Home > Interviews > Run The Jewels - ラン・ザ・ジュエルズは何がすごいのか
エル・Pは「黒さ」という価値観に従属しないところが際立っていたというか、音もサンプリングの仕方が独特でプログレを彷彿とさせるサウンドが生まれたり、トレント・レズナーやマーズ・ヴォルタとも共演したりとロック寄りでもある。 (吉田)
黒いグルーヴじゃなくて、インダストリアルとして表出したのが、エル・Pとカンパニー・フロウの特異性だったんですよね。(二木)
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前作がさまざまなメディアで年間ベストに選ばれたヒップホップ・デュオ、ラン・ザ・ジュエルズ。かれらがついに3枚めのアルバムを発表しました。ポリティカルなメッセージを発する一方で、じつはダーティなリリックも満載、そのうえトラックはかなりいびつ。にもかかわらずチャートで1位を獲っちゃうこのふたり組は、いったい何者なんでしょう? いったいRTJの何がそんなにすごいのか? このデュオのことをよく知る吉田雅史と二木信のふたりに、熱く熱く語っていただきました……そう、あまりに熱すぎて長大な対談に仕上がってしまいましたので、前後編に分けてお届けします。まずは前編をご堪能あれ。
二木信(以下、二木):小林くん(編集部)からのメールの中で、「カンパニー・フロウやエル・P、〈ディフィニティヴ・ジャックス〉、ラン・ザ・ジュエルズは欧米の音楽メディアやUSのヘッズには高く評価されているけど、日本ではそこまで評価されていない。その理由とは何か」という問いがありましたよね。でも実は日本のコアなヒップホップ・リスナー、特にヘッズと言われる人たちの間ではカンパニー・フロウとか〈デフ・ジャックス〉、〈ローカス・レコーズ〉って確固たる人気があると思うんですよ。そもそもがインディペンデントでアンダーグラウンドな音楽だから、例えばいまでいえばケンドリック・ラマーとかと比較するとそこまで人気がないように見えるんですけど、日本のアンダーグラウンドのリスナー、ヘッズの間ではカンパニー・フロウ、〈デフ・ジャックス〉、〈ローカス〉の影響はいまだに根強いと思いますね。おそらく小林くんが言いたかったのは、エル・Pのリリシズムや言語表現の文脈が日本の中で理解されて伝わっていないんじゃないのか、ということじゃないですか。そこは僕も非常に興味深い点で、今日は吉田さんにもいろいろ教えてもらいたいなと(笑)。まず、エル・Pのリリシズムは英語がネイティヴの人が聴いたり、読んでも難解な側面があると思います。わかりやすいストーリーテリングではないし、それこそフィリップ・K・ディックとか、トマス・ピンチョン、テリー・ギリアムからの影響を公言するようなラッパーですし、サイエンス・フィクション色が強く、ディストピアめいた世界を描いていたりもする。だからまず、英語がネイティヴではない人間にとってはリリックの難解さは大前提としてありますよね。
吉田雅史(以下、吉田):そうですね。だから先ほど指摘のあったように日本でも受け入れられていたというのは、実はリリック面の特異性が評価されたというより、サウンド面も革新的だったからそこだけでも十分に評価されたということですよね。だけど実際アメリカではサウンド以上に評価されているのは、さっき仰っていたみたいにやっぱりリリックであり、ボキャブラリーであるわけで。カンパニー・フロウの曲で最初に注目を浴びて日本にも入ってきた12インチが「Eight Steps To Perfection」で、そのエル・Pのヴァースは、1979年のSF映画『ブラックホール』に登場する「マクシミリアン」というロボットを冒頭から引用しながら「俺をマクシミリアンと呼んでくれ/狂ったロボットだ/宇宙空間の端っこを彷徨いながら/ブラックホールに飲み込まれるまで/弾丸をばら撒くようにラップする」というラインで始まるんですね。この曲がリリースされた1996年の状況としては、まず数年前の1993年にウータン・クランのファースト・アルバムがリリースされて、ある種サブカル的なものを取り入れたと。
二木:カンフーとかね。
吉田:そうですね。ウータンはそのことによって、新しいボキャブラリーを持った奴らが出てきたというふうに思われたところがあった。エル・Pはその前例を経た上で、サイファイ的なボキャブラリーや世界観を取り入れる形で、ヒップホップにサブカルを持ち込んだということですね。たとえばギャングスタとかストリートといったそれまでの価値観とは全然違う抽象的かつサブカルを引用したスキルフルなラップで、しかもあのサウンドという。
二木:ドロドロ・サウンド。
