Home > Reviews > Album Reviews > Caterina Barbieri & Bendik Giske- At Source

カテリーナ・バルビエリとベンディク・ギスケによるアルバム『At Source』は、シンセサイザーの電子音と人間の呼吸、コンピューターと肉体が触れ合う瞬間を記録した音楽である。そこでは機械と人間の身体のわずかな揺らぎが、まるで互いを試すように寄り添いながら、ひとつの音響的風景を立ち上げていくのだ。
本作『At Source』は、バルビエリとギスケが長年にわたる共演と対話のなかで育ててきた音楽的関係の結晶である。アナログ・シンセサイザーが描く反復の上を、サックスが横切っていく。その運動はふたつの異なる時間感覚が同じ空間のなかで重なり合い、ときに擦れ、ときに共鳴しながら、音楽という現象の深層を掘り下げていく過程そのものだ。アルバムは4曲、約33分。その内部では持続と変化、静止と生成が絶えず交錯し、聴き手の知覚をゆっくりと変形させていく。
カテリーナ・バルビエリは、モジュラー・シンセサイザーによる反復構造を通して、時間そのものを彫刻する電子音楽家である。バルビエリの作品は、アルペジオの連鎖がつくり出す微細な変化によって、聴く者の感覚を静かに攪乱する。2019年のアルバム『Ecstatic Computation』によって、そのトランス的な時間感覚は広く知られるようになった。バルビエリの音楽の核心は、その内部に潜む微細な揺らぎにある。規則的なパターンのなかで、わずかにずれる音の粒子によって生まれる知覚の裂け目。『At Source』でもまた、バルビエリのシンセサイザーは幾何学的な秩序を保ちながら、どこか生き物のように呼吸している。
本作をリリースする〈light-years〉はバルビエリ自身が設立したレーベルであり、音楽が生成される場そのものを設計するためのプラットフォームである。ライヴ、レジデンシー、コラボレーションなどを横断しながら、音楽がどのように生まれ、どのように変化していくのかを探る実験場でもある。『At Source』は、そのような長いプロセスのなかから、ひとつの静かな結晶として現れた作品だ。
一方、ベンディク・ギスケは、サックスという古典的な楽器を身体そのものの拡張装置として扱う演奏家である。彼の演奏には、旋律以上に呼吸の震えやキーの打撃、身体の緊張が刻まれている。複数のマイクを身体や楽器に配置する録音方法によって、彼のサックスは単なる音色ではなく、演奏者の身体の運動そのものを記録する装置となる。そこで聴こえてくるのは音楽というより、むしろ身体が音へと変換される瞬間の記録である。
ふたりの出会いは2019年、スイスの美術館 Kunsthaus Glarus での公演に遡る。互いの音楽が発する奇妙な共鳴を感じ取ったとき、彼らは「移行」という概念を音楽の中心に据える可能性について語り合った。音と音のあいだ、構造と即興のあいだ、電子回路と身体、その境界を越えていく微細な変化。そこにこそ、彼らの共同制作の核となる発想が見いだされていく。
2021年には、ギスケがバルビエリの楽曲 “Fantas” を再解釈したプロジェクト『Fantas Variaciones』に参加し、両者の協働はより具体的な形を取り始める。ふたりはミラノの現代美術機関 ICA Milano(Institute of Contemporary Arts Milano)でのレジデンシーを通じて制作とパフォーマンスを重ね、電子音響と身体的演奏の関係を探究していった。そうした制作過程とライヴでの実践のなかで培われた音楽的対話が、やがて作品として結実する。それが本作『At Source』である。
アルバムを構成するのは “Intuition, Nimbus”、“Alignment, Orbits”、“Impatience, Magma”、“Persistence, Buds” の4曲。カンマで結ばれたふたつの言葉は、ふたりの視点が同時に存在することを示唆している。ひとつは身体の衝動、もうひとつは構造の視点。音楽はそのふたつのあいだを揺れながら、ゆっくりと形を変えていく。
“Intuition, Nimbus” は、サックスの孤独な震えからはじまる。そこにシンセサイザーの持続音がゆっくりと広がり、まるで雲が空間を満たしていくように音響が膨張していく。“Alignment, Orbits” では、反復するアルペジオとサックスのキー音が互いの軌道をなぞるように循環し、音は重力を持った天体のようにゆっくりと回転する。アルバムの中心に位置する “Impatience, Magma” は、内部で静かに燃え続ける火山のような作品である。断片的なサックスのフレーズとシンセサイザーのオスティナートが徐々に絡み合い、時間をかけて大きなクレッシェンドを形成していく。そして終曲 “Persistence, Buds” では、すべての音が再び静寂へと帰っていく。残るのは呼吸と残響だけだ。
このアルバムが示しているのは、電子音楽とアコースティック演奏の「融合」ではない。両者は決して完全には溶け合わないまま、互いの異質さを保ち続けている。電子音とサックス。そのふたつが交差するとき。もうひとつの音が生まれる。機械の時間と身体の時間が同時に流れる、二重の時間の音だ。
その瞬間、音楽は単なる旋律や和声の集合ではなくなる。そこに露呈するのは、音が生まれる過程そのものだ。呼吸・摩擦・振動・電流。サックスのキーが触れられる瞬間、シンセサイザーの回路が共振する瞬間、音楽は身体の内部と電子回路の内部を同時に照らし出すだろう。
『At Source』というタイトルは、いくつもの「問い」を投げかけている。音楽の源泉とは何なのか。身体なのか。機械なのか。それとも意識か。自然現象なのか。それとも、それらが触れ合う瞬間なのか。このアルバムは答えを与えない。ただ、音が生まれる場所へと、聴き手をゆっくりと導いていく。そこではすべての「音」がまだ形になる前の、かすかな震えがアルバム。まるで世界が最初に呼吸を始めたときのように。
デンシノオト