「Nothing」と一致するもの

汚れたダイヤモンド - ele-king

 木津毅が巣鴨の喫茶店で語気を荒げた。「今年のワー○○・ワンは『パトリオット・デイ』ですよ!」(次の中から○○にふさわしい言葉を選びなさい。1・ルド 2・スト 3・ワー)。今年の映画の話である。「そこまで言うほど……」とも思ったけれど、日夜、アメリカ社会の分断に心を寄せ、傷つき、もがき苦しんでいる木津くんらしい感情の高まりだと思い、僕は「そうだね」と相槌を打つだけにした。ピーター・バーグ監督による『パトリオット・デイ』はボストン・マラソンがかつては女性の参加を認めなかったことを回顧する作品……ではなく、2013年にボストン・マラソンを狙って起きた爆弾テロをジャーナリスティックに再現した作品で、テロに屈せず、市民たちが「ボストン・ストロング」を合言葉に一丸となって危機を乗り越える姿が描かれている。犯人を特定するまでのプロセスや住宅地に逃げ込んだ犯人を追い詰める緊迫感、妻が主人公に惚れ直しちゃったり、ケヴィン・ベーコン演じるFBI捜査官の嫌味な感じなど娯楽映画に期待する要素はだいたい満たされていて、逃亡する犯人たちに中国人が脅されるなどトピカルなレイシズムへの配慮も抜かりがない。三度の飯より愛国心という人が観れば小田急線や帝京高校のように愛国心が燃え盛ること請け合いでしょう。メラメラ。


© LFP‐Les Films Pelléas / Savage Film / Frakas Productions / France 2 cinéma / Jouror Productions

 そう、愛国心はまあ、いいです。この場合にはない方が不自然である。しかし、愛国心とセットで語られることが多い家族の描き方には少し微妙なものがあった。それ以前に犯人たちのことは何も語られていないに等しく、実際には犯人たちの親族がTVを通して投降を呼びかけていたことは完全に無視されている。詳しくはわからないけれど、当初ホームグロウンではないかと言われていたテロリストたちはチェチェンからの難民であり、違う州には親戚も住んでいたそうで、犯人たちが何に反発し、誰に疎外されていたかは何も検証されていない。それは必ずしもアメリカだけの問題だけではなかったのかもしれないし、どこからがアメリカという国の問題なのかがわからない。犯人の家族も含めて執拗に頑なさを強調するだけで、むしろイスラム系に対するイメージを各人が好きなように膨らませればいいというつくりなのである。トレント・レズナーの音楽がその感情をまた効果的に盛り上げていく。上手いんだな、これがまた。


© LFP‐Les Films Pelléas / Savage Film / Frakas Productions / France 2 cinéma / Jouror Productions

 テロと家族について考えるきっかけは意外なところからやってきた。テロとはなんの関係もない『汚れたダイヤモンド』という映画がそれだった。相変わらずフランス映画が低調なので、新人監督のデビュー作というだけで観てみようかと思い立った。なので、いつものこととはいえ設定もジャンルもわからないままに同作を観始める。最初は押し込み強盗の話かと思った。主人公のピエール・ウルマン(ニールス・シュネデール)が手際よく民間人の家から美術品を奪い取り、親分みたいな人が売りさばいてくれる。美術品を見る目があれば効率もいいんだろうけど、どうでもいいような絵を盗んだりもして、あぶく銭をせしめるという訳にはいかないらしい。普段は便利屋のようなことをしている。そこに警察がやってきて逮捕されるのかと思ったら、生き別れとなっていた父の死を知らされる。葬式のシーンでは彼が親族とは異常に仲が悪いということが示唆され、にもかかわらず、いとこのガブリエルに金額の大きな仕事を発注されてピエールはアントワープまで出掛けていく。まあ、話はここからである。いとこの会社というのは宝石商で、彼はだんだん宝石商の仕事にも興味を持ち始める。


© LFP‐Les Films Pelléas / Savage Film / Frakas Productions / France 2 cinéma / Jouror Productions

 宝石商の仕事というのがまずは興味深かった。ピエールとガブリエルはインドに出かけ、下請け業者の労働環境を視察する。ダイヤモンドのカットというのは、どちらかというとアーティスティックな仕事であることが一方では強調されているにもかかわらず、そこではグローバル化による工場労働の実態がクローズ・アップされる。ピエールが属していた窃盗グループのリーダーはアブデル・アフェド・ベノトマンが演じており、彼は実生活では銀行強盗などによって何度か刑務所に入っていたこともある役者である。監督は当初、この役を『クスクス粒の秘密』や『アデル、ブルーは熱い色』の大ヒットで知られるチュニジア出身のアブデラティフ・ケシシュ監督に役者として演じるよう依頼したところ、ケシシュからベノトマンを推薦されたのだという(このようなキャスティングの仕方だけでも新人らしからぬ大胆さに感心してしまう)。そして、作品内に移民たちのフォーメイションががっちりと組まれた上でピエールがインドを視察するという物語が進められ、ここで後半の展開に向かって大きな布石がひとつ打たれることになる。途上国の人たちと同じ目線になるという発想がないため、同行していたガブリエルはこれらの動きにまったく気がつかない。


© LFP‐Les Films Pelléas / Savage Film / Frakas Productions / France 2 cinéma / Jouror Productions

 物語のクライマックスは『トイストーリー2』を5分か10分に凝縮したようなものだった。『トイストーリー2』ではウッディが古い仲間と新しい仲間のどちらを選択するか迫られたあげく、思いもよらない解決法でエンディングを導き出す。ウッディたちはオモチャなので人種やトポスといったファクターに左右されることはなかったけれど、人間というのはやはりそう簡単には行かない。『トイストーリー2』で起きた奇跡はここでは何ひとつ起こらなかった。ヨーロッパの家族主義からハグれたピエールはウッディとは正反対のコースに足を踏み入れ、残酷な結末へと加速度を増していく。そう、「窃盗グループ」の存在には実に説得力があり、ピエールはいわば『パトリオット・デイ』におけるテロリストの位置に立たされたも同然だと僕には見えた。この作品に少し時事的なバイアスがかけられているとしたら、それこそヨーロッパという共同体がいま、テロリズムへとなびいていく息子たちに「待ってくれ」と呼びかけているとしか思えなかったことだろうか。それはただの願望にしか思えなかったし、監督自身はそれを「罠」と表現している。家族や擬似家族の呪縛からすべて解き放たれることが唯一の解決法だという意味では『トイストーリー2』ではなく、親を失うことで初めて(アメリカの国家制度の中で)個人として解放される『プレシャス』を想起すべきだったのかもしれない。そうだとしても、しかし、ヨーロッパというのは国家も家族も少し複雑に過ぎるのだろう。監督が望むように、この作品を希望的な結末と受け取ることは僕にはやはり難しかった。ダイヤモンドを扱っているだけに、本当に光も闇もすべてが屈折し過ぎていた(ピエールという役名はちなみに60年代に強盗などで知られる極左の活動家、ピエール・ゴールドマンにちなむらしい)。

 共同体からハグれてしまった人物像に興味があるのか、アルチュール・アラリの2作目は小野田少尉を題材にしたものだという。2010年代はじめからハリウッド寄りになり、どこか方向性が怪しくなっていたフランス映画がどことなく軌道修正を始めたのかなと思う昨今、新人では『アスファルト』のサミュエル・ベンシェトリしか目につかなかった中で、アルチュール・アラリの登場はかなり期待すべきものがあるように思う。つーか、ミシェル・ルクレールやレア・フェネールは新作を撮らないのかな~。



flau - ele-king

 CuusheやMasayoshi Fujit、Stefan Jos、Fabio Caramuruなどなど、つねにクオリティの高い作品──ポップなエレクトロニック・ミュージック、アンビエント、IDM、ポスト・クラシカル等々を、上品なアートに包んでリリースしているレーベル〈Flau〉が今年で設立10周年を迎える。
 この9月から10月8日(日)まで、代官山の蔦屋書店3号館の2階音楽フロアにて、〈Flau〉の回顧展が開催されています。音楽がモノではなくなり、服を脱ぎ捨てるかのような消費物になってきている今日、〈Flau〉が確固たるインディペンデント・レーベルとしてファンを少しずつだろうが増やし続けていることは、賞賛に値する。いまでは国際的な人気をほこるこのレーベルの10年の歩みを見ながら、彼らのユニークな音楽とその素晴らしいアートワークにぜひ触れて欲しい。

 Flau classic 5 (by ele-king)
  Masayoshi Fujita - Stories
  Liz Christine - Sweet Mellow Cat
  Cuushe - Girl you know that I am here but the dream
  El Fog - Reverberate Slowly
  IKEBANA - when you arrive there

