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RIP

R.I.P. Aretha Franklin

R.I.P. Aretha Franklin

日暮泰文 Aug 19,2018 UP

 身近な存在だったキング牧師はむろんのこと、民主党三代にわたる大統領それぞれに対する賛歌をその式典で歌ってきた女王、アリサ・フランクリンがついに歌われる側に回ったことを、かつての栄華とヴァイタリティを欠いた大都市デトロイトからの報道が知らせていた。「家族のロックを失った」と近親者のメッセージは書いている。あの方がわたしのロック、つまり拠りどころ、その信仰の中で8月16日の日まで76年生きてきた女性は家族内ではむろんのこと、女性全体、黒人全体、ひいてはアメリカ全体を守護するまさにロックとなっていた。現プレジデントとされる人物さえ、人の死はフェイクニュースとは呼べないからだろうか、閣議冒頭にその死を悼むコメント原稿を読みあげていた。

 終身称号「ソウルの女王」である。ソウルとはもちろん、ソウル・ミュージックのことではあったが、音楽という単語が脱落してもなお、より広範な意味を持つところの「ソウル」を人々に意識させるものであり、そこにこそこの称号の真の意味があったといえるのはないだろうか。クイーンという呼び方が現実的なものになりつつあったのはやはり代表作のひとつ“リスペクト”の頃だろうか。1967年25才のアリサは、ソウル・ムーヴメントの真っただ中で気を吐いていたオーティス・レディングのこの曲に自分の結婚生活の中での希望を読み取って思いっきり声に出した。それは大ヒットとなってオーティスも兜を脱いだ。R&Bではもちろん、ポップ・チャートでも1位となったが、そのポジションはずっとあとにジョージ・マイケルとのデュオで記録した曲以外は彼女唯一となる。それはアトランティック・レコードでの二作目であり、シングル第一弾だった衝撃的なゴスペル・ブルース“アイ・ネヴァー・ラヴド・ア・マン”の余韻の中を突き刺すように響きわたり、単なるR&Bシンガーの枠を軽々と超えていった。

 シンガーとしても名を成す姉妹二人(アーマとキャロリン)にR-E-S-P-E-C-Tと繰り返し唱和もされるこの曲は、公民権運動期に求められたもの、人間としてのブラック、また女性の尊厳を求める声をそのまま指すものとして、最も激しい長い暑い夏を迎えニューアークやデトロイトをはじめとして多くの都市で黒人暴動が起こる中、大きなうねりの中で迎え入れられたのだった。アリサはもちろんシンガーとしての力は筆舌に尽くしたいものがあるけれども、世に上手い女性シンガーなど大勢いる。にもかかわらず、それを頭一つ越えた力量、聴く者の心にヒタヒタとまとわりつく逃れられない声質であり訴求力であり包容力であり、中心には5オクターヴとも言われる音域を自在にゆきかう、びくともしない歌の柱があった。そのレヴェルにして初めて天賦の才と呼ぶことができるはずであり、その歌声をもってして初めて黒人社会全体〜全米にゆきわたるテーマ曲となりえたのである。男女関係の中の女の位置についての申し立て“シンク”も、ブルース・ブラザーズの映画の中でのはまり役、カフェ食堂のウェイトレスたるアリサによって同様に増強されフェミニズム解釈に至った。

 1942年3月メンフィスに生を受けるもデトロイトに幼児期から住んだ。両親の離婚、直後の母の死(52年)を経て、この町でプリーチャーとして名を成す父親C.L.フランクリンの影響下に育つ。ごく小さいころからピアノを弾き、耳にするどんな曲もすぐに再現して歌ったという。10代前半で出産経験二度、そのまま行けばあるいは一度はモータウンの門を叩いたかもしれないが、父親の考えもあって18才で大手コロムビア(現ソニー)と契約、ジャズ・シンガーともブルース・シンガーともポップ・シンガーともつかないアルバムを出していくが、歌唱のベースはしっかり出来あがっていた。強くゴスペルに根差した音楽性は、南部ソウルの興隆及び公民権運動の激しい動きとのマッチングを要したが、その火花は67年についにスパークした。

