ele-king Powerd by DOMMUNE

MOST READ

  1. 別冊ele-king 日本の大衆文化はなぜ「終末」を描くのか――漫画、アニメ、音楽に観る「世界の終わり」
  2. ゲーム音楽はどこから来たのか――ゲームサウンドの歴史と構造
  3. Columns ノルウェーのオイヤ・フェスティヴァル 2024体験記(前編) Øya Festival 2024 / オイヤ・フェスティヴァル 2024
  4. Nídia & Valentina - Estradas | ニディア&ヴァレンティーナ
  5. Columns ノルウェーのオイヤ・フェスティヴァル 2024体験記(後編) Øya Festival 2024 / オイヤ・フェスティヴァル 2024
  6. Fabiano do Nascimento and Shin Sasakubo ──ファビアーノ・ド・ナシメントと笹久保伸によるギター・デュオ・アルバム
  7. interview with Boom Boom Satellites 明日は何も知らない  | ブンブンサテライツ(中野雅之+川島道行)、インタヴュー
  8. Black Midi ──ブラック・ミディが解散、もしくは無期限の活動休止
  9. Columns Nala Sinephro ナラ・シネフロの奏でるジャズはアンビエントとしての魅力も放っている
  10. interview with Conner Youngblood 心地いいスペースがあることは間違いなく重要です | コナー・ヤングブラッドが語る新作の背景
  11. R.I.P. Tadashi Yabe 追悼:矢部直
  12. Overmono ──オーヴァーモノによる単独来日公演、東京と大阪で開催
  13. Loren Connors & David Grubbs - Evening Air | ローレン・コナーズ、デイヴィッド・グラブス
  14. K-PUNK アシッド・コミュニズム──思索・未来への路線図
  15. interview with Sonoko Inoue ブルーグラスであれば何でも好き  | 井上園子、デビュー・アルバムを語る
  16. MODE AT LIQUIDROOM - Still House Plantsgoat
  17. interview with Jon Hopkins 昔の人間は長い音楽を聴いていた。それを取り戻そうとしている。 | ジョン・ホプキンス、インタヴュー
  18. Mark Fisher ——いちどは無効化された夢の力を取り戻すために。マーク・フィッシャー『K-PUNK』全三巻刊行のお知らせ
  19. KMRU - Natur
  20. Wunderhorse - Midas | ワンダーホース

Home >  Reviews >  Album Reviews > Thurston Moore- Demolished Thoughts

Thurston Moore

Thurston Moore

Demolished Thoughts

Matador / ホステス

Amazon

松村正人   May 12,2011 UP

 何日か前のレヴューに野田努の書いたとおり、サーストン・ムーアの3枚目のソロ『デモリッシュド・ソウツ』はアコースティック・ギターを基調にした、ソニック・ユースの背景にあって彼らの音楽の厚みを保証する多様性を個人名義のバイパスを使い放出した2007年のセカンド・ソロ『トゥリーズ・アウトサイド・ジ・アカデミー』をさらに穏やかに、そのアンプラグド・ヴァージョンとでもいった風情にスライドさせたもの、ととりあえずいえるだろうが、枯れたアコギを前面にした音作りとウラハラにそこにはさまざまの音楽の旨味が響き合っている。

