ele-king Powerd by DOMMUNE

MOST READ

  1. The Bug vs Ghost Dubs ──そしてダブの時代は続く……ザ・バグとゴースト・ダブズのスプリット・アルバムがリリース
  2. Jeff Mills ——ジェフ・ミルズ「Live at Liquid Room」30周年記念ツアー開催決定!
  3. Dopplereffekt ──30周年を迎えたドップラーエフェクトが〈Tresor〉から新作をリリース
  4. Columns Oneohtrix Point Never 『Tranquilizer』 3回レヴュー 第一回目
  5. アンビエント/ジャズ マイルス・デイヴィスとブライアン・イーノから始まる音の系譜
  6. Columns なぜレディオヘッドはこんなにも音楽偏執狂を惹きつけるのか Radiohead, Hail to the Thief Live Recordings 2003-2009
  7. Oneohtrix Point Never ──新作の全貌が待たれるワンオートリックス・ポイント・ネヴァー、2026年4月に来日公演が決定
  8. スピリチュアル・ソウルの彼方へ〜マイティー・ライダースという奇跡のアルバム〜
  9. 別冊ele-king Pファンクの大宇宙──ディスクガイドとその歴史
  10. 音楽学のホットな異論 [特別編:2] 政治的分断をつなぐ──ゾーハラン・マムダニ、ニューヨーク市長選に勝利して
  11. TESTSET - ALL HAZE
  12. LIQUIDROOM ──恒例の年末年始カウントダウン・パーティが開催、今年は石野卓球×踊ってばかりの国×Dos Monos
  13. R.I.P. D’Angelo 追悼:ディアンジェロ
  14. DUB入門――ルーツからニューウェイヴ、テクノ、ベース・ミュージックへ
  15. J.Rocc ──〈Stones Throw〉のJ・ロックが2年ぶりに来日、ジャパン・ツアーを開催
  16. Kieran Hebden + William Tyler - 41 Longfield Street Late ‘80s | キーラン・ヘブデン、ウィリアム・タイラー
  17. Geese - Getting Killed | ギース
  18. Tocago - 2025年10月17日 @恵比寿KATA2025年11月6日 @代田橋FEVER
  19. Adrian Sherwood ──エイドリアン・シャーウッド13年ぶりのアルバムがリリース、11月にはDUB SESSIONSの開催も決定、マッド・プロフェッサーとデニス・ボーヴェルが来日
  20. 〝サッカーの子〟を育てる──綾部美知枝と清水のキセキ

Home >  Reviews >  Album Reviews > 竹村延和- knot of meanings(意味のたま)

竹村延和

ElectronicExperimental

竹村延和

knot of meanings(意味のたま)

Thrill Jockey/HEADZ

Amazon

デンシノオト Oct 15,2025 UP

 2025年、私たちは再び竹村延和の新作アルバムを聴くことができる。この出来事を「僥倖」と呼ぶべきか、それとも「喜ばしい権利」と言うべきか。長い時間の流れの中で訪れた「必然」として静かに受け入れるべきなのか。いずれにせよ言葉は不要かもしれない。ただ耳を澄ませ、この音楽を繰り返し聴けばいい。竹村延和の新しい音が、いままたここにあるのだから。とはいえここでは何か書かなければならない。さて、どうすれば。

 今作『knot of meanings(意味のたま)』は、2014年のオリジナル・アルバム『Zeitraum』以来11年ぶり、さらに2015年の個展『アインハイト』のための作品『Music for the exhibition Einheit』からも10年ぶりとなるフル・アルバムである。断続的に更新される竹村のブログを追い、音の再始動を待ち続けてきたファンにとっては、まさに待望のリリースだ。オリジナルは米レーベル〈Thrill Jockey〉、日本盤は〈HEADZ〉から発売される。作曲・演奏・プログラミング・録音・編集のすべてを竹村自身が手がけ、ゲスト・ヴォーカルとして日本人シンガーdoroが参加している。
 もっとも、この10年を「沈黙」と呼ぶのは正確ではない。竹村にとってそれは、音と世界のあいだに耳を澄ますための時間だった。音を発表しないことは、音を探究しないことを意味しない。むしろ微細な響きを拾い、構造を実験し、音を再び形にする──その試行錯誤の積み重ねこそが、いま結晶として現れた『knot of meanings(意味のたま)』なのだ。
 タイトルの「意味のたま」とは、「音が意味を超えて存在する」という理念を象徴している。言葉にできない核のようなもの、複数の音や時間が結び合う結節点。それが「意味のたま」だ。竹村の音楽にはつねに「ひとつの音にいくつもの時間が宿る」という独特の時間感覚がある。それは旋律や進行に沿う線的な時間ではなく、音の粒子が干渉し合いながら生成する非線形の時間。まさに「意味のたま」という名にふさわしい。
 2016年から2024年にかけて録音された全18曲(日本盤はボーナストラックを含む19曲)は、竹村が10年間かけて紡いだ「意味のたま」の集積である。聴く者は、ただ経過する時間ではなく、重なり合う多層的な「時」の流れを体験することになる。特定のスタイルに縛られない構成は、まるで竹村自身の「音響図鑑」と呼ぶにふさわしい。
 竹村の音楽は、スティーヴ・ライヒやブライアン・イーノが探求した反復と生成の構造、ロバート・ワイアットが声の揺らぎで表現した時間感覚と共鳴している。同時に、カンタベリー系ジャズ・ロック、フランスのチェンバーロックZNR、〈クレプスキュール〉周辺のニューウェイヴなど、室内楽的な音楽の系譜にも連なっている。短音のアンサンブルが生む豊かさ、軽やかなピアノの響き、子どもの音楽のような無邪気さ、そして上品なユーモア。それらはZNRを思わせながらも、竹村の手によって「日本的な時間感覚」へと変換されている。間(ま)と余白の美学、聴き手の内面に生まれる時間の揺らぎ。牧歌性と静謐が交錯するその感覚こそ、竹村の音の本質だ。
 
