Home > Interviews > interview with Autechre - 来日したオウテカ──カラオケと日本、ハイパーポップとリイシュー作品、AI等々について話す
『Untilted』は、たくさんのハードウェアを使ってはいるものの意図的にシーケンスされた作品なんだ。96〜97年頃からはじまった、構成をどんどん緻密にしていく長い章の、いわば最後の部分だった。『Quaristice』は、そこから再び自由さへと戻っていく動きを反映した作品だった。それはいまのぼくたちにも繋がっているよ。
■昨年、『Untilted』と『Quaristice』というアルバムがリイシューされました。どちらも2000年代の力作なんですけれど、あらためて現在の視点から、これら二作にどういった感想をお持ちでしょうか。
S:かなり違う感じの2枚だよね。『Untilted』を作った頃は、個人的にかなりつらい時期だったんだ。父が亡くなった直後でね。その頃は、ものすごく細部まで作り込むタイプの制作をしていて、ドラムマシンを大量に使っている時期だった。ちょうどElektronのドラムマシンを使いはじめた頃で、そうしたハードウェアをどう使うか、いろいろな方法を探っていた。ぼくは、感情的にかなり厳しい時期にいるときほど、すごくテクニカルな作業に没頭する傾向があって、それが自分にとっては救いになるんだよね。注意を別のところに向けるという、ある種の対処法みたいなものなんじゃないかな。だから、『Untilted』にはそうした要素が詰め込まれていると思う。
一方で、『Quaristice』は、全然違うレコードになった。あれだけ長い時間を掛けて、ああいった制作をしたことへの反動のような作品だと思うんだ。それに加えて、ぼく自身の生活にもいろいろな変化があった。引っ越しをして、新しい場所でしばらくぶりに一人で暮らすようになって。ちゃんとしたスタジオも持っていなかったから、ライヴ用の機材をそのままテーブルの上に並べて、ライヴでやっているのと同じやり方でトラックを作っていったんだ。実は、そこがいまのぼくたちに繋がる起点になったと思う。その時点で、ぼくたちがライヴでやっていたことが、少なくともレコードとしてリリースしてきた作品と同じくらいには完成度が高い、という点に気付いたんだ。それで、『Quaristice』ではその境界線を意図的に曖昧にしたいと思ったんだよね。2008年にアルバムに合わせて制作したライヴセットをツアーに持ち出したとき、観客から「アルバムよりライヴの方がいいね」と言われてしまって。それが、ぼくたちが自分たちのやり方を少し違った角度から考えはじめるきっかけになった。ある意味で、『Quaristice』は、1990年代前半から1996年くらいまでぼくたちがやっていたことへの回帰でもある。当時は、すべてがライヴで、一発録りだったからね。マシンのなかにパターンを入れて、それをライヴで走らせて、パターンの切り替えもミックスも音の微調整も、すべてリアルタイムでやっていたんだ。これはDAWのようなデジタル・オーディオ・ワークステーションが登場する前の話だね。だから、その場で一発で録音するしかなかった。『Quaristice』は、かなりそのやり方に寄せた作品なんだ。もちろん編集はしているけれど、ライヴ的な作業が非常に多い作品だったよ。

『Untilted』

『Quaristice』
S: それに対して『Untilted』は、たくさんのハードウェアを使ってはいるものの、非常に意図的にシーケンスされた作品なんだ。だから、『Untilted』は、’96〜’97年頃からはじまった、構成をどんどん緻密にしていく長い章の、いわば最後の部分だったと言えるんじゃないかな。『Quaristice』は、そこから再び自由さへと戻っていく動きを反映した作品だった。それは、いまのぼくたちにも繋がっているよ。
いまでも僕たちは、何がライヴで何がリアルタイムで、何が自発的な即興なのか、その境界が曖昧な領域を探り続けている。現代のテクノロジーによって生まれる、そうした不思議な“どこでもない空間”にとても興味があるよ。作曲と即興が同時に成立するような状態にね。
最近ようやく理解しはじめたのは、作曲というものには明確な始点があるわけじゃない、ということなんだ。多くの場合、最初は即興的なアイデアからはじまるよね。たとえ紙に音符を書くとしても、そこには必ず即興性が含まれている。それを認識することが、ぼくたちにとっては本当に大きいことだったんだ。以前から薄々はわかっていたけれど、初期の頃は技術的な選択肢がなかったから、敢えて問い直すこともしなかった。でも、いまはDAWが普及して、極端に意図的な制作方法が当たり前になっている。だからこそぼくは、ラフさや即興性、未加工の生々しさにより強く惹かれるようになったんだ。物事があるがままに起こる感じ、そのことにとても興味があるよ。コンピュータというのは、どうしても人を意図的な思考へと導いてしまう。