 時代の要請と本人の意識、ソウル・ムーヴメントを確実に体現するシンガーとして屹立する。ソウルというものの核心には、ありのままの自分、状況を自他ともに認識するという側面があり、飾ることなく語り告げることや(テル・イット・ライク・イット・イズ)、また自分の内面を正直にさらけ出すことによって目の前の相手、またコミュニティ全体に至るまでの一体感を持たせるというところもある。傷に耐え、やがて乗り越えてゆく、というソウルの途だ。「(あなたがそうだと思わせてくれる)ナチュラル・ウーマン」もそうした動きの中で歌われたものであり、のちにバラク“チェンジ”オバマが涙をぬぐった場面が、単なる一曲を超えた意味を持つものであったことを如実に示していた。報道を見る限り、一般世界では前述2曲がとくにアリサの代表曲ということになるようだ。“エイント・ノー・ウェイ”や“スピリット・イン・ザ・ダーク”などの超絶作品がなかなか語られない。

 このような大きな存在になっていったアリサだが、こと日本に関してはソウル・ファンが好みの範囲でものを言う世界だったから、正鵠を射た評価には至っていなかったようにも思える。そこまでの大歌手という位置を理解するのに苦しんでいる感もあった。アリサを特集した専門誌にはファンク傑作“ロック・ステディ”について、めちゃくちゃな歌詞聞き取りを根拠にゴスペルとファンクを一体視して自説の限界を示す恥ずかしい論評もあるくらいだ。それもまたロウダウン・フィーリングというアリサの飾るところのない心情を見せたところにファンクとしての真髄をのぞかせるもので、大きなソウルの流れの中でのリアルが輝いているものだ。

 100万ドルのヴォイスとされた説教を聞かせる父、CLは信心深い家庭の多くと様相を異にし、意外に世俗曲に寛容だった。それがためにアリサ及び姉妹たちが育っていったとも言えるわけだが、押しも押されもせぬ大シンガーとなり商業音楽の要請とも折り合いをつけねばならず、男女関係に加えさまざまな葛藤を抱えていたことは間違いない(あまりに「人間的な」アリサについては評伝『リスペクト』を読まれたし)。ユーリズミックスとの共演“シスターズ・アー・ドゥーイン・イット・フォー・ゼムセルヴズ”では女性の自立テーマにうまくフィットさせたところもあったし、ピンクのキャデラックでフリーウェイを飛ばす女史も決して悪くはないが、時代を下るにつれ、心ここにあらずの作品もなくはない。そんな時、立ち返って精神の安定を得るのはゴスペル音楽世界であり、ピアノの前に座って半歩、キーボードにタッチしてもう半歩、歌い出してすべてがゴスペルとなる。名盤の誉れ高い『アメイジング・グレイス』や『ワン・ロード、ワン・フェイス、ワン・バプティズム』でのアリサは、すべての俗念を払い神を称えることによって心の安寧を取り戻していた。“ハレルヤ!”の叫びは常にマジックのよう。それがソウル歌手アリサの基盤であった。

 ローリン・ヒルに「薔薇はどこまでも薔薇」と捧げられてから20年、膵臓ガンとされた死の床に舞っていた歌は何だったろう。愛する男の存在ゆえにフリーになれない自分、と歌ったのは50年前の昔、フリーダム賛歌を経てブラザーズ&シスターズが今なお決してフリーとは言えない現況を思いつつ、一人故郷を離れ別世界へ赴くことで得る最終的な自由が去来する。
 

“主よ、血があなたの中を温かく流れるとき
わたしは信仰を得ました
ずっと御許に
死の時がめぐりくるまで
お仕えいたします“

 アリサ・フランクリン僅か14才の時の清新な録音そのままに、永遠の眠りについたのではなかろうか。RIP.

日暮泰文

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