■FLAU10 RETROSPECTIVE 2007-2017

会場:代官山 蔦屋書店 3号館 2階 音楽フロア
会期:9/1〜10/8

https://real.tsite.jp/daikanyama/event/2017/08/flau-10-retrospective-2007-2017.html
https://flau.jp/2017/08/28/flau10-retrospectiv


ギミー・デンジャー - ele-king

『パターソン』評からのつづき)
 というのも、ダニエル・ロパティンのワンオートリックス・ポイント・ネヴァー名義の新作『グッド・タイム』はジョシュアとペニー・サフディ監督の同名映画のサウンドトラックであるところからの推測というか臆断というか邪推にすぎないが、アルバム唯一のヴォーカル曲にOPNはイギー・ポップを起用しているのである。ロパティンの映画音楽といえばソフィア・コッポラの『ブリング・リング』も記憶に新しいが、『グッド・タイム』は全面的に携わった2作目の作品となる、本作の詳細は三田格先生の目から血の出そうな鋭い評文をお読みいただきたいが、90年代までの細分化――ジャンル的なものであるとともに原理的な側面もあったそれへ――の反動のように電子音楽そのものを再定義する、というより、現代音楽からダンス・ミュージックからポップ・ミュージックまで、デンシノオトさん以外のおよそ電子と名のつくものをとりこみたがるきらいがある。むろんエレクトロニックな音楽ばかりかノイズでさえも、聖域たりえぬ現在の音楽の趨勢もそこには寄与しているにせよ、ロパティンの方法とセンスは頭ひとつ抜けている。その世代の旗手と呼んでさしつかえないが、おそらくそこには具体の音が具体であるがゆえに記名的であるのであり、したがって描写的であるという逆説も働いている。そもそも抽象としての音の反語だったはずの具体の音が時代をくだるうち情報になった。サンプリングなど、個別の方法との比較は本稿の任ではないが、21世紀の「音楽」はすべからく情報の付帯音楽サウンドトラックであるなら、声(=ことば=意味)を主体としない音楽であるならなおさら映像喚起的である。OPNが映画音楽にとりかかるのもゆえなきことではないどころか、筋書きどおりとさえいえるが、かといって『グッド・タイム』は予定調和なのではない。私は本編は未見なので映画そのものには言及しないが、ゴブリンから神秘主義を減算することでポップにゴシック化したようなスコアにはロパティン印の多義性と柔軟性と、そこからくるB級趣味が聴きとれる。機能性を加味した本作をOPN名義にしたのは意外でもあったが、10年におよぶ活動が映画音楽のフォーマットでもロパティンは自由に腕を揮える確信をもたらしたのか、分岐した人格(名義)を統合する作家性をえたのか。いずれにせよ『グッド・タイム』はサウンドトラックとオリジナル・アルバムのおとしどころとしては絶妙である。
 こと終盤にいたってはそうだ。
 そこにやおらイギー・ポップがあらわれる。ピアノ伴奏による“The Pure And The Dammed”。ピアノの音は残響を加工してある、それにたいしてイギーの歌はナマである。ささやくようなイギー流のクルーナー唱法とでもいうべき深々とした歌いっぷりはレナード・コーエン化したスコット・ウォーカーのようであり、だれもが知るあのイギー・ポップではない。むろんイギーには、近作にかぎっても、ウエルベックの『ある島の可能性』に着想をえた深く沈静するトーンが支配的な『プレリミネール』(2009年)などもあるので、パブリック・イメージも一概ではないだろうが、であれば、イギー・ポップの公とはなにか。そのとき私性はどうふるまうのか。


© Byron Newman

 ジム・ジャームッシュの『ギミー・デンジャー』はミシガン州マスキーゴンに生まれトレーラーハウスで幼少期をおくったジェームズ・ニューウェル・オスターバーグ・ジュニアが、たびかさなるトラブルの果てにいかにしてパンクのゴッドファーザー、ストゥージズのフロントマンとなり、いまなにを考えるのか、終の棲家であるストゥージズの来歴をたどりうかびあがらせる。原点となるのはストゥージズの誕生年である1967年。そこに、イギー・ポップ、ロンとスコットのアシュトン兄弟、デイヴ・アレクサンダーらの前史が集約されていく。
 アナーバーのハイスクール・バンド、イグアナズのドラマー、ジム・オスターバーグと同郷でチョーズン・フューなるバンドをやっていたロン、弟のスコットにドラムを仕込んだのはジムことイギーだった。デイヴはアシュトン兄弟の妹のキャシーがたまたまみかけ誰だか声をかけてみたらといったのが縁になり、オリジナル・ストゥージズが出そろった。全員10代、最初はダーティ・シェームス(汚い恥)と名乗っていたが名乗っただけで満足したので音楽まで頭がまわらなかったが、一念発起し、共同生活――イギーは、俺たちは共産主義者だったと作中で主張するが、政治性を抜きにした原始共産制にちかい、つまるところコミューンであるそれ――をとおし、しばしばラリったりしながら切磋琢磨し、音楽経験を積んでいった。当時イギーはレコード屋に勤めていて、ジョン・ケージ、サン・ラー、クリスチャン・ウォルフ、ヴェルヴェッツ、ファラオ・サンダース――らのレコードを聴き影響を受けたが、なかでもハリー・パーチは別格だったという。パーチは平均律に疑義を唱え純正律に傾倒したのち、微分音による理論を完成しそれに基づく幾多の楽器を制作したことでもよく知られている20世紀音楽を代表する作曲家のひとりである。ダイアモンドマリンバ、バンブーマリンバ、クロメロデオン、キタラ、ハーモニックカノン、日本の箏をもとにしたKOTOなどもふくめ、パーチの自作楽器は風貌のみならず音までも野趣に富み、楽曲は荒野の石のように質朴で孤立している。ためしに、ウディ・ガスリーにジャド・フェアがバックをつけたような“Barstrow”を聴いていただければ、現代音楽といったときにひとが想起するものとの落差をご理解いただけるだろう。柿沼敏江は『アメリカ実験音楽は民族音楽だった――9人の魂の冒険者たち』(フィルムアート社/2005年)でパーチはじめ、ルー・ハリソンらを米国の風土のなかで読み解いているが、フォークロアに根ざした表現はかならずしも特定の価値観に収斂しない。日本の歴史が近代(明治)にはじまるわけではないのとおなじように、フォークロアの起点は無数にあり、歴史は単線ではないうえに主体の想像力の限界を意味するはずもないのに、そう考えたがるあんぽんたんがあまりに多すぎるというようなことを、私は『ユリイカ』の今年の1月号に書いたつもりだが、紙幅の都合で書けなかったことのひとつに、ハリー・パーチがホーボーだったことがある。ホーボー(hobo)とは貨物列車などにただ乗りし放浪生活をおくる、いわゆる「浮浪者、渡り労働者(ランダムハウス英和大辞典)」であり、上述の「Barstrow」はパーチのホーボー体験を下敷きにしたものだが、個々の視点の堆積としてのフォークロアは国民国家のなかに別様の地図を描かざるをえない。音楽にかぎらず、ことばや視覚表現や造形や行為そのものがネイションの無意識にフォークロアを潜在させる。おそらく詩がそうだ。私は拙稿でホイットマンを引いたが、ホイットマンにかぎらず、詩はその象徴性で歴史を超え現在を覆う。ジャームッシュが『パターソン』でやりたかったことのひとつもそれだろうし、私は先日アップした原稿で書き漏らしたが、主人公の妻がギターで“線路の歌”(日本では「線路は続くよどこまでも」の題の童謡になっているが、原曲は大陸横断鉄道にたずさわる線路工夫の労働歌であるこの曲を子ども向けにしたのも音楽を輸入品とみなし関税をかけるように骨抜きにする明治的近代的官僚的な教条主義のいったんではあるがここでは置いておく)を弾きがたる場面にはおそらく労働者と移動者の暗喩がある。ジャームッシュは終始漂白する人物を主題にする映画作家であり、パーチにフォーカスしたのにはそのような共感の裏打ちがあったのではないか。むろん共感はまずもって音楽においてはじまるが、ファースト『The Stooges』(1969年)で世に出る以前に彼らにこのような下地があったのは特筆すべきである。
 それとともに彼らが拠点としたミシガン州アナーバーの状況も見逃せない。ニューヨークとサンフランシスコの中継点であるアナーバーは60年代末文化革命の先端にあった。実験的な音楽やフリーなジャズが騒々しいロックと混在していた。たとえば60年代末、ことに67~69年にかけてジャズ・クラブ以外へ活動の場を広げていたサン・ラーもそのひとりである。ラーにはストゥージズやMC5との共演歴がある、と湯浅学の『てなもんやSUN RA伝 音盤でたどるジャズ偉人の歩み』(ele-king Books/2014年)にある。仕掛け人はジョン・シンクレアである。

