「Nothing」と一致するもの

Thandi Ntuli - ele-king

 2018年のジャズ・シーンではサウス・ロンドン勢の活躍が大きな話題を集めたが、もうひとつのトピックとして南アフリカのシーンに注目が集まってきたことがあげられる。アメリカから遠く離れた国々において、近年はイスラエルやアルメニアなどのジャズも話題になることが増えてきたが、ジャズの世界では僻地にあたる南アフリカ共和国のアーティストが取り上げられるきっかけのひとつは、シャバカ・ハッチングスとアンセスターズによる『ウィズダム・オブ・エルダーズ』(2016年)だろう。サウス・ロンドンを拠点とするシャバカだが、彼は2008年から数年来に渡って南アフリカに赴き、現地のミュージシャンと交流を深め、当地のジャズを研究してきた。南アフリカでアンセスターズという現地のバンドと録音した『ウィズダム・オブ・エルダーズ』は、そうした成果の表われである。

 南アフリカはかつてアパルトヘイトという人種隔離政策がとられ、ギル・スコット・ヘロンやピーター・ガブリエルなどは作品の中でそれを痛烈に批判してきたのだが、一方でアフリカ大陸においてもっとも西欧音楽が広まった国でもある。ジャズでもヒュー・マセケラ、アブドゥール・イブラヒム、ベキ・ムセレクなどの優れたミュージシャンを輩出し、1960年代半ばにはクリス・マクレガー、ドゥドゥ・プクワナ、ルイス・モホロ、モンゲジ・フェザらによるブルー・ノーツが渡欧して演奏活動をおこない、その後彼らはロンドンを拠点に活躍した。彼らのように世界的に知られるようになった者以外にも、南アフリカでは多くのジャズ・ミュージシャンが活動してきた。現在もシャバカ・ハッチングスなどと同世代の若いプレイヤーが台頭してきており、彼らはロバート・グラスパーに代表される新しい世代のジャズを吸収したミュージシャンである。アンセスターズのトランペット奏者のマンドラ・マラゲニ、ピアニストのンドゥドゥゾ・マカシニ、ドラマーのトゥミ・モロゴシはその筆頭で、それぞれリーダー・アルバムをリリースしている。トゥミ・モロゴシの『プロジェクト・Elo』(2014年)はUKの〈ジャズマン〉からリリースされており、今年リリースされたニコラ・コンテのアルバム『レット・ユア・ライト・シャイン・オン』にもトゥミとンドゥドゥゾ・マカシニは参加し、彼らのプレイを聴くことができる。こうした南アフリカ勢の中、1987年生まれのカイル・シェパードは世界的にも活躍するピアニストのひとりで、彼の周辺からは次々と注目すべきアーティストが生まれている。2018年で見ると、カイルのトリオのベーシストであるシェーン・クーパーがマブタというグループを結成し、『ウェルカム・トゥ・ディス・ワールド』というアルバムを発表。シャバカ・ハッチングスもゲスト参加して話題となった作品である。そして、『ウェルカム・トゥ・ディス・ワールド』と並んで今の南アフリカのジャズを伝えるアルバムと評判になったのが、タンディ・ントゥリの『エグザイルド』である。

 タンディ・ントゥリはクラシックからジャズの道へと進んだピアニスト兼シンガー・ソングライターで、ケープタウン大学でカイル・シェパード、シェーン・クーパーらと共にジャズ・パフォーマンスを専攻した。彼女のインタヴューを読むと、マッコイ・タイナーから多大な影響を受けたと述べている。2014年に自主制作となる『ジ・オファーリング』でアルバム・デビューし、地元では著名な音楽賞にノミネートされるなど着実に実績を積んでいった。その後、2016年に“コズミック・ライト”という曲をシングル・リリースするのだが、それが映画監督のスパイク・リーの目にとまり、彼の原作によるネットフリックスのドラマ・シリーズ『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』で劇中曲として使用される。そうしてアメリカでも彼女の名前は知られるようになっていき、今年2月にセカンド・アルバムの『エグザイルド』を発表する。収録曲の“フリーフォール”のライヴ映像をOFWGKTAのアール・スウェットシャツがSNSでシェアし、それまでジャズに興味がなかった層にまで拡散を見せた。そうした中、最初bandcampでの発売だった『エグザイルド』がCDリリースされた。

