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Loraine James / Whatever The Weather - ele-king

 歓喜とはこのこと。2022年のすばらしいライヴをおぼえているだろうか。いまもっとも重要なエレクトロニック・ミュージシャンのひとり、ロレイン・ジェイムズの再来日が決定している。嬉しいことに、今回もロレイン・ジェイムズ名義とワットエヴァー・ザ・ウェザー名義の2公演。しかも、ジェイムズが敬愛しているという aus蓮沼執太がそれぞれの公演をサポートする。いやこれ組み合わせもナイスでしょう。
 ワットエヴァー・ザ・ウェザー&ausは5/15に、ロレイン・ジェイムズ&蓮沼執太は5/17に、いずれもCIRCUS Tokyoに登場。なお、ジェイムズはその後STAR FESTIVALにも両名義で出演します。ゴールデンウィーク後はしっかり予定を空けておくべし。

LORAINE JAMES // WHATEVER THE WEATHER JAPAN TOUR 2024
2022年の初来日公演が各所で絶賛され、2023年にLoraine James名義でHyperdubからリリースした最新作『Gentle Confrontation』が様々なメディアの年間ベスト・アルバムにも名を連らね、現代のエレクトロニック・ミュージック・シーンにおける再注目の存在であるLoraine James // Whatever The Weatherの再来日が決定致しました!
Loraine JamesとWhatever The Weatherでそれぞれ東京公演を行い、京都のSTAR FESTIVALにも両名義で出演致します。
また、東京公演のサポート・アクトにはLoraineが敬愛するaus(5/15公演)と蓮沼執太(5/17公演)が出演致します。
ausはハイブリッドなDJ+ライブセットを、蓮沼執太はソロセットを披露致します。

イベント・ページ:
https://www.artuniongroup.co.jp/plancha/top/news/loraine-james-2024/

Loraine James // Whatever The Weather
Japan Tour 2024

Whatever The Weather 東京公演
Ghostly International 25th Anniversary in Japan vol.1

日程:5/15(水)
会場:CIRCUS Tokyo
時間:OPEN 19:00 / START 20:00
料金:ADV ¥4,500 / DOOR ¥5,000 *別途1ドリンク代金700円必要

出演:
Whatever The Weather
aus

チケット:
イープラス https://circus.zaiko.io/e/whatever
ZAIKO https://eplus.jp/sf/detail/4082320001-P0030001

Loraine James 東京公演
日程:5/17(金)
会場:CIRCUS Tokyo
時間:OPEN 18:30 START 19:30
料金:ADV ¥4,500 / DOOR ¥5,000 *別途1ドリンク代金700円必要

出演:
Loraine James
Shuta Hasunuma

チケット:
イープラス https://circus.zaiko.io/e/lorain
ZAIKO https://eplus.jp/sf/detail/4082290001-P0030001

STAR FESTIVAL
日程:2024年5月18日(土)〜19日(日)
会場:府民の森ひよし 京都府南丹市日吉町天若上ノ所25 Google Map forest-hiyoshi.jp
時間:2024年5月18日(土)10:00開場 〜 19日(日)17:00閉場
Loraine James, Whatever The Weatherは両名義とも5/18に出演

料金:
前売入場券(ADV TICKET) ¥13,000
グループ割引入場券(4枚):¥46,000(1枚11,500円)
駐車券(PARKING TICKET) ¥3,000(オートキャンプA ¥20,000 / オートキャンプB ¥16,000 / オートキャンプC ¥6,000)

出演:
Craig Richards
DJ Marky
DJ Masda
Fumiya Tanaka
Loraine James
Whatever The Weather
Zip
and more…

チケット:
イープラス https://eplus.jp/starfestival2024/
ZAIKO https://thestarfestival.zaiko.io/e/2024MAY
楽天チケット http://r-t.jp/tsf

オフィシャルサイト:https://thestarfestival.com/

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主催・企画制作:CIRCUS / PLANCHA
協力:BEATINK


Photo by Ivor Alice

Loraine James // Whatever The Weather:

ロレイン・ジェイムス(Loraine James)はノース・ロンドン出身のエレクトロニッック・ミュージック・プロデューサー。エンフィールドの高層住宅アルマ・エステートで生まれ育ち、母親がヘヴィ・メタルからカリプソまで、あらゆる音楽に夢中になっていたおかげで、エレクトロニカ、UKドリル、ジャズなど幼少期から様々な音楽に触れることとなる。10代でピアノを習い、エモ、ポップ、マス・ロックのライヴに頻繁に通い(彼女は日本のマスロックの大ファンである)、その後MIDIキーボードとラップトップで電子音楽制作を独学で学び始める。自宅のささやかなスタジオで、ロレインは幅広い興味をパーソナルなサウンドに注ぎ込み、やがてそのスタイルは独自なものへと進化していった。
スクエアプッシャーやテレフォン・テル・アヴィヴといった様々なアーティストやバンドに影響を受けながら、エレクトロニカ、マスロック、ジャズをスムースにブレンドし、アンビエントな歪んだビートからヴォーカル・サンプル主導のテクノまで、独自のサウンドを作り上げた。
彼女は2017年にデビュー・アルバム『Detail』をリリースし、DJ/プロデューサーであるobject blueの耳に留まった。彼女はロレインの才能を高く評価し、自身のRinse FMの番組にゲストとして招き、Hyperdubのオーナーであるスティーヴ・グッドマン(別名:Kode 9)にリプライ・ツイートをして、Hyperdubと契約するように促した。それが功を奏し、Hyperdubは2019年に彼女独特のIDMにアヴァンギャルドな美学と感性に自由なアプローチを加えたアルバム『For You and I』をリリースし、各所で絶賛されブレイク作となった。その後『Nothing EP』、リミックス、コラボレーションをコンスタントにリリースし、2021年に同様に誠実で多彩なフルレングス『Reflection』を発表。さらなる評価とリスナーを獲得した。2022年には1990年に惜しくも他界したものの近年再評価が著しい才人、Julius Eastmanの楽曲を独自の感性で再解釈・再創造した『Building Something Beautiful For Me』をPhantom Limbからリリースし、初来日ツアーも行った。そして2023年には自身にとっての新しい章を開く作品『Gentle Confrontation』をHyperdubから発表。これまで以上に多くのゲストを起用しエレクトロニック・ミュージックの新たな地平を開く、彼女にとって現時点での最高傑作として様々なメディアの年間ベスト・アルバムにも名を連ねた。

そしてロレインは本名名義での活動と並行して、別名義プロジェクトWhatever The Weatherを2022年に始動した。パンデミック以降の激動のこの2年間をアートを通じて駆け抜けてきた彼女はNTSラジオでマンスリーのショーを始め、Bandcampでいくつかのプロジェクトを共有し、前述のHyperdubから『Nothing EP』と『Reflection』の2作のリリースした。そして同時に自身が10代の頃に持っていた未知の創造的な領域へと回帰し、この別名義プロジェクトの発足へと至る。Whatever The Weather名義ではクラブ・ミュージックとは対照的に、キーボードの即興演奏とヴォーカルの実験が行われ、パーカッシヴな構造を捨ててアトモスフィアと音色の形成が優先されている。
そしてデビュー作となるセイム・タイトル・アルバム『Whatever The Weather』が自身が長年ファンだったというGhoslty Internationalから2022年4月にリリースされた。ロレインは本アルバムのマスタリングを依頼したテレフォン・テル・アヴィヴをはじめ、HTRK(メンバーのJonnine StandishはロレインのEPに参加)、Lusine(ロレインがリミックスを手がけた)など、アンビエントと親和性の高いGhostly Internationalのアーティスト達のファンである。
「天気がどうであれ」というタイトルにもちなんで、曲名は全て温度数で示されている。周期的、季節的、そして予測不可能に展開されるアンビエント~IDMを横断するサウンドで、20年代エレクトロニカの傑作(ele-king booksの『AMBIENT definitive 増補改訂版』にも掲載)として幅広いリスナーから支持を得ている。


aus:

東京出身のミュージシャン。10代の頃から実験映像作品の音楽を手がける。長らく自身の音楽活動は休止していたが、昨年1月Seb Wildblood主宰All My Thoughtsより久々となるシングル”Until Then”のリリースを皮切りに、4月にはイギリスの老舗レーベルLo Recordingsより15年ぶりのニューアルバム”Everis”をリリース。同作のリミックス・アルバムにはJohn Beltran、Li Yileiらが参加した。Craig Armstrong、Seahawksほかリミックス・ワークも多数。当公演はDJ+ライブセットでの出演となる。


Shuta Hasunuma (蓮沼執太):

1983年、東京都生まれ。蓮沼執太フィルを組織して、国内外での音楽公演をはじめ、多数の音楽制作を行う。また「作曲」という手法を応用し物質的な表現を用いて、彫刻、映像、インスタレーション、パフォーマンスなどを制作する。主な個展に「Compositions」(Pioneer Works 、ニューヨーク/ 2018)、「 ~ ing」(資生堂ギャラリー、東京 / 2018)などがある。また、近年のプロジェクトやグループ展に「Someone’s public and private / Something’s public and private」(Tompkins Square Park 、ニューヨーク/ 2019)、「FACES」(SCAI PIRAMIDE、東京 / 2021)など。最新アルバムに『unpeople』(2023)。第69回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。

web: https://linktr.ee/shutahasunuma
Instagram: https://www.instagram.com/shuta_hasunuma/

