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この5月、6月はヒタ・リー、アストラッド・ジルベルトと唯一無比の個性を持つ女性アーティストの訃報が続いたが、先日7月16日にはジェーン・バーキンが亡くなった。エルメスのバッグの名前にもなったジェーンだが、私にとってはセルジュ・ゲンズブールのパートナーで、彼の作品にいろいろと顔を出したことで忘れられないシンガーである。“ジュ・テーム” はもちろんのこと、少年のような裸体のポートレートをジャケットに配した『メロディー・ネルソンの物語』(撮影当時のジェーンは娘のシャルロットを妊娠していた)は、ブリジット・フォンテーヌのプロデュースでも知られる鬼才ジャン・クロード・ヴァニエが音楽監督やアレンジを務め、後世にも多大な影響を与えた。
Nicola Conte
Umoja
Far Out Recordings / ディスク・ユニオン
さて、今月の一枚目はイタリアのニコラ・コンテによる久しぶりのアルバム。タイトルの『ウモジャ』とはスワヒリ語で統一や連帯を意味する言葉で、1970年代のアメリカの黒人ジャズ・ミュージシャンの間ではキーワードのひとつにもなっていたのだが、これが示すようにここ10数年来の方向性であるアフロ・ブラック・ジャズ、スピリチュアル・ジャズ的なアルバムとなっている。これまでも南アフリカはじめいろいろな国のミュージシャンたちと共演するなどしてきたニコラだが、今回の録音メンバーもイタリア、イギリス、フランス、フィンランド、スウェーデン、セルビア、アメリカ人、ガーナなどアフリカをルーツとするミュージシャンと、アドリア海に面した港町出身のニコラらしく国際色豊かな顔ぶれである。
長年の付き合いであるザラ・マクファーレンが歌う “アライズ” (彼女の同名アルバムとは別曲)が代表するように、ジャズを基調にソウルやファンクが融合し、アフリカ音楽やブラジル音楽などのエッセンスを交えたアルバム作りは相変わらずだが、今回は1970年代中頃のロニー・リストン・スミス&コズミック・エコーズ、ギル・スコット・ヘロン&ブライアン・ジャクソン、ロイ・エアーズ・ユビキティなどを想起させるような作品が多く、使用楽器や録音機材も含めて当時の音楽が持っていた匂いや質感をリアルに再現しようとしている。アフロ・ジャズとサンバ・フュージョンを掛け合わせた “ライフ・フォーセズ” におけるティモ・ラッシーのサックスは極めてファラオ・サンダース的(現在であればカマシ・ワシントン的)で、そうした引き出しの多さはやはりニコラ・コンテのDJ的な嗅覚のなせるところである。
Ashley Henry
My Voice
Royal Raw Music
サウス・ロンドンのピアニスト、アシュリー・ヘンリーも2019年のファースト・アルバム『ビューティフル・ヴァイナル・ハンター』以来久しぶりの新作となる。ビートメイカー的な側面も持つアルファ・ミストに対し、アシュリー・ヘンリーはクラシックもマスターしてきた正統派のピアニストであり、同じジャマイカをルーツに持つウィントン・ケリーからアーマッド・ジャマルらの影響も口にする。リリカルで端正なジャズ・ピアノと、カリビアン・ルーツのラテン的なタッチというのが彼のピアニストとしての評価となるだろう。ただ、彼もクラブ・ミュージックからの影響を受け、リ・アンサンブルというプロジェクトではナズをカヴァーするなど、ヒップホップやブロークンビーツ的な作品も展開し、自らヴォーカルもとっていた。新作EPである「マイ・ヴォイス」は、自身で設立したレーベルの〈ロイヤル・ロウ・ミュージック〉からとなり、来年にリリース予定のニュー・アルバムに先駆けた作品となる。
今回のEPは「マイ・ヴォイス」とするだけあって、自身のヴォーカルやワードレスのヴォイス、スキャットなどを含めたトータルでの声楽とピアノ演奏のコンビネーションを披露する部分が多い。表題曲がその代表で、透明感に富むピアノとワードレス・ヴォイスが非常にイマジネーション豊かな音像を描く。“ラヴ・イズ・アライヴ” におけるスウィートな歌声も、シンガーとしてさらに覚醒したアシュリーの姿を見せてくれる。ヴォコーダーのようにも聴こえるメロウな歌曲の “メラニン” など、歌とピアノのバランスはハービー・ハンコックが手掛けた歌モノの域に近づいている。“デイ・ドリーム” での歌声は、オマーやクリーヴランド・ワトキスなどの先達を彷彿とさせるもので、みなジャマイカ系イギリス人という共通項から生み出される歌声なのかもしれない。そして、小刻みなブロークンビーツ調のリズムを刻む “ブリーズ” をはじめ、今回もクラブ・ミュージック経由の斬新なドラム・パターンが随所に配置され、新しいジャズの息吹を感じさせる作品集だ。
Terrace Martin
Fine Tune
Sounds Of Crenshaw
ロサンゼルスのミュージシャン/ラッパー/プロデューサーであるテラス・マーティンは、スヌープ・ドッグ、ケンドリック・ラマー、トラヴィス・スコットらの作品に関わり、ジャズとヒップホップを結びつけたキーパーソンである。自身のアルバム『3コードフォールド』(2013年)はそれらラッパーからシンガー、さらにロバート・グラスパーも交え、そのグラスパーの『ブラック・レディオ』に対するヒップホップ/R&Bサイドからの回答とでもいう作品だった。『ヴェルヴェット・ポートレイツ』(2016年)ではサンダーキャット、カマシ・ワシントン、キーヨン・ハロルドらも交え、全体にジャズへ接近したところが見られた。特にディアンジェロのツアー・メンバーで、グレゴリー・ポーターやアシュリー・ヘンリーの作品にも参加し、マイルス・デイヴィスの伝記映画『マイルス・アヘッド』でトランペットを演奏したキーヨン・ハロルドが鍵で、彼の参加でディアンジェロ的な70年代ソウル~ファンク・リヴァイヴァルの流れを汲んだアルバムとなった。