デトロイトでアーティスト・ワークショップ開催に尽力し、ジャズやブルースにかんする学究的貢献をし、アンダーグラウンドな新聞や雑誌だけではなく『ダウンビート』誌や『ヴァイブレーション』誌などへも音楽論や政治論や文化論をまじえて幅広く積極的に執筆活動を行い、グランデ・ボールルームを拠点のコンサートを運営し、ホワイト・パンサー党を主催していたジョン・シンクレアは、MC5のマネージメントを引き受けながら、ジャズ・ミュージシャンとMC5やストゥージズ、ファンカデリックなどのデトロイト周辺のアクの強いバンドとを同じステージにブッキングすることに積極的だった (同書)


© Danny Fields/Gillian McCain

 69年8月のウッドストック、同年12月のストーンズのオルタモント――本作のタイトルはいわゆる「オルタモントの悲劇」をおさめた映画『ギミー・シェルター』が由来であるのはいうまでもない――、ジミ・ヘンドリックスが死の直前に出演した70年のワイト島など、この時期はみなさんが夏休みに出かけていく今日のフェスティヴァルの雛型ができあがった時期でもあった。上述の引用文につづく一文には、MC5のウェイン・クレイマーの以下の発言がみえる。「観客がサン・ラーを理解した様子を見せるまでは、このまま暴動になってしまうのではないかと思った」その場を渾沌が支配していた、行楽まがいのフェスではなかった。
 『ギミー・デンジャー』には初期ストゥージズのライヴ風景もたっぷり入っている。ステージ上でのけぞり、手を叩き、足を踏みならし、でんぐりがえり、マイクを咥え、血をながし彷徨するイギー・ポップは渾沌を体現するというより渾沌に弾き飛ばされ正対しながら七転八倒する怒り狂った猿のようだ。舞台上から客を挑発し観客もむやみにそれに乗る。脂肪率の低い身体で決めるポーズは江頭2:50にも影響を与え――などというと熱心なファンの不興を買いそうだが、私とてそのひとりである。評判は口こみに伝わり、MC5をスカウトに来たダニー・フィールズの目にとまり、68年9月22日MC5とともにストゥージズはついにエレクトラと契約を果たすが、粗野で荒々しいロックンロールは、私がこれまでくどくど述べてきた状況を血肉化したものであるならまだしも、余剰を削ぎ落としシェイプしたものであることには、各自いまいちど思いを馳せるべきである。
 むろんショービズの世界はなまやさしいものではない。まずロンがコメディ番組『三ばか大将(The Three Stooges)』のモー・ハワードに電話し、バンド名にストゥージズを使う許諾をとった。翌月には“アイ・ワナ・ビー・ユア・ドッグ”“ノー・ファン”、彼らを代表する2曲ができたらもう69年である。ニューヨークにおもむいた中西部の4人組はプロデューサーであるヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルとともにスタジオに入った。グループ名を冠したファーストでは上述の2曲が印象的だが、デイヴ発案による我流マントラ“ウィ・ウィル・フォール”が2曲のあいだの消失点のようになり、アルバムは奥行きを増している。おりしもフラワームーヴメントの時代であり、ハッピーなヒッピーにたいする屈折した闘争心もストゥージズの面々にはあったようだ。70年代の幕開けとともに、バンドは「ラリったメイシオ・パーカー」役のスティーヴ・マッケイを迎えロスで70年の『ファン・ハウス』を、デイヴィッド・ボウイの招きでロンドンに渡ったイギーとジェームス・ウィリアムスンを中心にサード『ロウ・パワー』(73年)を録り、アメリカに舞い戻り、薬禍に苛まれ、ストゥージズであることの重みを支えきれなくなったように瓦解する。やがてデイヴが鬼籍に入り、ついで時代はくだり、ストゥージズは忘却の底に沈むかと思いきや、パンクの到来とともにその音楽は息を吹き返す。デッド・ボーイズ、ディクテイターズ、ピストルズ、ダムド、ソニック・ユース、ブラック・フラッグ、バッド・ブレインズ、ジャームス、スリッツ、ニルヴァーナ、ホワイト・ストライプス――ジャームッシュはストゥージズに影響を受けたバンドを胸いっぱいの愛とともに列挙していくが、その圏域はパンクにとどまるものではなかった、その理由のひとつはソロになってからのイギーの継続的な活動にあったのだろうが、ジャームッシュは『ギミー・デンジャー』をイギー・ポップ史観におとしこむのではなく、あくまでストゥージズの物語として語りきっている、『イヤー・オブ・ザ・ホース』(97年)がニール・ヤングではなくクレイジー・ホースのドキュメンタリーだったように。


© Low Mind Films

 語り口はいたずらに伝説を鼓吹するものでもなく、かといってその前に跪拝するわけでもない。おそらく制作上の制約――ストゥージズ再結成の時期と撮影期間が重ならなかった――から本作は基本的にアーカイヴ映像とインタヴューとジェームズ・カーによるアニメーションで構成することになったが、ジャームッシュはそれを逆手に、かつて『イヤー・オブ・ザ・ホース』で試み、すでにドキュメンタリーの定番となっている密着スタイルを本作で相対化しようとする。『ホース』と『デンジャー』のあいだには20年ちかくの短くない時間がながれ、そのあいだ、冒頭に述べたように映像の位相も変化した。ノンフィクションとフィクションを分かつ「ノン」は「ノー・ファン」における「ノー」ほど強い否定性を帯びず、虚構のヴァージョンを意味するにすぎない。ペドロ・コスタしかり、アピチャッポンでもジョシュア・オッペンハイマーでも森達也でも松江哲明でも、形式の定義が作品の立ち位置を左右する昨今において、ジャームッシュはあたかも雑誌を編集するように、シームレスにアーカイヴ映像をつないでいく。その手捌きは、ストゥージズがそうであったようにスピーディでユーモラス(というよりコミカルといったほうがこの場合ふさわしいだろうか)でエモーショナル。ときにクリスチャン・マークレーの『ザ・クロック』を彷彿するほどテクニカルで唯物的かつメタフォリカル(『パターソン』を想起されたし)でもあり、両者の比較検討もまたことのほか興味深いが、それはまた別の話である。(了)

Ben Frost - ele-king

 世界的な成功を収めた前作『A U R O R A』から3年。ついにベン・フロストのニュー・アルバム『ザ・センター・キャンノット・ホールド』がリリースされる。発売日は9月29日。この新作はなんとスティーヴ・アルビニとともにレコーディングした作品となっており、なんでも制作中のスタジオではスピーカーがぶっ飛んだそうで……いったいどんな内容に仕上がっているのやら。稀代のプロデューサーがさらなる高みへと挑んだ意欲作、注目である。

エレクトロ・ノイズの鬼才ベン・フロスト、スティーヴ・アルビニとの
レコーディングによるニュー・アルバム(9/29)より新曲「lonia」を公開!

前作『A U R O R A』での大成功の後に発表されたこの曲(「スレッショルド・オヴ・フェイス」)は、前作を踏襲したものではない。それはまるで雪に反射した太陽の光で視界がきかない、そんな境地で制作されたようなサウンドだ。 ― Pitchfork

世界的な大成功を収めた前作『A U R O R A』(2014年)から3年、エレクトロ・ノイズの鬼才ベン・フロストは、スティーヴ・アルビニとのレコーディングで生み出されたニュー・アルバム『ザ・センター・キャンノット・ホールド』を9月29日にリリースする。ニュー・アルバムは、シカゴにあるスティーヴ・アルビニのスタジオで約10日間に渡ってレコーディングされ、その制作期間中にスタジオ空間で鳴らされたサウンドは、時に制御不可能になり、ベン・フロストとスティーヴ・アルビニに対し熱く激しく張り合うかの如く火花を散らしたのだった。ニュー・アルバムはそのスタジオで起こったドキュメントである。

プリズムから放たれるスペクトル、その虹色の中の鮮やかな群青色をサウンド化したというニュー・アルバム、アートワークやミュージック・ビデオなどヴィジュアル全般がこの鮮やかな群青色で統一されている。

■アルバム制作概要
2016年夏、ベン・フロストはシカゴに降り立った。それはあのスティーヴ・アルビニとの共同作業に入るためであった。約2週間を超える期間に制作された、今まさに崩壊しそうなくらい膨大に膨らんだ音の塊を、ガランとしたスタジオの中に並べられたアンプ群に流し込んだ途端、スピーカーの方がぶっ飛んだのだった。またスタジオのガラスの向こう側では、アルビニがスタジオで演奏された音源を縦横無尽にぶった切っていった。