interview with Loraine James - ele-king

 ある意味、このアルバムを紹介するのは簡単だ。まずは1曲目を聴いてくれ。その曲の、とくに2分ぴったりに入るドラミングに集中して欲しい。もちろん同曲は、入りのシンセサイザーの音色もその沈黙も美しい。だが、ドラムが入った瞬間にその曲“Gentle Confrontation(穏やかな対決)”には風が吹き抜け、宙に舞い、曲は脈動する。彼女は「私はものすごく疲れているし、退屈だ」と繰り返しながらも、そのサウンドは唐突に走り出し、ものすごいスピードで駆け抜ける。スクエアプッシャーとエイフェックス・ツインのドリルンベースを受け継いで、独自に発展させたのがロレイン・ジェイムスであることにいまさら驚きはないが、あらためてここには彼女の魅力が凝縮されている。夢見る旋律と躍動するリズムが合成され、世界が開けていくあの感覚だ。
 ロレインの音楽にはつねにメランコリアがつきまとっている。今作はまさにその内的な「穏やかな対決」がサウンドと言葉に、さらに繊細に表れている。ロンドンの、ストリートやその地下からわき上がるグライムやドリルのリズムは、ここではアンビエント/エレクトロニカのフィルターを通り、ほかのものに生まれ変わっている。ときにはジャジーに、ときにはソウルに聞こえるが、しかしその背後には必ずロンドンの薄暗い香気が漂っているのだ。“Glitch The System”などはまさにそれで、このグライム化したドリルンベースは、90年代の〈Warp〉が踏み込めなかった領域である(もっとも、ブレア以前のロンドンには今日ほどの格差はなかったろうし、今日ほどの荒廃はなかっただろう)。
 それはそうと、ここでぼくがあえて特筆したいのは、モーガン・シンプソンとの共演、“I DM U”なる曲だ。ブラック・ミディがまさかここにいるとは想像だにしなかったが、彼がドラムをたたくその曲“I DM U”は90年代なかばくらいのジャズに傾倒したカール・クレイグを彷彿させる。“Cards With The Grandparents” のちょっとしたリズムの遊びも素晴らしいし、ハードコアなリズムとドリームポップが併走する“While They Were Singing ft Marina Herlop”もまた素晴らしい。
 エレクトロニック・ミュージックがいまも進化しているのだとしたら、多かれ少なかれ埃にまみれながら、ロレインのアルバムのように一歩踏み出すのだろう。言うまでもなく、この音楽はベッドルームから路上に繋がっているし、路上から夢想へと、そしてその夢想からまたリアルなこの薄汚れた世界へと繋がっている。彼女は疲れてもいるが、動いてもいるし、退屈だが、夢見てもいるのだ。「穏やかな対決」という、すなわち相反するモノ同士が同居する両義性を秘めたこのアルバムをぜひ聴いて欲しい。今年のベストな1枚だ。

100万回聴いたことがあるようなものは作りたくないなって。ただどっかで聴いたことがあるようなものがやりたいときもあるけどね。そこに自分なりのひねりを加えるのが好きだから。

昨年のあなたの東京でのライヴは素晴らしく、オーディエンスの反応もとても良かったと思いますが、日本での思い出を聞かせてください。

ロレイン:驚きがいっぱいあって、たくさんのものを見聞きして、日本語が喋れないから覚えたいなあと思った。とにかくすごく美しくて、会った人はみんな優しくしてくれて、オーディエンスも音楽を楽しんでくれてる感じだったし、ライヴ後にちょっと話したりサインしたりして、本当に楽しかった。

あなたの新譜がこんな早く聴けるとは思っていなかったので、これは嬉しい驚きでした。ライヴやツアーで忙しいなか、よくこんなにそれぞれが凝っている曲が16曲も入ったアルバムを完成させましたね。これら楽曲はおそらく作り貯めていたもので、それをいっきにブラッシュアップしてしまった感じですか?

ロレイン:何というか、いつも、ある日アルバムを作りはじめようと思い立って、あまり時間をかけるのが好きじゃなくて最長半年くらいで作るんだけど、その期間は書ける時に書くという感じ。今回は確かにライヴで忙しかったからいつもよりも少し大変というか、時間がかかったかもしれないけどね。

そして、1曲目の“Gentle Confrontation”を聴いたとき、これは素晴らしいアルバムに違いないと確信しました。美しくて、力強くて、エモーショナルです。とくにこのドラム・プログラミングが自分には突き刺さりました。そしてアルバムを最後まで聴いたら、作品全体が、自分がそのとき予感した以上に素晴らしくて、すっかり打ちのめされてしまいました。レーベルのプレス資料には「10代のロレインが作りたかったであろうレコードだ。アルバムの音楽的傾向も、その時代を反映している」と書かれています。たしかにここにはDNTEL、ルシーンテレフォン・テル・アヴィヴといった10代のあなたの影響を与えた人たちのサウンドが入っていますが、それだけではないでしょう? 2曲目の“2003”の歌詞にあるように、自分のルーツを見つめたかったというのはあったと思いますが。

ロレイン:たしかに“2003”はこれまででもっとも自分の弱い部分が出ているというか、あれは父についての曲で、これまで彼について曲を書いたことがなかったから。もちろんDNTEL、ルシーンといったサウンド以上のものが含まれているし、あれはティーンエイジャーの頃に通学のときに聴いてたりしたもので、音楽の部分での今の自分を形成したもので。彼らの音楽については、ソフトでエモーショナルなものを感じていて、そういう部分を自分自身のなかから引き出して音楽に取り入れるのを助けてくれたというか。何だろう、去年はいろいろ考えることが多くて……家族とか、人生ってあっという間だなとか。今回のアルバムは7歳くらいの頃から現在の27歳までに受けてきた影響が入っている、ある意味タイムカプセルみたいなもの。DNTEL、テレフォン・テル・アヴィヴはもちろんロックやR&Bもあるというね。

ぼくは、ワットエヴァー・ザ・ウェザー名義の作品やジュリアス・イーストマンにインスパイアされた『Building Something Beautiful For Me』を発表した後に続くアルバムとしては、ものすごく自然に感じました。(ドラムベースからIDM、アンビエント、ベース・ミュージック、R&B、シンセポップ、エレクトロニック・ミュージックのいろんなスタイルが混在し、またときに生演奏も取り入れながら、あなたの自身のサウンドとなって展開されている)あらためてこのアルバムのコンセプト、生まれた経緯などについて話してもらえますか?

ロレイン:まず作りはじめたのが去年の5月くらいで、その時点ではまだどういう感じにしたいのかは自分でもわかっていなくて。というか毎回、アルバムが何についてのアルバムになるか、最初は全然わかってない。ただ今回は、いつもコンピュータ内で作ることが多いから、ちょっとそこから出たいなっていうのはあった。だからペダルを買って、いままでアルバムで使ったことはなかったけど使ってみたりした。テクニカル面でいうと自分が最後まで面白がって作れるものがやりたいというのがあったと思う。実験的なものというか。参加してほしい人のアイデアもいろいろあって、でもそれが途中で変わったりもして。とにかく、いろんなものを入れるんだけど、その辻褄が合うように、ランダムにならないようにしたいっていうのは思ってた。そこは実際まあまあ達成できたんじゃないかなと思ってる。ひとつのアルバムに全部入れて融合させるっていうね。16曲もあるから実はちょっと心配だったんだけど、「そこは気にせず楽しもう」ということにして(笑)。新しいことをやってみたり、自分にとっては作っていて一番楽しいアルバムだったよ。

まだ聴けてないのですが、mouse on the keysとも一緒にやったそうですね。その曲はどんな風に作られていったのでしょうか?

ロレイン:mouse on the keysはずっと大ファンで、10年くらい前にロンドンで観たことがあって。それで、メッセージを送ってみたらどうなるかやってみようと(笑)。「あなたたちの大ファンです。アルバムに参加してくれませんか?」という感じで。実は去年の東京でのライヴで2秒くらい会ったんだけどね。とにかくまずこちらからキーボードを演奏したものを送って、そしたら彼らから音源が送られてきて、それを合体させたという。もしよかったら取材のあとその曲送るね。

通常のドリルの感じも好きだけどね。でも自分はそれを再現できないのがわかっているというか、元々の文脈があるわけで、自分がそこに属していないのに、そこで生まれたものをそのまま盗むっていうことはできないし。

最初は1曲目の“Gentle Confrontation”が圧倒的に好きだったんですが、アルバムを何回も聴いていると、中盤に集めた、実験色が強いいくつかの楽曲が好きになりました。“Glitch The System”、“I DM U”や“One Way Ticket To The Midwest ”、“Cards With The Grandparents”のような曲ですが、これらは、それぞれ曲のコンセプトも違っていて、たとえば“I DM U”ではブラック・ミディのMorgan Simpsonの生ドラムとの共演があって、“One Way Ticket〜 ”は穏やかなアンビエント風で、“Cards With〜”はラップが入ったコラージュ的で実験的な曲です。実験的なドラムンベースとアンビエントと歌のコラージュの“While They Were Singing ft Marina Herlop”も素晴らしい。こうした曲を聴いていると、あなたには、エレクトロニック・ミュージックのなかで、何か斬新なことをやろうという野心があるんだなと思うのですが、今回あなたがやった音楽的探求について話してもらえますか? 個人的に“I DM U”は、とくに好きです。シンプルだけど、ものすごい推進力があって、深いエモーションも感じます。

ロレイン:“I DM U” はライヴのドラマーが欲しいと思っていて、モーガンのことは大ファンだし、彼のドラムって普通じゃないというかクレイジーでしょ(笑)。元々あの曲には電子ドラムを使っていたんだけど、なんかもっとライヴ感が欲しいと思ってそれで彼にお願いした。“Cards With The Grandparents” は私と祖父母がカードゲームをしているところを録音してカードを切ってる音をスウィープサウンドっぽくしたり、曲にテクスチャーと動きを出して、それを楽器みたいにするのが面白かった。それからマリーナ・ハーロップとの曲は、たとえばいい感じのシンセがあって、でもドラムが必ずしも1,2,3,4じゃなくてちょっと動くとか、そこで一瞬だけ混乱させたりして。そこにマリーナの歌が重なって、その軽やかさとドラムのハードな感じがミックスされるっていう。とにかく実験しつつ遊びながらやってみて、「ああこのリズムパターンはいままでやったことないかも」ということが起こったり、たまに自分自身も混乱しちゃったりして、でもそれも面白いっていう、一番はそこだった。

野心についてはどうですか?