 ヨハネスブルグでの録音となる『エグザイルド』の参加ミュージシャンは、スフェレロ・マジブコ(ドラムス)、キーナン・アーレンズ(ギター)、ベンジャミン・ジェフタ(ベース)、マーカス・ワイアット(トランペット、フリューゲルホーン)、ジャスティン・サスマン(トロンボーン)、ムサンジ・ムヴブ(アルト・サックス、フルート)、シソンケ・ゾンティ(テナー・サックス)、リンダ・シカーカーネ(テナー・サックス)、トゥラレ・マケーネ(パーカッション)などで、ほかにヴヨ・ソタシェとスファ・ムドラロセがヴォーカル、レボ・マシレがスポークン・ワードで参加。ほとんどのミュージシャンが『ジ・オファーリング』から続いての参加で、中でもベンジャミン・ジェフタはカイル・シェパードのトリオのメンバーであると共に、自身でも『ホームカミング』(2015年)や『アイデンティティ』(2017年)というリーダー作も発表するなど、ソロ活動も精力的におこなっている。『エグザイルド』には彼のアルバムと同じようなメンバーが集まり、マブタにも参加するシソンケ・ゾンティ、アフリカ・プラスというピアノ・トリオを結成するスフェレロ・マジブコと、南アフリカ新世代ジャズの精鋭たちが集まっている。

 ヴヨ・ソタシェが歌う“イッツ・コンプリケイティッド”のパート1は、R&BやAORのマナーも含んだ心地よい演奏で、エスペランサ・スポルディングのポップ~ネオ・ソウル寄りのナンバーに近い印象。パート1のメロウネスはパート2にも引き継がれ、エレピ、トランペット、サックスによるインプロヴィゼイションの上を浮遊するスキャットが印象的だ。“コズミック・ライト”や“エグザイルド”も同様にスキャットによるワードレスなヴォイスがフィーチャーされ、アフリカ民謡に基づくディープ・ジャズの“ザ・ヴォイド”では、詩の提供者でもあるレボ・マシレのほかタンディ自身もスポークン・ワードを披露する。このようにヴォイスと楽器のコンビネーションがアルバム全体でもひとつの鍵となっている。古代エジプトの呼称である“アビシニア”は、エチオピアン・ジャズを下敷きにミニマル・ミュージックを取り入れたユニークなナンバーで、イントロ部分はサン・ラーも想起させるようだ。本編はトゥラレ・マケーネが加わったパーカッシヴなアフロ・ジャズで、シソンケ・ゾンティも情熱的なテナー・サックス・ソロをとる。マッコイ・タイナーなどを彷彿とさせるスピリチュアル・ジャズであると共に、後半のドラミングやコズミックな質感はグラスパー以降のジャズであることを感じさせる。ピアノ・トリオ曲の“フリーフォール”では、タンディの現代的な即興演奏の凄さ、研ぎ澄まされた美しさが遺憾なく発揮されている。“ワッツ・レフト?”は“レフト・アローン”を思わせる深遠なバラード曲で、ピアニストだけでなくシンガーとしてのタンディの豊かな才能も示している。同じくヴォーカルをフィーチャーした“ニュー・ウェイ”は、クラシックから導かれた高度な和音にアフリカ民謡からのメロディも取り入れ、作曲家としての能力の高さを見せる。南アフリカにはUSやUKの現代ジャズ・シーンと同等に評価すべきミュージシャンたちがいる、ということを示す作品だ。

Aphex Twin - ele-king

 先日ロンドンで話題となったエイフェックス・ツインのポップアップ・ショップが、東京は原宿にも出現します。12月1日(土)と12月2日(日)の2日間のみの限定オープンです。強烈なテディベアを筆頭に、さまざまなグッズが販売される模様。ロンドンでは即完売となった商品も多かったそうですので、このチャンスを逃すわけにはいきませんね。詳細は下記をば。

ロンドンに続き、エイフェックス・ツインのポップアップストアが東京・原宿にて2日間限定オープン!

