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マーサー・スカイ・マーフィの音楽を聞くと胸の中に恐ろしさと美しさが同時にやってくる。ひんやりとしていておごそかで、何かよくないことが起きそうな不安を覚える緊張感と、ゆらぐロウソクの灯を見つめているようなやすらぎがあって、それらちぐはぐな感情がわからないものとして頭の中で処理されてそのまま出る。彼女の音楽は調和のとれた風景の奥にある違和を表現するかのように美しく不安に響くのだ。
マーサー・スカイ・マーフィと聞いてスクイッドの “Narrator” のヴォーカルを思い出す人も多いだろう。あるいは〈Slow Dance Records〉のことが頭に浮かんだり、10代の頃にニック・ケイヴのツアーに参加したということ思い出す人もいるかもしれない。初期の作品のクレジットにはジャースキン・ヘンドリックスことジョセリン・デント=プーリーやデスクラッシュのベーシスト、パトリック・フィッジラルド、ブラック・カントリー・ニュー・ロードのルイス・エヴァンスなどの名前が並ぶ。こうしたことからも彼女の立ち位置が見えてくるのような気もしてくるが、しかし彼女はそれらの人物と関わりながらそこから少し距離を置いてどのようなシーンにも属さないような音楽を作り続けてきた(それはゴシックの香りがするアート・ポップのような音楽だった)。美しく、恐ろしく、孤高で孤独、イーサン・P・フリンと共同プロデュースで作り上げたこの1stアルバムは現実の向こうから何かを見出そうとするようなそんな空気が漂っている。それはおそらく気配と呼ばれるようなもので、見えないがそこに何かが確かにあると感じられる類いのものだ。
テープレコーダーのスイッチが押される音と「開始」という声とともにアルバムははじまる。ハミングともやのかかった楽器の音で空間が歪んでいくような、ゆったりとしたイントロダクション “First Day” によって幕が開くこのアルバムはピアノが中心にあり、フルートやストリングスといった柔らかいアコースティックな楽器で組み立てられている。そこにエレクトロニクスの固いサウンドのテクスチャーが重ねられ緊張と緩和を繰り返しながら進んでいく。そうしてそこに声がのる。マーサ・スカイ・マーフィのこの声こそがこのアルバムの気配を作り上げているといっても過言ではないだろう。ヴォーカリストというよりかはメッセージを伝える占い師、あるいは心を深層に向かわせる催眠術師のような声、細くそれでいて芯があり、ゆらぎ、言葉と響きの間にある意味をたぐり寄せる。それが音と重なり聞き手の感情を迷子にさせる。身体の支えとなるようなものはなく、どこに軸足を置いていいかわからずに、方向感覚を失う。しかし不思議と不安はない。フルートのささやきとアンビエント・ドローン、ピアノとフィールド・レコーディングされた物音でノスタルジックな空気を作る “Theme ParKs” の中で、彼女の声は遠くで瞬く光のような、何もない砂漠での道しるべのように感じられる。幾重にも重なった音のテクスチャーが頭にぼんやりとした考えを浮かばせ、そうして砂をかぶせるようにして消していく。それが浮遊感ともまた違う、音の空間の中で迷子になったかのような感覚を生み出すのだ。
“The Words” においてもそれは顕著で、アコースティック・ギターの上でヴォーカルが人工的に処理されて、声の重なり、楽器の重なりの中で所在を不確かにさせる。ここにいる彼女の奥、遠くで聞こえるその声はまるで過去に存在した人物の声のようでもあり、あるいは未来におこりうることを予見したかのような声でもある。そうやっていくつもの像が重なり、万華鏡のように広がっていくのだ。
クレア・ラウジーが参加した最終曲 “Forgive” はピアノとフィールド・レコーディングされた物音と気配の音楽だ。それが頭の中のおりを洗い流すかのように響いていく。ぼんやりと何かを思い出すかのように、あるいはこれから起こりうる未来のできごとを感じるかのように。「that’s enough」という声とともにレコーダーの停止ボタンが押され現実に突如引き戻されるまで、この不思議な感覚は続いていく。
アルバムのミキシングを担当したマルタ・サローニはこのアルバムを初めて聞いたときに「まだ起きていない経験の、その記憶を体験しているかのようだ」というコメントを残したというが、まさにこれは体験の音楽なのだろう。重なる響きの中で方向感覚を失い、声を頼りにゆっくりと糸を手繰るように深層に潜っていくこの奇妙な体験はしかし不思議とやすらぐものでもある。恐ろしく美しい迷路のようなやすらぎに、気付けばハマりこんでいる。
Casanova.S