Home > Columns > Brian Eno- 窓のない部屋からひらかれた風景
ブライアン・イーノのレーベル〈Opal Records〉が再始動し、過去のカタログのリイシューも始まった。その第一弾として選ばれたのが、2001年の『Drawn From Life』と2005年の『Another Day On Earth』である。前者はドイツの音楽家J・ペーター・シュヴァルムとの共同制作、後者はイーノ自身が歌うソロ・アルバムだ。イーノの長いディスコグラフィのなかでも興味深い位置にあるこの2枚を、いま改めて聴き直すことは、イーノの2000年代の活動を再評価するだけでなく、〈Opal〉というレーベルが何を目指していたのかを振り返る格好の機会でもあるように思う。
1980年代前半にマネジメント組織として発足した〈Opal〉は、1988年、レコード・レーベル〈Opal Records〉の活動を本格化させた。そこにはアンビエントに近い音楽家も多かったが、それだけではなかった。レーベルの黎明期には、ロシアのロック・バンド Zvuki Mu も、2本のベースにヴァイオリン、ヴォーカルというユニークな編成のニューヨークのバンド Hugo Largo もいたのである。前者はイーノがプロデュースしたことで当時話題になったし、後者の『Drum』は R.E.M. のマイケル・スタイプがプロデュースに関わったことでも注目された。イーノ自身が〈Opal〉を「アウトサイダーのためのレーベル」と呼んだように、関心は既成の音楽様式からはみ出す独自性にあったのだ。
とはいえ、〈Opal〉の再始動と聞いて、ハロルド・バッド、ジョン・ハッセル、ダニエル・ラノワ、ロジャー・イーノなどの顔ぶれを思い浮かべ、あの豊かなアンビエントの世界が帰ってくると期待した人もいるだろう。僕もそうだった。それだけに、第一弾がシュヴァルムとの共同制作とイーノ自身の歌ものアルバムという組み合わせだったことを、少々意外に感じたのも事実である。
もちろんイーノ自身は、長らく入手困難だったことを再発の理由に挙げている。しかし、この2枚が揃って第一弾となったことに、いま改めて別の意味を見いだすこともできるのではないか。その手がかりは、再発盤に寄せられたイーノの新しいエッセイにあった。
そのエッセイにおいて彼がまず回想するのは、機材でも曲作りでもなく、2枚を生んだ西ロンドンの仕事場だ。小さな部屋には窓がなく、内壁は黄褐色の柔らかな素材で覆われていた。壁一面には巨大な世界地図が貼られ、イーノは海峡や島々を眺めながら、その場所の音を想像したという。しかも、部屋には時計すらなかった。
広大な空間を感じさせる音楽が、窓のない密室から生まれた。なんとも魅力的な逆説ではないか。窓外の景色を音に写し取るのではない。現実の空間から隔絶された場所で、自ら音の「場所」を作り出す。イーノは、スタジオで時間をかけて重ね、削り、作り直せる録音音楽を、伝統的な演奏よりも絵画に近いものとして捉えている。大切なのは、まず音色の世界を見つけること。メロディやリズムはそこから現れてくることもある。今回の2枚は、そのように描かれた風景に、少しずつ人間の姿が現れる時期の作品なのだ。
こう考えると、90年代のイーノの活動も違って見える。ジョン・ケイルと歌を交わした『Wrong Way Up』、エレクトロニックなビートが際立つ『Nerve Net』、音を極限まで間引いた『Neroli』、ジャー・ウォブルとの『Spinner』。『The Drop』では自ら「歓迎されないジャズ」と呼ぶ、旋律もリズムも定型から外れた奇妙な音楽に向かい、美術館のインスタレーションやジェネラティヴ・ミュージックにも深入りした。70年代の革新や80年代のプロデュース仕事を思えば、いささか迷走していたようにも映る。だが、歌、リズム、音響、空間をそれぞれ別の方向から試していた時代だったのだろう。2000年代の2枚には、それらの線が再び交わる瞬間が記録されている。
その最初の結節点が『Drawn From Life』だった。シュヴァルムはもともとドラマーで、Slop Shop というエレクトロ・ジャズのグループを率いていた。そのアルバムに感銘を受けたイーノは、自分が追い求めていた音楽との共鳴を見いだす。両者が関係を深めるなかで生まれた作品のひとつが、2000年に日本で発売された2枚組『music for 陰陽師』である。夢枕獏の小説を岡野玲子が漫画化した『陰陽師』をめぐる企画で、DISC 1 には雅楽アンサンブル・伶楽舎の演奏、DISC 2 にはイーノとシュヴァルムの音楽が収められていた。