その後、ミュージシャンやプロデューサーらのコラボレーション・グループであるポリシーズのアルバムやライヴ盤を経て、ケンドリック・ラマーやレオン・ブリッジスら久々にラッパー/シンガー陣とコラボした『ドローンズ』を2021年に発表。それから2年ぶりの新作が『ファイン・チューン』である。今回のラインナップを見ると、キーヨン・ハロルド、カマシ・ワシントン、ロバート・グラスパー、デリック・ホッジ、ブランディ・ヤンガー、ロバート・シーライト、エレナ・ピンダーヒューズとジャズ界の実力者が多く揃うので、『ヴェルヴェット・ポートレイツ』の路線かと思いきや、アフロビートの “デグナン・ドリームズ” などがあり、非常に幅広い内容となっている。カマシ・ワシントンとロバート・シーライトをフィーチャーした濃密なアフロ・ジャズ・ファンクの “ファイナル・ソウト”、ブランディ・ヤンガーのハープが夢想の世界に誘うメロウ・グルーヴの “ダメージ”、ジェームズ・フォントルロイのスウィートな歌声が魅力の “トゥー・レイト” など力作揃いのアルバムとなった。なお、同世代のミュージシャンだけでなく、ラリー・ゴールディングスのようなジャズ界の大物から、かつて〈ブラック・ジャズ〉に伝説的な2枚のアルバムを残したギタリストのカルヴィン・キーズまで参加するなど、通も唸らせる人選となっている。そのキーズのボサノヴァ調のギターが光る “ザ・アイランド” は、これまでになかったテラス・マーティンの新しい面を見せるものだ。
Kris Tidjan
Small Axes
BBE Music
仏領マルティニーク出身でパリ育ちのシンガー・ソングライターのクリス・ティジャンは、ヒップホップ、ソウル、レゲエなどから音楽に傾倒していき、その後自身の楽曲制作をはじめて2015年に「フローティング・セラピー」というEPでデビュー。アフロビート、ブロークンビーツ、ディープ・ハウスなどをミックスした作品を作っていたが、そこから長い期間を経て(現在はベルリンを拠点とするようだ)、ようやくデビュー・アルバムの『スモール・アクシズ』を完成させた。“ダズリング・リボン” に見られるように、ディアンジェロの『ヴードゥー』を連想させるネオ・ソウルとジャズが結びついたクールな世界が彼の魅力だ。ランプの “デイライト” のフレーズが飛び出す “インカーネイテッド” はじめ、彼の歌声はドゥウェレを思い起こさせる非常に魅力的なもの。そんな歌声とアフロビートとブロークンビーツが混じったようなリズムが結びついた “リトル・ジャイアント” は、クリスの兄弟であるアラン・ロジーヌとセルビア出身のジャズ・ピアニストのゾラン・テルジッチが参加。中間で披露されるピアノと土着的なコーラスとリズムの交わりは、彼のルーツであるマルティニークから生まれたものだろう。
1990年にはじまるジョージ・ブッシュの声明に反応して2005年に書かれたという反戦歌の “ローズ・オブ・ウォー” は、クリスのヴォーカルに対してサックスとフルートが極めて有機的に絡み、そこから即興的なインタールードの “インターローズ” を挟み、“エディ” は切々と綴るネオ・ソウル調のナンバー。これらのナンバーではディアンジェロやドゥウェレはもとより、クリスの敬愛するボブ・マーリーからの影響も見ることができる。アルバム・タイトルの『スモール・アクシズ』もボブ・マーリーへのオマージュとして名付けられたそうだ。そして、“カティオパ” は2005年にいとこのジェレミー・オーネムとコラボして作った曲で、マルティニーク系やフランスのミュージシャンと共演している。カリビアンとアフロビートとソウルが結びついたクリス・ティジャンの原点と言える楽曲だ。
いまさら言うことでもないが、90年代とはじつに狂った時代で、ぼくはダンスの現場で何度も何度も衝撃を受けている。たとえば1992年のロンドンのジャングル、1993年のブリクストンでのジェフ・ミルズ、こうしたパーティではDJ/音楽もさることながら、集まっている人間たちの身体から吹き出る大量の汗と、なかば常軌を逸したパワーというかほとばしるエネルギーというか、その場全体の何もかもがぶっ飛び過ぎていた。で、えー、それから、フライヤーなしのイリーガルなレイヴ・パーティ(倉庫でも、あるいは野外でも)とか、ここでは書きたくない驚倒した経験がいくつもある。自分で言うのもなんだけど、そんな経験豊富なぼくにとって、とくに仰天したほどの経験が何だったかと言えば、1997年9月にマイク・バンクスの案内で侵入した、デトロイト市内のゲットーテックのパーティだった。
いや、あれを「経験」とは言えないな。どんなに狂っていようと、ぼくとしてはその一部になりえた/そのつもりになれたものだった。だが、ゲットーテックに関して言えば、ぼくは外側からただ「見学」していたに過ぎなかった。いっしょに踊って、彼ら・彼女らの一部にはなれなかったのである。
何度か書いてきたことだが、ぼくが行ったゲットーテックのパーティ会場は公民館/体育館のようなところだった。天井には普通に蛍光灯がついているから明るい。飾りと言えば、束になった風船があるだけだった。つまり子供の誕生会よりも質素で、場内の後方や隅にはもともと置いてあった長机や椅子が詰んである。前方には舞台があって、中央にはDJブースが設けられている。DJの隣には盛り上げ役のMC、そのまわりでは男女のダンサー数人があり得ないほど激しく、エロティックに腰を振る。1000人ほど集まった100%黒人たち——中年のカップルから威勢のいい若者まで、洗練されていない大勢の老若男女が腰を振って楽しんでいる。マイケル・ジャクソンの“ビリー・ジーン” がBPM140以上の高速でエレクトロのレコードにミックスされると、会場が揺れ動くほどの興奮の坩堝となる。この創造性、この大衆性、このブラックネス、この超絶なダンサーたち。ドラッギーでもないし、おそらくはアルコールさえもなかったというのに(なにせ公民館なのでバーも売店もなかった。デトロイトなので自販機もなかった)。