轟音と静寂のシューゲイズ/エレクトロ・サウンドの決定打となった前作『A U R O R A』(2014年)は、『ピッチフォーク』で「ベスト・ニュー・ミュージック」を獲得するなど世界的な成功を収め、またブライアン・イーノ、ティム・ヘッカー、ビョークなどとのコラボレーション、映画音楽制作など多岐にわたる活動を続けてきたベン・フロスト。その飽くなき挑戦を続けてきた彼が新たに踏み込んでいった先は、シカゴでのスティーヴ・アルビニとの共同レコーディングだった。

■商品概要

アーティスト:ベン・フロスト (Ben Frost)
タイトル:ザ・センター・キャンノット・ホールド (The Centre Cannot Hold)
発売日:2017年9月29日(金)
品番:TRCP-217
JAN:4571260587144
ボーナス・トラック収録
解説:三田 格

[Tracklist]
1. Threshold of Faith
2. A Sharp Blow In Passing
3. Trauma Theory
4. A Single Hellfire Missile Costs $100,000
5. Eurydice’s Heel
6. Meg Ryan Eyez
7. Ionia
8. Healthcare
9. All That You Love Will Be Eviscerated
10. Entropy In Blue
11. Meg Ryan Eyez (Albini Suspension Mix) *ボーナス・トラック

[amazon] https://amzn.asia/7pXtgi6
[iTunes/ Apple Music] https://apple.co/2wygh41
[Spotify] https://spoti.fi/2hB7QSX

■プロフィール
1980年、豪州メルボルン生まれ。2005年、アイスランドのレイキャビックに移住。 Bedroom Community 創設者ヴァルゲイル・シグルズソンなどとともに音楽活動をおこなう。2003年、デビュー・アルバム『Steel Wound』リリース。2010年、ブライアン・イーノからの依頼により、映画『惑星ソラリス』にインスパイアされた作品を制作。また、スワンズの『The Seer』や、アンビエント、ドローン・ミュージック界の重鎮ティム・ヘッカー、ビョークの「Desire Constellation」のリミックス、映画のスコア作品も多く手掛けるなど活動は多岐に渡る。前作『A U R O R A』(2014年)は、『ピッチフォーク』で「ベスト・ニュー・ミュージック」を獲得するなど世界的な成功を収め、同年来日公演を東京と大阪にて実施。2016年夏、新作の制作をスティーヴ・アルビニとともにおこない、2017年にその作品群からの最初の作品「スレッショルド・オヴ・フェイス」(EP)を7/28にデジタル配信にて、ニュー・アルバム『ザ・センター・キャンノット・ホールド』を9/29にリリース。

ethermachines.com
mute.com

生き残る者たちを愛すること - ele-king

Arca × Ryuichi Sakamoto - ele-king

 最新作『Arca』も好評なアルカが、なんと坂本龍一のリミックスを手がけました。原曲は坂本の最新作『async』収録のタイトル・トラック“async”で、このリミックス・ヴァージョンではアルカ本人が歌っております。しかも日本語で。去る7月にはOPNが坂本龍一のリミックスを発表しましたが、今度はアルカということで、現在エレクトロニック・ミュージックの最尖端を走り続けている2巨頭いずれもが坂本龍一と邂逅したということになります。この交差は2017年を象徴する出来事かもしれません。教授のリミックス・アルバム、楽しみですね。

奇才アルカが坂本龍一をリミックス
Ryuichi Sakamoto - “async - Arca Remix" (async Remodels)

ビョークやFKAツイッグス等のプロデューサーとしても知られ、今年〈XL Recordings〉からサード・アルバム『Arca』をリリース、初出演となったフジロックでは、ヴィジュアル・アーティスト、ジェシー・カンダを伴ったAVセットも話題になった他、ビョークのステージにも上がるなど、ますます注目を集めるアルカが、坂本龍一の最新アルバム『async』のタイトル・トラック“async”のリミックス・ワークを公開した。『Arca』でも全面に打ち出された自身の歌声がここでも披露されており、日本語の歌詞が歌われている。

async - Arca Remix (async Remodels)
https://youtu.be/aKxPhAb6OMA

本楽曲は、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーが手がけた“Andata (Oneohtrix Point Never Rework)”、アルヴァ・ノトによる“disintegration (Alva Noto Remodel)”、エレクトリック・ユースによる“andata (Electric Youth Remix)”に続いて公開されたもので、その他、コーネリアス、ヨハン・ヨハンソン、モーション・グラフィックス、エレクトリック・ユースなどの参加が明かされている。

Andata (Oneohtrix Point Never Rework)
https://youtu.be/G0p647mDqT0

andata (Electric Youth Remix)
https://youtu.be/6g9LEBYJ1oU

disintegration (Alva Noto Remodel)
https://youtu.be/sxZ9AwIPDa4

早くからカニエ・ウェストやビョークらがその才能を絶賛し、FKAツイッグスやケレラ、ディーン・ブラントといった新世代アーティストからも絶大な指示を集めるアルカ。セルフタイトルとなった本作『Arca』は、2014年の『Xen』、2015年の『Mutant』に続くサード・アルバムとなり、〈XL Recordings〉からの初作品となる。国内盤CDにはボーナス・トラックが追加収録され、解説書が封入される。

label: BEAT RECORDS / XL RECORDINGS
artist: Arca
title: Arca
release date: 2017/04/07 FRI ON SALE

国内盤特典 ボーナス・トラック追加収録 / 解説書封入
XLCDJ834 ¥2,200+税

yahyelと語り合うマウント・キンビーの魅力 - ele-king


Mount Kimbie
Love What Survives

Warp / ビート

ElectronicKrautrockNeu!Post-Punk

Tower HMV Amazon iTunes

 うん、これは良いアルバム。4年待った甲斐がある。マウント・キンビー、3枚目となる『Love What Survives』、これが〈Warp〉からリリースされて、10月には東京/大阪での来日ライヴも控えている。
 今回同じステージに立つyahyelの篠田ミルといっしょに、あらためてマウント・キンビーについて語った。

野田:マウント・キンビーはいつ聴いたんですか?

篠田:えっと、2010年かな。ファーストが出たタイミングですね。あの頃はまだ高校生でしたね。

野田:ジェイムス・ブレイクとかも同じ時期に聴いたの? 「CMYK」が出た年なんですけど。

篠田:まさしくそうですね。でもジェイムス・ブレイクを本格的に聴いたのはやっぱり「Limit To Your Love」以降ですね。

野田:当時の高校生はマウント・キンビーってどう聴いたの(笑)?

篠田:かなり背伸びしていたというか、僕は中学生のときに『rockin'on』の「ベスト・ディスク500枚」みたいな本を偶然買って、それをパラパラ読んでTSUTAYAに行って大量に借りるみたいなことをしていて。その時代はまだ継続して『rockin'on』を読んでいて、たしか『rockin'on』の誌面にマウント・キンビーのファーストが出ていて。

野田:へー、意外だね。『rockin'on』なんてその辺あんまわかってないじゃん。

篠田:なんか違和感があったんですよね。これはなんか違うし、書いてある単語がよくわからなくて。ダブステップとかポスト・ダブステップってなんだよっていう(笑)。全然わからないなと思って借りて、最初聴いたときもしっくりこなかったというか、まだギター・ロック少年だったからこの人たちがどういうところから来ているのかわからなかったんですよね。まあ聴いてはいたんですけど、それがそのときの感想ですかね。

野田:僕はアナログで買ったな。むちゃくちゃリアルタイム。どんな時代だったかと言うと、マウント・キンビーが出てくるちょい前は、USではチルウェイヴがあったり、ビーチ・ハウスに代表されるドリーム・ポップがあったり。ヒプナゴジック・ポップなんていう言葉が生まれたり、OPNが出てきたのもこの時期だよね。いっぽう、UKではジェイムス・ブレイクが「CMYK」で脚光を浴びる。マウント・キンビーはそれに続いたよね。

篠田:雨後の筍感というか(笑)。

野田:当時からマウント・キンビーは完全にずば抜けていたけどね。彼らの音響は、ジェイムス・ブレイクよりもドリーミーだったから、USの流れともリンクしやすかったし。篠田君はチルウェイヴの頃は何を聴いていたんですか?

