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RIP

R.I.P. Wayne Shorter

R.I.P. Wayne Shorter

追悼:ウェイン・ショーター

小川充 Mar 09,2023 UP

 モダン・ジャズの黄金時代である1950年代末から1960年代、エレクトリック・ジャズやフュージョンによって新時代を迎えた1970年代、そして現代に至るまで、長きに渡りテナー・サックス奏者の第一人者として活躍してきたウェイン・ショーターが、2023年3月2日に89歳の生涯を終えた。1933年8月25日にニュージャージー州ニューアークで生まれたショーターは、チャーリー・パーカー、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーンファラオ・サンダースなどとともに、ジャズの歴史を動かしてきた真の伝説的なミュージシャンと言えるだろう。

 ウェイン・ショーターの活躍期間は大まかに1950年代末のジャズ・メッセンジャーズ加入から1960年代中盤のマイルス・デイヴィス・クインテット時代、1970年代から1980年代中盤にかけてのウェザー・リポート時代、ウェザー・リポート解散後から現在に至るソロ活動期と分けられる。演奏家のみならず作曲家としての高い評価も得て、グラミー賞も幾度となく獲得し、晩年は円熟した演奏を見せていた。遺作となったリーダー・アルバムの『エマノン』ではクラシックの室内管弦楽団と共演するなど、止むことなく進化を続けていたショーターではあるが、もっとも鮮烈な印象を残したのは1950年代末から1970年代前半にかけての、20代後半から40代の頃と言えるだろう。ショーターの作品は多岐に渡るので、個人的にもっともよく聴いたこの時期の作品を振り返りながら追悼の意を表したい。

 ショーターの名を知らしめした最初の一歩は、1959年のアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズへの参加だった。若手を育てることに定評のあったブレイキーの目にとまり、当代随一の人気バンドの演奏メンバーのみならず、音楽監督にも抜擢される。この頃のジャズ・メッセンジャーズは、ハード・バップ演奏とアフロ・キューバン的なリズムを主体とするファンキー路線を進んでいたが、マイルス・デイヴィスらによって編み出された当時のジャズの最先端のモード奏法をショーターはいち早く導入し、“ア・ラ・モード” や “ピン・ポン” といった楽曲を生み出した。同僚のフレディ・ハバード、リー・モーガンらとともにバンドの黄金時代を築くことに貢献し、『チュニジアの夜』『モザイク』『キャラヴァン』『ウゲツ』といった代表作を生み出している。ショーターはジャズ・メッセンジャーズの初来日時のメンバーでもあり、それ以来日本のジャズ・ファンにも親しまれる存在となった。

 ジャズ・メッセンジャーズでの活動によってショーターは自身の名前も広め、リーダー・アルバムも次々とリリースしていくようになる。1964年にジャズ・メッセンジャーズから独立し、ソロとなって〈ブルーノート〉で吹き込んだのが『ナイト・ドリーマー』で、ここでは中国民謡をモチーフにした “オリエンタル・フォーク・ソング” はじめ、当時のコルトレーンに共鳴するようなモード・ジャズを披露する。バックの演奏はエルヴィン・ジョーンズやマッコイ・タイナーらが務めており、後にこの “オリエンタル・フォーク・ソング” はロバート・グラスパーもカヴァーしている。他にもっとも美しいジャズ・ワルツのひとつである表題曲や、スタイリッシュという言葉がこれほどふさわしいが曲はない “ブラック・ナイル” と、クラブ・ジャズのDJたちからも愛される曲が収録される名作だ。続く『ジュジュ』も “マージャン” のような東洋志向を持つ楽曲があり、またこの頃のショーターが傾倒した黒魔術にフォーカスした表題曲と充実したアルバムだ。

 そして、同時期にショーターはマイルス・デイヴィスの第2期クインテットに加入する。以前からマイルスはショーターの才能に目をつけてグループへ誘っており、それがようやく叶ったのだ。ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスによる黄金のクインテットは、マイルスの歴史の中でも燦然たる輝きを放ったが、それは作曲家としてのショーターの傑出した能力によるところも大きい。実際、マイルスはショーターの作曲能力に惹かれ、グループに彼を招き入れたわけである。第2期クインテットは『E.S.P.』『マイルス・スマイルズ』『ソーサーラー』『ネフェルティティ』といったアルバムを残し、その中でショーターは “ピノキオ” “プリンス・オブ・ダークネス” “サンクチュアリ” などの楽曲を提供している。なかでも印象的な楽曲は “フットプリンツ” で、『マイルス・スマイルズ』で演奏したほかに、自身のソロ・アルバムの『アダムス・アップル』でも披露している。宇宙の孤独を思わせるような漆黒のモーダル・ジャズで、ポスト・バップとなる新主流派ジャズを象徴する1曲だ。

 新主流派ジャズを牽引したのはショーターのほか、ハービー・ハンコック、フレディ・ハバード、トニー・ウィリアムス、ロン・カーター、アンドリュー・ヒル、ボビー・ハッチャーソンらで、マイルス・クインテットはほぼ新主流派ジャズのバンドとなる。そして、ハンコック、ハバード、カーターらと録音したショーターのリーダー作『スピーク・ノー・イーヴル』も新主流派の代表的なアルバムだ。表題曲はじめ、モダン・ジャズという音楽の洗練を極めた形がここにある。もちろん、ジャズは年々進化してはいるが、ある意味で完成形はこの時点ででき上がっていた。新主流派はモード奏法の発展形と言えるものの、ときにフリー・ジャズやジャズ・ロックに接近する面もあり、前衛的なアプローチの一方でメインストリーム寄りの表現をするなど幅広い側面もあった。たとえば前述の『アダムス・アップル』を例に取ると、“フットプリンツ” や “チーフ・クレイジー・ホース” のようなモード・ジャズから、ジャズ・ロックの表題曲、ラテン・ジャズの “エル・ガウチョ” と多彩な楽曲がある。こうした多彩な音楽性、柔軟さもショーターの音楽を象徴するものだった。

 柔軟な音楽性を持つショーターだからこそ、ジョー・ザヴィヌルの実験的なエレクトリック・ジャズ・バンドのウェザー・リポートに参加し、1970年代のジャズの新しい潮流を生み出した。そして、ウェザー・リポート時代の1975年に発表したソロ作『ネイティヴ・ダンサー』も特筆すべきアルバムだ。そもそも1960年代から『スーパー・ノヴァ』などでブラジル音楽への興味を示していたショーターだが、『ネイティヴ・ダンサー』ではミルトン・ナシメントやアイアートらと組み、本格的なブラジリアン・フュージョンを披露している。ミルトン作の “フロム・ザ・ロンリー・アフタヌーン” や “ポンタ・デ・アレイア” など、ジャズとブラジル音楽が結びついた最高のアルバムの一枚である。1960年代後半はときに呪術的で難解なイメージを持たれたこともあったショーターだが、ここでのプレイはジャズを知らない人にもよくわかる、とてもメロディアスで抒情的なもので、余分なものをそぎ落としてスッキリとした姿を見せてくれる。ショーターのアルバムを聴くなら、真っ先にお勧めしたい一枚だ。ちなみに、ミルトンとの共演を勧めたのはショーターの2番目の妻であるアナ・マリアで、アルバムのなかでも彼女に捧げた “アナ・マリア” を演奏している(アナ・マリアは1996年に飛行機事故で亡くなった)。この美しいバラードをショーターへの鎮魂歌として捧げたい。

小川充

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