 アルバムは “明滅する火花” で静かに幕を開ける。マリンバのような音とピアノの絡みが光の粒のように広がり、続く “サヴォナローラのまなざし” ではエレピや管楽器、声のアンサンブルが純粋な存在感を放つ。“眼球生物” では無調のピアノと声が交錯し、複数の時間軸を内包する音空間を形成する。各楽器と声がそれぞれ異なる持続を保ちながら共存し、聴き手に「多重の時間」を体験させてくれる。以降も声と楽器、電子音が変奏を続け、アルバム全体がひとつの流れとして貫かれていく。
 竹村の音楽には一貫して「構造の純化」という志向がある。複雑さを排除するのではなく、複数の音が衝突し共鳴しながらも、透明な構造を形成していく。その理念は1997年の名盤『子供と魔法』以来変わらない。『knot of meanings(意味のたま)』でも、電子音と生音、旋律とノイズ、響きと間が対立することなく繊細に結ばれている。その「結び目」が生むのは複雑さではなく、透徹した深さ、いわば「純化としての構造」だ。
 この純化は、エクスペリメンタルな先鋭化ではなく、むしろ温もりを帯びた牧歌的な方向へと向かう。現代のデジタル環境にあふれる「音の過剰」への静かな抵抗として、竹村の音楽は存在する。無自覚な情報の氾濫に抗い、音そのものの本質を問う。その批評的な姿勢は、30年以上にわたり音の純粋化を実践してきた竹村だからこそ自然に息づいている。
 彼の音楽は、情報と刺激に麻痺した聴覚をリセットし、耳の奥に眠る感性を呼び覚ます。都市のノイズやネットワークの喧騒から遠く離れ、それらを音として再構成する。ゆえに竹村の作品は、単なるエレクトロニカではなく、21世紀の「聴く文化」そのものを批評する音楽作品として機能しているのだ。
 アルバム終盤に収録された “深海の虹” 三部作(パート1〜3)は、『knot of meanings(意味のたま)』の主題をもっとも端的に示す。アニメーション作品のために制作された楽曲でありながら、弦のレイヤーが静かに波打ち、電子音がその隙間に滲み込む。シンプルな構造の中で時間が幾重にも折り畳まれ、「いまここ」と「遠い過去」のあわいを漂う。その透明な音響こそ、竹村が追い求めてきた「音の純化」の結晶である。
 音の純化は「こえ/うた」の扱いにも表れている。ゲスト・ヴォーカルのdoroの声は、子どものような無垢な響きを宿し、作為を感じさせない。「歌う」前の「うた」がそこにある。竹村は、2001年の『Songbook』やスピーチソフトによるロボット・ヴォイスを導入した2002年『10th』以来、この素朴で純粋な「こえ/うた」を追求してきた。『knot of meanings(意味のたま)』では、その理念がいっそう純化されている。
 おそらく、この10年という時間は、音楽の構造をどこまで純化できるかという試行の期間でもあったのだろう。純化には「作る耳」だけでなく、「聴く耳」の浄化も必要だ。作曲者自身が最初のリスナーである以上、竹村にとって音楽は制作行為で完結しない。聴き手がその響きに耳を澄ませることで、初めて音楽は完成する。
 音楽とは「作る人」と「聴く人」とを結ぶ行為である。この理念こそ、竹村がDJ/クラブ・ミュージックの土壌から登場した理由でもあり、彼のテーマである「Child’s View(子どもの視点)」にも通じる。無垢な耳で世界を聴くことは、情報の洪水の中で感性を守るための方法論なのだ。

 『knot of meanings(意味のたま)』は、「聴くこと」そのものを再生するアルバムである。やはり能書を書くより、まずは聴く。とにかく聴く。それだけだ。そして聴き込んだ先にある「言葉」こそ魔法のように大切なものになるはず。それはアルバムを聴いた「時間」そのものの大切さだ。
 じっさい本作には、10年の制作時間、70分の再生時間、そして聴き手が費やす時間が折り重なっている。この三つの「時間」が重なり合うとき、『knot of meanings(意味のたま)』は「時」を超えて「いま」に開かれるのではないか。
 竹村延和は、なおも音の希望を信じている。音を作り、音を聴くことの豊穣さを信じている。彼が結んだ「意味のたま」の小さな結び目は、未来の音楽へ向けた微かな光として、私たちの耳の奥に長く残り続けるだろう。

デンシノオト