 プロデュースはベック。資料にも書いてあったサーストン版『シー・チェンジ』というのは本作アコースティックなアレンジのせいである。そのアルバムの前はソウル~ファンクをベック流に解釈した『ミッドナイト・ヴァルチャー』だったから『シー・チェンジ』に驚いたのだった。ところがサーストンの場合、『トゥリー~』と『デモリッシュド・ソウツ』の変化はたいして大きくない。『トゥリー~』にもストリングスもアコギも登場する。その12年前のソニック・ユースのアザーサイドとしてのファースト・ソロ『サイキック・ハーツ』と2作目の間の方がずっと飛躍してる。ストレートにパンキッシュな、そしてメジャー最後のアルバムだった『ラザー・リップト』をソニック・ユースが出した翌年のことである。反動がないわけはない。サーストンはもともと、レコード蒐集家のへヴィ・リスナーであり、反動のなかで音楽を作ってきたともいえる。ソニック・ユースでできないことを別バンドでやり他者と即興した。音楽を職業としながら音楽愛好家でいるには音楽のなかで精神のバランスを保たなければならない。それは私もあなたたちも同じではないか、と鼓舞される気持ちなるからこそ、私は彼の音楽を聴きつづけてきた。そのくせ彼の音楽は本質的にデビュー時から驚くほど変わっていない。バンドは変速チューニングしたエレクトリック・ギターを増幅した音響でソングライティングに腐心した。グレン・ブランカの薫陶を受けたからそうなったのではない。ソニック・ユースのノイズは数学的な倍数比が基底にあるブランカの音響よりアナーキーで、ケージやカーデュー、小杉武久、オノヨーコにちかい(彼らは『Goodbye 20 Century』でこれら作家の曲をカヴァーしているし、『サイキック・ハーツ』のテーマはパティ)。そしてポスト・パンクのスタイルで制御と非制御を行き来するにはアンプリファイしたギターが欠かせない。当然ながらソニック・ユースはその要件で16枚のアルバムを作ってきた。

 サーストンがアコースティックにもちかえたのはソロだからという理由はもちろんあるだろうが、それ以上にこれまでエレクトリック・ギターが担った音響を生楽器のアンサンブルでどう再現あるいは再構築するか、そういったテーマもあったにちがいない。サーストンのギターと歌、各種打楽器、ダブルベースにヴァイオリンとハープの、オーケストレーションというほど大きくない編成をバックに歌う歌は内省というほど主情的ではなく、静謐な祈りに似ている。私は以前、サーストンの新しいソロのタイトルは『ベネディクション』だとネットで見た気がする。幻だったらもうしわけないが、 1曲目が"ベネディクション(感謝の祈り)"だからまちがいなかろう。結局タイトルは"デモリッシュド・ソウツ(覆された考え)"になった。これはイアン・マッケイの弟のアレックが在籍したDCハードコア・バンド、ザ・フェイスの"It's Time"からの引用だが、誰が覆したかと問われればベックがそうしたのである。それを裏づけるように本作ではソニック・ユース的なけばだった不協和音はほとんど聴くことができない。もちろん通常の和声よりテンションは高いが、『デモリッシュド・ソウツ』のコード感はもっと甘美だ。ノーウェイヴ的なアウト・オブ・キー(それはつまり、オーセンティシティに対するカウンターでもある)より、ドラムとベースの重力、そこから逃れようとするヴァイオリンとハープ、その間をつなぐコードを織り上げる多重録音の生ギターが奥行きを作り、浮遊感にあふれている。その変化はけっしてラディカルにみえない。ノイズと轟音とエフェクトのファクターが消え、音楽的な成熟を思わせるのも一因だが、だからといって『デモリッシュド・ソウツ』を成熟の一言で片づけるわけにいかない。というか、エレクトリックをアコースティックに置き換えるだけで成熟するなら、90年代に流行ったMTVのアンプラグドがあれほど簡単に陳腐化することもなかったろうし、アコースティックの手法への表層的な理解にとどまることもなかっただろう。グランジ~オルタナの表裏だったニルヴァーナとソニック・ユースが90年代において、一方はカート・コベインの死後、はじめてだしたアルバムがアコースティックのライヴ盤であり、他方はそのブームに与しなかったのは、私は牽強付会を承知でいうが、象徴的に思える。サーストンが当時からゆうに15年経ってからアコースティック基調のソロを出したのはポスト・アニマル・コレクティヴの時勢で、アコースティック・ギターによるサイケデリック、ロウファイやアシッド・フォークの発展系としてのアコースティック・ミュージックが可能になったという暗黙裡の了解があったからだと思う。むしろ私はサーストンの音楽のつかまえ方に、14年ぶりの新作『マイ・ファーザー・ウィル・ガイド・ミー・アップ・ア・ロープ・トゥ・ザ・スカイ』を出し、来日公演を震災で中止したスワンズ、マイケル・ジラの〈ヤング・ゴッズ〉(つまり、デヴェンドラ・バンハートを筆頭にした一連の流れ)を踏まえた(宗教性を彷彿させるテーマ設定もふくめた)音楽的視座を連想した。

松村正人