ぼくたちが自分たちでソフトウェアを作っている理由もそれだ。DAWをまったく使わないわけではないけれど、ぼくが本当に興味があるのは瞬間を捉えることだから。瞬間というのは、とても貴重なものだ。それが年齢のせいかどうかはわからないけどね。昔の作品を聴き返すと、ああした一回限りの、風変わりな選択の瞬間が聴こえてくる。ほとんど再現不可能な出来事がたまたま起きて、それを記録出来た感じだよ。そのことは、本当に価値のあることだと思っている。『Quaristice』は、そうした瞬間を、技術的な制約にとらわれず、意図的に選んでやった作品なんだ。その後のアルバムほど成功したとは言えないかもしれないけれど、間違いなく正しい方向へ進む第一歩だったと思うね。
R:うんうん。実質的には“ランタイム無制限”みたいなものだよね。面白いのは、タイトルがほとんど同じに見えることなんだ。トラック同士も、ちょっと似たような感じがあるし。だから、誰かがどのヴァージョンの話をしているのか、聞き間違えたり読み間違えたりして、混乱することもあると思う。でも、それで良いというか、むしろそういう状態を楽しんでいるんだよね。たとえば、一箇所を聴いていて、「あれ? こっちは9分あるけど、自分のは4分しかないぞ」って気付いたりする。すると、ところどころは正確にわかるんだけど、「ああ、こう来るのか、なるほど」みたいな。そういう聴き方やその感覚自体を、ぼくたちは面白がっているんだよ。
S:その頃、ぼくはアート・オブ・ノイズのことを考えていたんだ。’80年代にすごく好きだったし、彼らがやっていたこと……とくにトレヴァー・ホーンがグループに関わっていた時期の作品には、かなり影響を受けていると思うんだよね。後期の作品にも言えることだけど、とくにその時期のアート・オブ・ノイズのトラックには、ものすごくたくさんのオーバーラップするヴァージョンがあったんだ。たとえば“Moments in Love“”なんて、合計したら90分くらいの別ヴァージョンがあるんじゃないかな。あまりに数が多いから、いま自分が聴いているのがどのヴァージョンなのか、正確に判断するのが難しいくらい。違いはほんの些細な部分だけ、という場合も多くて。
でも、ぼくはそういう状況がとても好きなんだ。聴き手が少し混乱する感じ。いまどの地点にいるのか、どの展開に入ったのかがはっきりわからないような感覚。聴き手が次はこう進むはずだ、と思っていた方向とは、ほんの少し違う展開をする。そういうことが起こるのが、ぼくは面白いんじゃないかと思っているんだ。物事が反復的で、しかも決定版が存在しない、という考え方が好きだから。ひとつの正解のヴァージョンがあるわけじゃなくて、ただたくさんの異なるヴァリエーションがある。それは、たとえば同じ出来事を目撃した複数の人が、それぞれ違う証言をすることに少し似ているね。みんなが、自分なりのヴァージョンを持っている、という感じかな。
AIに欠けている要素というのは、思いついたことを試して、すぐに録音することで生まれる生々しさだよ。
■AIの問題をどうお考えですか? BandcampがAI作品を排除することを公表しましたが、あなた方は現時点でAIというものをどう考えているのか教えてください。
S:えっと、あとどれくらい時間残ってる(笑)?
■(笑)
S:かなり壮大な話題だからね(笑)。えー、まず、当然だけど、盗用は良くない。テック系の連中が、他人の作品を片っ端から盗用しているようなケースは明らかに問題だし、それについてはわざわざ言うまでもないね。Bandcampがああいう判断を下した理由も、そこにあると思う。ただ、それだけではなくて、もっと深い議題がいくつもあると思うんだ。ぼくにとって、AIに関する最大の問題は、既存の作品を学習データにしているという点だ。つまり、AIは探索的ではなく、参照的なんだよね。それ以上のことはしていない。その意味で、正直あまり面白いものじゃないと思う。
とはいえ、誤解して欲しくないのは、機械学習(マシーン・ラーニング)やそれに近い技術の使い方には、いまテック野郎たちがやっていることとはまったく異なる、正当で創造的な道筋もあるということだよ。そうした使い方のなかには、将来的に実りのあるものも存在すると思う。実際、ぼくたち自身もこの15年くらい、文脈は違うけれど断続的に機械学習を使ってきた。いま主流になっているTransformerモデルが登場する前から、コンピュータ・ミュージックの世界には、機械学習を使う幾つかの方法が存在していたんだ。でも、いまみたいにどこかにログインして「こんな感じのトラックが欲しい」と入力したら、他人の音楽の寄せ集めみたいなトラックが返ってくる——そういうものには、僕はまったく興味がないね。