ロレイン:うーん……頭の隅にはあるかもしれない。というか、100万回聴いたことがあるようなものは作りたくないなって。ただどっかで聴いたことがあるようなものがやりたいときもあるけどね。そこに自分なりのひねりを加えるのが好きだから。

“confrontation(対決)”という言葉があり、アルバムには力強さもありますが、同時にメランコリックで、内省的なところもあると感じました。『Reflection』も内省的でしたが、あのときとは違う感情が注がれていますよね。あなたはいまアーティストとしては順風満帆で、悲しくなるようなことはないと、おそらくあなたの表面しか知らない人間は思うでしょう。じゃあ何があなたをメランコリックな気持ちにさせるのか、話してもらえますか? そしてこの“confrontation”の意味についてもお願いします。

ロレイン:どうだろう、私の心はいつもあっちに行ったりこっちに行ったりしているからなあ……。ああでも父が亡くなって今年で20年だから、去年作っているときも、このアルバムが発売されるのがちょうどその年になるんだなっていうのは意識していたと思う。別にそれについて話そうと思っていたわけじゃないけどね。“2003”を作っているときに、元々はラッパーを起用しようかと思ってたけど、結局は自分ひとりで歌詞を書いて完成させることにして。でもそうだね、子どもの頃のことは結構考えていたかもしれない。よく理解できていなかったこととか、幼すぎてきちんと消化しきれていなかったこととか。だからアルバム制作が進むにつれて、特にメランコリックにしようと思ってないのに気づくとメロディがそうなっていたみたいな部分はあったかもしれない。ああでも元々DNTELとかにもメランコリーな部分があるし、そういうサウンドに惹かれがちなんだと思う。

Confrontationの意味については?

ロレイン:まず過去と向き合うということ。これまでちゃんと向き合ったことがなかったし、自分の気持ちについて語ってこなかったから。音楽はそういう気持ちを吐き出させてくれるものだから、言葉があってもなくてもね。あと時間が経過したことで、自分の気持ちを以前よりも作品に込められるようになってきたのかもしれない。

歌詞を書いて16曲あるうちの9曲であなたは歌を歌っています。言葉でも伝えたいことがあるからだと思いますが、今作でとくに重要な歌詞はどの曲なのでしょうか? やっぱり“2003”ですか?

ロレイン:うん、絶対そうだと思う。実はあの曲を何度かライヴでやったんだけど、何回か、歌わなくていいかってなったんだよね。ちょっと恥ずかしいというか、弱さを曝け出す感じがして、それでインストゥルメンタル・ヴァージョンにしちゃったり。あとクラブとかでやると、曲の内容に対して演奏する状況が合ってないというか、そういうのもあったし。でもアルバムが出たらもっと歌う場面が増えると思うから、まあ楽しみだけど、どうなるんだろう(笑)。

曲名にメッセージがこもったダブステップ風の“I’m Trying To Love Myself”に歌詞/歌がないのは、なぜでしょうか?

ロレイン:何だろう、自分のことが好きになれない時期ってあると思うんだけど、大人になるにつれて少しずつ自信が出てくるっていう。あとはこの曲でDNTELの“Anywhere Anyone”って曲のサンプルを少し使っていて、その曲に“How can you love me if you don’t love yourself”って歌詞があって、その曲を元にしているというか。とにかく口数が多い感じの曲にはしたくないっていうのがあったんだよね。

進化してると思う。たとえばいまドラムンベースの新時代になっていたり……まったくの、本当に新しいっていうものはないと思うけど、20年前のものを、影響を残しつつ新しくするっていうことは起こってるんじゃないかな。

今回のアルバムを制作するに当たって、あなたをもっとも感動させた出来事があれば教えてください。

ロレイン:“Cards with The Grandparents”を作ったこと。ふたりとも高齢で、でもなかなか会えてなくて、特にパンデミック中は彼らを感染させないように、っていうのもあって2年くらい会えてなかったから。曲を作り終わって聴いたときにはグッとくるものがあったし、今後ライヴでやるときもちょっとエモーショナルになりそうな気がする。

“Tired of Me”のリズムはおそらくドリルから来ていると思うのですが、あなたは昔から、ある意味ストリートでもっとも悪評の高いこのスタイルをあえて用いています。それはあなたがドリルの音楽的なおもしろさに着眼しつつも、ドリルにまつわる偏見を打破したいというのもあるんじゃないかと思うのですが、どうなんでしょうか?

ロレイン:そう、別の文脈に嵌めるのがすごく好きだから。もっとエレクトロニックで実験的な感じにするとか。通常のドリルの感じも好きだけどね。でも自分はそれを再現できないのがわかっているというか、元々の文脈があるわけで、自分がそこに属していないのに、そこで生まれたものをそのまま盗むっていうことはできないし。でもサウンドとしてすごく興味深くて、面白いドラムパターンがあったり、もう明らかにドリルだとわかったり。それに対して「これをもっとグリッチっぽくしたらどうなるだろう」とか、「ディストーションかけたらどうなるだろう」とか、そうやっていろんなジャンルの音楽をいじってみるのが楽しい。

“Speechless”のイントロのシンセサイザーの音が大好きで、まさにあなたのサウンドだと思いますが、あなたにとってエレクトロニック・ミュージックは、いったいどんな意味を持っているのでしょうか? 大きな質問ですが、エレクトロニック・ミュージックというのはこんなにも素晴らしいものだということを、あなたの言葉で説明して欲しいのです。

ロレイン:そうだなあ……私にとっては……私は自分が聴いたものを自分自身の音楽に作り替えるのが好きで、これまで刺激を受けてきたたくさんのエレクトロニック・ミュージックもそうだし、たとえば40代の白人男性が作ったものだったり、でも自分は明らかにそうではないから、影響を受けた音楽を自分の人生の視点から再分脈化するというか、つまりそれは彼らとはかなり違う視点だったりする。あと一般的にエレクトロニック・ミュージックっわりと冷たい印象というか、エモーショナルじゃないし無防備でもない感じがあるでしょ。でも自分はそれとは違うことがしたいと思って、そこに自分の気持ちを込めてもいいし、すごく温かいものにだってできるし、真面目なことを語ってもよくて、別に機械的なものである必要はない、コンピュータっぽいものである必要もない。機械的がダメってことではなくて、それ以外のものであってもいいっていうことなんだけど。それでもいいし、それ以上でもいいと思うんだよ。うん、だから、エレクトロニック・ミュージックはこうであるっていうのを広げるというか。だってエレクトロニック・ミュージックはコンピュータだけでも冷たいだけでもなく、それ以上の部分がもっとたくさんあるから。

あなたから見て、エレクトロニック・ミュージックはいまも進化していると思いますか?

ロレイン:進化してると思う。たとえばいまドラムンベースの新時代になっていたり……もちろん自分が好きなもの、好きじゃないものっていうのはあるけど、いま嫌いでも今後大好きになるかもしれないし、あといまって90年代を彷彿させるものだったり、00年代っぽいものが来ていたり、だから新しいけど懐かしい感じのものとか。まったくの、本当に新しいっていうものはないと思うけど、20年前のものを、影響を残しつつ新しくするっていうことは起こってるんじゃないかな。

とにかく、最高のエレクトロニック・ミュージックのアルバムをありがとうと言いたいです。また、お会いできる日を楽しみにしています。さよなら。

ロレイン:来年また行きたいと思ってる。それじゃあ、また。

Loraine James - ele-king

 喜びたまえ。出すもの出すものハイクオリティの快進撃をつづけ、昨年の来日公演でもすばらしいライヴを披露してくれたロレイン・ジェイムズが、新たにアルバムを送り出す。『やさしい対決(Gentle Confrontation)』と題されたそれは2年ぶりに〈ハイパーダブ〉からのリリースで、9月22日発売。サプライズもある。日本のマスロックからの影響をたびたび口にし、「とくに好きなのは Toe と mouse on the keys」と語っていたジェイムズだが、新作のCD盤にはなんと、その mouse on the keys をフィーチャーした曲がボーナストラックとして収録される。どんなコラボが実現されているのか楽しみだ。公開中の新曲 “2003” を聴きながら夢を膨らませておこう。

Loraine James

エレクトロニック・ポップ・ミュージックの新たな地平を開く、最高傑作が誕生!
ロレイン・ジェイムスが最新アルバム『Gentle Confrontation』をコード9率いる〈Hyperdub〉より9月22日にリリース!
新曲「2003」がMVと共に公開!

ジャズ、エレクトロニカ、UKベース・ミュージック、アンビエントなど、様々な音楽性を内包したクロス・オーバーな作風で人気を博す北ロンドンの異能、ロレイン・ジェイムス。昨年行われた初の来日ツアーが完売となり、ここ日本でも大きな注目を集める彼女がコード9率いるUK名門〈Hyperdub〉から3枚目となる最新アルバム『Gentle Confrontation』を9月22日にリリースすることを発表、アルバムからの先行解禁曲「2003」がMVと共に現在公開されている。

Loraine James - 2003
https://youtu.be/6gikGLeq6mc

Director & Editor - IVOR Alice
Art Direction & Set Design - Dalini Sagadeva
Lead Assistant (Camera, Lighting, & Set Design) - Charlie Buckley Benjamin
Clothing courtesy of Nicholas Daley

本作は、彼女の過去と現在をつなぎ、彼女自身にとっての新しい章を開く作品だ。この作品は彼女が10代の頃に好きだったドゥンテル(DNTEL)、ルジン(Lusine)、テレフォン・テル・アヴィヴ(Telefon Tel Aviv)のようなマス・ロックやエモーショナルなエレクトロニック・ミュージックを聴きながら制作が行われ、気だるさや楽しさ、様々なフィーリングを感じさせる仕上がりとなっている。シカゴ出身の新鋭シンガーKeiyaA、ニュージャージーのバンドVasudevaでギタリストとして活躍するCorey Mastrangelo、名門〈PAN〉からのリリースで注目を集めたピアニスト/SSWのMarina Herlop、ヴィーガン率いる〈Plz Make It Ruins〉から昨年リリースした作品が注目を集めたロンドンのGeorge Riley他、これまで以上に多くのゲストを起用している。『Gentle Confrontation』は、人間関係(特に家族関係)、理解、そして少しの優しさと気遣いをテーマにしており、水のような柔らかい質感のアンビエンスが漂う中で、ポリリズムやASMRなビートが広げられたエレクトロニック・ポップ・ミュージックの新たな地平を開く、彼女にとっての最高傑作が完成している。マスタリングはテレフォン・テル・アビブのメンバー、ジョシュア・ユースティス(Joshua Eustis)が手がけ、シャバカやキング・クルールを手がけるディリップ・ハリス(Dilip Harris)がミックスを担当した。