これが超ローカルな(労働者階級の)シーンとして確立され、いろんな世代に人気があること、品は良くないかもしれないが、その活気に関しては、デトロイトの音楽シーン全体においても突出していることにもぼくはひどく感銘を受けた。だが、何よりも衝撃だったのはあの「ノリ方」だ。平安時代の祝宴でも古代の神事でも、歌ひとつ歌うのにも酒の力を借りていたほどシャイというか陰キャラな日本人からしたら、音楽だけでここまで自己を解放し、上がれる人たちがいるってことが信じがたくもあり、嬉しくもあった(ぼくもそのときは完璧にシラフだった。飲んでいたら、あの猛烈なるダンスのうねりのなかに入っていったのだろうか……。はっきり言う、絶対に無理だった)。
昨年、デビュー・アルバムをオマー・Sのレーベルから出したハイ・テック(このシンプル極まりないネーミングもファンキー)が早くもセカンド・アルバムをリリースした……ということは、いまもあのシーンは存続し、しかも作品を聴けばこのジャンルが密かに進化していることを全世界に向かって告げているのだ。素晴らしい。
ゲットーテック(ゲットーエレクトロ、デトロイト・エレクトロとも呼ばれている)とは、デトロイト内部で発展した、エレクトロ、マイアミ・ベース、ゲットー・ハウス、ラップなどが混ざった雑食音楽。速くて、ファンキーで、ブーツィーで、ナスティーで、現場では下半身の触れ合いが活発なエレクトロニック・ダンス・ミュージックである。昨年いちやく注目を集めたデトロイトの3人組(King Milo、Milf Melly、47Chops)は、大衆的かつアンダーグラウンドな黒人ダンスの現場から生まれた音楽を、この期に及んで進化させんと企んでいる。
『Détwat』が旧来のエレクトロ・スタイルにこだわってもいないことは、1曲目の“Nu Munni”でわかる。リスナーの先入観をからかうように、これは4/4ビートの、ちょっとしたギミックありの、そして踊りやすいBPMの白眉なテクノ・トラックだ。が、ハイ・テックはその余韻などは残さず、ギアをトップスピードに上げてゲットーテックを発射、素早く2曲目の“Money Phone”がぶっ込まれる。そこから最後までスピードが落ちることなく、新世代の808主義者たちは暴走するのである。ときに実験と遊びとは表裏一体の関係にあるが、ハイ・テックの3人は、ゲットーテックという外の世界にはあまり知られていないデトロイト特有のパーティ音楽を、さらに面白く、音楽的に楽しめるものに拡張している。“Money Phone”におけるピアノとラップの掛け合いも興味深く、“Clap That A$$”もふざけた曲だが斬新で、“Shrimp & Grits”にいったては故障したクラフトワークのごとしだ。 彼らが笑いを取ろうとしていることは見え見えで、しかしそれでも “Zooted”やオートチューンを活かした“Glitch N Ass” のなかにサイボトロンやオックス88やドレクシアの記憶が確認できる。ハイ・テックはデトロイト・テクノの子孫なのである。
全12曲中ほぼすべての曲が1分から2分台という短さ、これもゲットーテックの流儀では重要となる。曲間はなく、次から次へと曲が「これでも食らえ!」とばかりに続く。でなければダンスは萎えてしまうし、この生々しさ、このストリート感覚もまたゲットーテックが鑑賞用の音楽ではないことの証左なのだ。ええい、こんだけ暑いんだから、無駄に涼むよりは汗をかいて冷やしましょうや。
気鋭の書評家が厳選!
とりあえずこれだけは読んでほしい新旧の40人
現在につながる古典作家の中から、今読んでも面白い作家を20人。そしてここ10年以内に登場した今後をになう新鋭作家を20人。古典と最新の両面から「読むべきミステリ」に迫る! 「古典」と「現在」の間を解説するコラムも掲載し、これ一冊で今のミステリ状況がわかる入門ガイド。
インタヴュー
クリス・ウィタカー
(『われら闇より天を見る』で2022年の国内ミステリランキング三冠、本屋大賞翻訳小説部門第一位)
月村了衛
(冒険小説・警察小説、骨太な大衆小説をいまに引き継ぐ。〈機龍警察〉シリーズ、『香港警察東京分室』など)
監修
杉江松恋
1968年生まれ。慶應義塾大学卒。書評家。著書に『路地裏の迷宮踏査』『読み出したら止まらない! 海外ミステリーベスト100』、『浪曲は蘇る』他。共著に『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』など。
執筆
荒岸来穂、小野家由佳、香月祥宏、川出正樹、酒井貞道、坂嶋竜、霜月蒼、千街晶之、野村ななみ、橋本輝幸、松井ゆかり、森本在臣、若林踏
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お詫びと訂正
このたびは弊社商品をご購入いただきまして誠にありがとうございます。
『十四人の識者が選ぶ 本当に面白いミステリ・ガイド』に誤りがありました。
謹んで訂正いたしますとともに、お客様および関係者の皆様にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。P.3
誤 この10年以内に翻訳紹介が始まった作家のみだ彼らがこれからのミステリ界を背負っていってくれるだろう。
正 この10年以内に翻訳紹介が始まった作家のみだ。彼らがこれからのミステリ界を背負っていってくれるだろう。P.6
誤 メフィスト・ショウ・マスト・ゴー・オン 千街晶之
正 メフィスト・ショウ・マスト・ゴー・オン 坂嶋竜P.9
誤 巧みな語りと校正に籠められた深い想い
正 巧みな語りと構成に籠められた深い想いP.80
誤 〈質問・文〉杉江松恋 〈取材〉若林踏
正 〈文〉杉江松恋 〈取材・構成〉若林踏P.191
誤 千街晶之(せんがい・まさゆき)
正 千街晶之(せんがい・あきゆき)