篠田:当時はインディ・ロックが強かった印象があって、2008年あたりはMGMTとかヴァンパイア・ウィークエンドとか聴いていたんじゃないかなあ。あとはアーケイド・ファイヤーとか。

野田:10代だったら普通そうだよね。当たり前だよ(笑)。

篠田:トロ・イ・モアとかウォッシュト・アウトとかもなんとなく聴いていたんですけど、そんなに本のめりじゃなくて。その本のめりではないなかにマウント・キンビーやジェイムス・ブレイクがあったというのが僕らの世代だと思うんですけど。とりあえず潜った音像のものが流行っているのかな、みたいな。これあんまりあがんないけど気持ちいいな、くらいの程度で聴いていた印象があります。

野田:当時、マウント・キンビーやジェイムス・ブレイク、あと、〈ヘッスル・オーディオ〉やアントールドとか、ああいうのはポスト・ダブステップという言葉で括られていたんだけど、それは何かというと、明確な理由があるのね。だいたい2008年~2009年の時点で、すでにダブステップはTVのCMでも流れるような、無茶苦茶コマーシャルな音楽にもなっていて、ウォブリー・ベースを入れたクリシェにもなっていたのね。それがやがてブロー・ステップと呼ばれ、EDMにも連なっていくんだけど、そういうマッチョな商業レイヴ化したダブステップへの反論みたいな格好で、音楽の面白さを取り戻そうとした動き全般がポスト・ダブステップと括られたものだったよね。だからレコード店に行けば必ず発見があるみたいな、ものすごく重要な時期で、「CMYK」もピアソン・サウンドも、そうとうショックがあったよ。で、〈ヘッスル・オーディオ〉やアントールドなんかがベース・ミュージックにテクノのセンスを混ぜたのに対して、マウント・キンビーはR&BとIDMのセンスを取り入れたよね。あれはすごく新鮮だったな。yahyelって、やっぱりR&Bヴォーカルが際立っているんだけど、トラックを聴くとマウント・キンビーとの接点はあるように思えるんだけど、実際のところ、どうんですか?

篠田:曲を作るときに参考音源としてたまに挙がることはありますね。たとえばマウント・キンビーの“Made To Stray”の最初のビートみたいなのいいよねえ、みたいな参照のされかたはされるけど、マウント・キンビーっぽい音像に仕上げようみたいな感じで進んだことはそんなにないっちゃないですね。

野田:篠田君はさっきの話では、もともとインディ・ロックを聴いていたんだけど、なぜエレクトロニック・ミュージックになったの?

篠田:2010、11年くらいにジェイムス・ブレイクやマウント・キンビーが出揃って、2013年くらいに彼らがセカンドを出すじゃないですか。そのあいだでかなり地場が変わった感じというのがあって、ギター・ロックが死んでいっているのを目の当たりにしつつ、おもしろいことがこっちで起きているというのがあって。ギターを持っていた人間がこっちをやれるんじゃないか、というのはぼんやりとありましたね。
 というのも当時僕は大学生で普通にベースを弾いてギター・ロック・バンドをやっていたんですよ。でも音楽的にはつまんねえなっていう感じはあって(笑)。ギター・ロックをあまり聴かなくなっているなかで、それこそジェイムス・ブレイクやマウント・キンビーのセカンドみたいなものがあったり、そのあとにインディR&Bとかのポスト・ダブステップのサウンドで歌モノを作っている人たちが出てきて、それをすごく聴いていたんですね。それで2013、14年あたりでそれをやりたいなってことになってきたのかな。

 

野田:篠田君の人生の重要な時期でジェイムス・ブレイクやマウント・キンビーが当たったんだね(笑)。

篠田:まさに成熟していく過程ですよね(笑)。

野田:彼らが尊敬していたひとりがBurial(日本盤表記:ブリアル)なんだけど、「CMYK」なんかはブリアルの『Untrue』の影響下にあるでしょ。R&Bサンプルの使い方は完全にあの流れだよね。本当はヴォーカルをスタジオ録りしたいんだろうけど、そんなお金がないからサンプリングするっていう。マウント・キンビーもR&Bサンプルを使っているよね。あとは〈Night Slugs〉の連中とかさ、みんなそんな感じだよね。ボク・ボク(Bok Bok)とかさ。

篠田:ジェイムス・ブレイクの別名義(Harmonimix)かなんかでスヌープ・ドッグとかとR&Bをやっていましたよね。

野田:デスチャとかも使ってるし。あれブートでヴァイナルが出たんだよ。持ってるけど。しかしさっきも言ったけど、あの当時は、UKとUSではスタイルや出自は違うのに、感覚的には微妙にリンクするようなところがあったよね。チル&Bとかさ。

篠田:そうですね。受容のしかたとしてはそんな離れたものを聴いている印象はなかったですね。

野田:マウント・キンビーのファーストとセカンドだとどっちが好きなの?

篠田:セカンドですね。

野田:おお~。ぼくは断固としてファースト派だったんだけど、今回の取材にあたってセカンドを聴き直したのね。そうしたらすごくいいと思った。

(一同笑)

野田:自分がベース・ミュージックという文脈にこだわり過ぎていたなと思ったんだよね。いまは全然そこに対するこだわりがないんで、わりとまっさらに聴けて、すごくいいと思ったね。

篠田:ダブステップとかベース・ミュージックの手法で歌モノをやるというところからそういうものを聴く体験がスタートしているので、セカンドはすごくピンと来て、文脈を知らなかったからむしろファーストはわからなかったんですよ。

野田:あのファーストはマニア受けだからね。ベース・ミュージックにIDMの要素を取り入れたのがドリーミーな音楽っていうか。

篠田:ボーズ・オブ・カナダっぽさというか。

野田:そうだね。ただ、マウント・キンビーが素晴らしいと思うのはあの言葉とジャケットですよね。マウント・キンビーのファースト『Crooks & Lovers』は2010年でしょう。あのジャケットの写真って、おそらくチャヴ(chav)なんですよ。それで2010年ってキャメロン政権のスタートした年なんですよね。つまり、UKの緊縮財政がはじまった年で、政治的な意味でいうとああいうチャヴに表象される下層階級の人たちをキャメロンがものすごく批判しはじめた時代だよね。その時代にあのタイトル(『ペテン師と恋人たち』)と写真で出すというのは考えさせられるものがあるじゃないですか。

篠田:あのふたりはサウス(・ロンドン)でしたっけ? (サウス)だったら身の回りにチャヴがいるのが当たり前の光景だったんでしょうね。

野田:とにかく、深読みしたくなるタイトルと写真だよね。篠田君が好きなセカンド・アルバムのタイトルもいいよね。『Cold Spring Fault Less Youth』。なんていうの、「冷たい春の間違いのよりすくない若さ」って、すごいタイトルじゃない! 今回のタイトルもすごくおもしろいよね。『Love What Survives』で。「生き残るものを愛せ」なんだけど、ジャケットを開くと「But Don't Hate What Dies」、「しかし死せるものを憎むな」という言葉が記されている。マウント・キンビーは言葉もうまいよ。

篠田:そうですね。

野田:ポスト・ダブステップって言われた人たちって、ダブステップがダメになったときに出てきて、結果としてUKのクラブ・ミュージックを蘇らせるんだけど、そのほとんどがもともとダブステップをやっていた人たちじゃないでしょう? 自分たちの帰属するスタイルがとくにあるわけじゃない。マウント・キンビーなんかは本当にそうで、逆に言えばなんでもできるんだよね。そこはyahyelと似ているのかなと。

篠田:たしかにそうですよね。初期のジェイムス・ブレイクはまだフロアへの意識があった気がするけど、マウント・キンビーは初めからないですもんね。ブリアルの手癖みたいなものが乗り移っているな、みたいな瞬間はファーストとかでチラホラ見られるけど、ダンスフロアの人たちではないですよね。本人たちもインタヴューで「ダンスフロアに向けるというのがどういうことなのかよくわからないし、あんまりそれは意識していなかった」みたいなことを言っていたんじゃないかな。

野田:ある意味では、ひょっとしたらセカンドが本来の自分たちの姿なのかもしれないよね。

篠田:そうだし、これ(サード・アルバム)も賛否両論が分かれると思うんですよ。でもこれも本来の姿だなっていうだけで。

野田:本当にそう思う。

篠田:とくに1、2曲目はものすごくギター・ロックの響きがするというか(笑)。ドラムの作りかたから構成からギターまで、まあクラウトロックなのかな。

野田:クラウトロックだよねえ(笑)。ノイ!というかね。

篠田:1曲目とかダイヴ(DIIV)のアルバムに入っていてもおかしくないなあって鳴りをしていて。でもマウント・キンビーってずっと一貫してギターを持ってライヴをやっているじゃないですか。ファーストでも使っていたし。

野田:そこはやっぱ共感する?