11月22日(木)、エイフェックス・ツイン自身の公式SNSから動画がポストされ、ロンドンと東京での新たなオフィシャル・グッズの発売が発表された。その2日後にスタートしたロンドンのストア/通販では即完商品が続出。それに続き、今週12月1日(土)と12月2日(日)の2日間限定で、東京・原宿にエイフェックス・ツイン・ポップアップストアがオープンする。

今年、傑作の呼び声高い最新作「Collapse EP」をリリースし、シルバー・スリーヴ付の豪華パッケージ盤や、“T69 collapse”のMVも大きな話題となったエイフェックス・ツイン。彼の代表曲のMVから飛び出てきたようなグッズの数々やクラシックロゴTなど、レア化必至のグッズが勢揃い!

APHEX TWIN POP-UP STORE

開催日程:12/1 (土) - 12/2 (日)
12/1 (土) 12:00-20:00
12/2 (日) 12:00-18:00

場所:JOINT HARAJUKU (東京都渋谷区神宮前4-29-9 2F)
詳細・お問い合わせ:www.beatink.com

APHEX TWIN RETAIL ITEMS


『Donkey Rhubarb』テディベア
全高25cmのクマのぬいぐるみ
色:タンジェリン/ライム/レモン
オリジナルボックス入り
販売価格:¥5,000(一体)


『Windowlicker』傘
外側にエイフェックス・ツイン・ロゴ、内側に顔がプリントされたジャンプ傘。取手にはロゴが刻印され、木の柄を採用。
販売価格:¥8,000


『Come To Daddy』Tシャツ/ロンパース
サイズ展開:S、M、L、XL、キッズサイズ、ロンパース
販売価格:¥4,000


『CIRKLON3 [ Колхозная mix ]』パーカー
サイズ展開:M、L、XL
販売価格:¥6,000


『On』ビーチタオル
エイフェックス・ツインのロゴが織り込まれたビーチタオル
サイズ:70 × 140cm
販売価格:¥6,000


『Ventolin』アンチポリューションマスク
エイフェックス・ツインのロゴがプリントされたマスク。ロゴの入った黒いケース入り。 Cambridge Mask Co.製。ガス、臭気、M2.5、PM0.3、ホコリ、煙、病原体、ウイルス、バクテリアを防ぐ。
販売価格:¥9,000


『T69 Collapse』アートプリント
世界限定500枚。ポスターケース入り(額縁はつきません)。
サイズ:A2
販売価格:¥4,000


また今回のオフィシャル・グッズ発売に合わせて、公式には長らく配信されていなかった“Windowlicker” “Come To Daddy” “Donkey Rhubarb” “Ventolin” “On”のミュージック・ビデオがエイフェックス・ツインのYouTubeチャンネルにて公開されている。

Windwlicker (Director's Cut)
Directed by Chris Cunningham
https://youtu.be/5ZT3gTu4Sjw

Come To Daddy (Director's Cut)
Directed by Chris Cunningham
https://youtu.be/TZ827lkktYs

Donkey Rhubarb
Directed by David Slade
https://youtu.be/G0qV2t7JCAQ

Ventolin
Directed by Steven Doughton with Gavin Wilson
https://youtu.be/KFeUBOJgaLU

On
Directed by Jarvis Cocker
https://youtu.be/38RMZ9H7Cg8



初回限定盤CD


通常盤CD

label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: Aphex Twin
title: Collapse EP
release date: 2018.09.14 FRI ON SALE


期間限定「崩壊(Collapse)」ジャケットタイトル


label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: Aphex Twin
title: Selected Ambient Works Volume II
BRC-554 ¥2,400+税
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=2978


abel: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: Aphex Twin
title: ...I Care Because You Do
BRC-555 ¥2,000+税
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=7693


label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: Aphex Twin
title: Richard D. James Album
BRC-556 ¥2,000+税
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=8245


label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: Aphex Twin
title: Drukqs
BRC-557 ¥2,400+税
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=9088


label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: Aphex Twin
title: Syro
BRC-444 ¥2,300+税
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=2989


label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: Aphex Twin
title: Computer Controlled Acoustic Instruments Pt2 EP
BRE-50 ¥1,600+税
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=2992


label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: AFX
title: Orphaned Deejay Selek 2006-08
BRE-51 ¥2,400+税
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=2944


label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: Aphex Twin
title: Cheetah EP
BRE-52 ¥1,800+税
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=2994