吉田:そうそう。で、当時のニューヨークで現場を見ていた人間から話を聞くと、本当にカンパニー・フロウ以前と以後で世界が変わったような感じで、ものすごく衝撃的だったと。何を言っているかよく分からない抽象的で難解なライムだけど、やたら攻撃的で、しかもフィリップ・K・ディックの世界を参照するようなSFフレイヴァーも入ったリリックをスピットする白人ラッパーが現れた衝撃ですよね。ブラック・ミュージックの系譜でSF的と言うと、連想されるのはいわゆるアフロ・フューチャリズム的な想像力や、サミュエル・R・ディレイニーのような作家だったりすると思うんです。一方でエル・Pは「黒さ」という価値観に従属しないところが際立っていたというか、音もサンプリングの仕方が独特でプログレを彷彿とさせるサウンドが生まれたり、トレント・レズナーやマーズ・ヴォルタとも共演したりとロック寄りでもある。RTJ(ラン・ザ・ジュエルズ)の音もブラック・ミュージックというよりもダンス・ミュージック、クラブ・ミュージックの系譜ですよね。日本でもヒップホップと言ったときに、非ブラック・ミュージック的なダンサブルなサウンドにラップが組み合わさるものは珍しいと思うんです。共演もしているダニー・ブラウンの異質さなんかもそういう意味では近いのかもしれないですけど(笑)、だからRTJも、いわゆるヒップホップ・ファンというより、ダンス・ミュージックの系譜としてマニアックな層に聴かれることが多いのかなという気もします。
RTJはポリティカルだから知的と捉えられる向きがあって、もちろんそれは間違いじゃないんですけど、エル・Pの知性に関していえば、言葉にしても音にしても文脈を理解した上で意味をいかに組み替えていくかという発想力にあると思う。(二木)
二木:だから、カンパニー・フロウが『Funcrusher』(1996年)や『Funcrusher Plus』(1997年)をリリースして登場したとき、日本のコアなヒップホップ・リスナーに大きな戸惑いを与えつつ、そのいびつなサウンドがかなり求心力を持ちましたね。というのも、当時はパフ・ダディによるヒップホップのビッグ・ビジネス化や、ティンバランドのいわゆるチキチキ・ビートが席巻しはじめた時代で、そういう流れやサウンドに乗れないヘッズたちが彼らに可能性を感じてのめり込んでいったのはあると思う。ただ、いまあらためて『Funcrusher』や『Funcrusher Plus』を聴き直して印象的だったのは、エル・Pのビートはサンプリング・ヒップホップに忠実だったんだなということでしたね。
吉田:そうですよね、あくまでもブレイクビーツの打ち換えとネタのオーソドックスなスタイルで。時代背景的にもニューヨークではサンプリング・ベースのビートが主流で、まだシンセ・サウンドを足すようなケースはあまり見られなかった時期ですしね。
二木:例えばDJプレミアのフリップへのリスペクトを感じるし、その手法をいかに自分なりに解釈して表現するかという挑戦をしているように思いましたね。それが結果として、黒いグルーヴじゃなくて、インダストリアルとして表出したのが、エル・Pとカンパニー・フロウの特異性だったんですよね。エル・Pはブルックリン生まれですが、彼はセント・アンズ・スクール(Saint Ann's School)という芸術系のプライヴェート・スクールに通っていた経験があるんですよね。バスキアとか、ビースティ・ボーイズのマイク・D とかも通っていた学校らしいんです。元々そういった芸術志向があって、ヒップホップというアートフォームの中で言葉と音でどこまで、何を表現できるかを模索していたように思いますね。
吉田:そうですね。カンパニー・フロウの2枚目の『Little Johnny From The Hospitul: Breaks & Instrumentals Vol.1』はインスト・アルバムじゃないですか。エル・Pは元々少年時代にラップをしたかったからビートメイクを始めたと言っていますが、インスト・アルバムをリリースするくらいにビート・メイカーとしての自意識もかなり強いわけですよね。先ほども言ったようにサンプリング・ビートの時代だった当時、カンパニー・フロウの頃はエンソニックのEPS16+というサンプラーをメインに、サンプリングのアートを追求していた。当時、例えばDJプレミアとか、ATCQ(ア・トライブ・コールド・クエスト)とかがやろうとしていたことって、複数のレコードからネタを持ってきて、それらを重ねてもキーやリズムがうまくあってハーモニーやグルーヴが生まれるという、どちらかと言うと調和に重きが置かれていたわけですよね。この曲のこの部分と、また別の曲のこの部分がこんなにうまく融合するぞ、みたいなことじゃないですか。
二木:まさにトライブの『The Low End Theory』(1991年)ですよね。
吉田:そうそう。ATCQの最初の3枚は、それを体現してますよね。
