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E-JIMAと訪れたブリストル記 2024

E-JIMAと訪れたブリストル記 2024

飯島美和子 May 24,2024 UP

 この度10年ぶりにイギリス、ブリストルへ行くこととなり、ある日野田努さんから「よかったらレポート書いてください~」とメッセージを頂いたという経緯から、こうして書かせていただいている。

 まずは自己紹介から。かつて下北沢にディスクショップZEROという、ブリストルの音楽を中心に、ベース・ミュージック、REBEL MUSICを扱っていた一種独特なごちゃついたレコード店があったことはまだ皆さんの記憶にあるだろうか? 私はその店主・E-JIMA(飯島直樹)の妻であります。
 彼が亡くなったのは2020年2月12日。体調を崩し入院してから、わずか2週間ちょっとで逝ってしまった。飯島が入院したという知らせは、たちまちブリストルにも伝わっていた。数多くのミュージシャン、DJたちから心配と応援のメッセージが届き、ほぼ同時に、治療費サポートのため、ドネーション用のアルバム制作プロジェクトが日本とイギリスで立ち上がった。本人が存命中に聴くことができなかったのは残念ではあったけれど、最終的に64曲(!)も収録され、Bandcampからリリースされたアルバム『Bristol x Tokyo』は、その年のDUB STEP AWARDのベスト3にも輝いた。
 パンデミックで行動が制限される直前だったので、彼の葬儀が挙行できたのは不幸中の幸いだった。当日、スミス&マイティ/モア・ロッカーズのロブ・スミスがまさかブリストルから東京まで、その日のために駆けつけてくれるというサプライズもあったし、本当に大勢の方々に見送っていただくことができた。
 飯島の遺骨はお墓に納めたのとは別に、位牌替わりに自宅に分骨して、さらにもうひとつ、ブリストルに散骨したいと思い、小さなジャムの瓶に分けて持っていた。ブリストルへの散骨は本人の希望があったわけではないが、生前は、いつ渡英してくれてもいいよ、と話していたので、あまりにも無念だろうと、無意識にそうすべきものとして小瓶を用意していた。本当はすぐにブリストルへ行き、サポートしてくれたアーティストのみんなに感謝を伝えたかったけれど、ロックダウンや子どもたちの受験などが重なり、なかなか渡英することができずにもどかしい日々を過ごしていた。

 あれから4年、ようやくその時はやってきた。今年のこのタイミングしかない! と思い切って一人で渡英することにした。散骨に関しては前もってロブに相談すると、いずれも思い出のある三か所ほど候補を挙げて、それぞれどういう理由で選び、また決定したかの経緯まで丁寧に写真付きのメールを送ってくれた。最終的に決まったのはブリストルの中心部から車で15分ほどの川沿いにあるちょっとした庭園のような場所で、ロブが彼を連れて行ったことがあり、きっと気に入ってくれると思う、と。
 そして4月末の日曜日の午後、その場所で偲ぶ会を開き散骨した。様々な背景や経緯で知り合った、およそ40人が集まってくれた。ブリストルとつながる最初のきっかけとなったムーンフラワーズのメンバー、そのファミリー、雑誌の取材やレコード買い付けで知り合ったレーベル・アーティストの人たち、ロブ(・スミス)がコネクションを広げてくれたドラム&ベース~ダブ人脈、BS0で来日し我が家に泊まったDJたちが一同に会し、ブリストルの様々なコミュニティの人や文化の日本との橋渡しをしてきた彼の存在・役割を改めて実感することとなった。散骨の際には、改めてロブが彼の功績をスピーチしてくれるという場面もあった。事前に聞いていなかったので驚いたが、本当にありがたかった。朝から雨交じりだった曇天も、散骨の瞬間には太陽が現れるという、とってもマジカルなひと時となった。これだけの人に見守られてブリストルの地に帰ることができて、E-JIMAも喜んでくれているのではないだろうか? と4年越しにやっと実現できた散骨で、わたしもようやくすっきりとしたのだった。(※なお、日本での川の散骨は、川が生活用水であるため、民法で罰せられる場合もある)


NAOKIを偲ぶ会にて。ロブ・スミスが弔辞を述べてくれた。

 すっかり前置きが長くなってしまったけど、そんなわけで10年ぶりのブリストルへ。噂には聞いていたけど、ブレグジットとCOVIDの影響で物価が跳ね上がり、ロンドンからの移住者も多く、家賃は高騰している。街は以前よりきれいになっていて、マンション(ブロックと呼んでいた)やショッピングモール、カフェやレストランも続々と新設されていた。その影響は、気に入っていたかわいい雑貨屋さんやレコード店などのインディペンデントなお店にも及んでいる。軒並み閉店してしまい、みんなオンラインショップに移行してしまったようだ。アンダーグラウンドのミュージシャンにとっては住みにくい街になってしまい、その結果、ブリストルより物価が低いさらに西、サマセットやウェールズに移り住む人たちが増えたという。