待望の最新作『Gentle Confrontation』は9月22日にCD、LP、デジタルと各種フォーマットで発売! CDには、LPに収録されないボーナス・トラック「Scepticism with Joy ft. Mouse on the Keys」が収録される。また、国内流通仕様盤CDには解説が封入される。

label: Hyperdub
artist: Loraine James
title: Gentle Confrontation
release: 2023.05.26

BEATINK.COM: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13437

Tracklist
01. Gentle Confrontation
02. 2003 02:39
03. Let U Go ft. keiyaA
04. Deja Vu ft. RiTchie
05. Prelude of Tired of Me
06. Glitch The System (Glitch Bitch 2)
07. I DM U
08. One Way Ticket To The Midwest (Emo) ft. Corey Mastrangelo
09. Cards With The Grandparents
10. While They Were Singing ft. Marina Herlop
11. Try For Me ft. Eden Samara
12. Tired Of Me
13. Speechless ft. George Riley
14. Disjointed (Feeling Like A Kid Again)
15. I'm Trying To Love Myself
16. Saying Goodbye ft. Contour
17. Scepticism with Joy ft. Mouse on the Keys

TAAHLIAH and Loraine James - ele-king

 快進撃をつづけるロレイン・ジェイムズが、グラスゴーの新人DJ/プロデューサー、TAAHLIAHとのコラボ・シングルをリリースしている。“Fuck It!” と題されたそれは、〈Warp〉のオフィスでのスタジオ・セッションにて着想されたものだという。ワットエヴァー・ザ・ウェザー名義のアルバム、〈AD 93〉から出たTSVIとの共作、NYの不遇の前衛音楽家ジュリアス・イーストマンへのトリビュートと、すばらしい作品ばかりを送りだし、日本公演も成功させたジェイムズにとって、どうやらこの新曲が2022年の締めくくりになるようだ。

Whatever The Weather - ele-king

 ヘヴンリー・ミュージック、そんな言葉が相応しいライヴだった。アンビエントと呼ぶには、あまりにも繊細で美しい音楽に思えた。この人は、なんでこんなにも美しい音楽を作ることができるのだろう。その美しさは、いったい彼女のどこから来ているのだろう。彼女の内面からわき上がる何か、希求してやまないもの、もしくは本当に桃源郷。
 ひとまず通り一遍のことを書いておくと、まず、クラブにおけるライヴで、派手なリズムを入れないアンビエント・スタイルをもって1時間のあいだオーディエンスを釘付けにすることは、難易度が高い。期待に満ちた満員のフロアなら、キックの音でも連打すればそれなりに盛り上がりもする。そしてそれをついついやりたくもなる。だが、ロレイン・ジェイムスのワエヴァー・ザ・ウェザー(WTW)のライヴは、そういう安易なのせ方をしなかった。前半で演奏したビートレスのピアノ・アンビエント“14℃”で愕然とするほどの崇高さを表現し、最高の見せ場としたことが、昨晩のライヴを象徴している。(ダンス・ミュージックに特化した前の晩の演奏もすこぶる良かったそうだが、ぼくは行っていない)
 
 ロレイン・ジェイムスが夢見人であることは、彼女の諸作から充分にうかがえる話だが、“17℃”のような曲で時折入る細かに分解されたジャングルのリズムは、かろうじてこの音楽の出自を仄めかしてもいた。とはいえWTWは、こうした分析が無駄に思えるほど、ただただ美しかった。そう、涙が流れるほどに……前から言っていることだが、年を取ると涙もろくなるのだ。さらに言っておくとオーディエンスの多くは若く、この手の音楽のライヴにしては女性は多かったし、アフリカ系の女性もいた。
 そんなわけで、ロレイン・ジェイムスの初来日は、後ろを振り返るものではなく、未来に開けていたと言えよう。アンコールもあって、終わったのは10時過ぎ、渋谷の外の気温は15℃くらいだった。
 なお、彼女へのインタヴューは紙エレキング年末号にて掲載(インタヴュアーはジェイムズ・ハッドフィールド)。

Loraine James - ele-king

 ロレイン・ジェイムスの新作だが、これはちょっと特別なプロジェクトだ。ジュリアス・イーストマン(Julius Eastman)という、犯罪的なまでに知られていなかったアーティストの音源を素材として作った彼女のアルバムで、それならまあ、昔からよくあるリミックスみたいなものだと早合点されてしまうのだが、本作における骨子は、ジュリアス・イーストマンの人生から授かったインスピレーションにある。ぼく自身も、ジュリアス・イーストマンについて犯罪的なまでに知らなかったひとりなので、彼のことを調べて、彼の音楽を聴いて、ただただ驚嘆するしかなかった。
 
 ジュリアス・イーストマンは、不遇な音楽家だった。いまから32年前、ホームレスとして亡くなったクィアの黒人前衛音楽家は、1940年、ニューヨークに生まれている。14歳からピアノを習ったという彼が、大学で理論を教えながら音楽家として活動をはじめたのは、1963年にフィラデルフィアのカーティス音楽院を卒業してから数年後の、60年代後半ことだった。ピアニストでありヴォーカリストでもあった彼は、最初はピアニストとしてデビューし、1970年代前半にかけては自作も発表する。1973年の“Stay On It”や1974年の“Femenine”といった初期作品を聴けば、イーストマンがミニマル・ミュージックの影響下で創作していたことがわかるが、彼独自のポップな解釈もすでにある。喩えるなら、スティーヴ・ライヒのゴスペル・ヴァージョンだ。のちにアーサー・ラッセルと出会って、ぼくの大好きな“Tower of Meaning”(1983)において指揮を任されるのがイーストマンだったこともぼくはこの機会に認識したわけだが(ティム・ローレンスの評伝では、ただその名前のみが記されている)、イーストマンの作品はクラシック音楽の前衛(ミニマル・ミュージック)にまだ片足を突っ込んでいた初期のラッセル作品ともリンクしている。
 イーストマンの人生において重要な出来事のひとつは、1975年にジョン・ケージの“Song Books”なる作品をイーストマンが所属していたS.E.M.アンサンブルの一員として演奏したことだった。そのときイーストマンは男女をステージに上げ、演劇的にエロチックなパフォーマンスを挿入したというが、こうした彼の同性愛者のアイデンティティの発露に対して実験音楽の大家は激怒し、名指しで批判した。当時禅宗に傾倒していたケージにとって作中に私事を出すことは許しがたかったようで、その出来事のみにフォーカスするなら、60年代的な精神に2010年代的な行為が否定されてしまったといまなら言えるかもしれない。まあ、とにもかくにもその時代、もっとも影響力のあった人物からの公での批判は駆け出しのアーティストにはそうとう堪えたろうし、ましてや勇気を持って臨んだ自己アイデンティティの主張が間違っていると言われた日にはたまったものではない。この出来事はイーストマンがアカデミーの世界から離れるひとつのきっかけになったんじゃないだろうか。
 大学を離れNYに戻った70年代後半からは、イーストマンはさらに精力的に創作活動に勤しんでいる。1979年には、“前衛音楽”シーンにおいては刺激的過ぎた作品名の3つの代表作(“Crazy Nigger”、“Evil Nigger”、“Gay Guerrilla”)を発表、それからアーサー・ラッセルと出会って、ラッセルのディスコ・プロジェクト、Dinosaur Lに参加もしている。
 しかしながら、ラッセルと違って彼個人の作品が商業リリースされたことはなく、生活を支える仕事もなかった。イーストマンは家賃も払えず、80年代初頭にはアパートを追い出され、それから死ぬまでのあいだはほとんどホームレス状態だったという。しかも彼の死は、あたかも彼が存在しなかったかのように、それから8ヶ月後に『ヴィレッジ・ヴォイス』が小さく報じたのみに留まった。イーストマンの楽譜が再発見されてあらたに演奏されたり、イーストマンの作品の数々が商業パッケージとしてリリースされるのは、彼の死から15年も過ぎた、2000年代半ば以降の話である。

 本作『私のために美しきものをつくる(Building Something Beautiful For Me)』は、その題名が主張しているようにロレイン・ジェイムスの作品とみていい。作品への感銘もさることながら、クィア・ブラックとしての深い感情移入もあったことと察する。彼女の音楽の特徴がストリート(グライム/ドリル)とオタク(エレクトロニカ/IDM)との融合にあったとすれば、本作においてはそうした二分法を超越している。時空を超え、さらにいろんなもの(ライヒ的なミニマル・ミュージックを含む)が彼女のなかに吸収され、彼女のいう“美しきもの”となって吐き出されている。強いてジャンル名のタグを付けるとしたらエレクトロニカ(ないしはエレクトロ・アコースティック)となるのだろうけれど、90年代のそれとは別次元の、ほとんどこれは詩学の領域に到達していると言っていい。
 非凡な人には、確実に乗っている時期というものがある。今年は、彼女のアンビエント作品集『Whatever The Weather』も良かったし、本作もまた感動的で、ロレイン・ジェイムスがいまアーティストとして最高の状態にいることがわかる。来日が楽しみでならない。

*タイミングが合えば、年末号の紙エレキングにロレイン・ジェイムスの細心インタヴューを掲載予定です。
 
 

Loraine James - ele-king

 ロレイン・ジェイムス、待望の来日決定。以下にスケジュールです。なんと、Loraine James名義のパフォーマンスとWhatever The Weather名義のパフォーマンスとあります。また、黒人前衛音楽家のJulius Eastmanの楽曲を再解釈した新作『Building Something Beautiful For Me』の日本盤リリースも決定。

Loraine James 東京公演

日程:11/2(水・祝前日)
会場:CIRCUS TOKYO
時間:OPEN/START 23:00
料金:ADV ¥3,000 / DOOR ¥3,500

出演:
Loraine James
and more…

チケット(9/12 12:00~発売開始):
イープラス : https://eplus.jp/ Loraine Jamesで検索
ZAIKO : https://circustokyo.zaiko.io/item/351038