それからもうひとつ重要なのは、AIが多くのアーティストの生計を脅かしているという点だ。これは決して軽い気持ちで言っているわけじゃなくて、非常に大きな問題だと思っているよ。ただ、ぼくたち自身に関して言えば、恐らくそこまで深刻な問題にはならないと思っているんだ。僕たちの仕事は、基本的に探求的で、これまでに聴いたことのないものを試してみて、それを自分たちが好きかどうか判断する、というところにある。その好みや判断の要素が、Transformerモデルには完全に欠けているんだ。だから、ぼくたちは今後も、これまでと同じようにやっていけると思う。但し、影響が出るとすれば、誰かがぼくたちの音楽に辿り着く可能性の方だろうね。とにかく大量の音楽が溢れかえることになるから、それは誰にとっても問題になるだろう。
皮肉なことに、AIに欠けている要素というのは、まさにこの10年……15年、いや20年くらい、ぼくたちが意識的に取り組んで来たことなんだよね。それは粗さや即興性、思いついたことを試して、すぐに録音することで生まれる生々しさのことだよ。そういう、制作のダイナミクスは、僕たちが自然に辿り着いたものだけれど、結果的にそれは、大規模な言語モデルが音楽を作るやり方とはほぼ真逆に位置している。だから、ある意味では、ぼくたちはかなり運が良い立場にいるとも言えるね。ただ、AIという言葉は、あまりにも広域過ぎる。Transformerモデルの話に限るなら、あれ自体に本当に問題が多いし、ひどく参照的で、聴く気にもならない音楽を大量に生み出すことになる。そういうものがストリーミング・サービスや、ヨガ用のプレイリストなんかを占拠することになるだろう。でも、そこはぼくvの居場所じゃない。そういう世界が存在していることは理解しているけどね。だからまあ、ぼくたちはヨガのプレイリストのリスナーを多少は失うことになるかもしれないけど(笑)、正直、そう言う人たちは音楽そのものを気にしているわけじゃないだろうから。結局のところ、ぼくたちのやっていることにほとんど影響はないだろうね。
一方で、もっと広い意味では、AIは有用なツールにもなり得ると思っているんだ。特定の用途に於いてはね。データのなかのパターンや類似性を見つけることには向いているし、音のカタログ化や、DJミックスの中で相性の良いトラックを見つける、といった使い方も出来るよね。あるいは、大量の音楽を学習させて、ひとつのトラックのなかからレイヤーを分離するなんていう用途もあって、実際にそうした使い方はすでに増えている。慎重に使えば、機械学習はとても強力なツールになり得るんだ。でも、いまの億万長者のテック連中は、全然慎重な使い方をしていない。考え得る限り、いちばん雑で無責任な使い方をしているよ。結局のところ、問題は技術そのものじゃなくて、それを使っている人間と、その使い方なんだ。
『Confield』は、いまでは発売当時ほど過激な作品ではなくなっているけれど、それでも音楽でここまでやれる、という可能性を垣間見せてくれるアルバムだと思う。

『Confield』
■では、最後の質問です。前回インタヴューしたときに、「15歳の若者にオウテカのアルバムをプレゼントするとしたら何にしますか?」という質問をしました。そのときの答えは、ファースト・アルバムの『Incunabula』と当時の最新アルバムの『Sign』でした。いま、同じ質問をしたらどれになりますか?
S:良い質問だね。いまだったら、そうだな……正直、前回とは同じ答えにはならないかもしれないね。う〜ん……『Confield』かな。15歳くらいの若者には、もう少し背伸びしてもらってもいいんじゃないかと思うんだ。『Confield』は、いまではぼくたちにとっての転換点として語られることが多いアルバムだけど、当時の僕たち自身は、そこまで意識して作っていたわけじゃなかった。でも、なぜいまそういう語られ方をしているのかは理解できるよ。いまのメインストリーム文化も、たしかにいろいろな刺激や挑戦を提供してはいるけれど、必ずしも正しい種類の挑戦ばかりではないと思うんだ。だからこそ、『Confield』は、彼らのとっての良い入り口になるかもしれない。発表から十分に時間が経ったいまでは、当時ほど過激な作品ではなくなっているけれど、それでも音楽でここまでやれる、という可能性を垣間見せてくれるアルバムだと思う。25年前に作られた作品だということを考えると、さおさらだね。あのアルバムは本当に、まったく異なる時代の産物だったんだ。
R:うん、それでいいと思う。ぼくもその意見に賛成だね。仮にあのアルバムがひとつの転換点だとするなら、過去を振り返りながら同時に未来を見渡すのに、これ以上相応しい作品はないんじゃないかな。
S:そうそう、ちょうど蝶番みたいなものだね。
R:そう、ちょうどその言葉を使おうと思っていたんだ。でも、当時はそういう瞬間だなんて気付かないものなんだよね。
取材:野田努(2026年2月11日)