札幌を拠点に活動を続けてきたテクノDJの OCCA が、次世代のサイケデリック電子音楽シーンを語る上で欠かすことができない2人の重要人物を招聘し、革新的でユニークな電子音楽イベントを創ろうとしている。今回ゲストに招聘されたのは、〈MIRROR ZONE〉を主宰する SPEKKI WEBU と PYRAMID OF KNOWLEDGE 名義でカルト音楽愛好家に知られる K.O.P. 32 の2名だ。未知なる最先端の音楽を制作し、演奏する彼らが、東京と大阪のダンス・ミュージック・シーンを根底から揺るがすことは間違いないだろう。
両者は今回、7月27日(木)に東京のストリーミング・スタジオ SUPER DOMMUNE(こちらは SPEKKI WEBU と OCCA の出演)、28日(金)に VENT を会場に OCCA の盟友である YSK と共に主催する《SECT》に出演。その後29日(土)には、CIRCUS OSAKA を会場にした OCCA による新シリーズ《PARHELION》に登壇し東西を廻る予定だ。
そしてこの度、初めてのジャパン・ツアーを敢行する SPEKKI WEBU に来日前インタヴューのチャンスが頂けた。先日、台湾にて開催された《Organik Festival》でも OCCA と顔を合わせていた2人が、どのように意気投合し、今回のイベントがどのようなコンセプトを持っているのか持っているのか、少しでも伝われば嬉しいと思う。
「海を超えた地でダンス・ミュージックのBPMが加速し、テクノあるいはトランス・ミュージックと形容される音楽への熱量が高まっている」と書けば、往年のファンはこのような文章を読むのは何度目のことだろうと思うかもしれない。確かに、海外で開かれている信じられないような大きさのダンスフロアで、BPMが150を超えるような音楽に人びとが熱狂的になっている動画がSNSで回ってくることは、もはや日常茶飯事となっているが、一部のアンダーグラウンド・シーンにいる人間は、これを単なる繰り返された流行、舵を失ったトレンドだとは認識していないだろう。米作家マーク・トウェインが語った「歴史は繰り返さないが、韻を踏む(History does not repeat itself, but it rhymes)」という言葉がしばしば歴史学で引用されるように、それと同様のことがこの複雑化した音楽シーンにおける変遷を形容することもできると思う。そこには確かに、大きな流れ=トレンドの影響がある一方で、同時にこの時代でしか生まれない特有の “うねり” が存在している。つまりこの「BPMの加速化」は、文化的な需要を満たしつつも、過去にはないほど画期的で、いまだかつて体験したことのないようなサウンドと共に起きている現象であると言い換えることができるだろう。
オランダ出身の SPEKKI WEBU は、まさにその “うねり” を、最前衛で創り続けているクリエーターの1人として、多くの信頼あるDJから認識されている。彼は、この加速化するテクノ/トランスといったムーヴメントを牽引する中で、〈Amniote〉や〈Positive Source〉といった新興ダンス・ミュージック・レーベルから作品を発表し、自身が主宰するレーベル〈MIRROR ZONE〉からは、トランス・ミュージックの系譜にありがらも、全く新しいDJプレイを可能にするツール的プロダクションを世に送り出してきた。また、ここ日本でも著名な Jane Fitz や Mama Snake、Konduku らと共にB2Bで共演してきた指折りの技巧派DJでもあるのだが、それは彼の音楽的ルーツにガバやジャングルといった幅広い音楽があり、ダンス・ミュージックの新しい可能性を拡張し続ける研究家であることが理由にあるのかもしれない。このインタヴューを通して、彼の音楽的ルーツと彼が捉えるダンス・ミュージックの新しい像が伝われば幸いだ。
■こんにちは、クリス! 元気ですか? まずは、あなたが育った街であるオランダのデルフト、そして大都市ロッテルダムについて教えてほしいです。デルフトはどのような街で、あなたはどのように過ごしましたか? また、どのようにしてアンダーグラウンドな音楽と出会いましたか?
SW:こんにちは、僕はとても元気だよ! 僕はデルフトという比較的に小さな街で育った。デルフトは地理的にロッテルダムとハーグというふたつの大都市に囲まれた大きな都市圏にあるところで、昔は父親と一緒に地元のレコード店によく音楽を掘りに行ったね。
ここで初めてジャングルのCDを買って、それからエレクトロニック・ミュージックの旅がはじまった。周りはみんなハードコアなレイヴに行くか、ヒップホップを聴いていた。このときから僕はガバに興味を持ちはじめ、それらの音楽を集めるようになったんだ。
僕が若い頃、デルフトにはいくつもの素晴らしいヴェニューがあって、そこではエレクトロニック・ミュージックの幅広い分野を紹介するような興味深いイベントがたくさん催されていた。僕が初めてダンスフロアに足を踏み入れたのも、そういった会場だったね。僕の友だちの多くは、街中や郊外のハードコア・ガバ・レイヴに行っていた。でも、ある程度の年齢になると、僕の興味は自分の住んでいる地域周辺の大都市(ロッテルダムとハーグ)に移っていった。
ロッテルダムは、ガバ・ムーヴメントの勃興と形成に貢献した非常に重要な都市だ。面白いレイヴをやっているクラブやコミュニティ、サウンドシステムがたくさんある街でもある。だから僕はよくロッテルダムに訪れてライヴを見たり、面白いアーティストのプレイを見たりしていた。毎週末かなり長い期間、友だちたちとパーティーに行っていたんだ。この数年間は、エレクトロニック・ミュージックの世界を自分の中に形成し、自分を教育するのにとても重要な時期だったよ。
■あるインタヴューでは、あなたははじめにガバ・ミュージックに傾倒していたと書かれていました。それはいつ頃で、どのようにして遊んでいたのでしょうか? また、その後どのように現在のスタイルにたどりついたのでしょう?