Whatever The Weather 東京公演

日程:11/3(木・祝日)
会場:CIRCUS TOKYO
時間:OPEN 18:00 START 19:00
料金:ADV ¥4,000 / DOOR ¥4,500 *別途1ドリンク代金600円必要

出演:
Whatever The Weather
and more…

チケット(9/12 12:00~発売開始):
イープラス : https://eplus.jp/ Whatever The Weatherで検索
ZAIKO : https://circustokyo.zaiko.io/item/351039

Loraine James 大阪公演

日程:11/4(金)
会場:CIRCUS OSAKA
時間:OPEN/START 23:00
料金:ADV ¥3,000 / DOOR ¥3,500

出演:
Loraine James
and more…

チケット(9/12 12:00~発売開始):
イープラス : https://eplus.jp/ Loraine Jamesで検索
ZAIKO : https://circustokyo.zaiko.io/buy/1tjW:oO5:b7d7f

Whatever The Weather 大阪公演

日程:11/5(土)
会場:CIRCUS OSAKA<
時間:OPEN 18:00 START 19:00
料金:ADV ¥4,000 / DOOR ¥4,500 *別途1ドリンク代金600円必要

出演:
Whatever The Weather
and more…

イープラス : https://eplus.jp/ Whatever The Weatherで検索
ZAIKO : https://circustokyo.zaiko.io/item/351041

主催・企画制作:CIRCUS / PLANCHA
協力:BEATINK

Loraine James
Building Something Beautiful For Me

PLANCHA / Phantom Liimb
※日本独自CD化
※CDボーナス・トラック1曲収録予定
※解説付き

Release Date: 2022.10.07
Price(CD): 2,200 yen + 税

Loraine James - ele-king

 昨年〈Hyperdub〉から『Reflection』というすばらしいアルバムを発表し、高い評価を獲得したプロデューサー、ロレイン・ジェイムズ。今年もワットエヴァー・ザ・ウェザー名義でこれまたハイクオリティなアンビエント作品を送り出しているが、早くも本名名義での新作がアナウンスされている。NYの作曲家ジュリアス・イーストマン(メレディス・モンクやアーサー・ラッセルとのコラボで知られる)にオマージュを捧げたアルバムで、彼の作品を再解釈した楽曲により構成されている。リリースは10月7日。

artist: Loraine James
title: Building Something Beautiful For Me
label: Phantom Limb
release: 7th Oct 2022

tracklist:
01. Maybe If I (Stay On It)
02. The Perception of Me (Crazy Nigger)
03. Choose To Be Gay (Femenine)
04. Building Something Beautiful For Me (Holy Presence of Joan d’Arc)
05. Enfield, Always
06. My Take
07. Black Excellence (Stay On It)
08. What Now? (Prelude To The Holy Presence Of Joan d’Arc)

Whatever The Weather - ele-king

 新名義は日本語に訳すと「どんな天気であれ」。曲名はすべて摂氏。アンビエント作品にとりくむにあたり、天気や気温をテーマに選んだ時点でロレイン・ジェイムズに勝機はあったのだろう。なぜならそれらは、つねにわれわれの生活を「とりまい」ているものだからだ。例外はない。どんな場所に住んでいようと、どんな階級・人種・性であろうと、天候はわれわれの「周囲」にあり、その影響を否応なくわれわれは受ける。

 新作でマスタリングを担当しているテレフォン・テル・アヴィヴ(やむをえないとはいえ、昨晩の来日公演中止は残念でした……)やバスなどのエレクトロニカ、あるいは mouse on the keys や toe といった遠い東洋のマスロックに惚れこんだロレイン・ジェイムズは、それらとはべつのところにいると思われているグライムや、リベラルの良識派から嫌忌されるドリルのストリート感覚さえもとりこんで、90年代エレクトロニカのスタイルをアップデイトしてきた。われわれはすでに2枚のクラシック、『For You And I』と『Reflection』を知っている。 全盛期の〈Warp〉なら間違いなく、なにを差し置いてでも契約していたアーティストだろう。
 ファースト・アルバムの高層公営住宅の風景は、彼女がどこから来たのかを物語っている。二枚重ねの写真が指し示すそれは、彼女がけっして余裕があるとはいえない経済状況のなかDIYで音楽をつくりはじめた場所であり、その後ジェントリフィケイションによってコミュニティごと破壊されようとしていた場所だ。
 郊外の公営団地に育ち、ラップをはじめる──のではない。彼女はIDMを愛し、それをわが音楽とした。文化的な観点からも、彼女の存在は因習打破的だ。労働者階級出身の黒人クィア女性が紡ぐ電子音は、天候が人間にとっての環境であるように、IDMやアンビエントが白人だけのものではないことを控えめながら、しかし強く主張している。

 アンビエントといっても、新作を構成する4割くらいはビートを持った楽曲である。ドリルンベースの “17°C” は、90年代後半以降のエイフェックス•ツインスクエアプッシャーへの愛を惜しみなく披露している。“0°C” におけるもの憂げなメロディとマシナリーなドラムの組み合わせは、もろにAIシリーズを想起させる。それだけだと懐古的に映るかもしれないが、ジェイムズ本人が歌う “4°C” や “30°C” では、声の響きとビート両面における現代的な冒険が繰り広げられている。かつて心酔した音楽へのリスペクトと、未知を探求する好奇心。
 ノンビートの曲はどれもうっとりするほど美しい。アートワークどおりひんやりした空気を漂わせつつ、不思議なぬくもりをまとってもいる。どこかジャズっぽいコードのおかげかもしれない。寒くもなく、暑くもなく、夢見心地でありながら現実逃避的にはなりすぎず、うまく日常に寄り添いもするサウンド。前2作にあったラップがないかわりに、本盤は極上の心地良さを搭載している。『AMBIENT definitive 増補改訂版』が「2022年」のページで大枠に選出しているのもむべなるかな、今年上半期におけるエレクトロニック・ミュージックのクライマックスがここにある。

 かつてイーノが「周囲の」とか「とりまく」といった意味のことばを初めて自作に冠したのが1978年。14年後、ビートのある音楽をもってそれを書き換えたのがエイフェックス•ツインだった。両者にないバックグラウンドを持つロレイン・ジェイムズは、その固有の感性で先人たちの試みを更新している。

talking about Hyperdub - ele-king

 2021年のエレクトロニック・ミュージックにおいて、こと複数のメディアで総合的に評価の高かった2枚に、アヤの『im hole』とロレイン・ジェイムスの『Reflection』があり、ほかにもティルザの『Colourgrade』とか、えー、ほかにもスペース・アフリカの『Honest Labour』もいろんなところで評価されていましたよね。まあ、とにかくいろいろあるなかで、やはりアヤとロレイン・ジェイムスのアルバムは突出していたと思います。この2枚は、ベース・ミュージックの新たな展開において、10年代のアルカそしてソフィーといった先駆者の流れを引き寄せながら発展させたものとしての関心を高めているし、そしてまた、〈ハイパーダブ〉という21世紀のUKエレクトロニック・ミュージックにおける最重要レーベルの新顔としての注目度の高さもあります。ロンドン在住の現役クラバー、高橋勇人と東京在住の元クラバー、野田努がzoomを介して喋りました。

■アヤとは何者?

E王
Aya
im hole

Hyperdub/ビート

高橋:先週はコード9に会いましたよ。

野田:なんで?

高橋:イースト・ロンドンのダルストンにある〈Café Oto〉というヴェニュー。大友(良英)さんや灰野(敬二)さんがよくやってる。

野田:うん、わかる、日本でも有名。Phewさんの作品も出してるよね。

高橋:そこでアヤがインガ・コープランドの新名義ロリーナと対バンしたんですよ。

野田:くっそー、その組み合わせ、最高だな。

高橋:インガ・コープランド、とくにハイプ・ウィリアムスって、ある種、ダンス・ミュージック以外にも注目しはじめた第二期〈ハイパーダブ〉を象徴するアーティストですよね。

野田:そう、いまハイプ・ウィリアムスの話からはじめようと思ってた。高橋くんって、(マーク・)ロスコの原画って見たことある?

高橋:テート(・モダン)で見たことあります。

野田:あの抽象表現絵画って絵葉書とかになってたりするけど、原画はものすごく巨大で。

高橋:ウォール・ペインティングですもんね。

野田:あの原画の前に立ち尽くすと、圧倒的なものを感じるんだよね。俺はドイツの、たしかデュッセルドルフで原画を見たんだけど、しばらくその前から動けなかったぐらい圧倒された。ハイプ・ウィリアムスのライヴは、自分が21世紀で観てきたなかでいまだベストなんだけど、そのときのハイプ・ウィリアムスのライヴは、言うなればジャングルやベース・ミュージックの抽象絵画だったんだよ。

高橋:なるほど。

野田:抽象化されたベース・ミュージック。そのときのライヴは、壮絶な電子ドローンからはじまったの。サブベースありきのね。もし、“ドローン・ダブ” なんて言葉があるとしたら、あれこそまさにそんな感じだった。それで最初にアヤを聴いたとき、ハイプ・ウィリアムスの続きがここにあると思ったんだよ。ほら、冒頭の電子ドローン、あれを大音量でちゃんとしたシステムで聴いたら、近いモノがあると思うし、電子的に変調された声もそう。

高橋:ははは、そうなんですね。僕にとってハイプ・ウィリアムスとは〈ハイパーダブ〉からの『Black Is Beautiful』ですよ。あのイメージが僕には強い。だから、サンプリングを重視したすごく変なポップ・ミュージックって印象です。

野田:そうだよね。コンセプチュアルでメタなエレクトロニカだよね。とくにその後のディーン・ブラントは音楽そのものを偽装する奇妙でメタなポップ路線に走るけど、あのときのライヴは、言葉が通じない日本人に対してサウンドで勝負したんだよな。そこへいくと、アヤは詩人であり、言葉の人でもある。しかしそのサウンドがあまりにも斬新なんだ。ちなみにさ、アヤってどこから来た人なの?

