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スタンリー・キューブリックの映画『シャイニング』を見ていると、懐かしさという感覚は恐怖にもなり得ることがよくわかる。文化的に飽和し、政治的にも行き詰まった現代では、ノスタルジーとは、逃避と苦しみの表裏一体かもしれない。
90年代から活動する、イギリス出身のエレクトロニック・ミューシャンのジェームス・カービーによるザ・ケアテイカー名義の作品は、よく知られるように、『シャイニング』を契機としている。主人公が不可避的に幻視してしまう幽霊たちの舞踏会、そこで鳴っている音楽は、現在ではない遠い過去の音楽=30年代のソフト・クラシックやジャズである。カービーは、およそ20年かけてその時代のレコード(78回転の10インチ)を蒐集し、ザ・ケアテイカー名義の作品においてコラージュされる音源として使用した。“現在”が不在であること、と同時に、懐かしさに魂が抜かれていくこと。やがてザ・ケアテイカーは記憶障害をコンセプトにするわけだが、アルツハイマー病が進行している作者が、病状のステージごとに作品を発表するというシリーズ『Everywhere At The End Of Time(時間が終わるあらゆる場所)』は2016年にはじまっている。その1曲目“It's Just A Burning Memory(まさに燃える記憶)”は、パチパチ音を立てるチリノイズの向こう側で、遠い過去の音楽=30年代のソフト・クラシックやジャズが鳴っているという構図だった。
去る3月に発表された同シリーズ6作目の『Everywhere At The End Of Time - Stage 6』は、最終作となっている。(その“ステージ6”の前にボーナス・アルバムのようなもの『Everywhere, An Empty Bliss(あらゆる場所、空っぽの幸福)』も発表している)
20分以上の曲が4曲収録されている本作は、シリーズの初期の作品とはだいぶ趣が異なっている。“A Confusion So Thick You Forget Forgetting(あなたが忘れたことを忘れる濃厚な混乱)”、“A Brutal Bliss Beyond This Empty Defeat(この空っぽの敗北を越えた残忍な幸福)”、“Long Decline Is Over(長き減退の終焉)”、“Place In The World Fades Away(消えゆく世界の場所)”……こうした曲名からもじょじょに記憶を失っていく状態が描かれていることがわかるように、シリーズの1作目~3作目にはまだ輪郭を有していた音像は、4作目以降は音の輪郭は溶解し、靄がかかり、混乱し、腐り、ノイズによって断線していく。幽霊さえも消えていく。そして本作においては、音がじょじょに音ではなくなっていくような感覚が描かれている。それは時間の終わりをどう表現するかということであり、音楽は記憶を失い、消えることによってのみ甦るということでもある。
マーク・フィッシャーの“hauntology”において、大いなるヒントとなったのがベリアルとこのザ・ケイテイカーだが、最近は、ほかにもフィッシャーが評価したアーティストたちの作品が発表されている。バロン・モーダント(Baron Mordant)はダウンロードのみだが『Mark of the Mould』というアルバムをリリースした。これも力作であり、いずれ紹介したいと思っているが、ブラック・トゥ・カム(Black To Comm)も新作を出したし、ブリストルのドラムンベースのチーム、UVB-76 Musicの粗野で不吉な作品にはフィッシャーの影響を感じないわけにはいかない。ゴールディーの“Ghosts Of My Life(わが人生の幽霊たち)“を引き継ぐサウンドとして。そういう意味ではまだここには幽霊たちはいる。
野田努