SW:エレクトロニック・ミュージックに触れたのはかなり若い頃だったね。初めてジャングルのCDを買った後、すぐにガバ・ミュージックに触れた。90年代のオランダではすでに重要なカルチャーになっていたから、僕の周りの人はみんなこのスタイルのエレクトロニック・ミュージックを聴いていたよ。下に住んでいた少し年上の隣人はテープを集めていて、かの有名な音楽イベント《Thunderdome》のコンピレーションを聴いたのもこのときだった。これで新しい世界が開いたんだ。面白かったのは、ここに収録されていたトラックの多くに、ジャングルやブレイクビーツのリズムも混ざっていたこと。これはもちろん、ジャングル・ヘッズの僕にとっては天国のような組み合わせだった。
それから音楽を集めはじめ、パーティーにもよく行くようになった。この時期からガバ・ムーヴメントに深く入り込むようになって、このジャンルの中にもっと実験的で面白いコーナーがたくさんあることを知ったんだ。インダストリアルでエッジの効いた、より深くてダークなサウンド。カルチャー、サウンド、ダンスフロア、インスピレーションの面で、いろんなことがとても面白くなりはじめた瞬間だった。この時期の音楽体験は、僕が後にDJとしてプレイするようになったとき、アーティストとして非常に重要な基礎となるものになったね。
ロッテルダムとその周辺には、インダストリアル・ハードコア、ドラム&ベース、ノイズ、ブレイクコアなどの境界を越えた、小規模で親密かつ実験的なクラブ・ナイトを主催する会場がいくつかあったんだ。この時期は、多くのDJやライヴ・アーティストたちが、その境界線を破り、サウンドの面でよりストレートに、何か別のものへと進化させていた。興味深い新しいアーティストたちが押し寄せてきて、彼らが僕の関心の的だったんだ。僕は少人数の友人たちとヨーロッパ中を旅して、これらのアーティストの演奏をたくさん見に行った。アーティストとしての僕自身の教育やブループリントは、この頃に形成されたかもしれないね。
■あなたのDJスタイルはBPMの制限から逃れ、「リスナーの意識と鼓動に訴えかけるようなスタイル」を象徴しているように思います。多くの人が形容するように、あなたのセットに意識を集中していると、まるで地球から宇宙に発射するスペースシャトルのような感覚を得ることがありますが、現場ではどのようなことを考えながらセットを構築しているのでしょうか?
SW:どのスロットをどれくらいの時間プレイするかにもよるが、僕は時間をかけながら「リフトオフ」の瞬間に向けて緊張感を高めていくのがとても好きなんだ。特に長いセットを演奏するときは、呼吸を整え、ゆっくりと「特定のエネルギーのポイント」まで向かっていく。このポイントに到着したら、この原動力を保ち続ける。これが僕のセットにおいて最も重要なことだ。全体的には、まずマインドをリセットするストーリーを創る、それから未知への新たな旅に出るというストーリーだ。でも、さっきも言ったように、すべては自分の出番次第でもある。
ロング・セットをやるときには、セットの途中で長いブレイクダウンをかけて、ダンスフロアと脳をリセットするのが好きだ。BPMが145くらいで進行しているところで、突然3分のアンビエント・トラックを流してダンスフロアをブレイクさせる。旅は必ずしもまっすぐ継続的に進む必要はない。既成概念にとらわれないようにすることは、DJとしてだけでなく、プロデューサー、ライヴ・アーティストとして、そして新しいオーディオ・ヴィジュアル・ショウにおいても、とても重要なことなんだ。
■いま述べていただいたように、あなたは特定の現場で、ドローンやサイケデリックなエクスペリメンタル、ダウンテンポまでを流すことが多いと思います。BPM、あるいはビートという概念について、どのような考えを持っていますか?
SW:BPMは、僕にはあまり関係ない。もちろん、いまのところ僕がプレイするのは夜のクロージング・タイムや遅い時間帯だから、僕のDJセットは速いペースになることが多い。ただ、僕にとって最も大事な要素はグルーヴ、深み、催眠術なんだ。BPMが80だろうが125だろうが160だろうが関係ない。プログレッシヴなグルーヴ感、根底にある隠れたリズム、ポリリズムの要素がすべてだ。僕が演奏するトラックの中には、とても不思議な音楽的な変化が起こっているので、セットを聴いた人は僕が実際にプレイしたBPMの速さに驚くということがよくある。その音楽的な変化によって、人びとは実際にそこまで速いBPMだとは認識しないんだ。これが「マインド・トリック」と「催眠術」の力だと思う。
■主宰されているレーベル〈MIRROR ZONE〉からは、多くの現代的なトラック、DJツールとしても使えるトラックがリリースされています。レーベルの設立背景や哲学的な信念を教えていただけますか?
SW:このレーベルは2018年にスタートし、僕の人間としての歩みを進化させてきた。〈MIRROR ZONE〉は、あなたと僕、僕たちの社会における立ち位置、そして僕たちが人間としてどのように形成されていくのかの全てだ。
誰もが自分自身との個人的な旅路を持っている。転んで学び、ありのままの自分を受け入れる。鏡を見る勇気を持ち、毎日より良い自分になろうとする。〈MIRROR ZONE〉は、あなたと僕が経験する人生だ。僕のインナーサークルの中で、友だちたちが人間として美しく興味深い瞬間をたくさん経験しているのを見てきた。すべてのリリースには、コンセプトやストーリーがあり、それはアートワークや詩にも反映され、リリース全体が完全な旅となっている。
■あなたはクロアチアの《Mo:Dem Festival》など大規模なトランス・フェスティヴァルでもプレイをしたDJでもあります。広義の意味でのトランス・ミュージックについて、どのような考えを持っているのでしょうか?