高橋:経歴を説明すると、出身は北イングランドのヨークシャー。いまって若手のアンダーグラウンドのミュージシャンでも、大学で音楽を勉強している人がすごく多いじゃないですか、ロレイン・ジェイムスとレーベルの〈Timedance〉を主宰しているブリストルのバトゥと彼のレーベルメイトなんかもそうだし。アヤもそうで、音楽大学でミュージック・プロダクションを勉強して、そこで出会ったティム・ランドというランドスライド(Landslide)名義でドラムンベースを作っていた先生に出会うんですよ。その人からアヤはアルカやホーリー・ハードンなどについて学んでいる。

野田:えー、大学でアルカを学ぶって。日本じゃ考えられない(笑)。

高橋:(笑)それがウェールズの大学で、アヤはそこからマンチェスターにいった。そこでベースやUKガラージのシーンへと入って、〈NTS〉マンチェスターとかその周辺の人たちとやっていた。で、『FACT Magazine』のトム・レア元編集長がはじめた、ロンドンの〈Local Action〉レーベルがあって、現行のベース系だけど、ダブステップよりもUKガラージとかから派生している、フロアで機能するようなレーベルです。そういったコミュニティにいたのがアヤ。そこではまだ、ロフト名義でやってた。

野田:ロフト名義のころから注目されてたの?

高橋:詩のパフォーマンスもやってはいたけど、リリースでは音がメインでしたね。ちなみに、トム・レアやその周辺のベース・ミュージックと日本でつながってるのはdouble clapperzのSintaくんとかじゃないかな。

野田:Sinta、素晴らしいな。

高橋:トム・レアってすごく敏腕ディレクターで、新しいことをいろいろやってる。いわゆるEDM的なものではない、カッティング・エッジなベース・ミュージックをロンドンから発信していた。そのなかのひとつとして、ロフトも注目されていた感じです。ロフトはブリストルの〈Wisdom Teeth〉からもリリースしていて、アンダーグラウンドのベース・ミュージック新世代のひとりとして認知されていましたよ。

野田:話が飛んじゃうけど、いまブライアン・イーノの別冊を作っているのね。60年代から70年代って、イギリスはアートスクールがすごかった。アートスクールという教育機関が、70年代のUKロックに影響を与えていたことは事実なんだけど、きっと、いまはそれが大学なんだね。

高橋:まあ、アートスクールが大学ですからね。ブレア政権時代に、いわゆる昔の職業専門学校みたいなのが大学になったりしている。その大学改編の一環で、それまでのアートスクールが大学になっているんじゃないかな。いわゆる美大みたいな感じに。

野田:なるほど。それでアルカについて教えたり、Abletonの使い方を教えたりしてるんだ。そりゃあ面白いエレクトロニック・ミュージックが出てくるわけだな(笑)。ブライアン・イーノがアートスクール時代の恩師からジョン・ケージや『Silence』、VUなんかを教えてもらったようなものだね。

高橋:似ているかもしれない。それこそ僕の在籍しているゴールドスミス大学はジェイムス・ブレイクの出身校ですからね。


Photo by Suleika Müller

野田:話を戻すと、アヤの『im hole』は2021年出たエレクトロニック・ミュージックではいちばん尖った作品だったよね。

高橋:尖ってましたね。

野田:しかもあれって、ベース・ミュージックだけじゃなく、ドローンやアシッド・ハウスとか、いろんなものがどんどん混ざっている。ハイブリットっていうのはまさにUKらしさだし、まあいつものことなんだけど、アヤのそれは抽象化されているんだけど、巧妙で、リズムの躍動感が抜群にかっこいいんだよ。

高橋:僕の好きな曲は4曲目の“dis yacky”です。

野田:あー、わかる、あのベースが唸るやつね(笑)。アルバムを聴いていって、あの曲あたりから踊ってしまうんだよ。部屋のなかで。

高橋:基盤にグライム、ダブステップとジャングルが入ってる。曲の作り方がほかの人とぜんぜん違います。ちなみに、アヤはもともとドラマーでリズム感がめちゃくちゃいいんです。あれって普通に聴くとダブステップと同じようなスピードなんですよ。でも、うしろで鳴ってるのが五連付のドラムロールで、その音だけ、だいたいBPMが170でジャングルと同じなんです。で、アヤはそのBPM170をエイブルトンで設定して作っているんだけど、普通に音楽を聴くときはダブステップやグライムで主流のBPM140で聴こえる。つまりポリリズムですよね。普通はそうやって凝り過ぎるとIDMっぽくなるというか、フロアではシラケちゃったりする。けれどアヤはそこのバランスがうまい、ぜんぜんサウンドオタクっぽく聴こえない。

野田:なるほど、たしかに。

高橋:僕はそこにある種の、ポリリズムとある種のクィアなアイデンティティの相関関係みたいなものがあるんじゃないかと思った。クィア・サウンドとはこれまでにない音を作り出す、それまでのサウンドの境界線をプッシュするというか。そこでポリリズムもリズムの多重性と考えられないかなと。ちなみにアヤ自身はトランスウーマンで、自分のジェンダー自認は女性って公表しているので、その自認がクィア、つまり男性でも女性でもない、というわけではないんですけどね。ただ彼女の生き方には、そういったクィア性はみてとれる。そういった表現をサウンド・テクスチャ―から感じるプロデューサーはいるけど、リズムでやってる人はそこまでいないような気がする。

野田:クィア・サウンド……、なるほどね、それっていま初めて聞いた言葉だけど、面白いね。だって、ハウスはゲイ・カルチャーから来ていて、やっぱりあのサウンドにはその文化固有のエートスが注がれているわけで、最近のエレクトロニック・ダンス・ミュージックでおもろいのは、気がつくとクィアだったりするんだけど、同じようにその独特なノリやその文脈から来ているテクスチュアがあるんだろうね。

高橋:10年代でいえば、〈Night Slugs〉なんかがクィア・シーンではすごい人気ですけどね。

■ソフィーの影響はでかかった


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野田:アヤは〈ハイパーダブ〉がフックアップしたの? 

高橋:これはスティーヴ・グッドマン(コード9)がロフトのライヴに感銘を受けて、〈ハイパーダブ〉から出したとインスタグラムで言ってました。まずポエトリー・リーディング、詩のパフォーマンスがすごいとも言ってた。そしてあのサウンドテクスチャー。

野田:〈ハイパーダブ〉の資料によると、アヤはクィア文化に対しても批評的なことを言ってるよね。それも俺、興味深く思っててさ、自分がクィアでありながらクィア文化に対しても批評的であるということは、それが「LGBTQであるから評価するのは間違っている」ということだよね?

高橋:そうです。つまり、クィア文化そのものを批判しているんじゃなくて、そこに向けられる言葉に懐疑的なんです。「LGBTのサウンドはこうでしょ、LGBTのアーティストに求められるものはこうでしょ」、といったものを完全に拒否した音楽です。

野田:逆に言うと、それはジェンダーの認識がすごく成熟に向かってるということでもあるのかね。

高橋:そういう見方もできるかもしれません。だからこそかもしれないけど、リリックのなかでクィアなアイデンティティを全面にだすより、単純に自分が感じている日常的なこと、たとえば自分はヨーク出身で、マンチェスターを経由していま音楽をやっているとか、そういうことをうまい言葉遊びで表現してる。だから必ずしも、クィアやLGBTを取り巻く言説に対する批判だけにとどまらないアティチュードが面白いんですよ。

野田:言い方を変えれば、ジェンダーを超えたところで評価してほしいってことだよね。

高橋:もちろん。アヤはソフィーからの影響が強いアーティストなので。

野田:あらためて思うけど、ソフィーはホント、でかいなぁ。

高橋:ソフィーなんてでてきた当初、誰がやっているかさえわからなかったじゃないですか。でも、ブリアルとぜんぜん違うのはメディアとかにもでていて、ソフィーが顔をだすまえ、つまりアルバム『Oil Of Every Pearl's Un-Insides』を出す前、インタヴューを受けても顔を隠して声も変えたりしてた。

野田:まさにそれはアヤもやってることだよね。

高橋:そう。〈NTS〉のラジオでもずっとやってた。ソフィーの影響だと思う。このアルバムにはソフィーが死んだ数日後に作ったという“the only solution i have found is to simply jump higher”という曲が入ってます。僕が買った『im hole』の本の謝辞にも「ソフィへ、すべての永遠の満月を(To SOPHIE for every full moon forever)」って書いてある。ポスト・ソフィーっていい区切りになりますよ。サウンド・ミュータントを追求するアルカやフロアで革新性を求めた〈Night Slugs〉もすごく影響力があるけど、ソフィーがやったハイパーポップがもっと重要みたいです。アヤとロレイン・ジェイムスはふたりともソフィーの影響下にありますからね。

野田:ああそうだね、ロレインも。


Photo by Suleika Müller

高橋:去年、僕が感動したDJは、ロレイン・ジェイムスが〈NTS〉でやったソフィーへのトリビュート・セット。あれは素晴らしい。ソフィーの楽曲だけじゃなくて、そのカバーもミックスしていて、みんなのソフィー像が浮かび上がってくるみたいなんです。 LGBTコミュニティに属するアーティストの紹介と言う意味でも、〈ハイパーダブ〉も頑張っていますね。クィア・アーティストとか、マージナルなアイデンティティの人をよくだすようになった。サウス・アフリカのエンジェル・ホ(Angel-Ho)とか。

野田:ところでアヤのライヴってどうだった?