篠田:そうですね。若かったらこれやりたかったなというサウンドだったというか(笑)。むしろ成熟したサウンドではない感じがしたんですよね。

野田:昨年パウウェルが出てきたっていうのもあるのかもね。強いて言えばアルビニ系の感性も内包しているというか。あと、セカンドでは歌っているのがキング・クルールだけだったけど、今回は複数のヴォーカリストを使っているよね。

篠田:ミカチュー(MICACHU)とか。

野田:ミカチューとやっている曲いいよねー。いまいち日本には伝わってこないけど、彼女はUKではものすごく評価が高い人。

篠田:あれはめちゃくちゃいいですね。

野田:今回の目玉として、ジェイムス・ブレイクとやった曲が2曲あるけど、“We Go Home Together”はけっこう実験的なビートのある曲で、アルバムのクローザーとなるもう1曲の“We Go Home Together”は最高に美しい曲だったね。アルバムでは、クラウトロック的というかパウウェル的というか、躍動感を前面に出した曲とちょうど対を成しているかのようだね。We Go Home Together”は良い曲だよ。ジェイムス・ブレイクのメランコリックな感覚がいい感じで映えているね。

篠田:ジェイムス・ブレイクはどれくらい作業をしているんですかね。歌っているだけなのかなあ。

野田:どうだろうね。エレクトーンぽい音とか、“How We Got By”のピアノとか弾いているのかね。“We Go Home Together”なんか、そのままベタに歌わせても予定調和だから、トラックはだいぶ捻ってはいるよね。

篠田:たしかに。

野田:“How We Got By”は共同プロデュースしているようだけど。それにしてもジェイムス・ブレイクとは7年ぶりのコラボだってね。もともとは同じところからはじまって……。

白川:同じ学校でね。同じ学生寮にいたらしいですよ。

野田:ええ、そうなんだ。

篠田:YouTubeに3人で一緒にライヴしている動画がありますよね。

野田:では、あらためて彼らとのライヴ・ツアーの意気込みを(笑)?

篠田:いや、負けないぞっていうのがあるんですけど。

野田:はははは。

篠田:こういうタイプの音楽をバンド・フォーマットでやるという点では間違いなく先達だし、影響を受けていますね。たぶんバンド・フォーマットでやったのって彼らくらいじゃないですか? ジェイムス・ブレイクも結果的にバンド隊でやっているけど、バンド然としているというか。彼らがいて、ボノボがいてというか。作るときは全然バンド・スタイルで作らないけどライヴだとバンド・スタイルでやる、というのってじつはなくて。yahyel自身もそれは僕たちの新しさだと思っているところなんですけど……、とはいえ彼らは先達で(笑)。それをどう更新したかを見せなきゃというのはひとつありますね。だから原形を示してくれたのは彼らなんですけど、進化させたのは僕たちだっていう自負はあるくらい(笑)。

野田:素晴らしい(笑)。本当にライヴを見るのが楽しみなんだけど。篠田君がマウント・キンビーのライヴで楽しみにしているところはなんですか?

篠田:まず何人で来るのかってところですね(笑)。4人らしいですけどね。マウント・キンビーのふたりとドラムとギターですかね。もうひとつ楽しみなのは、新作にもフィーチャリング曲が4曲入ってますけど、それをどうやって再現するのかというところですかね。あとはやっぱり同じジャンルをライヴでやる人間として、どれくらい同期でやるのかは気になりますね。

野田:yahyelはどういうライヴをやるの? バンドでやるの?

篠田:バンドですね。基本的にビートはドラマーだし、シンセは半分弾いていてループものはシーケンスにしてで杉本が出していて。僕はヴォイス・サンプルとかパーカッシヴなサンプルを叩いていてって感じなんですけど。僕らは逆にビートの同期を増やしてみたいという欲求があって。それがマウント・キンビーまでに敵うかどうかはわからないですけど。というのも僕らはフジロックくらいまでのあいだにテクノ返りしていたというか、かなり、テクノを聴いていて。

野田:へえ、どのへんのテクノですか?

篠田:思いっきりベルリン界隈の〈Ostgut Ton〉のものを聴いていて。

野田:それはめちゃくちゃベルリンだね(笑)。

篠田:新鮮に思えましたね。僕らのなかではあのザ・ジャーマンな感じがすごく新鮮なんですよね。だから前作とか今回のシングルにはまだJ Dilla以降というか、ネオ・ソウルっぽいズレたビートへの志向というのがかなりあったと思うんですけど、いまはわりとあれがそんなでもないというか。合う曲ではやってもいいけどそんな全面に押し出さなくてもいいなっていうのもあって、ここ半年くらいはイーブンな4つが面白いなと(笑)。

野田:へー、その新しいyahyelのサウンドがどんなになるのかも楽しみだね。

(了)


Mount Kimbie
Love What Survives

BEAT RECORDS / WARP RECORDS

ElectronicKrautrockIDM

Tower HMV Amazon iTunes

Mount Kimbie - ele-king

 ドミニク・メイカーとカイ・カンポスによるマウント・キンビーは、2010年代のビート・ミュージックにおいて常に新しいサウンドスケープを生みだしてきたバンド/ユニットである。いわゆるポスト・ダブステップの先駆的な存在として知られる彼らだが、その音楽性はひとつのジャンルに収束・回収できるようなものではない。ダブステップ、ベース・ミュージック、アンビエント、ヒップホップ、テクノなどの様々なエレクトロニック・ミュージックが渾然一体となってなり、まさにマウント・キンビー的としか言いようのないビート・ミュージックを形成しているのだ。
 しかし、である。では「マウント・キンビー的な音とは何か?」と考え直すと、今度は途方に暮れてしまう。なんというか不意にどこかに逃げ去ってしまうような身軽さを感じられるのだ。一時期はジェイムス・ブレイクが共にプレイしていたことでも知られ、2010年代のビート・ミュージックにおいて先駆的な存在である彼らだが、いまだ実体が掴み切れない謎な感覚がある。じじつ、この新作『ラブ・ホワット・サバイブス』でも、彼らはスタイルをまたも変貌させている。
 『ラブ・ホワット・サバイブス』は、2013年のセカンド・アルバム『コールド・スプリング・フォルト・レス・ユース』以来、実に4年ぶりのアルバムである。3年の月日をかけて制作された楽曲群が11曲(日本盤にはボーナストラックが1曲追加されている)収録されているが、当然のことながら本作もまた新たなサウンド・モードへと突入しており、安直な自己模倣には陥っていない。その名を知らしめたファースト・アルバム『クルックス&ラヴァーズ』(2010)とも、〈ワープ〉に移籍し多くのリスナーを獲得した『コールド・スプリング・フォルト・レス・ユース』ともまったく違う音楽性へと変貌を遂げている。それでいてやはりマウント・キンビーはマウント・キンビーであるという分母、つまりはビート・ミュージックの実験と現在の追求という点では一貫しているのだ。

 では、どういった変化なのか。端的にいって現行インディ的・パンク的というか、非常に開放感に満ちたシンプルでパンキッシュな音楽性を展開しているのだ。と同時に何かに祈るような深い崇高さすらも感じさせる。パンクと崇高。二重性こそ本作のポイントではないかと思う。具体的にはシンプルなビートをサウンドのテクスチャーに気を使いながら組み上げ、シンセサイザーのノイジーな音とレイヤーさせている。じっさい、アルバムは主にコルグ社MS-20とデルタといった2台の古いシンセサイザーを用いて制作されたというのだが、これは自分たちのこれまでのプロセスをいったん払拭し、新たな音楽を生み出すためのクリエイティヴな制限とでもいうべきものであろう。
 その結果、アルバムのサウンドは、単に新しいだけでも、単に古いだけでもない独特な質感を生み出すことに成功している。カイ・カンポスは本作を称して「パンクかつジャンキーで、ロバート・ワイアット的な音質」と語っている(アルバムのキーのひとつに3コードのコード進行とパンキッシュなビートがあるように思える)。パンクとロバート・ワイアット。いわば攻撃と静謐か。本作特有の二重性が端的な言葉で語られているといえる。

 アルバム前半はパンキッシュなモードでスピード感と開放感に満ちた楽曲を収録している。 アンビエントなイントロから次第に前面化してくる乾いたビートと電子ノイズが気持ち良い1曲め“Four Years and One Day”、前作(“You Took Your Time”、“Meter, Pale, Tone”)にも参加したキング・クルエルの掠れた声のシャウトと、前のめりのハットとビートが焦燥感に満ちているハードコアな2曲め“Blue Train Lines”、70年代のクラウトロックと80年代のテクノポップをミックスさせたような3曲め“Audition”、インディ/エクスペリメンタル・ミュージック界隈を魅了し、そのうえグラミー受賞の映画音楽も手掛けたミカチューを招いたニューウェイヴ/レゲエな4曲め“Marilyn”、そしてトライバルなリズムとパンキッシュでシンプルなコード進行とシンプルなビートをミックスさせたインストである5曲め“SP12 Beat”を経て、アンドレア・バレンシーを迎えた90年代のステレオラブを思わせるエクスペリメンタル・ミニマル・ポップの6曲め“You Look Certain (I'm Not So Sure)”まで一気に駆け抜ける。まるで現代のキッズたちに向けたパンク・ミュージックのように。


