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(小川充)
スペインの闘牛士が着る上着をまとい、義足を付けた足でヨロヨロと歩き、ケツの穴から血を流して息絶えるアルカ。アルカの新作にあわせて公開された“レヴェリー(夢想)”のPVでの光景だが、毎度のことながらアルカの相棒のジェシー・カンダが手掛ける映像は、シュールでグロテスクなものだ。ここでのアルカは半獣半人のようで、マタドール(闘牛士)であり、同時に最後は殺される雄牛でもあるのだろう。彼の作品に常に漂う生(性)と死のイメージを、闘牛というメタファーを通して表現している。サイレン音で始まる“デサフィオ(挑戦)”のPVでは、お馴染みのボンテージ姿のアルカがいる。息絶えているような(もしくは死んだかのようにぐったりしている)アルカの周りには荒くれた男たち。最近はゲイやレズビアンであることをカミング・アウトするアーティストも少なくないが、それでもアルカほど作品からそうしたセクシャリティを感じさせる人はいないだろう。このPVから漂う凌辱や暴力、セックスや死の匂いは、アルカの自宅付近のアブニー・パーク墓地のイメージなのかもしれない。アルカによれば死者の傍にいると落ち着きが生まれ、詩的なものが生まれてくるそうだ(そして、そうしたものにゲイは惹かれてくるそうだ)。
これまでのPVでは、アルカの姿はデジタル加工されたアートのようだったり、フィルターが掛けられて明確ではないことが多かったのだが、これら新作のPVでは、はっきりした肉体として示されている。そして、どちらのPVでも彼は自身の声を用いて歌っている点も象徴的だ。どちらかと言えば、これまでの作品はトラックに重きが置かれ、声を使う場合も器楽的に加工したものが多かった。初期のミックステープでは歌とラップを断片的に取り入れたこともあったが、それもトラックの一部として用いていたにすぎない。しかし、新作『アルカ』においては13曲中の8曲で自身の歌声を打ち出している。〈ミュート〉から〈XLレコーディングス〉へ移籍しての初めてのこの作品は、アルカにとって通算3作目のアルバムになるが、今までのような別人格のひとつの「ゼン」や「ミュータント」ではなく、アレハンドロ・ゲルシのアーティスト名であるアルカの名を冠したもので、ジャケットにもまた自身の顔をさらしている(まるでエリエイアンのようではあるが)。顔や肉体、声を使い、自身の内面をさらけ出していく意思が、『アルカ』からは伝わってくる。
ヴェネズエラをルーツとするアルカは、彼の感情をもっともよく表現する母国語のスペイン語で歌う。“ピエル(皮膚)”や“アノーチェ(昨夜)”に顕著だが、アルカの歌はヴェネズエラの伝統的な歌謡のトナーダを想起させるものだ。ラテンの歌には悲しみや苦しみを歌ったものがあり、これらの歌にもそうした痛みや飢えといった感覚がある。今はロンドンで活動するアルカだが、ヴェネズエラの荒廃した社会で過ごした少年期の体験が、これらの歌に反映されているのかもしれない。インストの“キャストレーション(去勢)”やインタルード的な“ホイップ(鞭打ち)”は比較的これまでの曲に近いビート作品だが、全体的にはトラックからメタリックでグリッチなエレクトロニカ的要素は後退している。それよりも歌うことによってメロディ重視の方向へ傾き、“シン・ルンボ(道無し)”や“コラーヘ(勇気)”など、ヴェネズエラ時代に学んだピアノを生かしたポスト・クラシカルな作風が強まっている。“サウンター(彷徨)”は今までの持ち味であったノイズ混じりの実験的なトラックと、中世の教会音楽的な歌や和声が融合した意欲作と言えるだろう。“フガーチェス(儚いものたち)”や“ミエル(蜜)”は、甘美さを極限まで純化したような作品。“チャイルド”や“アーチン(いたずらっ子)”は、無邪気さと残酷さを併せ持つ子供を映し出している。アルカの作品の魅力のひとつに、醜悪さと美麗さが入り混じった奇妙な感覚がある。『アルカ』は表面的には美しく映る作品が多いが、そうした美というものも血や獣性と結び付いており、生(性)と死は背中合わせであることを伝えるアルバムだ。
小川充