高橋:2回観てますけど、去年のライヴ・ハウスみたいなとこでやったのは、黒いパーカーを着てステージにあらわれて、体を使ったボディ・パフォーマンスがすごかった。本人はスケボーもやっていて運動神経がすごくいいんです。

野田:あれで運動神経がいいなんて、ちょっと反則だ(笑)。

高橋:なんて言えばいいのかな……、ソフィーやアルカも、ライヴをやってるときってけっこうシリアスな感じになるんですね。でもアヤはそういう感じではない。どんなにシリアスになったときでも、アヤはお客さんとジョークを交えたコミュニケーションを取ることを忘れない。

野田:北部の人たちは、昔からロンドンのお高くとまったところに対抗意識を持ってるんだよ。

高橋:ありますね(笑)。うまく言えないんだけど、すごくイギリス人っぽいユーモアを持ったひとです。だからアルバムからは想像できないけど、すごくフレンドリーです。じょじょに曲が進むとパーカーを脱いで、すごくかっこいい衣装になってダンスしまくる、みたいな。その日はちょうど、アルバムにも参加してるマンチェスターのアイスボーイ・ヴァイオレットもMCでステージに現れました。アイスボーイのジェンダープロナウンは「They/Them」で、男性と女性でもないことを自認していますね。

野田:はぁ……(深くため息)、いまコロナじゃなきゃ、日本でもきっと見れたんだろうなぁ。君がうらやましいよ。じゃ、ロレイン・ジェイムスのことを話そう。彼女は〈ハイパーダブ〉が見つけたんじゃなく、ロレインが海賊ラジオに出演したとき、これは〈ハイパーダブ〉が契約しなきゃだめだろってリスナーが騒いで、で、〈ハイパーダブ〉が契約したっていう話を読んだんだけど。

高橋:たしかに。ロレインは同じ世代からの信頼がすごく厚いプロデューサーなんです。オブジェクト・ブルーというロンドンのプロデューサーや、ロレイン・ジェイムスのフラット・メイトで、〈Nervous Horizon〉を運営するTSVIと彼女は仲がいい。みんな非常にスキルフルで影響力のある作り手たちです。そういったロンドンのコミュニティがあるのは面白いですよね。

野田:面白い話だね。そういうのは日本からはぜんぜんわからないよね。

高橋:オブジェクト・ブルーさんは日本語が母国語のひとつだし、『ele-king』で日本語圏に向けて取り上げるべき人ですよ。最近ではジェットセットでもレヴューを書いてたな。彼女はレズビアンであることを公言していて、昔Twitterには自分のことをテクノ・フェミニストと呼んでいてかっこいいなと思いました。

野田:へー、それも興味深い。

高橋:そういうコミュニティからロレイン・ジェイムスがでてきてるっていうのは、ひとつありますね。いわゆる団体というよりも、友だちって感じですけど。

野田:ロンドンって再開発して物価が上がってボヘミアン的なアーティストが住めないって聞くから、もう新しいものは生まれないって思ってた。そういうわけじゃないんだね。

高橋:そんなわけでもないですよ。たしかにブレグジットの影響でボーダーは前ほど自由ではないけど、音楽シーンにインターナショナルな感じはあるかな。TSVIはイタリア人なので。ヨーロッパから人がたくさん集まってる。ベルリンみたいな雰囲気もあります。

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■ロレイン・ジェイムスの内省

E王
Loraine James
Reflection

Hyperdub/ビート

野田:そのロレイン・ジェイムスなんだけど、彼女の『Reflection』、俺はアヤ同様に、昨年ものすごく気に入ってしまってよく聴いたんだよね。ドリーミーで、内省的なところにすごく惹かれたよ。ロンドンに住んでる人とは、日本はだいぶ状況が違うから聴き方も違っているのかもしれないけど、いまロンドンはプランBでもって、すべてのクラブは解禁されて、マスクなしでみんな騒いでるわけでしょ? でも日本はまったく違うのよ。年末年始に久々にリキッドルームやコンタクトに行ったけど、当然マスク着用で、基本、みんな静かに踊ってる感じ。日本はさ、なんか陰湿な社会になっていて、相互監視がすごくて、その場で注意されるんじゃなく、ネットで批判されたりするんだよ。で、まあ、久しぶりにクラブやライヴハウスに行くとやっぱ楽しいんだけど、でも、いつまでこうやって、マスク着用で静かに踊ってなきゃならないんだろうかって思うと、途方に暮れるんだよね。だから相変わらずひとりでいる時間も増えたりで、内省的にならざるをえないというか、むき出しのエネルギーみたいなものより、内省的なものにリアリティを感じちゃう。俺の場合はロレイン・ジェイムスはそこにすごくハマった。それにアヤとは違ってロレインのほうがメロディックじゃない?

高橋:まあ、そうですね。

野田:メロディがはっきりしていて、そういう意味ではポップともいえる。

高橋:アヤはどっちかというと、リズムの実験。

野田:そうだね、あとテクスチュア重視。ロレインもリズムはこだわってるけど、メロディのところでは対照的かもね。あとさ、ロレインって、紙エレキングでインタヴューさせてもらったんだけど、ほかのインタヴューを読んでも、すごく誠実そうな人柄が伝わってくるじゃん? IDMは大好きだけど、ベタなポップスもけっこう好きってことも言うし。俺はレコードで買ったけど、レコードには歌詞カードがちゃんと入っている。彼女はファーストがすごく騒がれて、で、がんばりすぎて鬱になってしまって、だから決してドリーミーな言葉ではないんだろうけど、でもサウンドはドリーミーなんだよね。悲しみから生まれた音楽かもしれないけど、悲しい音楽ではない。

高橋:パワフルでエネルギッシュな音楽ですよね。

野田:あるイギリスのライターが書いたレヴューで共感したのが、「この音楽は絶望から生まれたかもしれないけど、もっとも絶望から遠ざかってもいる」みたいなね。

高橋:そういう意味で〈ハイパーダブ〉にいままでなかった音楽ですよね。ロレイン・ジェイムスは顔が見えるというか。そういうパーソナルな部分がでている。〈ハイパーダブ〉は「ハイパーなダブ」ですからね。音の実験みたいなところ。ロレインそういう意味で〈ハイパーダブ〉の新しい章のはじまりかもしれない。僕はファースト『For You and I』に漂っている、あの自分の生まれ育ったノースロンドンをサウンドで振り返る感じがすごく好きです。

野田:ブリアルを輩出したレーベルだから、やはり匿名性にはこだわってきたんだろうし。

高橋:〈ハイパーダブ〉は2004年にはじまったわけだから、もうすぐ20年近くになりますね。

野田:最初はカタカナで「ハイパーダブ」って書いてあったんだよね。サイバーパンク好きだから。

高橋:そうですよね。クオルタ330とか、いまも食品まつりとか日本人のも出し続けてますね。

野田:食品さんが〈ハイパーダブ〉から出したのはいちファンとして嬉しかったな。


Photo by Suleika Müller

■〈ハイパーダブ〉とレイヴ・カルチャー

野田:〈ハイパーダブ〉には、レイヴ・カルチャーをリアルタイムで体験できなかった人たちがレイヴ・カルチャーを再評価するっていうところがあるじゃない?

高橋:そうかな?

野田:そうじゃないの?

高橋:たしかにコード9の後輩とも言えるゾンビーやブリアルは、本人たちも言っているようにレイヴを直接経験していないですよね。でもコード9、スティーヴ・グッドマンは1973年生まれのレイヴ世代ですよ。それこそグラスゴー出身で、レイヴに行ってた。そしてエジンバラ大学で哲学を勉強して、それからウォーリック大学に移って、そこでニック・ランドとセイディー・プラントが教鞭を取っていて、マーク・フィッシャーなんかもいた。いま頑張って訳してるマーク・フィッシャーの『K-PUNK』にも書いてあるんですけど、CCRUのなかでひとつ共有されていたのは、ジャングルは哲学化する必要なんかなくて、最初から概念的だったということだと、そうマーク・フィッシャーは言ってます。

野田:〈ハイパーダブ〉って、ブリアルとコード9がそうだったように、すごくメランコリックだったでしょ。それってやっぱり、1992年はもう終わったという認識があったからだと思うんだよね。

高橋:たしかに。

野田:ノスタルジーとメランコリックは違っていて、ノスタルジーは過去に囚われている状態だけど、メランコリックは過去は終わってしまったという認識からくるものでしょ。彼らのメランコリーって、そういう意味で過去を過去と認め明日を見ていたというか。それをこの20年くらいのあいだ実践してきたのがすごいなと。

高橋:面白いのは、コード9は自分のことをジャングリストっていうけれど、彼はいちどもストレートなジャングルを作ったことはないですよね。しかも、やっぱり最初にコード9が注目されたのはダブステップのシーンであったわけで。かといって、ダブステップの曲ばかり作っていたかといえばそうではなくて、UKファンキーを作ったりとか、そういうこともやってた。いま彼のプロダクションは、フットワークの影響が強い楽曲がメインですね。

野田:そのときどきの変異体に柔軟に対応しているよね。でもずっと通底しているのはジャングルから発展したベース・ミュージックだよね。

高橋:それはあります。彼がいうように、〈ハイパーダブ〉はサウンドの伝染していくウイルスで、形が変わってもジャングルの要素は残っているんでしょうね。DJではコード9はいまも直球のジャングルをかけてます。

野田:ま、UKアンダーグラウンドのブルースであり、ソウルみたいなものだしな。ちなみにUKのレイヴおよびジャングルをリアルタイムで経験してる音楽ライターって、日本では俺とクボケン(久保憲司)だけだと思うよ。これ自慢だけど。

高橋:〈ハイパーダブ〉のレーベル・カラーとしてスティーヴ・グッドマンが最初から明言してる重要なことなんですけど、自分たちはIDMみたいな音楽は出さないと言ってます。彼はもっとシンプルなダンス・ミュージックのフォーマットに惹かれているのであって、いわゆるIDMとされる音楽の表現形態とは離れてると。

野田:レイヴ・カルチャーってのはラディカルだったけど、大衆文化のなかにあったからね。業界のエリートが集まってやってたものではないから。

高橋:たぶんスティーヴ・グッドマンが考えているのは、いわゆるIDMみたいに複雑なことをやらなくても、常にそのなかに、あえていうなら哲学的でコンセプチュアルな可能性は秘められているというか。そこの価値転換みたいなことを〈ハイパーダブ〉は実践としてやっているのではないかと。コード9と同世代のリー・ギャンブルが数年前に〈ハイパーダブ〉に移籍したときはびっくりしたけど、彼のレーベル〈UIQ〉にもそれを感じるかな。リー・ギャンブルの〈ハイパーダブ〉の作品はすごく複雑でコンセプチュアルで、僕にはIDMに聴こえるんですが(笑)。

野田:ブリアルが新しい作品をだして話題になってるけど、タイトルが「Antidawn」だよね。

高橋:造語ですね。

野田:そう、「反夜明け」って造語。それって明るいものに対する反対みたいな、否定的なニュアンスで受け取られてるよね。でもね、レイヴ・カルチャーってことを思ったとき、レイヴの真っ只中では誰もが「夜明けなんて来るな」と思ってるんだよ。だから、必ずしも「Antidawn」は否定的な言葉ではないとも思ったんだよね。

高橋:なるほど。アンダーグラウンドの世界が終わらない、というか。野田さんって『remix』で、日本で唯一ブリアルにインタヴューしている人ですよね。

野田:まあ、電話だけどね。

高橋:あれすごく面白くて。彼が音楽の比喩として使っているのが、公園とかにある石を裏返すと虫が元気にうごめいてると。クラブ・ミュージックはそういうものだと、太陽が当たらないほうが元気だろ、と。こういうことをしゃべる人なんだって(笑)。

野田:そうそう(笑)。彼はほんとうにアンダーグラウンド主義者だよね。

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■〈WARP〉や〈Ninja Tune〉との違い

E王
Burial
Antidawn

Hyperdub/ビート

高橋:「Antidawn」をどういうふうに聴きました?