SW:いまのところは、僕にとって「トランス」とは単なる言葉でしかない。もちろん古典的なトランス・ミュージックというサウンドはあるけれど、その定義ははるかに広い。それは、ある瞬間にムード、フィーリングを提示し、共有する特定の方法だ。それだけでなくて、DJセットの中でトラック同士がどのように連動しているかということも重要だと思う。例えば、トラック3がトラック6、10、15と強く繋がってたりね。継続的な繋がりが、雰囲気やマインドセットを創り上げる。僕にとっては、感情と催眠術がすべてなんだ。ヒプノティック(催眠術)という言葉がいまのDJとしての僕を表すのにぴったりだと思うし、これが「トランス」の基本だと思う。
■今回の日本ツアーで共演する K.O.P. 32 が運営するレーベル〈Beyond The Bridge〉からあなたの「Euclidean Doorway EP」が先日リリースされました。K.O.P. 32 と共演するにあたって、何か特別な思いがありますか?
SW:K.O.P.32 とは以前から知り合いだったが実際に会う機会はなかった。だから今回 OCCA と一緒に日本で彼に会えるのが夢のようなんだ。僕たちは、ダンスフロアで一緒に溶け合うことができる「似た者同士」だと確信している。僕たちは同じバックグラウンドを強く共有しているからね。
彼と一緒にパフォーマンスすることは、間違いなく特別な感覚だ。そうでなければ、彼のレーベルから自分の音楽をリリースすることもなかったと思う。彼に直接会ったことはないけれど、僕たちが一緒に感じ、話すのは銀河の言葉なんだ。それに、彼はとても才能のある素晴らしいアーティストで、僕にとっても刺激的な存在だ! だから、彼と一緒にツアーを回れることをとても光栄に思っている。
■最後に、あなたの初来日公演を楽しみにしているダンス・ミュージック・ファンに向けて一言お願いします!
SW:日本を訪れるのは初めてで、とても興奮している。新しい人たちと出会って、一緒のダンスフロアを共有し、みんなを未知への旅に連れていけることをとても楽しみにしているよ。日本に訪れて、遊んで、探検することは長年の夢だったが、それがついに実現するね!
(Introduction & Interview: Yutaro Yamamuro)
SPEKKI WEBU & K.O.P. 32 aka PYRAMID OF KNOWLEDGE JAPAN TOUR 2023
■ 7月27日木曜日 “EXTREAM BROADCAST”
・VENUE
SUPER DOMMUNE_TOKYO
https://www.dommune.com/
・LINE-UP
SPEKKI WEBU (MIRROR ZONE)
OCCA
■ 7月28日金曜日 “SECT”
・VENUE
VENT_TOKYO
http://vent-tokyo.net/schedule/sect/
・LINE-UP
SPEKKI WEBU (MIRROR ZONE)
K.O.P. 32 (BEYOND THE BRIDGE)
OLEVV
OCCA
YSK
ASYL
ASTMA
YO NISHIJIMA
■ 7月29日土曜日 “PARHELION”
・VENUE
CIRCUS_OSAKA
https://circus-osaka.com/event/parhelion/
・LINE-UP
SPEKKI WEBU (MIRROR ZONE)
K.O.P. 32 (BEYOND THE BRIDGE)
TAKUMI INAMOTO (TRANSCENDENCE)
OCCA
・SOUND DESIGN
YORI
・VISUAL
CRACKWORKS
TESTSET のファースト・アルバム『1STST』を聴き、私はある不思議な感慨におそわれた。「継承と刷新」が同時におこなわれているような感覚とでもいうべきか。
しかし圧倒的な速度感で駆け抜けるような焦燥感に満ちたアルバムを聴き終わったとき、「いや、まさにこれこそ正しく「バンド」のファースト・アルバムではないか!」と思い直した。古今東西のあらゆる「バンド」は過去の継承と刷新を同時におこなうことで「いま」に切り込んできた。TESTSET も同様だ。彼らは危機的状況=クリティカルな状況からはじまらざるをえなかったバンドである。つまりは状況と過去に対して向き合わざるをえないはじまりだったのだ。
2021年。高橋幸宏の闘病、東京オリンピックにまつわる小山田圭吾の炎上を経由して、彼らの前身である METAFIVE はその活動を休止した。予定されていたセカンド・アルバム『METAATEM』のリリースも中止になった。
だが METAFIVE は活動停止中も完全に止まっていたわけではなかった。2021年のフジロックに砂原良徳とLEO今井が METAFIVE として出演した。サポート・メンバーとしてドラムに白根賢一、ギターに永井聖一を迎えてステージに立ったのである。これこそが TESTSET のはじまりだ。以降、この4人はごく自然の成り行きのように活動を継続し、その名は TESTSET へと変化した(ちなみにバンドの命名はLEO今井によるものだ)。
2022年。TESTSET の活動が本格化する。彼らはザ・スペルバウンドとのツーマンライヴもおこなった(2022年4月14日)。同年8月12日にはファーストEP「EP1 TSTST」もリリースした。2022年は METAFIVE もまた動き出した。9月にはセカンド・アルバム『METAATEM』が「ラスト・アルバム」として一般リリースされたのだ。そして2021年7月より活動を停止していた小山田圭吾も活動を再開した。ファンは安心した。しかし「ラスト・アルバム」という呼称に変更になったことにファンの心はざわついた。
2023年1月。高橋幸宏が世を去った。偉大なミュージシャンが帰らぬ人となり、METAFIVE というバンドは終わりを迎えた。高橋幸宏の死は悲しく、辛いものだった。
しかし、ウォーキング・イン・ザ・ビート、音楽は生きている限り止まらない。歩み続ける。音楽は前進する。
2023年7月12日。EPリリースからほぼ一年後、TESTSET は、ついにファースト・アルバムをリリースした。私はこの記念すべきファースト・アルバムの音源を繰り返し聴き、TESTSET が「ひとつのバンド」としての個性を確立したと思った。TESTSET は METAFIVE 派生バンドではない。新たな集合体として TESTSET の音が鳴り響いていたのだ。
21年フジロック出演時(METAFIVE)から随所だったが、砂原と今井を中心とするアンサンブルは、METAFIVE と比べてよりソリッドであった。バンドの「本質」がより露になったとでもいうべきか。骨組みがそこにあったのだ。それは何か。今井のロックと砂原のテクノが交錯することで「汗をかかないロック/ファンク」としてのテクノ/ニューウェイヴ的な音がより明確に生まれているのだ。
そしてこのテクノ/ニューウェイヴの継承こそが、80年代に高橋幸宏が切り開いた音楽性を継承していることはいうまでもない。METAFIVE の終了は悲しい出来事だが、同時に日本のニューウェイヴ・アーティストの先駆けともいえる高橋幸宏の魂が受け継がれたのである。
