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Jill Scott

FunkPoetryRapSoul

Jill Scott

To Whom This May Concern

Blues Babe Records

野田努 Feb 27,2026 UP

 ニッキ・ジョヴァンニの『双子座のおんな』を、ものすごく久しぶりに読んだ。この本を初めて手にしたのは、かれこれ40年も前のこと。呆れるほど無知な若造だった頃で、まあ、端的に言えばそのときは読んでもまったくわからなかった。
 だいたい黒人文化について無学だった。自慢じゃないが、60年代の政治の季節(ロング・ホット・サマー)についても、リロイ・ジョーンズのブラック・アーツ・ムーヴメントに関しても、ましてや、白人が牛耳る国の黒人であり、男性が牛耳る世界の女性の書いたエッセイなど、まるっきり理解できるはずもない。すべてが他人事であり、20歳くらいの若い女性から発せられる「ママ、世界中で黒人の革命がおこるのよ、準備しなくちゃ」という言葉も、なんだか絵空事に思えてしまうのだった。

 ジル・スコット──クラブ・ミュージックに親しんでいる人にとっては、アースラ・ラッカーと並んでもっとも馴染み深いネオ・ソウル/ニュー・フィリー系の歌手──の10年ぶりの新作、まずはアートワークに惹かれた。黒人女性の顔に細かく文字が描かれたそのカヴァー──「We can save ourselves(私たちは自分たちを救える)」「Your rules are nothing(あんたらのルールなど無意味だ)」といった力強いアファメーションが目に入る。目を凝らせば、「one day we will destroy of all those who wish to harm us(いつか私たちは、私たちを傷つけようとする者たちをことごとく打ち滅ぼすだろう)」が読めるし、首飾りには何重にも、ほとんど言霊か呪詛のように「we fight(私たちは闘う)」とある。
 クールだ。
 ベル・フックスによれば、アメリカの白人至上主義社会のなかで創出された「クール(格好いい)」なる黒人英語がほんらい意味するところは、黒人が家父長制的な支配力を持つことなんぞではない。クールとは──「精神を荒廃させることなく、いかに人生の苦難に立ち向かうか」「苦しみを受け入れ、それを錬金術のようにして黄金へと変えること、その燃焼のプロセスに必要とされる凄まじい熱量にも耐え、自分を見失わない能力」だという。

 ここでもう一冊、米国文学の研究者、新田啓子の『アメリカの黒い傷痕』を紹介したい。このすばらしく魅力的な書物のなかの、「生を肯定する理由」と題された論考には黒人音楽ファンにとって必読の洞察がある。いまでは黒人霊歌と知られる、すなわちかつての “奴隷たちの歌” には、死に関する歌が多く、恋愛に関する歌が少ない(なぜならそれは日常的に手の届かないものだった)という史実を前提に、在りし日の、アメリカ黒人の〝人生における限界〟について延べながら、しかし、──

ゲットーで滅びることが意図されている社会を生きてこられたのは、彼らの愛する能力ゆえのことであったと断言する思想家が現れる。それはジェイムズ・ボールドウィンであった──

 と、新田啓子は綴る。そして、ボールドウィンの名エッセイ集——BLM以降、世界中で再評価された——『次は火だ』の序文を引用しつつ、こう続ける。

愛が欠如の、また不可能性の別名であるとの理解に基づくリアリズムは、逆に黒人たちを、愛という積極的な活動に、意識的に駆り立てたのだという理解がここにある。黒人たちは絶滅することを拒絶して、つまり生きたいという意志を行使して、おのれの「滅び」を期する社会の思惑に敢然と抗してきたとボールドウィンは主張する。

 人間から、金も地位も、家も、服も、尊厳さえも、人生にかかわるありとあらゆるものすべてが奪われても、それでもその人間たちを生かしてきたのは「愛」である、とボールドウィンは言っている──そのことを新田啓子は「生を肯定する理由」のなかで書いた。

 いつまでも清志郎と言ってるな、という人たちに言ってやりたい。同じように、いつまでもボールドウィンと言ってるな、と言えるのかと。
 地球の数字上では、何をしようがしなかろうが時代は進み、子供が生まれる限りは新しい世代が台頭する。それは当たり前のことである。ブラック・ミュージックはしかし、かつてもいまも、いや、おそらくは70年代初頭のPファンク(ジョージ・クリントン)あたりから、古き自分たちの先駆者たちを敬い続けている。