野田:あれって日本にいるほうがリアリティを感じるよね。クラブに行きたくても昔のようには行けないじゃない。リズムがないってことはそういう状況の暗喩なわけで。

高橋:あれはロックダウン中に作られた音楽ですよね。個人的なことを話すとロックダウン中に、僕は散歩をたくさんしていた。クラブに行けない状況で、ヘッドホンをしながらパーソナルに聴く状況が増えた。その雰囲気にかなりぴったりですよね。レヴューでも書いたけど、僕はこの続きを聴きたいなって思わせる音楽だと思いました。

野田:スタイルとしてはサウンド・コラージュだよね。風景を描いている音楽。

高橋:野田さんは〈ハイパーダブ〉をずっと紹介してきたけど、いままでのUKレーベルの〈Ninja Tune〉や〈WARP〉との違いって何だと思いますか?

野田:そのふたつのレーベルはセカンド・サマー・オブ・ラヴの時代に生まれたってことが〈ハイパーダブ〉との大きな違いだよね。ただし、リアルタイムでレイヴやジャングルを経験するってことはそのダークサイドも知るってことで、あとからジャングルを形而上学的に分析することはできるだろうけど、あの激ヤバな熱狂のなかにいたらなかなかね……。

高橋:そういえば、野田さんは〈fabric〉から出たコード9とブリアルのミックスのことを形而上学的だって書いてましたね。

野田:で、ジャングルと併走して白人ばかりでドラッギーなトランスのシーンもあったし、だからあの時代(1992年)に〈WARP〉が“AIシリーズ”をはじめたことは、当時はものすごく説得力があったんだよね。IDMに関しては、その言葉はオウテカやリチャード・ジェムスもみんな嫌いで、だから90年代は“エレクトロニカ”って呼んでいたんだよ。そして、ではなぜ〈Ninja Tune〉や〈WARP〉がジャングルに手を出さなかったかと言うと、ひとつは、すでにレーベルがいくつもあった。〈Moving Shadow〉であるとか、4ヒーローの〈Reinforced〉であるとかゴールディーの〈Metal Heads〉であるとか、そういうオリジネイターに対してのリスペクトもあったし、でも、その革命的な音楽性に関してはドリルンベースなどと呼ばれたようなカタチで取り入れているよね。あと、ジャングル前夜のベース・ミュージックって、それこそブリープの元祖、リーズのユニーク3だったりするんだけど、そこと〈WARP〉は繋がってるじゃん。もともとシェフィールドのレコ屋からはじまってるわけで。そこに来てシカゴやデトロイトのレコードを買っていた連中が音楽を作るようになっていって、レーベルがはじまった。

高橋:それに対して、〈ハイパーダブ〉はウェブ・マガジンとしてはじまってるんですよね。その読者がブリアルであって、そこからいろいろつながった。そういう意味で、ゼロ年代のある種のインターネット音楽のパイオニアみたいなところもあったんじゃないかな。

野田:たしかにね。レコ屋世代からネット世代へってことか。

高橋:そういえば、スティーヴ・グッドマンは現実の政治性を全面にだす感じではなく、むしろ冷ややかに離れて見ていた印象があったんです。自分のイベントでは「ファック、テレザ・メイ」とMCで言っているのを見たりしましたけど(笑)。でも最近、ブラック・ライヴズ・マター以降の彼の言動をみると、〈ハイパーダブ〉がいまのブラック・ミュージックを世界に出すうえでのハブというか、ブラック・ミュージックを意識的に紹介していくことをひとつの重要な点として考えているってことをソーシャルメディアで公言しているんです。フットワークもそう。〈ハイパーダブ〉の00年代後半の功績のひとつとして、イギリスにフットワークを広く紹介した。

野田:それは〈Planet Mu〉でしょ。

高橋:〈ハイパーダブ〉と〈Planet Mu〉のふたつですね。〈ハイパーダブ〉はDJラシャドをだしてますから。また、〈ハイパーダブ〉から紹介されて以降、ラシャドはジャングルに興味を持つようにもなる。そういう相互関係も生まれてくる。コード9はいまもフットワーク・プロデューサーをどんどん紹介している。あと最近ではさっきのエンジェル・ホを出したり、南アフリカのゴム(Gquom)やアマピアノを紹介したり。西洋中心主義に陥いることなく、そういう音楽を意識的に紹介している。そういう意味で食品まつりを出したのも面白いですよね。

野田:〈ハイパーダブ〉はイギリスではどんなポジションなの? 

高橋:先日用があってブライトンに行ってレコ屋を覗いたんですが、「Antidawn」のポスターがメジャーなアーティストと並んでました。

野田:やっぱブリアルは別格だよね。でも、当然あの作品に対する批判はあるでしょ? あれだけ極端で、思い切ったことやっているわけだから。

高橋:ダンス・ミュージックじゃない点で、少し物足りなさを感じる人はいますね。あとはやってることがまえとそんなに変わってないから、もっと違うことをやればいいんじゃないかとか。そのまえにいくつか12インチをだして、そちらはダンサブルでいままでにないアプローチもあったから、そっちの続きが見たいって人も多いですね。

野田:そりゃまあ、そう思う人が多いことはわかる。

高橋:僕はロックダウン中、ダンス・ミュージックと同じくらいアンビエントもフォローするようになっていて。いわゆるアンビエント・サウンドのなかでも、すごくパーソナルな方向というか、そういうひとたちが増えたと思うんですよね。デンシノオトさんもレヴューを書いてますが、アメリカのクレア・ロウセイってひとはアンビエント音楽のうえで、すごくパーソナルなエッセイを朗読したり、すごく作り手の顔が見える音楽をやっている。

野田:ああ、なるほど。たしかにパンデミック以降、アンビエントの需要が拡大したのは事実で、「Antidawn」はブリアルにとってのアンビエント作品という位置づけもできるよね。

高橋:ロンドンの視点で言うと、コロナで休止しちゃったけど、エレファント・アンド・キャッスルの高架下にある〈Corsica Studio〉ってライヴ・ハウス/クラブで〈ハイパーダブ〉は「Ø(ゼロ)」というイベントを月イチでやってました。最初の回がコード9のオールナイト・セットで、さっき言ったインガ・コープランド、ファンキンイーブンやジャム・シティも出ていた回もありました。〈ハイパーダブ〉からリリースはしていないけど、ロンドンで活動しているプロデューサーをコード9がフックアップしていたんです。そういうブッキングは、彼ひとりでやるのではなく、たとえばシャンネンSPという黒人の女性のキューレーターと一緒にやっていたりする。ロンドンのダンス・シーンにはいろんな人種がいるわけだけど、その文化を意識的に紹介することも面白いと思いました。

野田:ポスト・パンク時代の〈ON-U〉みたいなものだね。俺さ、昔のレイヴ・カルチャーを思い出すとき、自分の記憶で出てくるのが、女の子の穴の空いた靴下なんだよね。これは91年にロンドンのクラブに行ったときの話で、当時のクラブはコミュニティ意識が強かったから、ひとりで踊っているとよく話しかけられたんだよ。「どっから来たの?」とか「何が好きなの?」とか。で、なぜかそんときある青年と仲良くなって、明け方「いまから家に来ない?」ってことになって、昼過ぎまで数人で車座になって紅茶を飲んで音楽を聴いたんだけど、そこにいたひとりの女の子が穴の空いた靴下を履いていたんだよね。それが俺にとってのあの時代のロンドンのクラブ・カルチャーであり、レイヴの時代の象徴というか、良き思い出だね。要するに、気取ってないし、牧歌的だったんだよ。

高橋:いまは牧歌的な感じではないかな……。日本とは比較できないオープンな感じはもちろんあるけど。

野田:じゃあ27歳くらいの俺がふらっと来て、そのまま誰かの家に行ったりすることっていまでもあるのかな?

高橋:それは僕もたまにありますよ。それこそ、ele-kingでレヴューを書いた2016年の〈DeepMedi〉の周年パーティのあと、ダブステップ好きの人と知り合って、その人の家で二次会しました(笑)。ブリアルかけたり、アンビエントかけたり。

野田:ああ、よかった。それ重要だよね。

高橋:でも、〈ハイパーダブ〉は牧歌的ではないですよね。もっと音楽そのものが持ってる凶暴な感じというか、サウンド・テクスチャ―であったりポエトリーの表現がつながるんだとか、いかに音そのものでサイエンス・フィクションのような、いわゆるウィリアムギブスンやJ・G・バラードを読んでるときの感じが蘇ってくるんじゃないかとか、そういうことですからね。

野田:そこが〈WARP〉や〈Ninja Tune〉との違いなんじゃない? そのふたつは幸福な時代に生まれたレーベルであって、〈ハイパーダブ〉はロンドンが再開発されていて、そのあと911もあって、荒野の時代に生まれたレーベルってことだよね。

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