ele-king Powerd by DOMMUNE

MOST READ

  1. Helen - Linda's Head | ヘレン
  2. interview with Adrian Sherwood and Nightmares On Wax UKダブ・“トーク”・セッション | ――エイドリアン・シャーウッド×ナイトメアズ・オン・ワックス特別対談
  3. 別冊ele-king パンク50周年記念号──それは何だったのか、何でありえるのか
  4. Black Marble - Life in Small Spaces | ブラック・マーブル
  5. Gaku Kiishi ──『サイコ』『オーメン』『シャイニング』『リング』から『8番出口』『バックルームズ』まで、ホラー映画の音楽を分析する1冊が刊行
  6. AMBIENT KYOTO ──2027年春、レイ・ハラカミの展示が決定
  7. 細野晴臣 - Yours Sincerely | Haruomi Hosono
  8. Horse Lords - Demand to Be Taken to Heaven Alive!  | ホース・ローズ
  9. アンビエント/ジャズ マイルス・デイヴィスとブライアン・イーノから始まる音の系譜
  10. 食品まつり a.k.a foodman - HIKARIGASASHIKOMU
  11. Columns ♯17:もしもパンクがなかったら ——その基礎知識と『パンク50周年記念号』刊行のお知らせ
  12. The Clash ——ザ・クラッシュ、結成50周年記念ベストがリリース
  13. Bicep ——バイセップが3つの新曲で、フリー・パーティ、レイヴ、サウンドシステム文化を主張する
  14. Klara Lewis - Opening | クララ・ルイス
  15. interview with Actress UKテクノ界の奇才が語るみずからの哲学 | ──アクトレス、インタヴュー
  16. RYUICHI SAKAMOTO + SHIRO TAKATANI AMBIENT KYOTO - TOKYO -
  17. Robert Del Naja ──マッシヴ・アタックの3D、二度目の逮捕
  18. Malaria! ——80年代初頭の西ベルリンから、ポスト・パンク/アヴァンギャルド・シーンを象徴する最重要バンド、マラリア!再発
  19. Arca - XXXXX
  20. Helen - The Original Faces  | Grouper、グルーパー、ヘレン

Home >  Reviews >  Album Reviews > Helen- Linda's Head

Helen

Dream popEtherealIndie Rock

Helen

Linda's Head

Kranky

野田努 Oct 12,2026 UP
E王

 エーテル(ether)とは、かつての物理学において宇宙空間を満たす見えない非物質的実体の名称だったが、19世紀半ばから20世紀前半にかけては世界初の全身麻酔薬の名称となった。そして1980年代──「エーテル」はUKのアンダーグラウンド・ロック界において、スコットランド東海岸の工場が並ぶ港町から現れた男女が放つ、大気中に飛散するかのような音楽を形容する言葉になった。
 リズ・ハリスがそのエーテル音楽、すなわちコクトー・ツインズを知ることになったのは、もちろん21世紀になってからのこと。彼女の音楽を聴いた多くの人から「君は絶対にコクトー・ツインズが好きだろう」と言われたからだった。じつを言えば、ハリスはそう言われるまで彼らを知らなかった。しかし、じっさいに聴いた途端、彼女はそれを認めた。「そう言われるのも無理はないな」

 今年は、『UKインディ・ロック入門』(いまその下巻を制作中)とパンク50周年のために、1970年代後半から1980年代にかけてのギター・ロックを大量に聴いて、調べたり、考えたりしている。そんななか、今日の日本でコクトー・ツインズが若い世代に聴かれていることを知った。1980年代初頭、ポスト・パンクの時代が終わり、その第二波として登場したこのグループは、現実世界を描写することになど微塵も関心がなかった。「ソングライティングにおいてわたしが関心を抱いているのは、ただ言葉の音そのもの」、そう言ったエリザベス・フレイザーは意味によって価値を左右されない歌を歌った。ロビン・ガスリーのギターは「テクスチュア」の概念を取り入れ、実体をどこまでもぼかすることで明確な別世界を創出させた。このエーテル系がドリーム・ポップと呼ばれるサウンドの種子となったわけだが、その感性を、ソニック・ユース経由のノイズ・ギターで濾過したとき、マイ・ブラッディ・ヴァイレンタインの抽象性へと化けたのだろう。リズ・ハリス擁する3人組みのバンド、ヘレンの新作を聴いていると、この音楽のなかに『ヘッド・オーヴァー・ヒールズ』と『イズント・エニイシング』を繋ぐ糸のようなものを感じる。が、たんにそれらの混合ではない。