二木:あの作品のエンジニアであるボブ・パワーは「ヒップホップ版の『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』だ」とも言っていますね。
吉田:そうですよね。エル・Pはそれに対してある種逆をやろうとしたというか。いびつさの美学とも言うべき、調和の対極を目指したところがあったと思うんです。昔ミスター・レンやビッグ・ジャスがインタヴューで言っていたのは、デモ段階ではクソみたいなビートらしくて(笑)。聴けたもんじゃないみたいな。それが最終的に仕上げる段階で素晴らしいものに生まれ変わるらしいんですよね。要するにデモの段階での制作プロセスは、ゴミクズを集めて何か造形できないか、みたいなことを彼はやっているイメージですよね。だからサンプリング・ネタも明らかにグルーヴがあって音楽的な旋律を成しているようなものではないという。本人もいわゆるネタの掘り師というわけではないと言っていますが、どこにでもある価値のないレコードのネタを生まれ変わらせる錬金術に長けているというか。“Population Control”とか“The Fire In Which You Burn”のように、旋律のないノイズっぽいネタに、ドラムの打ち方も変則的でヨレたビートというか、クオンタイズせずにグリッドに合ってないんだけど、それを当時積極的にやっていたのはRZAとかエル・Pくらいでしたよね。
二木:たしかに。
吉田:それをどこまでずらしたらイケるかとか、ハットを打たないで変則的にやってみるとか、エル・Pはビートメイクは「実験」だし、1曲完成までに5回も6回もやり直すと言っていますが、カンパニー・フロウの初期の方が、権威のない素材からいびつなビートを造形するという、直接的にアートっぽい作り方をしている気はしますよね。
二木:聴いている側に驚きを与えようというか、そういう意図はかなりあったと思う。エル・Pのインタヴューで「El-P’s 10 Favorite Sample Flips」って記事があって。読まれました?
吉田:はいはい、ありましたね。
二木:これがすごく面白くて、その『エゴトリップランド』の記事を『探究HIP HOP』というブログをやっているGen(ocide)AKtion(@Genaktion)さんが日本語に訳していて。この記事を訳していることが本当に素晴らしいんですけど。この中でエル・PはDJプレミアが手がけたジェル・ザ・ダマジャの“Come Clean”や、ラン・DMCの“Peter Piper”とか、エド・OG・アンド・ダ・ブルドッグスの“I Got To Have It”とか、マーリー・マールがアン・ヴォーグの“Hold On”をサンプリングしたLL・クール・Jの“The Boomin' System”とかを挙げて、サンプリングの真髄について熱く語っていくんです。Gen(ocide)AKtionさんの訳をそのまま引用させてもらうと、エル・Pはサンプリングに関してこんなことを言っているんです。「サンプリングというモノの大きな役割は、人々の予想を裏切る所にあるんじゃないかと思うんだ。知的に物事を変化させるって事さ。使うべきだとは思えないモノを使用し、いざそのサンプルを使った時に皆が他の曲を加えたがる場合は、敢えてそのやり方に背く事でね」。まさに「ゴミクズ」を集めて新たなものを生み出すサンプリングの発想ですよね。“Peter Piper”はボブ・ジェームスの“Take Me to the Mardi Gras”をサンプリングしているんですけど、ここでエル・Pはリック・ルーヴィンが“Peter Piper”を作った偉業を知るためには“Take Me to the Mardi Gras”の一部のブレイク以外がどれだけダサいかを知らなければいけないとも語っているんですよ。RTJはポリティカルだから知的と捉えられる向きがあって、もちろんそれは間違いじゃないんですけど、エル・Pの知性に関していえば、言葉にしても音にしても文脈を理解した上で意味をいかに組み替えていくかという発想力にあると思うんです。吉田さんが磯部(涼)さんと大和田(俊之)さんと作った本(『ラップは何を映しているのか――「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで』)の中でエル・Pについて語っていましたけど、彼はフリー・スタイルで出てきたリリックを並べ替えたりしてヴァースを作ったりもするそうですよね。
吉田:そうそう。あれもカット・アップの手法ですよね。
二木:そう、彼はカット・アップの手法にすごく忠実にやっているというのがすごく面白いところで。
吉田:だからそういう意味ではウィリアム・バロウズなんかも好きかもしれない(笑)。
二木:そうですよね。
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