  • 偲ぶ会にて、大勢の人たちがメッセージを寄せてくれた。
  • 偲ぶ会にて、大勢の人たちがメッセージを寄せてくれた。

 ブリストル滞在期間中(4/25~5/1)、ふたつのイベントに行った。ひとつはBS0でも来日プレイしたDUBKASMのストライダが企画する「Teachings In Dub」。その日(4/26)はAba Shantiがゲストだった。会場はキャパシティ600人程度のトリニティーセンター。約200年前に教会として建築された歴史的な建造物でありながら、とんでもない爆音で会場中をブリブリ震わせているというのが、まず日本では考えられないことかなと思う。会場は70代と思える老齢の女性から20代の若者まで世代、性別、人種の関係なく、誰もが楽しめる場となっていた。昔から変わらないスタイルで1曲1曲ダブをかけて、スピーチして。イベントのタイトル通り、ダブ・カルチャーを次世代に脈々と伝えていく役割を果たしている。
 同行してくれたロブは、Aba Shantiのセットに相当感動したらしく、20代の頃トリニティで初めてジャー・シャカを体験した時のことを思い出したと感慨深く語っていた。「ジャー・シャカのサウンドシステムで初めて視界がブルブルと揺れちゃってよく見えないという体験をしたのだけど、それは実際、音の振動で眼球が震えているせいだよ」、と当時の友人に言われたそうだ。

  • Trinity Centreにて。ニュー・ルーツのディジェイ、アバシャンティ。
  • CGもGIFもなく、ただサウンドのみでオーディエンスを上げていく。

 その翌日(4/27)には、世界最貧国のひとつと言われているアフリカ・マラウイを支援しているブリストルの団体「Temwa」の20周年記念チャリティー・イベントにも足を運んだ。会場はセントラル・ウェアハウスという、キャパシティ1700人程度の街の中心部にできた大箱。(7/6にはPinch主催でSubloadedの20周年記念イベントが予定されていて、とんでもないメンツがラインナップされている)この会場で、フルサイクル/レプラゼントのDJ KRUSTとDJ DIEが出演するというので行ってみた。まず、そういった社会支援団体がローカルなクラブ・ミュージックのアーティスト/DJを巻き込んで大きなイベントを開くこと自体、やはり、理解度が高いというか、音楽カルチャーが社会に根付いているのだと実感する。この日は他にも、BBCでレギュラーDJしているFun lovin criminalsのヒューイ・モーガンや、ベテラン女性D&B DJ のDAZEEなども出演した。
 元倉庫だった会場には、DJルームがメインのほかにふたつあった。外にはマーケットも出ていて、昼の2時から夜12時まで、ちょっとしたフェスのようなイベントだ。さらに驚いたのが、大きな犬を連れてKRUSTと喋っている元マッシヴ・アタックのMushroomがいたこと! 飯島が入院した時には直接メッセージもくれた彼だけど、相変わらずの優しい落ち着いたトーンで、でもどことなく浮世離れしたオーラを放っていた。とはいえ、彼にインスタのアカウントを聞かれたのでQRを差し出したら、「俺の携帯これだから」、とちーっちゃい古びた折り畳みの携帯を見せてくるようなお茶目な人です。
 Mushroomとの交流は、1998年12月に行われた“マッシヴ・オブ・ブリストル”というDJツアーで来日したとき、同行したモア・ロッカーズのピーター・Dに紹介してもらったことがきっかけだ。その後もお忍びで来日した際に何度か会ったり、ブリストルに行ったときにお宅訪問したりしたのだけど、遠い昔のことで記憶がおぼろげ(笑)。
 私がこのイベントで一番楽しんだのは、大トリのKRUSTとDIEのB2Bの前に突然若いHip Hopクルーが現れたときのこと。見るからにまだ初々しい若い男の子がラップを披露して、後ろにはDIEやKRUSTたちが保護者のように笑顔で応援している。「もっと前に出ろ」とか声援を送っていて、彼らが若手タレントにこの大舞台でプレイするチャンスを与えているんだとわかった。そういうフルサイクルのメンバーたちも、その昔はスミス&マイティのスタジオや機材を借りて音楽を作りはじめたという歴史があるわけで、そうやっていまもまた若者を支援する文化や機会があるということを目の当たりにできて、感無量になっちゃったよね。
 イベント終了後、楽屋に通してもらった時に例の若者ラッパーに声をかけてみると、彼はデビューしたての21歳で、〈ハイパーダブ〉からリリースしたあのジョーカーの弟君だったことが判明! 彼の名はORTISJBROWN。イベントの数日後、ジョーカーのインスタストーリーに弟の誕生日を祝う大量の写真が投稿されていて兄弟愛を感じた!