 そして、インタールード的なピアノ・トラックの7曲め“Poison”を転換点とし、アルバムにはメランコリックなムードが満ちてくる。ロバート・ワイアットがエレクトロニック・ミュージックで復活したようなジェイムス・ブレイクのヴォーカルの8曲め“We Go Home Together”、80年代初頭のニューウェイヴな雰囲気が濃厚な9曲め“Delta”、ドミニク自身がヴォーカルを披露している10曲め“T.A.M.E.D”(彼らはこの曲を「マウント・キンビー版のポップ・ソング、完全にぶっとんでいるポップ・ソング」と語っている)と、シンプルな中にどこか内省的な香りを漂わすトラックを続けて展開するのだ。


 アルバム・ラストである11曲め“How We Got By”において再びジェイムス・ブレイクを召喚し、まるで深い祈りのような曲を披露する。ブレイクのシルキーな声と雨粒のような透明なピアノと霧のごとき電子音が交錯し、崇高なムードすら漂わせる名曲である。この曲を持って『ラブ・ホワット・サバイブス』はしめやかな終焉を迎えるわけだ。
 このように『ラブ・ホワット・サバイブス』は前半と後半で対照的な音楽を展開している。光と影。動と静。陰と陽。太陽と雨。もしかするとこの二重性はドミニク・メイカーがアメリカの西海岸に移住し、ロサンゼルスとロンドンの両都市を行き来するようにアルバムが創り上げられてきたことにもよるのかもしれない。
 そして何よりこの二重性は、希望と絶望が混じり合う2017年以降の都市やストリートのムードに思いのほかしっくりと馴染む。無邪気に未来を求めるだけでもない。しかし単なる懐古趣味でもない。いわば、未来/ノスタルジア。そう、彼らはまたも時代にアジャストするサウンドスケープ/サウンドトラックを作り上げたのだ。
 いずれにせよ『ラブ・ホワット・サバイブス』は、2017年におけるビート・ミュージックの転換を刻印した記念すべき作品である。もはやビート・ミュージックはエレクトロニック・ミュージックのクリシェを反復する必要はないと宣言しているように聴こえてくる(今年リリースされたアルバムではジャンルと音楽性の融解/越境という意味において、ローレル・ヘイローの新作『ダスト』に近いかもしれない)。
 ジョイフルで、美しく、時代を、都市を、ストリートを疾走し、深い祈りを捧げる「音楽」であること。『ラブ・ホワット・サバイブス』には、そんなアティテュードがサウンド全体に漲っているように感じられた。まるで2017年の大人たち/子供たちに捧げる“キッズ・アー・オールライト”のようだ。

Hardfloor - ele-king

 相変わらずぶりぶりびきょびきょ言っております。たまりません。こういう音に対するフェティシズムをこそ「萌え」と呼ぶのでしょう。ドイツ最強のアシッドハウス・デュオ、ハードフロアがニュー・アルバムを9月27日にリリースします。アートワークはデザイナーズ・リパブリック。そしてなんと日本盤には、9月16日に公開される映画『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション 1』のために書き下ろされた新曲がボーナス・トラックとして追加収録されます。この秋はアシッド漬け確定ですね。ここはひとつ、みんなでぶりぶりびきょびきょしちゃいましょう。

結成25周年!!
アシッドハウスの雄“HARDFLOOR(ハードフロア)”
最新作『The Business Of Basslines』リリース決定!!
2017年秋公開『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション 1』挿入曲
「アクペリエンス 7」も収録!!

アシッドハウス・サウンドを追求し続け、彼らが手掛けたニュー・オーダー、デペッシュ・モード、電気グルーヴらのリミックス作品が今でもダンスフロアのアンセムとして輝く、クラブ・シーンで最も尊敬されるユニットのひと組、ハードフロアの新作『The Business Of Basslines』が9月27日にリリースされることが決定した。

ドイツ、デュッセルドルフ出身のオリバー・ボンツィオとラモン・ツェンカーのふたりによるハードフロアは、ドイツでまだアシッドハウスやテクノが産声を上げたばかりの1991年に結成。翌年1992年に発表した9分に及ぶ「アクペリエンス 1」はクラブ・シーンに衝撃を与え、彼らの名を世界中のクラブ・シーンに知らしめるきっかけともなった作品だ。また、TVアニメ・シリーズ『交響詩篇エウレカセブン』第12話のサブタイトルとしてもこのタイトルが用いられていたのでご存じのアニメ・ファンの方も多いことだろう。

本作の日本盤(のみ)には、9月16日(土)より全国107館でロードショーを開始する『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション 1』(総監督・京田知己、脚本・佐藤大、キャラクターデザイン・吉田健一)の為に書き下ろされた「アクペリエンス 7」を収録。また、ジャケット・デザインは、〈WARP〉レコードのレーベル・ロゴや、エイフェックス・ツイン、オウテカをはじめとするアーティストたちのジャケット、ロゴ、マーチャンダイズでも数々の革新的デザインを生み出し、世界中に多くのフォロワーを輩出した、世界で最も影響力のあるデザイナー集団のひとつThe Designers Republic™が手がけるなど、ヴィジュアル面においても注目の作品だ。

前作より3年ぶり、通算10作目のアルバムとなるハードフロアの新作『The Business Of Basslines』は結成25周年となるハードフロアの記念すべき作品として9月27日にU/M/A/Aよりリリースされる。

【作品情報】
発売日:2017年9月27日
タイトル:The Business Of Basslines
価格:税抜2,500円
品番:UMA-1097

【トラックリスト】
01. 25th Acidversary
02. The Business Of Basslines
03. Ode To Mondrian
04. Gypsi Rose
05. Computer Controlled Soul
06. NNAMFOH
07. Can´t Stop - Won´t Stop
08. Married To The Knob(s)
09. Neurobot Tango
10. Bazzid
[bonus track]
11. Acperience 7 (※『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション 1』挿入曲)

HARDFLOOR: https://shop.hardfloor.de/
UMAA: https://www.umaa.net/

『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1』
©2017 BONES/Project EUREKA MOVIE
https://eurekaseven.jp/

 エレクトロニカからヒップホップ、ロックにフューチャー・ベース、R&Bにジュークと、『初音ミク10周年――ボーカロイド音楽の深化と拡張』ではボーカロイドを用いた様々な音楽例が紹介されている。ただし、その中でジャズとなると、ごく僅かな作品を除いてほとんど掲載されていない。ボーカロイドは基本的にはコンピューターで作るデジタル音楽での使用から発展してきたので、アコースティックな楽器演奏が主となって即興演奏やアドリブが多く用いられるジャズとは、他の音楽と比べてあまり相性が良くないということが主な理由だろう(生演奏そのものとの同期は可能であるが、例えばフリー・ジャズのように予測不能なコード、メロディ展開に対応することは極めて困難である)。また、ジャズ・ミュージシャンやメインのリスナーの中には、ボーカロイドに拒否反応を示す人が他の音楽ジャンルに比べて多いので、こうした試みが少ないということがあるかもしれない。中には菊地成孔のように先進的な考えを持つ人もいて、dCprGによる『SECOND REPORT FROM IRON MOUNTAIN USA』(2012年)でもボーカロイドの兎眠りおんをフィーチャーした例があったが、実質的にはヒップホップ・トラックでのマイク・リレー的な使用だったので、厳密に言えばジャズとは異なるものだった。そうした点で本作は、手塚治虫と冨田勲と初音ミクのコラボという意味と同時に、ジャズとボーカロイドの融合が試みられた数少ない例のひとつとして取り上げられるべきものだ。

 冨田勲は晩年の『イーハトーヴ交響曲』で初音ミクを用いるなど、ボーカロイドの可能性に理解を示した音楽家だったが、今回のバック演奏を行なうピアニストの佐藤允彦も負けず劣らず柔軟な音楽性を持つ。1960年代のモダン・ジャズ全盛期から活躍し、宮沢昭のバンドでバップやモードからフリーへと進み、1970年代初頭頃は石川晶、穂口雄右、水谷公生らとジャズ・ロックやジャズ・ファンクを演奏し、1980年代はメディカル・シュガー・バンクでフュージョンと、あらゆるジャズのスタイルをやってきた。チャールズ・ミンガスやウォルフガング・ダウナーなど海外勢との共演も多い。宮沢楽団で一緒だった富樫雅彦と共に現代音楽やフリー・インプロヴィゼイション、アヴァンギャルドにも通じ、『火曜日の女』や『デマ』といった実験的なサントラやTV音楽から、ヘレン・メリルや後藤芳子などジャズ・シンガーの伴奏と幅広い活動を行なってきた。過去に手塚治虫のアニメ映画『ユニコ』、カルト・アニメ・サントラとして海外でもマニアックな人気のある冨田勲作曲の『哀しみのベラドンナ』でも演奏し、手塚・冨田両氏とも少なからぬ縁がある。たとえば若手ミュージシャンがボーカロイドを使って演奏することは驚くべきことではないかもしれないが、彼のような現役最年長クラスの大御所ミュージシャンがこの企画に賛同して演奏を行なったことにより、オーソドックスなジャズの生演奏とボーカロイドの融合も可能で、ボーカロイドは決して若い世代のものだけではないという証明にもなっている。