 現在はオレゴン州北部沿岸を拠点とするリズ・ハリスは、グルーパー名義の作品で広く……といってもアンダーグラウンド・ロックのシーンにおいてだが、知られている。ひとこと言わせてもらえば、2010年代のぼくのフェイヴァリットのひとりだ。
 意味よりも感覚で満たされた彼女の作品は、いわば21世紀のエーテル・ウーマンの代表のような人で、現実と夢の境界線を曖昧とする威力においてはMBVにも通じている。若き日の彼女がヴァレンタインズのファンであったとしても驚くことはないだろう(学生時代、レッド・クレイオラのことを知らず、メイヨ・トンプソンのギャラリーで働いていたことのほうが話としては面白い。もちろんのちにクレイオラのファンになった)。
 もっとも、MVBと違ってグルーパー名義の作風を特徴付けるのは、気化する轟音とは対極のか細いつぶやきめいた歌と幽玄な音響が織りなす、息を飲むような強烈な静けさである。彼女はかつて数々の自曲を「幽霊たちが私の寝室を飛び回っているという夢」に喩え、自作のリリースを「重い物を湖にこっそり沈めようとするかのようだ」と表現した。いわく「静かな隅を見つけ、そっと水面下に滑り込ませ、しばらく波紋を見つめてから、忍び足で立ち去るのです」

 そこへいくとヘレンのサウンドの数曲は、シューゲイザーと呼ばれるものに近い。ドラム(ジェド・ビンデマン)もベース(スコット・シモンズ)もいるし、ロック・バンドになっている。これがヘレンとしては2枚目のアルバムだが、前作は11年前だから、正直なところ「え? まだ続いていたのか」と思うのも仕方がないだろう。
 ロック・バンドといってもその音響は独特だ。なんともおぼろげで、幻のように駆け抜ける。そう、「駆け抜ける」のだ。グルーパー名義やロイ・モンゴメリーとの共作、もしくはRaumなど他のプロジェクトを貫く「静寂」たちとは違って、曲によってはノイジーな、この推進力ある演奏のなかで聴けるハリスの歌は新鮮に感じる。遊び心もあり、“Dead Shark” のような曲では、いわゆるフォーク・ソング(民謡)調の曲をやっている。その連作 “Dead Shark II” は、リヴァーブでびしょ濡れのバーズといった感じで、ハリスの音楽を語る上でもっとも「らしくない」言葉を使えば、けっこう「楽しめる」内容になっているのだ。
 甘美な弾き語り “Black and Quiet Love” 、くぐもりながらもメロディアスな “Stay with Me” 、そして8分と長尺な “Canyon” では、最後の締めに相応しい非物質的な、すなわち気体の(エーテル)音楽を奏でる。

 近年のポップ・ミュージックがまたしても「まどろみ」を求めていることは、ティルザやジャブ(噂では新作はポスト・パンクしているらしい)のアルバムを聴いてたときにもなんとなく感じていた。ラップで言えば、マンブル系もそうだ。ハキハキとモノを言う音楽よりも、そのほうが魅力的に思えるとしたら、我々が音楽のなかに求めているものがSNSに氾濫する「正義」ではなく(今年のベスト・アルバム・タイトルはファット・ドッグの『キャンセルしてくれ(俺は疲れた)』に決定)、音に惑溺することで得られる解放感、もしくは現実の喪失感ということになる。そこでは、フレイザーが言うように、音としての言葉が逆説的に意味を持つ。

 ドリームポップをやっている人間が非政治的だとは限らない。ハリスの、草の根の社会運動、弱者やマージナライズされた人びとを支援する行動については、ファンはよく知るところである。ただし彼女は、表舞台で大々的な政治的発言をすることは少ないし、そもそもスポットライトなど冗談じゃない、大勢に見られることなどできることなら避けたいと思っているニック・ドレイク系のミュージシャンだ。じっさい、有名になったいまでも小規模なライヴでの活動を続けている。元来彼女は、作品を作ってはこっそり湖に沈め、しばらくその波紋を見てからその場を忍び足で立ち去る人なのだ。ハリスはある時期までソーシャルワーカーとして働きながら音楽活動をしていたが、その頃のほうが楽だったと『ピッチフォーク』の取材で打ち明けている。なぜなら、「何してるの? と訊かれたとき、ソーシャルワーカーと答えれば良かったから」

 パンチの効いた曲や、スポットライトを浴びることを楽しむ勝ち誇った音楽──ハリスはそうしたものから慎重に距離を置いている。
 現実世界を真摯に歌う音楽のなかでも、例えばザ・クラッシュやスリーフォード・モッズをぼくが好むのは、第一にそのサウンド自体に解放感があり、さらにはサウンドそのものにメッセージを感じるからだ。歌詞を理解するのは、音に惹かれた後の話でいい。
 リズ・ハリスの繊細な表現は、言葉がもたらす誤解や齟齬を避けるかのように、いまだ輪郭をぼやかしたままだ。以前よりは言葉が聴き取れるようになった気もするが、英語に不慣れなひとりの聴き手として、ぼくはいまもそのサウンドそのものに耳を傾けている。そして、この音楽がもつ視野の広さに気づかされるたび、ふとこんなことまで考えてしまうのだ──ぼくたちは、自分たちが思っているほど不自由ではないのかもしれない、と。

 なお、リズ・ハリスはこの後、11月に2本の短編映画のサウンドトラックを収録した新作アルバムをリリースする。

野田努