crackle Blues”をリミックスしている。ちなみに冒頭の2005年のテロの話は、ベリアルがクラークに語ったものだ)。彼が得意とするUKガラージのリズムと、ハードコアのブレイクを巧みに行き来する一枚だ。2017年にボディカの〈Nonplus〉から リリースされたシングル「Pre Dawn/Indoors」は、おなじみのヴォイス・サンプルやクラックル音がスキルフルにエディットされてはいるものの、思い切ってテクノの4/4のリズムに舵を切った作品でリスナーたちを驚かせた。この二枚は、この間、ベリアルがかつてないほどリズム・コンシャスになっていることを裏付ける好例である。
 リミックス業にも触れてみたい。2017年に、クリプティック・マインズの片割れであるサイモン・シュリーヴが別名義モニック(Mønic)で自らのレーベル〈Osiris Music UK〉から発表したシングル「Deep Summer」にベリアルはリミックスで参加。原曲はヘヴィーに響くスローなアンビエント・テクノだが、リミックスでは風鈴のような生楽器のサンプルを主軸に、オリジナルで流れるヴォーカルのピッチを変調させ、叙情的な楽曲へと変化させている。こちらとは対照的に、同年に話題になったゴールディ“Inner City Life”のリミックスでは、荒々しいドラム・ブレイクに、バッド・トリップへと誘うようなシンセのループが重なる。2019年にリリースされたルーク・スレーターの“Love”のリミックスでは、静寂なリズム・パターンをアンビエント・ブレイクで演出することによって、原曲の多幸感が、ベリアル独自のうつむいた悦楽へと変換された。この三曲においても、ベリアルは自身の傾向を保持しつつも、クラブ・ミュージック史の踏襲と展開の両方をおこなっていることがわかる。つまり、彼は確実に次へ進んでいるのだ。

 この活動の並行線上に『Tunes 2011 to 2019』はある。合計17曲の2時間と29分の厚さだ。1曲ずつ聴いていこう。
 前半では、主にノン・ビートの荒野が広がっている。思い返せば、この8年の間、ベリアルのシングルは高い確率でアンビエントを伴ってきた。1曲目の“State Forest”は、今年リリースのダンス・トラック“Claustro”のカップリング曲だが、約8分にも及ぶ持続するシンセのレイヤーは、シングルで聴取体験以上に聴き手を深遠へと誘い混んでいく。
 そこに続く“Beachfires”と“Subtemple”は、二曲入りのアンビエントのみのシングルとして2017年にリリースされている。1曲目に連なるような持続に重視した形でプレイされる、ベリアル・サウンドに満ちた前者と比べ、後者ではゆっくりと様々な光景が移り変わっていく。ノン・ビートのみの構成に困惑する声も当時はあったと記憶しているが、いま振り返ると、パーカッションを捨て去った先で、自分の声を見つけようとする彼の葛藤が見えてくるようである。
 この1曲におけるムードの移り変わりは、自曲の“Young Death”でも顕著であり、雨の音と電子的にストレッチされたヴォーカルが、自然とデジタル環境を越境していくような錯覚をもたらす。立ち替りに現れる音像は多くを語る前に、次へ、次へと進んでいく。続く“Night Market”は、同様の移り変わりを、持続音的連なりとアルペジエイターによる演出で描いている。1曲のなかに複数の曲が何層にもわたって待機しているかのようだ。この二曲も同じシングル盤として2016年に世に出ている。
 楽曲たちは双極性障害、あるいは精神分裂を引き起こしているかのようだ。6曲“Hider”は、シガー・ロスのアンビエントを思わせるようなシンフォニーに、突如、80年代のクリスマス・ソングのようなドラム・リズムが挿入される。そして、そのムードはほぼ無音状態によって突如として破られ、暗鬱たる静寂に飲み込まれていく。異なるバラードたちが10分のなかで現れる7曲目の“Come Down To Us”も同様の傾向をまとっている。
 ここで、今作は前半のラストに差し掛かる。CDでいえば最後の2曲だ。ここで1曲目のカップリング曲“Clasutro”が登場し、UKガラージの高速リズム上で、アイコニックなR&Bサンプルが舞う。アンビエントにおける抽象世界とは異なり、ダンス・チューンとしての一貫性があり、かつはっきりとした展開もある。前半を締めくくる“Rival Dealer”は2013年に6、7曲目ともにシングルの表題曲としてリリースされた楽曲だ。タイトルに示唆されるドラッグ・ディーラーの争いの顛末を描くように、強い感情を鼓舞する、ハードなブレイク・ビーツがかき鳴らされ、中域で4/4ビートに合流し、最後は光が埋めくアンビエントへと回帰していく。
 後半、あるいはCD2枚目は、対照的にリズム・セクションがメインの楽曲が続いていく。2012年のシングル「Kindred」に収録された表題曲、“Loner”、“Ashtray Wasp”が冒頭を飾る。まずはダークでパワフルなビートを持つ“Kindred”は、『Untrue』期と、様々なジャンルのリズム・アプローチをおこなう現在のベリアルの橋渡しのような存在なのかもしれない。他の2曲にも、UKの音楽史のみを参照としない手法が溢れている。
 13、14曲の“Rough Sleeper”と“Truant”も2012年に一枚のシングルとしてリリースされている。楽曲名は、それぞれ「路上生活者」と「学校をサボる生徒」を指す。ロンドンを歩いていて、路上生活者を目にしない日はないし、昼間のどんな時間でも学校に行っているはずの子供たちが路上にたむろしている。同じリズムを基調としつつも、サンプル・エディットで様々な風景を見せる前者、全体のなかで珍しく響く後者のゆったりとしたビートは、リズムにおける空間と低音に違った角度でスポットライトを当てている。
 今作の最後を締めくくるのは、2011年に出たEP「Street Halo」の表題曲、“Stolen Dog”、“NYC”の三曲だ。このようにして俯瞰してみると、この選曲は2019年作の1曲目にはじまり、最後にはこの楽曲群で最も古い2011年のシングルが配置されている。これを時代錯誤(アナクロニズム)的な意図と捉えることもできるが、個人的にはこの3曲には、この17曲の中で最も思い入れがあるのでラストにふさわしいと感じた。当時、『Untrue』の次を待っていたリスナーにとって、これまでのアプローチとハウス的手法がミックスされたサウンドでベリアルが戻ってきたときは、作家の成長を感じさせるものだった。ゴリゴリのベースと深遠なヴォーカル・サンプルが響く1曲目も、BPMを落とされたガラージのブレイクビーツの3曲目も素晴らしいが、やはり“Stolen Dog”の聴き手を突き放さない、優しくも物悲しいメロディとリズム・ワークは、8年後の現在も色褪せていない。