アルバム全体としてはとても風通しの良い疾走感に満ちた曲を多く収録している。精密な砂原のトラックに「ライヴ感」が出てきたことは注目に値する。だがところどころにこの世界、いや「世間」への「毒」と「棘」がある。これはLEO今井の個性かもしれない。同時に冷静な砂原の論理性もこのアルバムにはある。二面性が魅力的とでもいうべきか。
アルバム・オープナー曲 “El Hop” にはそんな彼らの個性がとてもよくでている。硬質で精密な砂原良徳のトラックの上を、変幻自在かつ強靭な今井のヴォーカルがソリッドに鳴っているのだ。クールでいて激しい。あえていえば人間どもへの激烈な怒りがある。「ただ踊りたいだけなのに、邪魔をしやがる人間的」と今井は歌う。
続く2曲目 “Moneyman” では「マネーマン」について皮肉を投げつけるように今井は歌う。英語の中に紛れ込む「さりげない、さりげない、えげつない」という日本語が強烈だ。この2曲は砂原と今井の共作である。砂原良徳のトラックが今井の激情とクールな対比をなしている。
アルバムには砂原、今井だけではなく、白根賢一 、永井聖一らの曲も収められている。この点も TESTSET が四人体制のバンドになったことを示しているといえよう。
今井の単独曲は、3曲目、7曲目、8曲目と多い。さすが「バンド」の背骨的存在だ。これらの曲に限らず、今井はヴォーカルとして作詞家としてアルバム全編に関わっている。あえていえば METAFIVE 以上に「LEO今井色」が強い。
4曲目 “Japanalog” はアルバム中でも異色のディスコ調の曲だ。曲は白根賢一が担当。彼のポップネスが炸裂している曲だ。続く5曲目 “Dreamtalk” は白根賢一とLEO今井の曲である。テクノ的なトラックのミディアム・テンポの曲を展開するのだが、なんといってもベースラインに中毒性がある(どことなくベースラインがスケッチショウの “Turn Turn” に似ている気もした)。4曲目・5曲目と白根曲が続くが、彼のポップスネスがアルバム中盤において見事なアクセントを与えていることの証左ともいえる。
9曲目 “Stranger” は詞・曲ともに永井聖一の手によるものだ。なんとヴォーカルも披露している。どことなく相対性理論を思わせる詞・曲が特徴だが、音は完全に TESTSET 仕様だ。
アルバム・ラストの10曲目 “A Natural Life” は、今井、砂原、永井の共作である。不穏さの中に希望を滲ませた曲だ。「ナチュラルライフ」という言葉とその発声に、ある種の棘がある。こんな歪んだ世界で「ナチュラルライフ」と歌うのだから。
アルバムを聴いて確信したのだが、砂原のトラックの見事さは言うまでもないが、今井の「人間」に棘と皮肉と怒りを向けるような声と言葉にこそ、このバンドの本質がある。また、“A Natural Life” はどこか YMO の “CUE” を想起した。偉大なる高橋幸宏への追悼を勝手に感じてしまった。この曲が最後にある意味は大きい。
また、永井聖一のギターも印象的であった。90年代後半~00年代のオルタナ的というか、乾いた激情のような見事に鳴り響いていたのだ。彼は TESTSET に新たな音を導入し、同時に新しい「顔」としての存在感を放っているように感じられる。
そう、TESTSET は METAFIVE という「伝説」から脱して、TESTSET として新たな「歴史」を歩みはじめている。6人から2人へ。2人から4人へ。
同時に高橋幸宏が選んだメンバーが2人いるという点で、彼らは高橋幸宏の魂を受け継いでもいる。まさに革新と継承だ。そもそもロック成分が限りなく薄いであろう砂原がこれほどにロック度の高いバンドに関わること事態が異例である。LEO今井と砂原という人選において高橋幸宏のディレクションは継続している。異質なものの衝突が生み出す新しい「必然」とでもいうべきか。
彼らは2021年以降の激動を経て新たな集合体に生まれ変わった。革新と継承のソリッド・ステイト・サヴァイヴァー。そう、新しいバンドのファーストセットがいま、世界に鳴り響きはじめたのだ。
昨年、ソロとしては2作目となる Have a Nice Day! のカヴァー・アルバム『Another Story Of Dystopia Romance』を発表し注目を集めた遊佐春菜。本日、1年ぶりとなる新曲がリリースされている。今回の楽曲は、今後の飛躍が期待される若手バンド Strip Joint の “Liquid” で、もともと英詞だったものを日本語詞にして再構成。夏の一瞬を切りとるようなヴォーカルに注目したい。
「夏の雫」リンク
https://big-up.style/WT6SWhgvvC
「終わりでいいんじゃないですか?」
「とりあえずね」
「(笑)」
──PAS TASTA “zip zapper” アウトロより
hirihiri、Kabanagu、phritz、quoree、ウ山あまね、yuigot──それぞれがDAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)の可能性を拡張するかのような先進的なシグネチャー・サウンドを携えた新鋭プロデューサーたち──が集い始動した次世代型スーパー・グループ、PAS TASTA 待望の 1st アルバムは、先行シングル群が高めた期待値を軽々しく超える秀作として世に放たれた。
文頭に引用した会話の欠片でアルバムが締め括られるユルさ、スーパーフラット以降の価値観が結実したかのようなソリッドなアートワーク、それらとは対照的に極端なマキシマリズムとクオリティへの飽くなきこだわりを感じさせるトラック・メイキング、ストレートな自己表現を飄々と回避するスタンス。すべてにおいて2020年代以降の価値観が表出して生み出されたのが、本作『GOOD POP』だろう。既存の秩序立ったサウンド・メイキングの枠組みを無自覚的に飛び越える自由さ、精緻かつハイファイな音作りとメンバーひとりひとりの強烈な個性。それらが巧みに調和しており、一聴するとカオティックな作風に思えるものの、あくまでも更新する対象は「J-POP」であるという類を見ない作品だ。
さらにいえば、バンドやユニットではない共同体がコライト(共作)によって個々の個性を活かしつつ作品を一本の線にまとめ上げる、というスタイルも日本国内ではいまだメジャーな手法とはいえず、近しい活動として浮かぶのは six impala、FROMTHEHEART などのハイパーポップ文脈に位置するオンライン・コレクティヴ程度だろう。サウンドはもとより、そのスタンス自体もフレッシュな新規性に溢れている。
(もっとも、いわゆる「ハイパーポップ」自体がプレイヤー側からはすでに過去のものとみなされつつあり、クリシェとして扱われているのが現状である。インターネット・ミームがバズを獲得した瞬間に色褪せるのと同じく、トレンドの消費サイクルは加速を続けており、それは登場からほどなくして「Vaporwave is dead」というジョークが共有された2010年代中頃から続く流れである。天災のようなアンコントローラブルさこそが現時点でのポップ・カルチャーの姿だろうか?)
