Home > Reviews > Album Reviews > Tigran Hamasyan- The Call Within
2010年代以降のコンテンポラリー・ジャズの世界で注目を集めるピアニストのひとりであるティグラン・ハマシアン。彼の名を一躍広めた『ア・フェイブル』(2011年)や『シャドウ・シアター』(2013年)は、現代ジャズにクラシックや教会音楽を融合した上で、ハード・ロックやヘヴィ・メタルからプログレ、そしてダブステップやビート・ミュージックに至る多彩な音楽的要素を取り入れ、それらを違和感なく結ぶべく故郷のアルメニア民謡のメロディや変拍子をモチーフとした意欲作であった。それ以前もセロニアス・モンク国際ジャズ・コンペティションで第一位を獲得するなど、ジャズ・ピアニストとして高い評価を受けてきたティグラン・ハマシアンであるが、これらの作品以降はジャズ以外の分野からも注目を集め、ダブステップ界のL.V.の『アンシエント・メカニズムズ』(2015年)にもゲスト参加するほか、2019年に公開されたオダギリジョー監督の『ある船頭の話』の映画音楽も担当している。
ソロ活動に話を戻すと、2015年からは〈ノンサッチ〉と契約し、トリオ作の『モックルート』ではよりアルメニア色を強めた演奏を推し進めるほか、さらに同年は〈ECM〉からもアルメニアの聖歌隊と共演した『ルイス・イ・ルソ(光からの光)』をリリースする。アルメニアのクラシック界の作曲家であるコミタス・ヴァルダペットの作品を演奏するなど、アルメニアの宗教音楽に傾倒した世界へと没頭していった。アルヴ・アンリクセン、アイヴァン・オールセット、ヤン・バングらノルウェー勢と組んだ〈ECM〉録音の『アトモスフィアズ』(2016年)は現代音楽色の濃い作品だが、その音響のなかにもアルメニアの歴史や宗教が強く入り込んでいる。そして2017年の〈ノンサッチ〉作の『アン・アンシエント・オブザーヴァー(太古の観察者)』は、ピアノと和声に少々シンセを付け加えたミニマルなソロ・アルバムで、太古の時代にノアの方舟が漂着したと言われるアルメニアのアララト山頂からの風景を音として表現したものだ。
その『アン・アンシエント・オブザーヴァー』から3年ぶりの新作『ザ・コール・ウィジン』は、ティグラン・ハマシアンにとって通算10枚目のソロ・アルバムとなる。2018年にはアルメニアの街であるギュムリへ捧げた「フォー・ギュムリ」というEPを発表したが、そうしたアルメニアからのインスピレーションが『ザ・コール・ウィジン』にも一貫して流れている。キリスト教伝来以前のアルメニアの古代民話や伝説、伝来以降のアルメニア文化、そして天文学や幾何学、ペトログリフ(岩面彫刻)などから映画撮影技術など、ティグランが関心を寄せる事象が『ザ・コール・ウィジン』の中の題材となっている。
参加ミュージシャンはこれまでもティグランと演奏してきたドラマーのアーサー・ナーテク、同じくティグランと共演経験があるアルメニア系アメリカ人で、即興ヴォイス・パフォーマンスを得意とする民謡歌手にして詩人/ピアニストのアレニ・アグバビアン、アラン・ホールズワースなどとも共演してきたエレキ・ベースの鬼才のエヴァン・マリエン、アルメニア出身のチェリストのアルティョム・マヌキアンなど。さらに “ヴォルテックス” という曲にはアメリカのメタル・バンドであるアニマルズ・アズ・リーダーズのギタリスト、トーシン・アバシも参加する。アニマルズ・アズ・リーダーズのメンバーは数年来のティグランのファンで、以前ツアーに彼を誘ったもののそのときは実現しなかったが、そうした縁もあって今回の共演に繋がったそうだ。ティーンエイジャーの頃はジャズやクラシックを学ぶ一方で、メタルやハード・ロックにハマっていたというティグランらしいコラボである。
宗教音楽的な和声とピアノに続いてメカニカルで強力な変則ビートが流れ出す “レヴィテイション・21” は、現代ジャズとダブステップやビート・ミュージックを繋ぐティグランならではの作品。“ザ・ドリーム・ヴォイジャー” もエレクトリック色の濃いナンバーだが、独特のメロディ・ラインを紡ぐピアノやヴォイス・ハーモニーにはルーツにあるアルメニア民謡の影響が見える。アレニ・アグバビアンとアルティョム・マヌキアンをフィーチャーした “アワー・フィルム” は、口笛の紡ぐ美しいメロディが印象的な1曲。映画制作にも関わったティグランのインスピレーションから生まれた曲だろう。
“アラ・リサレクティッド” は次々と変調するリズム、緩急のついたトリッキーな展開のなか、リリカルなメロディを生み出すティグランのピアニストとしての技術やスキルの凄さを再認識できる。またクラシックからメタルにまで通じるレンジの広い音楽性と、そこから編み出した彼独自のジャズを聴くことができるだろう。“スペース・オブ・ユア・イグジスタンス” も同様に、ジャズ、フュージョン、プログレが融合したような曲だが、こうした複雑なリズム、メロディやコード変換を生み出すのもアルメニア民謡を学んだことが大きい。アルメニア民謡にも複雑なリズムが多く、それに乗せてメタルやエレクトロニカなどを取り入れていくことが、ティグランにとっては自然なことだったそうだ。
トーシン・アバシが参加する “ヴォルテックス” も複雑な構造の曲で、アルメニア民謡をベースにメタル、ジャズ、クラシックなどあらゆる音楽を融合するティグランの独壇場の世界である。ギュムリにあるヴァルディ・アート・スクールの少年合唱団をフィーチャーした “オールド・マップス” や、ヴォイスと口笛、ピアノとシンセで綴るモダン・クラシカル~アンビエント系の “37・ニューリーウェズ” では、ティグランの作品で欠くことのできないピアノと和声のハーモニーが描かれる。“ニュー・マップス” は、20世紀初頭にオスマン帝国との民族紛争を逃れてアメリカに渡ったアルメニア移民についての作品。多くの民族が暮らすアメリカは、アルメニア人にとってロシアに次いで多い移民の受け入れ先だったが、そうしたアルメニア人のディアスポラがティグランの曲作りの大きなモチーフになっていることを示す曲だ。
小川充