Paul Frick - ele-king

 ミヒャエル・エンデが時間泥棒をテーマに『モモ』という童話を書いたのが1973年。オイルショックを経た戦後ドイツの労働争議が最初のピークを迎えるのが1984年。このように並べてみると、その間に挟まれているクワフトワークの”The Robot”が(前作に収録されたマネキン人形から歩を進めた発想だったとしても)どこか単純作業や長時間労働に対するカリカチュアとして「聞かれた」可能性も低くないと思えてくる(経済成長が激化したインドでも労働者をロボットに見立てたS・シャンカー監督『ロボット』で同じく”The Robot”が使われていた→https://www.youtube.com/watch?v=NEfMZbbpsAY)。実際の単純労働はトルコ移民が担い、『Man-Machine』には自分たちがドイツ人であることから逃げ、戦後長らく「ヨーロッパ人」と名乗りたがっていた風潮に対してドイツ人としてのアイデンティティを再確認するために(デザインはロシア構成主義だけど)戦前のドイツに見られた「SF的発想」に回帰するという意図があった(”Neon Lights”はフリッツ・ラング監督『メトロポリス』がモチーフ)。さらに言えばDAFは明らかにナチスの労働組合であるドイッチェ・アルバイツフロントの頭文字を「独米友好」とモジることで二重にパロディ化し、パレ・シャンブルグも西ドイツの首相官邸を名残ることで「ヨーロッパ人」と名乗ることの欺瞞に違和感を示した面もあったのだろう(ここから小沢一郎によってパクられる「普通の国」という再軍備のキーワードまではあと少しだったというか)。

 いずれにしろ、3年前にドイツの小学生たちが演奏する”The Robot”がユーチューブでけっこうな話題になったように、ドイツでは一般レベルでも”The Robot”が定番化していることはたしかで、現在のドイツでこの感覚をもっとも受け継いでいたのがブラント・ブラウア・フリックということになるだろう。最初はクラフトワークをジャズっぽく演奏していた3人組で、3人ともクラシックの素養が高く、彼らはこれまではアコースティック・テクノ・トリオと称されることが多かった。水曜日のカンパネラにも中期のクラフトワークを思わせる”クラーケン“を提供していたBBFは、しかし、このところコーチェラにも出演するなどすっかりポップ・ソングの旗手と化してしまい、”Iron Man”でデビューした当時の面影は薄れかけていたものが、メンバーのひとり、ポール・フリックが〈アポロ〉からリリースしたセカンド・ソロ・アルバム『2番目の植物園(?)』はグリッチとジャズをまたいで合間からクラフトワークも垣間見える地味な意欲作となった(自分ではこれがファースト・ソロ・アルバムだと言っている)。作品の中心にあったのは「日常性」、あるいはその「詩情」というありふれたもので、特に興味を引くものではない(録音の時期から考えてもメルケルの引退声明によってカタリーナ・シュルツェがドイツの政界に君臨するかもしれないといった動きが本格化する前の「日常」だろうし)。

 カチャカチャと小さなものが壊れるように細かく叩き込まれるパーカッションやベルなど微細なビートが楽しい曲が多く、音の素材はフィールド録音や切り刻まれたブレイクビーツなどかなり多岐にわたるらしい。それらはつまり、2000年前後にドイツで特に隆盛を誇ったエレクトロニカの方法論を意識的に踏襲したものといえ、妙な近過去ノスタルジーに彩られているとも言える。移民問題がドイツに重くのしかかる直前のドイツであり(注)、もしかするとその時期が無意識の参照点になっているのかもしれない。ポール・フリックは録音中、資本主義にも社会主義にも馴染めない人々を描写した小説家ウーベ・ヨーンゾンがナチズムの台頭から2次大戦までを描いた『Anniversaries』にも多大な影響を受けたそうで(未訳)、”Karamasow(カラマーゾフ)“と題された曲では、そうしたある種の歴史絵巻のような感覚が無常観に満ちた曲として表されてもいる(プチ『ロング・シーズン』ぽい)。そうした寄る辺なさはBBFの近作とは異なって、本当にどの曲も頼りなく、宙に漂うがごとく、である。そうした感覚はジャーマン・トランスのマーミオンも曲の題材にしていた“Schöneberg”(ベルリンの地名)でようやく安堵感へとたどり着き、焼き物を題材にしたらしきエンディングの“Gotzkowsky Ecke Turm”で幕を閉じてくれる。この弱々しさが、小学生たちの演奏する”The Robot”とともに、むしろ、外交でことごとく失敗を重ね、EUでさえ維持が難しくなってきたドイツのいまを表しているのではないだろうか。
 ああ、マッチョだったドイツが懐かしい。