 ブラック・ミュージックにおける「愛」の強度——その「愛」が、波瀾万丈で、苦難に満ち、歯の浮いたようなものではないことは、ここであらためて言うまでもない話だが、本を読みながら、愛の謳歌が、ブラック・カルチャーの文脈においては革命的なことだった、と言いたくなってきた。いずれにせよ、60年代の黒人解放闘争に身を投じたひとりの黒人女流詩人=ニッキ・ジョヴァンニを、10代における影響源のひとつとするジル・スコットが愛の歌を歌うことも、60年代の理想主義を現代に掲げたザ・ソウルアクエリアンズ(ザ・ルーツ、コモン、モス・デフ、Jディラ、エリカ・バドゥ、ディアンジェロたちから成る左派系コレクティヴ)に合流することも必然だったのである。
 もっともジル・スコットはフィラデルフィア、そもそも彼女を見出したザ・ルーツのクエストラヴやアースラ・ラッカーと同郷で……てことは、キング・ブリットやムーア・マザーとも同郷なのであって、いや、すごい、サン・ラとアーケストラが最後に住居を構えたのもフィラデルフィアだし、最近ではDJハラムもそうだった。(フィラデルフィアは、それこそダンスフロアの基準となったキックの四つ打ちの故郷である)
 
 ジル・スコットの新作『To Whom This May Concern(関係者各位)』は、出だしが抜群に格好いい。フリー・ジャズと詩/ラップが、リズムのうねりに乗って胸躍るように流れていく。フランキー・ベヴァリー[*フィリー・ソウルの代表。Mazeで知られる]のようになりたいと語っているスコットは、確実にベヴァリーのように、人生の積み重ねのなかで作品を磨いている。50歳になったことを喜ぶ彼女は、ポップの世界で言えば、若作りに励む万能の威厳たちとは対極にいる。太ってもかまわないし、それが人間にとってのマイナスだとも思っていない。

私は「あっち側」の美意識エステティックじゃなかった
ええ、わかってる、わかってる
綺麗で、飾り立てられた外見
初歩的で、型にはまった世界
彼女らと同じように見えなきゃいけないっていう、
すごいプレッシャー

 これは“The Aesthetic”という曲の、スコットらしくユーモラスに時代を風刺したリリックの断片である。こうした〝囚われていない〟ことの余裕、優雅さ、資本主義的な価値観から自由な感性が、そのまま音楽にも反映されるのは当然だ。ニューオーリンズのミュージシャン、トロンボーン・ショーティによるビッグバンドをフィーチャーした大らかな“Be Great”、そしてキレキレのファンクに乗った“Beautiful People”、ウエストコースト・ヒップホップの先駆者トゥー・ショートを招いた“BPOTY”、アトランタの(非トラップ系)ラッパー、JIDを迎えた“To B Honest”等々、アルバムは活気に満ちてる。

 『双子座のおんな』には、(当時白人聴衆にバカ受けした)スライ・ストーンが、しかしじつは密かに黒人に向けて歌った言い回しの(きわめて政治的な)歌詞の一節が解読されている。『To Whom This May Concern』という、日本語でいうところの「関係者各位」や「ご担当者様」にあたる英語のフォーマルな言葉を題名とした新作は、〝(人種に関係なく)受け取るべき人が受け取ればいい〟、そういうメッセージでもあるとぼくは受け取った。スコットはこのアルバムについてこう語っている。
 「聴き終えたあとに、静寂がうるさすぎて耐えられないような、ぽっかりとした穴を感じてほしい。そこから立ち上がって何か行動を起こすか、あるいはもういちど最初からレコードをかけ直すか、自分がいまどこにいるのか、それが本当に自分の望んでいることなのかを、真剣に考えるきっかけになってほしい」

 ブラック・ミュージックとは、世界がこうなったらいいよね、という音楽ではない。こうでなくちゃ私ら困るんだよ、だ(でなきゃ、次は火だ)。
 ジル・スコットには、こんなポジティヴなエネルギーをありがとう、とぼくは言いたい。ジェイムズ・ボールドウィンは、人種差別(対白人)だけではなく、異性愛モダニズムとも闘わなければならなかった文学者だ。ニッキ・ジョヴァンニは、人種差別だけでなく、運動内部の家父長制(対男性)とも戦わなければならなかった女流詩人である。スコットの新作には、“ニッキに捧ぐ詩(Ode to Nikki)” という詩の朗読からはいる曲がある。ジル・スコットはもともとは、歌手ではなく、詩人(スポークン・ワード・アーティスト)としてはじまっているのだ。愛と革命の詩人がいまも自分たちのなかで生きていることを祝福するこの曲は、彼女自身の音楽について語っているようにも思えてしまう。

ニッキに捧げる頌歌

彼女は終わりのないループに閉じ込められてなんていない
彼女は自分自身のシンフォニーに合わせて体を揺らし
ハンモックに揺られながら、そよ風を感じている
自ら動機づけ、自らを満たし
驚きに満ちた好奇心、
エキサイティングな高揚感、
打ち砕かれた檻
大いなる誇りと、謙虚さ、そして多くの失敗
これ以上、自分を卑下する必要なんてない
(何のために? 誰のために?)
絶景、意図的な贅沢
精神でスプーンを曲げるような力、複雑な単純明快さ
親密で、太陽に触れられた美しい存在たち
輝きを再定義し、音の振動となって共鳴している

私たちは共にいる、同じ羽を持つ鳥のように
立ち上がり、昇り続け、繁栄し、見つけ出していく
最高に美しく、最高に魅惑的で、最高に心を奪われる
そんなエネルギーを

■参考文献↓

野田努