そんなポスト・パンデミック的ムードを表明し自由闊達な活動のもとスターダムを駆け上がっている先例には Peterparker69 『deadpool』が挙げられる。
『GOOD POP』と『deadpool』の2作にある種のベンチマーク的な機能を持たせてみて、2023年以降の国産オルタナティヴ・電子音楽シーンを俯瞰することで見える景色もあるだろう。それは本作の客演に Peterparker69 がクレジットされていること、双方のリリース・パーティにて両者が交わりあっていることからも見て取れる。
オンライン上のデジタルな交感をもとに立ち上がったブランニューなサウンドが、じつは中小規模のパーティの数々や “zip zapper” の制作合宿といったオフライン上での密なコミュニケーションによって再強化されているのも興味深いポイントと言えよう。現場主義的でも、反現場主義的であっても見えないものがたしかに存在している。
さて、話題を改めて作品に戻そう。『GOOD POP』は全8曲・計21分56秒からなるファースト・アルバムで、全トラックは PAS TASTA メンバー6名によるコライトで制作されている。客演には Cwondo(No Buses)、ピーナッツくん、鈴木真海子(chelmico)、崎山蒼志、Peterparker69(Jeter+Y ohtrixpointnever)といった、それぞれが異なるスタイルでありながらも飛躍を遂げつつあるアップカミングな面々を迎え、すでにありそうでどこにも存在しなかった連帯を表現した。
その連帯感を支えるものは何だろうか? それは「J-POP」ないしはポップスの更新を無意識的に各々が目指している、というヴィジョンの共有だろう。「ハイパー」に囚われることなく、EDMやフューチャー・ベースといった新規性を帯びつつもすでに完成されてしまったジャンル群に拘泥することもせず、良質で新規性に富んだポップスの新たな形をつくる、という目的に対し、共同体主義と個人主義の境界線上を走りつつリーチしようとする。
M1 “intro impact” では PAS TASTA の下地となった phritz, hirihiri, Amane Uyama & Kabanagu “all night” (2021、〈FORM〉)のメロディラインがサンプリングされ、続く各曲においても稚気に富んだサウンド・コラージュ的展開の数々が視聴者の固定観念を揺さぶる。
この「予測不能な面白さ」というのもバブルガム・ベース以降の電子音楽において共通する要素であり、それはエピックな展開の様式美を楽しむEDMカルチャー発とは思えない価値観でもある。
なお、『GOOD POP』全体に共通するサンプリング・コラージュ感覚の一端を築いたのは SoundCloud に代表されるSNS型のプラットフォームに通底する空気感であろう。言うまでもなく各人の肥沃な音楽遍歴が下地になっているのだが、作風全体に通ずる「ノリ」は SoundCloud 直系のもので、それこそがドメスティックな小さいまとまりではなく、世界中の実験精神と呼応した作風に繋がっているといえるだろう。
たとえば現在 Hyperflip と称される「dariacore」ムーヴメントとそれに関連するナイトコア再評価や SoundCloud アカウント「Twerknation28」発の変造ジャージー・クラブ、タイプビート以降のリファレンス感覚、SYNC機能の実装以降完全に楽器化したDJ機器の存在、著作権意識を宇宙の片隅に追いやるようなマッシュコア的視点などが各楽曲のエッセンスやニュアンスと結びついている、ということ。そこに滑り込む、ポーター・ロビンソンやスクリレックス、ソフィー、A・G・クックのような存在に代表される、2010年代のオリジネーターが打ち立てた新たなる音像。心惹かれるサウンドを見つけたら、とりあえずDAW上に落とし込んで分解し、混ぜて、変形させ、まったく別の姿を発見しようとする。そのような無邪気な実験精神の現れこそが「いま」の音楽、少なくとも2010年代以降の「ポスト・インターネット」的芸術運動の流れを汲む音楽の姿といえる。
すっかり加速しきった生産と消費のサイクル、絶えず繰り返されるスクラップ&ビルド的アプローチは、デジタル・ネイティヴ世代にとって当たり前の創作感覚である。そして、それこそが良きポップ・センスの拡張と更新、つまりは『GOOD POP』な音像を希求する純真な探究心の現れなのだ。遊び心とプロフェッショナル精神が同居した表現の形が今後さらなる飛躍を遂げていき、まったく未知の姿にトランスフォームしていく未来への希望を抱かせる。
……といったところで、終わりでいいんじゃないですか? とりあえず、ね。