  • ジョーカーの弟、若干21才のORTISJBROWN。
  • 続いて、ダイとクラストのB2B。

 滞在期間中は2つのスタジオ訪問も。ひとつはライダー・シャフィークと2019年に来日したベース・ミュージック・クリエイターのサム・ビンガ。彼のスタジオは元銀行だった建物の地下ってこともあって、重厚な金庫仕様で分厚いドアに守られている。この前の週には韓国、日本でのDJプレイもあり、7月のアウトルックフェスにも出演が決定。今年はアメリカでの活動も精力的に予定しているそうで、ますますの活躍が期待される。スタジオ近所にあるシンセ屋さん(Elevator Sound)にも連れて行ってもらったけど、超マニアックなお店だし、高級そうだし、売れているのかは謎。

  • パイナップル・レコード、サム・ビンガのスタジオ。
  • スタジオ近くの機材屋「ELEVATOR SOUND」。たくさんのシンセサイザーやミキサー、エフェクターなどが売られている。

  DUBKASMのスタジオにも行ってきた。2012年、スタジオが出来立ての時にも訪問しているので今回で2回目。ただし今回は、スタジオに入るなり目に飛び込んできたのがE-JIMAの写真だった。それは、彼らが作ったオリジナルカレンダーの1ページだった。来日時に我が家で撮った写真が使われていて、彼が亡くなってからずっとこのページを壁にかけてくれているそうだ。そして、数々の名曲を生んできたスタジオでは、これからリリース予定のビッグチューンも特別に聴かせてもらうことができた。


ダブカズムのスタジオにて。左がベン、右がストライダ。後方の壁には飯島直樹の写真をデザインしたカレンダーが。

 みんなが気になっている最近のブリストル・アンダーグラウンドシーンでは何が盛り上がっているのか? リサーチしたところ、ブリストル南東部郊外にあるブリスリントン(Brislington)を拠点に活動しているGreen King Cutsクルーだという情報を得た。彼らが運営しているサウンドシステムのハコ、「Green Works」が評判高く、いま盛り上がっているようだ。
 そんなわけで現在のブリストルは以前より住みにくくなってはいるものの、音楽シーンは変わらず地域に根付いている。世代、人種横断でサポーティヴな環境があるってことがわかった。

  • ブリストル市内のパブ、STAR & GARTER。
  • 店内の壁には、ブリストルにちなんだアーティスト写真が額装され、飾られている。
  • ジュークボックスにはなんと、飯島直樹選曲のCDもあり。
  • 「ワイルド・バンチ」コーナーもあり。

 最後に、そもそもどうしてここまでブリストルとの強力なコネクションができたのか? だけど、気づいたらこうなっていた。としか言えない。E-JIMAの純粋にブリストルの人と音楽が「好き」な気持ちと、オタク心と、DIY精神かな? と思う。彼はお金儲けするような経営者気質ではなかったけど、人と違った面白いことを考え付くアイデア・マンであり、後先考えず実行できる人で、あらゆるチャネルを作ってきた。フリーマガジン、レコードショップ、レーベル・オーナー、イベント企画、音楽ライター、DJ。それらを通じていつの間にか築き上げてきたのだと思う。
 本当の始まりは、彼がムーンフラワーズのファンクで、そのサイケデリックな音楽に惹かれて、まだ携帯もインターネットもなかった時代に作っていたフリーマガジン「GRASSROOTS」のため、1993年、FAX取材を申し込んだことがきっかけだった。そこからブリストルに会いに行くことになり、94年には日本ツアーを企画することになった。
 また、93年には江古田にて、E-JIMA はZEROをオープンさせている。ムーンフラワーズ以外にも、マッシヴ・アタックやスミス&マイティなど、好きなミュージシャンが偶然にも同じブリストルに集中していた。それから、ほぼ毎年レコードの買い付け、雑誌の取材、新婚旅行とブリストルに行くことになった。地元の新聞や雑誌に珍しいやつがいると紹介され、ブリストルに行けばみんなが声をかけてくれるし、日本にくればZEROに遊びに来てくれる。そうこうしているうちに信頼関係ができたのかな、と思う。
 残念ながらE-JIMAは志半ばでこの世を去ってしまったわけだけど、彼が築いてきたブリストルとのコネクションが絶えるわけではなく、BS0をはじめとする彼の想いを受け継ぐ次世代もいる。そこから、きっとまた新しい動きが生まれるのではないかと期待している。

  • ブリストル市内のフレンドリー・レコードの入口には、マーク・スチュワートのおそらく等身大のステンシルが。
  • 市内のスケートボードパーク。ここではグラフィティも自由に描いて良し。

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