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『蛇の道』© 2024 CINÉFRANCE STUDIOS – KADOKAWA CORPORATION – TARANTULA

『蛇の道』

監督・脚本:黒沢清
原案:『蛇の道』(1998年大映作品)
出演:柴咲コウ、ダミアン・ボナール、マチュー・アマルリック、グレゴワール・コラン、西島秀俊、ヴィマラ・ポンス スリマヌ・ダジ、青木崇高
製作:CINEFRANCE STUDIOS KADOKAWA
製作国:フランス 日本 ベルギー ルクセンブルク/113 分
配給:KADOKAWA
© 2024 CINÉFRANCE STUDIOS – KADOKAWA CORPORATION – TARANTULA
https://movies.kadokawa.co.jp/hebinomichi/

三田格 Jun 13,2024 UP

「経済を回す」というのが最近は宗教の標語に思えて仕方がない。「求めよ、さらば与えられん」とか「たゆまず祈りなさい」とか、あの手の精神的な強迫のようで、真面目な信者が教会とかお寺に通うようにショッピング・モールやスーパーマーケットに熱心に通いつめ、それ以外に道はないと信じて疑わない感じがしてしまう。大勢の人が経済を回さなきゃ、回さなきゃとスローガンを唱えながら資本主義を支えようとする姿は、かつて、共産主義は人々をアリのように働かせて個性を失わせるといって批判していたイメージががそのままブーメランとして返ってきたみたいで、主体性が失われるのはもはや資本主義も同じではないかと。

 1998年に公開された『蛇の道』(DVD化された時のタイトルは『修羅の極道 ~蛇の道~』)を黒沢清本人がセルフ・リメイク。脚本は高橋洋から黒沢清に代わり、全体の改変率は60~70%ぐらいか。東京都下の日野市周辺(?)が舞台だったオリジナルからロケ地をフランスに移し、曇り空のゴルフ場だったシーンも鮮やかな緑が一面に広がる田舎の風景に様変わりし、これまで黒沢作品にはなかった美しさを楽しむことができる。とはいえ、そうした開放感はもちろん限定的で、薄暗い室内だとか、遠景の多用、人物そのものではなく人間がいた気配だけを撮るなど黒沢作品の特徴に変化はなく、観客は闇の濃淡を見つめ、場面転換とともに大きな音に驚かされるあたりもとくに変わりはない(ルンバの動きを追うシーンはなかなかにユーモラス)。

 オープニングはパリの裏通りを歩く新島小夜子(柴咲コウ)。なにやら切迫感に突き動かされている様子で、小夜子がそばにいたアルベール・バリュレ(ダミアン・ボナール)に話しかけると、2人はあっという間にティボー・ラヴァル(マチュー・アマルリック!)を拉致し、その場から車で連れ去っていく。袋詰めにしたラヴァルを引き摺り回すシーンが必要以上に長く、人間を「モノ扱い」していることが強調される。廃屋に拘束されたラヴァルは8歳の女の子がピアノを弾く姿をヴィデオで見せられ、その子が殺されたこと、そして、責任がお前にあると告げられる。ラヴァルは身に覚えがないと絶叫するもまったく相手にされず、小夜子とアルベールに虐待されまくる。

 場面変わって小夜子の診療室で吉村(西島秀俊)が精神薬の処方を受けている。吉村は愚痴っぽく、小夜子がパリで立派に暮らしていることに妬みをぶつけるようなことを言い続ける。再びラヴァルが拘束されている廃屋。ラヴァルは窮地から逃れようとして真犯人はピエール・ゲラン(グレゴワール・コラン)だと主張する。小夜子とアルベールはゲランを拉致しに出掛け、同じように袋詰めにされたゲランが引きずり回されるシークエンスはラヴァルよりも長い。長過ぎる(笑)。ゲランもラヴァルと同じように娘がピアノを弾くヴィデオを見せられ、同じように自分は殺していないと訴える。このあたりから、いま目の前に見えていることとは違うことが実際には起きているののかもしれないという感覚が湧き上がってくる。誰かが操作し、洗脳した結果だけを見ているのかもしれない。そのような疑念に突き動かされる感じは『CURE』(97)と同じで(オリジナルの『蛇の道』は『キュア』の次につくられている)、この気分を味わうことが黒沢作品を楽しむ際の半分近くを占めている気がしてしまう(オリジナルはこの辺りからシュールさが倍増する)。ラカン用語でいえば1人の人間のなかにある現実界と想像界の両極に振り切れた世界観を行ったり来たりする面白さを味あわせてくれるということかもしれない。

