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ジム・オルーク、マーク・フェル、リカルド・ヴィラロボス、アート・リンゼイ、キース・フラートン・ウィットマン、ウィル・ガスリー、ジョー・タリア、コンラッド・スプレンガー……。〈エディションズ・メゴ〉よりリリースされたオーレン・アンバーチの新作アルバムには、実に個性豊かなゲストが参加している。近年では灰野敬二との継続的なコラボレーションも話題のアンバーチが、いかに多くの音楽家から信頼され、また、優れた仕事をともにおこなってきたのかの証明にもなると思うのだが、しかし、大切なことは本作が「ゲストの豪華さ」に呑まれていない点にある。そう、彼の音楽観を見事に反映したアルバムなのだ。
本作はミニマルなリズムを中心に構成される。アンバーチは、10年代以降の〈エディションズ・メゴ〉からリリースしたアルバムで、ミニマル・テクノ的なアプローチを実験・実践してきた。私見ではこのミニマリズムには、カンなど、クラウトロックからの影響も窺えると思えるのだが(灰野敬二とのコラボレーションではミニマルなドラム演奏を展開する曲もあったほど)、彼にとってはクラウトロックからテクノへと至るコンテクストもまた重要なのではないか。すなわち文化の交錯地点に生まれるミニマリズムの追求であり、反復とループの応用と実践である。本作の多彩なゲストは、そのために適材適所に召還されたのだろう。
アルバムは全3曲の構成である。21分47秒におよぶミニマル/リズムな“パート1”、フォーキーなギターの反復を基調にした1分53秒のインタールード的な“パート2”、ふたたびミニマル/リズミックな16分34秒の“パート3”と、どれも「オーレン・アンバーチの考えるミニマル・ミュージック」が実現された秀作である。マーク・フェル(コンピューター)やジム・オルーク(シンセサイザー)らが参加した“パート1”は、ラーガ・テクノとも形容したいトラック。端正にコンポジションされた反復と逸脱が、聴き手を一定のリズムの波へと誘ってくれる。いわば瞑想効果の強い曲だ。続く“パート2”は、00年代に〈タッチ〉からリリースしていたアルバムに近い作風で、繰り返されるアコースティック・ギターのアルペジオとヴォイスが非常に心地よい。ふたつのパートが接続され、短い曲ながら景色が変わっていくような感覚がある。6弦ベースはジム・オルークによるもの。そして3曲め“パート3”は、リカルド・ヴィラロボスがエレクトロニック・ドラムやエレクトロニクスで参加し、彼らしい複雑なリズム/ビートが全編にわたって展開する。加えて、ウィル・ガスリー、ジョー・タリアら実力派のドラムがグルーヴの層をさらに複雑化し、リズムの魅惑を上げていく。そこにキース・フラートン・ウィットマンのシンセサイザーが彩りを加えてゆき、あのアート・リンゼイの強烈なノイズ・ギターが炸裂する。このノイズ・ギターが圧倒的に素晴らしい。本楽曲は、ヴィラロボスとリンゼイの影響もあってか、まるで初期カンのような雰囲気が濃厚な曲。陶酔と覚醒を行き来するようなミニマル・トラックだ。
全3曲、個性豊かなゲストの濃厚な演奏の核を抽出しつつも、ミニマル・ミュージックをメタ化する試みが実践されている。いわばメタ/ミニマル・ミュージック。リカルド・ヴィラロボスのビートと、アート・リンゼイのノイズ・ギターは、どこか「別の場所」で鳴り響いているように聴こえるのだが、しかし同時に、ひとつ(にして複数の?)の音楽を構成する。反復と逸脱によって、音楽の歴史と時間と場所を越境し、繋ぐのだ。クラウトロックがアメリカとドイツの交錯地点に鳴り響いたように。“パート3”をはじめとする本アルバムには、そんなアンバーチならではの音楽の音楽観(=思想)が凝縮されている。
デンシノオト