注:ドイツがヨーロッパ中に移民を受け入れるよう先導してきたのはナチス時代に亡命を図ったドイツ人を受け入れてくれた周辺国に対する恩返しの意味もある。

Richard Devine - ele-king

 本作はIDM/電子音響作家リチャード・ディヴァイン、6年ぶりの新作である。IDMマニアからは伝説化しつつあるディヴァインだが、彼のツイッター・アカウントなどをフォローしていれば、日々配信されるモジュラーシンセを用いたサウンドの断片は耳(目)にすることはできる。また、YouTubeのアカウントでも、そのモジュラー音源の映像を観ることは可能である。

https://www.youtube.com/watch?v=o791hgNvGIg
https://www.youtube.com/watch?v=sQOVpUVDPys

 だがそれはいわば日々のサウンド実験の中間報告のようなもので、こうしてアルバムとしてまとまったサウンドを聴くことはやはり重要である。今のディヴァインのサウンドの方向や嗜好性などのモードが手に取るように分かってくるし、同時に彼がいかに才能に溢れた電子音楽家であるかということも再認識できる。それに何よりも彼自身が作品として追い込んでいった電子音響の結晶と構造体を一気に十数曲も聴取できるのだ。これは素晴らしい体験である。

 本作でもリチャード・ディヴァインは電子音による生成、持続、律動、音響、リズムを、とことんまで追及しているように感じられた。モジュラーを駆使したグリッチ・ミュージックの進化形とでもいうべき音に仕上がっているのだ。00年代のコンピューター・エディット/コンポジションの時代を経て、10年代後半的なモジュラーシンセ特有のフィジカルな音響生成に至った、とでもいうべきか。このアルバムは、確かにあの時代、つまり00年代のグリッチ音響作品としてのIDMを継承した電子音響である。電子音楽マニアにとって新たな聖典といえよう。

 リチャード・ディヴァインの経歴を簡単に振り返っておこう。ディヴァインは1977年生まれ、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ出身のグリッチ以降の電子音楽を代表するエレクトロニック・ミュージック・アーティストである。彼は1995年〈Tape〉からファースト・アルバム『Sculpt』をリリースし、以降、いくつかのEPを継続的にリリースした。
 しかしリチャード・ディヴァインが、われわれの知る「リチャード・ディヴァイン」へと変貌を遂げたのは、2001年に〈Schematic〉からリリースされたセカンド・アルバム『Aleamapper』と2002年に同レーベルからリリースされたサード・アルバム『Asect:Dsect』からではないか。特に『Asect:Dsect』は、エイフェックス・ツインやオウテカなどの90年代IDMの最良の部分を継承しつつ、00年代初頭のグリッチ・ミュージックの方法論を洗練・交錯させた名盤で、今でもコアなエレクトロニック・ミュージック・ファンに愛されている重要なアルバムである。
 2005年に〈Sublight Records〉から『Cautella』をリリースした後、アルバムのリリースは途絶えた。ジミー・エドガーとの「Divine Edgar EP」をはじめ、いくつかのEPを発表したが、次のアルバムのリリースまでなんと7年の月日を必要とした。そして2012年、〈Detroit Underground〉から新作『Risp』を発表する。7年の月日をかけただけのことはあり「10年代仕様の複雑かつ見事な電子音響/IDM作品」となっており、マニアは大いに歓喜した。
 本作『Sort\Lave』は、前作『Risp』から6年ぶりのアルバムである。10年代のリチャード・ディヴァインは寡作だが、それはむろん諸々の「状況」の問題もあるだろうし、電子音楽/音響の方法論と形式がある程度、固まってきた時代ゆえ熟考を要する時代になったからともいえなくもない。じじつ、長い時間をかけて制作された『Sort\Lave』は電子音楽の可能性に満ちている。それは何か。一言でいえば「電子音楽におけるサウンド/オブジェの結晶化」ではないかと私は考える。