 ゲランはアルベールも自分たちと同じ組織にいたことを小夜子に告げ、それまで復讐の主体だったはずのアルベールは小夜子に組織を内偵していただけだと弁解する。3ヶ月前、白く輝く病院内の景色が続き、何が起きたのかと思っていると娘を失ってへたりこんでいるアルベールに小夜子が「大丈夫ですか』と声をかけるシーンが短く挟まれる。小夜子からアルベールに近づいたことがわかり、小夜子の動機が謎めき始める。小夜子はアルベールのいないところでラヴェルとゲランに取引を持ちかけ、ほかに誰か犯人に仕立て上げられる奴はいないかと相談する。そして、クリスチャンの名前が候補に挙がり、小夜子は2人以上は拘束できないので、どっちか1人がもう1人を殺せと2人の足元に銃を転がす。ラヴァルとゲランが銃を奪い合う音が聞こえ、やがて銃声が鳴り響く。

 後半の展開はもはやオリジナルとは別物になっていく(以下、ネタバレのような解釈)『蛇の道』で意志を持っているのは女だけ(柴咲コウの役をオリジナルで演じているのは哀川翔)。男は組織の一部として動いているだけで、全体像を把握している者は1人もいない。ラヴァルもゲランも自分が何をやっているのかわかっていなかったとしか思えない描かれ方で、闇とはいえ、彼らも経済を回すだけの存在でしかなかったとしか思えない。自分は殺していないと思っているのも、だから本当のことであり、その最たる存在がアルベール・バリュレであり、彼もまた自分が何を運んでいたのか知らなかったと言い張ることになる。男たちに何かをやらせていたのも、そのシステムを破壊するのも女性で、まるで男社会の無用性をあぶり出して叩き壊したかのような話である。ただし、そうした女性たちの意志もまた正気とは思えない描かれ方をしていて、このままでも社会はダメだし、女性たちがリーダーになってもうまくいかないという話に思えてしまう。穿っていうと組織のボスが女性になることを黒沢清は無意識に恐れている作品だと受け取ることもできなくはない。

 舞台をフランスに移したのは大正解で、日本人はフランスで暮らし始めると買い物や日常会話などあらゆる場面で自己主張の強さについていけず、若い女性がとくにパリ症候群にかかりやすいという話をよく聞く。吉村の症状がまさにそれで、彼は組織から離れて個人としてフランスにいるために主体性が試される結果となり(以下、ネタバレ)、結局は死を選んでしまう。診療所で小夜子に「一度、日本に戻った方がいいかもしれません」と告げられるのは、いわば、あなたは男なんだから日本に帰って男社会に復帰すれば治るよと言われたようなもので、吉村との対比で小夜子がいかに自己主張が強く、他人を引きずり倒していくキャラかということが納得させられる(小夜子はこれといったオシャレをせず、いつも地味なジャケットを着ていて、そのことが自分は自分であるという強いメッセージに感じられる)。アルベールを道具として使い倒した小夜子が組織に大打撃を与え、さらにその動機が最後に語られる。これがもうひとつ素直に受け取っていいものかどうなのか。小夜子が自己主張の強いキャラを通り越して単なる狂人だったという可能性を示唆して物語が終わったように感じたのは僕だけだろうか。もう一度観たらそれがわかるという感じでもなさそうなところが黒沢作品の空恐ろしいところ。

 いずれにしろ本作は『CURE』に迫る傑作だと思う。そして、今月10日、嫌味なことに黒澤清はフランスの文化勲章にあたるオフィシエ賞を受賞した。

三田格