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スプリングスティーン本人は本作を政治的なアルバムではないと説明している。だが、それはオバマの前でピート・シーガーと「我が祖国」を歌ったときのように直接的な政治への関与を目指しているわけではないということ。あるいは『レッキング・ボール』(2012年)のときに「We」で示した連帯のように直接的な表現を避けているということで、彼がずっと目をかけてきた庶民へのまなざしが失われているということではない。というより、カウボーイ・ハットをかぶってブックレットにたたずむスプリングスティーン69歳を見るだに、いまの彼がアメリカの「下」にいる人びとのことを考えているように思えてくるのである。
ここ数年とくに、彼は回顧的なムードを深めている。自伝の出版、『ザ・リバー』の35周年ツアー、そして自伝の内容をもとにしたブロードウェイ・ツアー(この模様は Netflix でも観られる)。老境に差しかかったロックンローラーが自身の人生を振り返りたくなるのは自然なことだが、しかしスプリングスティーンの過去に触れるということは、アメリカの普通の人びとが生きてきたあり様に触れるということでもある。『スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ』を観ていてつくづく感じたことだが、スプリングスティーンというロック・ヒーローが特異なのは、彼は自分の人生だけを生きていないということだ。彼が描いてきた庶民のメロドラマ、市井を生きる人びとのフィクションを通じて、光の当たらない片隅で生きる人間たちの生を一貫して鳴らしている。
アメリカの兄弟たちが国境を越え、昔のやり方を運んでくる
今夜は西部の星が再び輝いている
“ウエスタン・スターズ”
『ウエスタン・スターズ』はロック・アルバムというよりポップ・アルバムだと言われる。本人いわく「グレン・キャンベル、ジミー・ウェッブ、バート・バカラックといった70年代の南カリフォルニアのポップ音楽に影響を受けている」。得意としてきたロック・バンドのアレンジではなく、オーケストラを大きく導入したスタンダード・ポップスを思わせる音が詰まったアルバムである。なかでもジミー・ウェッブを思わせる瞬間が多く、フォークやカントリーを下敷きにしながらもシアトリカルなアレンジでどこかレトロな洒脱さを醸している。
アメリカでジミー・ウェッブを聴いていたのはどんな人びとだろうか。いまのスプリングスティーンと政治的に共鳴するようなコンシャスな人間や、現在のハリウッドで活躍するような典型的な「リベラル」ばかりではないだろう。というか、むしろ保守的な田舎でヒット・ソングばかりを聴いてきたような連中に向けて『ウエスタン・スターズ』は作られたのではないか。アートワークの馬とアルバム・タイトルははっきりと古き良き西部劇を想起させるものだが、それはアメリカのかつての開拓精神に拘泥する側の人びとの心情を射程に入れたものであるだろう。言い換えれば、メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン……の標語に惹きつけられてしまう側のことを、このアルバムは突き放していないのである。
けれども古き西部を思わせる本作で、スプリングスティーンは昔ながらの西部劇のヒーローを登場させない。いるのはしがないヒッチハイカー、年老いた西部劇俳優、苦悩するスタントマンといった、やはり片隅で生きる者たちである。彼らはそれぞれうまくいっていない人生のさなかで孤独を抱え、アメリカ西部のどこかを彷徨している。全体として歌のトーンとアレンジは軽快だが、描かれる物語はけっして明るいものではない。誰にも顧みられることのない者たちの、誰にも気に留められることのない感傷が現れては消えていく。“ドライヴ・ファスト(ザ・スタントマン)”の「2本のピンで固定した足首、砕けた鎖骨/鉄の棒が入った脚/それでなんとか歩くことができる」というフレーズを聴いて、あの悲しい映画『レスラー』を思い出さないのは難しい。古き良き西部劇を支えていたのは名もなき人間のくたびれた人生であったことを、スプリングスティーンは忘れていない。
かつて『ザ・リバー』を聴いて涙した者たちは『ウエスタン・スターズ』を聴いているだろうか。いま、アメリカでスプリングスティーンの歌を必要としているのは、豊かな多様性文化を経済的に余裕のあるところで楽しみ、アンチ・トランプに溜飲を下げるようなエスタブリッシュされた「リベラル」ではない。わたしたちがアメリカと聞いていまだに連想する荒野のどこかで、彷徨いながら生きる人びとだ。いまスプリングスティーンが民主党支持者の連帯のためのスローガンを引き下げ、懐かしいポップ・サウンドを鳴らしていることには何か強い気持ちがあるように思えてならない。
国内盤の対訳を担当した三浦久氏は終曲“ムーンライト・モーテル”の訳の難しさについて、時制が入り乱れていることをその理由として説明している。そこでは過去と現在が混ざり合い、溶け合っている。スプリングスティーンがずっと描いてきたはぐれ者たちの悲しみの物語が交錯するように。弾き語りのフォーク・ソング、優しい歌唱、歴史に名を残さない誰かへの慈しみ……。
木津 毅