 DJやライヴを一切やらず、インタヴューも受けず、表舞台に出ることは極力さけつつも、シーンの一部として共作やリミックスをおこなってきたベリアル。その一方で彼がひとりで見てきた8年間のサウンドスケープは、ここで触れてきたように、ノン・ビートとダンス・ミュージックの間で揺れ動き、様々なグラデーョンを生んでいる。その彼を貫くものを、どうやったら捉えることができるのだろうか。
 楽曲に頻出するクラックル・ノイズは、2017年に亡くなった評論家のマーク・フィッシャーが『わが人生の幽霊たち』(2014年)で述べているように、確かに、レコード盤上に蓄積した傷跡や埃が奏でる時間の重みをダイレクトに映し出す。だがそれと同時に、その音はときに雨や焚き火のように美しく、郊外から見える都市中心部の明かりのように孤独に輝いている。それは、楽曲の放つ時代性というよりも、イメージを抱える空間/場所性と強くリンクし、過去に憑依された現在という時間観の脱構築、という手法のみで捉えきれるものではない。この17曲でそれを強く感じた。我々はフィッシャーのベリアルを引き継ぎつつも、さらに作り手と一緒に前に進まなければいけないのかもしれない。
 クラックル・ノイズだけではなく、ゲームの効果音、自然音など、ベリアルの手法において、サンプリングはなくてはならい存在だ。彼はそのネタをユーチューブなどから探してくることでも有名で、オリジナル曲だけではなくカヴァーなども参照することもある。つまり、彼は原曲という「真正性」をまといがちな対象に寄り添う、カヴァーをする一般人たちにも愛の目を向けてきた。それはいわば寄食者たち(Parasite:フランス語ではいわゆるパラサイトとノイズも意味する。今年亡くなった哲学者ミシェル・セールの『パラジット』を少し念頭に置いている)のための音楽である。彼の音楽は、ネット環境やレコード文化、あるいはレイヴという、音楽が循環するネットワークを体現しつつ、そこに点在する普通の小さなものたちを抱握する。今作に現れる路上生活者、学校をサボるキッズ、盗まれてさまよう犬。それらも小さな存在であるが、同時に逞しさも備えている。クラックル・ノイズも音楽を媒体するものがなければ存在しえないが、楽曲におけるそのプレゼンスは大きい。ベリアルの描く都市は、そのような存在によって支えられ、同時にそれらを肯定し続けている。
 先日、今作の日本流通盤のライナーを書いている野田努が、この楽曲たちにおいて参照されるR&Bなどの原曲が、当時どのような場所で鳴っていたのかが、このコンピを通してよくわかったと言っていた。聴き返して僕もなるほどなぁ、と思い、そこから自分でも書き進めた。その意味でも、今作はただのベスト盤以上のポテンシャルを備えており、通して聴くたびに様々なことを考えさせられる。
 ベリアルの場所性は、シングル「Rival Dealer」やその他の彼のアンビエントのように支離滅裂にねじれている。ベリアルの持つセンサーはそれを察知し、彼の音楽はそれを映し出す。リスナーはそこに自分の記憶を接続する。フィッシャーがそうであったように、そこで初めて彼の音楽は鼓膜に誰かの幽霊を生む。音そのものは酷な時代が通り過ぎていく環境を映し出しているに過ぎない。そこには先ほどの寄食者たちがうごめいている。そのサウンドが人を癒し、強烈にダンスをさせる。今日、ベリアルを聴く意味は、このようにしても生まれてくるのではないだろうか。

髙橋勇人