僕はイーノ目当てでこれを買ったが、シュヴァルムという名前は初耳だった。その音楽も悪くはないと思ったものの、正直に言えば、それ以上に興味を惹かれたのは伶楽舎の演奏だった。こちらも、僕はこのアルバムで初めて知ったのである。そして翌2001年、作曲家・武満徹の没後5年にあたり、僕は彼の雅楽作品『秋庭歌一具』を伶楽舎の演奏で録音・プロデュースする機会に恵まれた。思いがけない縁である。ただ音楽を聴いていたつもりが、別の音楽家、別の仕事へと導かれていく。こうした出会いを思い返すと、イーノの共同作業とは、自分の音楽を拡張するだけでなく、他者の世界を開く営みでもあるのだ。
では、『陰陽師』の翌年に発表された『Drawn From Life』に、シュヴァルムはなにをもたらしたのか。
『The Drop』における「ジャズ」が、ジャズの輪郭をわざと見失ったような音楽だったとすれば、こちらにはより明確な旋律や和声、楽曲の起伏がある。オスティナート的なドラムスの反復が切迫感を高める一方、ネル・キャッチポールの弦楽器が緊張をほどき、思いがけない静けさを運んでくる。子どもたちの声が混ざると抽象的な空間に親密さが生まれ、ローリー・アンダーソンの存在感の強い声も、弦の響きによって異なる表情を与えられる。電子音と生身の演奏が互いを侵食せず、むしろそれぞれの質感を際立たせる。ときに奇妙なのに、音楽としては驚くほど自然に流れていくのだ。
だが、シュヴァルムの貢献はリズムだけではない。イーノの音の風景に、ドラマや情緒を与える楽曲の構築性。それは一方が他方を「まともな音楽」に矯正したという話ではない。互いの領域が、相手の音楽のなかで別の意味を帯びたのかもしれない。そして見逃せないのは、『Drawn From Life』がインストゥルメンタルを基調としながらも、人の声をじつに多彩に用いていることだ。声は前面に出ることも、風景の奥で小さく響くこともある。
4年後の『Another Day On Earth』では、その声が一気に前へ出てくる。イーノは『Wrong Way Up』でも歌っていた。ただ、あちらはジョン・ケイルという強力な共演者と拮抗する作品である。いっぽうこちらでは、レオ・アブラハムズ、ジョン・ホプキンス、シュヴァルムら、新たな協力関係を象徴する音楽家たちが彼の歌を支える。70年代のロック・シンガーに戻ったわけではない。むしろ、自身の声という素材を、彼らとの共同作業を通じて、電子音響のなかでもういちど試し始めたように聞こえる。
軽快なビートに短い言葉が執拗に反復し、たゆたうシンセサイザーの上では加工された声が、本人の喉から生まれたとは思えない姿に変わる。ある曲ではリズミカルなピアノとストレートなストリングスに乗って、驚くほど明快な歌とコーラスが現れ、別の曲ではシュヴァルムの電子音とリズムが、思いがけず親しみやすい歌を運んでくる。メランコリックなエレクトロニカの一方で、外部の音楽家のループを取り込んだ、意識の底へ沈んでいくような音もある。歌ものとして親しみやすくなったのは確かだ。けれど曲ごとに「歌」と「音響」の主従関係が入れ替わり、アルバムを単純なポップ作品にはしてくれない。
オリジナル盤の最後には “Bone Bomb” という、催眠的なギターとパルスの上に女性の声を置いた、ひどく不穏な曲が待っている。イーノが自爆攻撃に関する報道から書いた詩を朗読させたものだという。穏やかな音の風景の延長と思って聴いていると、唐突に音楽が断たれる。「歌への回帰」というだけの、安心できる物語では終わらない。その結末にさえ異物を残すところに、イーノの実験精神を感じるのだ。
再発盤のエッセイでイーノはこの2枚を、アンビエントとリズミカルな歌のある音楽が重なり合う領域を発見した記録だと説明する。人間がそこにいても、必ずしも風景の主人公ではない。『Drawn From Life』では人物が風景のなかに姿を現し、『Another Day On Earth』では人物が歌い出す。それでも風景そのものが背景に退くわけではない。この両義性を、ひとまず「アンビエント・ポップネス」と呼んでみたくなる。アンビエントからポップへの転向ではなく、両者を分ける線そのものを曖昧にしてしまう試み。
その試みはのちに、ホプキンス、アブラハムズとの『Small Craft on a Milk Sea』や、歌を大きく取り込んだ『FOREVERANDEVERNOMORE』にも、姿を変えてつながっていく。もちろん、この2枚をすべての出発点にするつもりはない。イーノは以前から、歌と音響を行き来してきた。ただ、90年代には別々の方向へ向かっていた探索が、この時期にひとつの豊かな音楽的語彙として結びついたことは、いま聴き直すとよくわかる。
イーノは新しいエッセイを、聴き返していなかった自作が「過去からの贈り物」として戻ってくる、という感慨で締めくくっている。窓のない部屋で生まれた音楽が、四半世紀を経てなお、こちらの予想もしなかった景色を見せてくれたのだ。
当初は意表を突かれたこの2枚が、いまでは〈Opal〉の再始動を告げるのにふさわしいものに思えてきた。〈Opal〉は、すでに完成した「イーノらしさ」を保存する場所ではなかったのだから。
杉田元一/Motoichi Sugita