 リチャード・ディヴァインは直接的にはオウテカからの影響の大きいアーティストだ。緻密な音響と伸縮するようなリズム=ビートを追及しているからである。そしてそれはテクノ/電子音響による音響彫刻の実現化でもあった。彼にとってリズムはダンスを目的するものだけではない。サウンドの時間軸を操作するための要素なのだ。
 その意味でオウテカの8時間に及ぶ集大成的なボックス・セットがリリースされた本年に『Sort\Lave』がリリースされたことは象徴的な出来事といえよう。IDM以降のサウンド・オブジェクトの最新型がここに揃ったのだから。

 本作は独自仕様のユーロラック・モジュラー・システムとふたつの Nord G2 Modular ユニットを用いて制作された。トラックの時間軸は一定の反復に縛られず、自在に伸縮している。なかでも12分20秒に及ぶ1曲め“Microscopium Recurse”を聴くと、彼のサウンドの生成と時間軸のコントロールがこれまで以上に自由になっていると分かる。2曲め“Revsic”では一定のビートがドラムンベースのように高速で構築されているのだが、いつしかその反復は伸縮し、非反復的に進行するエクスペリメンタル・テクノ・トラックである。

 アルバムには全12曲が収録されているが、どのトラックもモジュラーによる生々しい電子音が生成しており、電子音に対する耳のフェティシズムとテクノ的な律動と、それを内側から伸縮させてしまうようなタイム・ストレッチ感覚に満ちていた。
 そう、彼の音は、電子音による一種のマテリアル/オブジェなのである。それゆえリチャード・ディヴァインは、最近の電子音楽家にありがちな(?)ポエティックな「思想」は希薄に感じる。いわば音を彫刻のように生成・構築するいまや数少ないサウンド・マテリアリストといえよう。

 もしも仮に電子音楽に新しい可能性があるとすれば、それは抽象的な枠組みに収まらざるをえない「未来」(ユートピアであれディストピアであれ)のようなものを羨望する思想ではなく、具体的な諸々の音の組織体を提示してきた過去から放たれた「一瞬」を掴まえていく意志と行動、つまり創作/制作のただ中にこそあるのではないかと私は考える(そしてその意志の持ちようは聴き手側も変わらないはずだ)。
 音の煌めきに敏感であること。音の運動を捉える大胆かつ繊細な感性を持っていること。数学的といえる整合性と逸脱への関心を交錯させていること。
 過去の煌めきから放たれたものの参照・理解・応用から、現在の閃光=音響が生まれる。リチャード・ディヴァインはそれをよく分かっているのだろう。彼はどこか数学者や科学者のような思考と手つきでトラックを生み出し続けている。本作は、そんな数学者のような電子音響作家によって生み出された新しい音響のオブジェ/構造体なのだ。

 ソニック・ユースといえば『デイドリーム・ネイション』というくらい、このアルバムは彼らを代表する。5枚目のスタジオ・アルバムで、〈エニグマ・レコーズ〉から1988年にダブル・アルバムでリリースされ、彼らがメジャー・レーベルにサインする前の最後のレコードである。

 『デイドリーム・ネイション』は1988年の最高傑作として批評家から幅広い評価を得ているように、オルタナティヴ、インディ・ロックのジャンルへ多大な影響を与えた。2005年には、議会図書館(DCにある世界で一番大きい図書館)にも選ばれ、国立記録登録簿に保存されている。2002年にはピッチフォークが1980年代のベスト・アルバムとして、『デイドリーム・ネイション』をNo.1に選んでいる。代表曲は“Teen Age Riot”、“Silver Rocket”、“Candle”あたりで、ノイジーで攻撃的な音が生々しく録音されている。私は、オンタイムより遅れてこのアルバムを聴いたが、何年経っても自分のなかでのソニック・ユースはこのアルバムで、 NYに来て、リキッドスカイに行って、X-Girlで働きはじめたぐらい、彼らからの影響は多大なのである。