 編成はピアノ・トリオ+パーカッションで、ドラムの村上寛も佐藤同様に1960年代より活動するベテラン。ベースの加藤真一は佐藤とのデュオでアルバムも出している。パーカッションの岡部洋一が中ではジャズ界異色のメンバーと言え、ROVOなどにも参加するジャンルレスなミュージシャンである。彼の参加により、『ジャングル大帝』でのラテン~アフリカ音楽的なモチーフが生かされている。『リボンの騎士』のテーマ曲や“リボンのマーチ”はスインギーなピアノ・トリオもので、ボーカロイドを抜きに聴けば極めて洗練されたジャズ・アルバムと言える。『どろろ』についてはジャズ・ファンク風のリズムで、そこに日本の民謡風のモチーフを加えている。いろいろな音楽をやってきた佐藤允彦のアレンジ能力が生かされたものだ。ボーカロイドとの融合という点では、『ジャングル大帝』のテーマ曲におけるヴォーカリーズが面白い。ヴォーカリーズはジャズの器楽演奏の即興に対するものとして生まれた歌唱スタイルで、アドリブで歌詞を創作したり、歌詞のないスキャットで歌ったりする。日本では佐藤允彦も共演する伊集加代子がスキャットの名手として知られるが、ときにスキャットは生身の人間の歌声を超えたフェアリーなもの、神秘的なものというイメージを持つこともある。『ジャングル大帝』のテーマ曲もそうしたスキャットをイメージした初音ミクの歌がフィーチャーされる。ボーカロイドの特性のひとつに、人間では表現不可能な声を作ることがあるのだが、そうした点で『ジャングル大帝』のテーマ曲はボーカロイドの持ち味を生かしたものである。同じく『ジャングル大帝』の“アイウエオ マンボ”や『リボンの騎士』の“リボンのマーチ”でも、ワードレスのヴォイスや言葉遊びのような歌がリズミカルな曲調にうまくマッチし、ボーカロイドとのコラボが成功した場面を見せてくれる。しかし、逆に言えば本作の中でも人間の表現力に及ばない歌もあり、そうした点でボーカロイドはまだ発展途上のものであり、今後にもっと進化する余白を残しているということも示す。

 今回のリリース元である〈日本コロムビア〉は、かつて1975年に佐藤允彦のほか、鈴木宏昌、大野雄二ら8人のピアニスト/キーボード奏者を集め、エレクトロ・キーボード・オーケストラという鍵盤のみのプロジェクト企画でアルバムを作ったことがある(厳密には伴奏でギターやベースなども入ったのだが)。日本でもシンセサイザーが出始め、冨田勲が『月の光』で世界的に有名になった頃で、恐らくはシンセの普及を目指した販促的な意図もあった。エレクトロ・キーボード・オーケストラはモーグ・シンセなどで様々な音を合成し、アコースティックな楽器では作り出せない人造の音を生み出すなど、実験的な試みを行っていた。当時はトーキング・モジュレーターやヴォコーダーなど、ボーカロイドの発想の原点となる楽器やエフェクターが普及し始めた頃で、動物の声に似せたようなシンセ音を作るなど、大手レコード会社でよくこの企画が通ったなというくらい面白い試みだった。そうした企画に関わっていた佐藤允彦が、今回も〈日本コロムビア〉で初音ミクとコラボを行なったというのも歴史の巡り合わせである。

小川充

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 2017年は、漫画家・手塚治虫の生誕90周年、作曲家・冨田勲の生誕85周年、そしてヴァーチャル・シンガー・初音ミクの生誕10周年が重なる節目の年だ。
 冨田勲は2012年にオーケストラ『イーハトーヴ交響曲』で初音ミクとの邂逅を果たし、2016年には追悼特別公演として開催されたスペース・バレエ・シンフォニー『ドクター・コッペリウス』で初音ミクとコラボレーションしている。手塚治虫は、いま宝塚市立手塚治虫記念館で初音ミクとコラボレーションした『初音ミク×手塚治虫展』が開催されているところだ。そうした縁とそれぞれの節目が重なって実現したのが、この他に類を見ないコラボレーション・アルバムだ。

 アルバムの題から察するに、冨田勲が手塚治虫のアニメ作品のために手がけた名曲を初音ミクがカヴァーしたアルバム、と考えるだろう。しかしながら、全編を通して聴くと、単なるカヴァー・アルバムではなく手塚治虫と冨田勲のドキュメンタリーの一種であるという印象を強く受けた。
 まず、初音ミクがヴォーカルとして登場するのはもちろんだが、手塚治虫と冨田勲の略歴や作品の紹介からはじまり、ミステリー作家の辻真先や手塚治虫が残した作品を管理している手塚るみ子を招いて対談するなど、初音ミクが全編を通して語り手としても登場している。このようにヴォーカルのみならず作品のナビゲートも収録された作品は史上初だ。
 また、アルバム全体のストーリー構成を辻真先が担当していることも特徴的だ。初音ミクの台詞も書いており、辻真先と初音ミクの対談では一人二役という面白い状況も生まれている。このアルバムを通して両者がどのような人となりであったか、またどのようにして作品が生み出されていったのかを楽しみながら知ることができるだろう。

 本作で特に注目したいのは、初音ミクの歌声と喋りの進化だ。
 そもそも初音ミクは歌声合成ソフトであるため、自然に喋らせるためにはきめ細かい調整と多大な労力が必要で、それでも字幕なしで聞き取れるか否かという認識があった。しかしながら本作では一言一句を確かに聞き取れる上に、対談では驚きや焦り、冗談を言ったり言われたりと感情が表現されている。普段から初音ミクの歌声を聞いている人、またメジャーなアーティストとのコラボレーションでしかその歌声を聞いたことがない人でも、これまでとの差にはっきり気が付くほどだろう。
 また、歌声に関しても非常に滑らかになっており、平坦ではなく生演奏に寄り添うような揺れた歌い方になっている。これは、声優の前田玲奈が初音ミクの「歌の先生」を務めているからだ。簡潔に言うと、生演奏にあわせて前田玲奈が歌ったものをレコーディングし、その音声を解析・編集して初音ミクの声で再現しているようだ。初音ミクと前田玲奈がデュエットする“『リボンの騎士』から「リボンのマーチ」”にはその特徴が色濃く表れており、部分的に初音ミクの成分が強くなったり、前田玲奈の成分が強くなったり、はたまた両者をブレンドしたような声になったりしている。
 以前から、人の歌声データを読み取ってボーカロイドの調整のパラメーターを自動推定するジョブ・プラグイン「VocaListener」(通称、「ぼかりす」)があったが、本作で用いられているのはそれをさらに発展させようとしたものだ。この技術は初音ミクだけでなく、ヴォーカルとして参加しているUTAUの重音テトにも適用されているようで、重音テトの歌声もより表情豊かになっている。
 さらに驚くのが、エンディングで披露する初音ミクのラップ/ポエトリー・リーディングだ。喋らせることと同様に、滑らかにリズムよくラップさせることは歌わせる以上に難易度の高いという認識だった。ラップとリーディングの中間を行くような歌唱が確立されており、さらに歌詞の表示なしにはっきりと聞き取れるまでになっている(ちなみに、『別冊ele-king 初音ミク10周年』の特典音源は、この曲のDJ DUCTによるリミックスである)。表情豊かに歌わせることと並行してラップに関する技術開発も行われているようで、この技術はいずれ一般化されてユーザーに提供されることになると開発者の佐々木渉が発言している。

 このように、本作は手塚治虫と冨田勲の功績を振り返るドキュメンタリー的なアルバムであることに加え、初音ミクの歌唱に関して新たな技術と手法を取り入れた実験作であると言える。初音ミクの歌唱に関する実験的な取り組みから見えてくるのは、初音ミクができる表現をさらに広げて新たな可能性を切り開こうとしていること、またその過程で生まれた技術を、初音ミクを通じてクリエイターの人たちに提供していこうという開発者の志しだ。過去を振り返るとともに未来への期待を感じさせる、まさに今聴くべき作品であると思う。

しま

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