 その『デイドリーム・ネイション』が今年で30周年を記念し、映画上映がアメリカ中で行われている。

 10/20にポートランドでスタートし、シアトル(10/22)、LA(10/23)、 SF(10/24)と来て、オースティン(11/12)、デトロイト(11/13)、フィラデルフィア(11/18)。ブルックリンは11/19で、4:30 pmと9:30 pmの2回上映だったが、どちらもあっという間にソールドアウト。私は、4:30pmの最後のチケットを取った。その後は、ミネアポリス(11/20)、アトランタ(11/21)と続くが、12/8、9にも追加上映があるらしい。
 すべての上映には、監督のランス・バングスとソニック・ユースのドラマーのスティーヴ・シェリーがQ&Aで参加し、ブルックリンの上映では特別にソニック・ユースのギタリスト、リー・ラナルドと写真家のマイケル・ラビンが加わった。リーは、ブルックリンでのショーがその2日後(11/21)に、続き12/1、ニューイヤーズデイと発表されたので、そのプロモートもあるのだが。

 まず、『デイドリーム・ネイション』がリリースされた1988年ごろのワシントンDCの9:30でのライヴ映像が上映される。
 そして監督ランス・バングスの挨拶。続いてチャールス・アトラスの1980年代のNYダウンタウン・ミュージック・シーンに焦点を当てた、1989年の映画『Put Blood In The Music』が上映され、グレン・ブランカ、リディア・ランチ、ジョン・ケージ、クリスチャン・マークレイ、クレーマー、ジョン・ゾーン、そしてソニック・ユースなど、NYのダウンタウン・ミュージックを代表するアーティストたちのコラージュ映像が紹介され、さらに初期ソニック・ユースのレア映像、リハーサル・シーンやインタヴュー(with 歴代ドラマー)が上映される。これだけで、気分は80年代にタイムトリップである。歴代ドラマーのコメントがまた可笑しかった。「彼らはノイズを出したいだけなんだ」と。

 ランス監督とSYドラマー、スティーヴ・シェリーのトークでは、彼がどのようにSYでプレイすることになったか、曲作りについて(歌詞の内容を尋ねたことがあるか、誰がヴォーカルを取るなどはどうやって決めているのか、アルバムごとの違いなど)、突っ込んだ質問が降りかかっていたが、流れはスムーズ。途中で「遅れてごめん!」とトートバッグを持ったリー・ラナルドが登場し、さらに写真家のマイケル・ラビンが加わると、トークは右から左に炸裂しはじめた。

 マイケルのプレスフォトのシューティングの様子が、スクリーンの地図上に写し出されると(マイケルのアパート→ウォールStの近くでバンドに会い→ブルックリン・ブリッジ→キャナルSt→サンシャイン・ホテル→トゥブーツピザ)と、リー・ラナルドは、その写真を自分のiPhoneでバシバシ撮りはじめ(笑)、「サンシャイン・ホテルなんて覚えてないなー」など、写真ひとつひとつについての思い出話をはじめた。リーとマイケルのよく喋ること!
 そして話は、『デイドリーム・ネイション』の再現ショーの話になり、ソニック・ユースはいつも新しいアルバムをプレイするのが好きなので、最初は断っていたがようやくOKし、2007~2008年にいくつかの再現ショーをおこなった。野外が多かったのだが(私は2008年のバルセロナでのショーを見た)、そのなかでもレアな室内ショーのひとつ、グラスゴーでのショーをマイケルが撮影し、その模様を最後に上映。20年後の彼らを見るのはつい最近な気がしたが、これはいまから10年も前なのだ。日が流れたのを感じる。
 この日来ていたお客さんは、『デイドリーム・ネイション』をオンタイムで聞いていた層だろうし(隣の男の子は、ライヴ映像になるたびに一緒に歌っていた)、30年前にニューヨークで起こっていた映像を見るのはさすがに感慨深い。映像として残しておくものだなあ、と。映画館の外では、今回の記念レコード盤(マイケルが撮影したポスター付き)が、リーとスティーヴから(CDは売り切れ。もうレコードしか残っていなかったが)直接購入できた。日本で上映されるのも遠くないと思うが、みずみずしい80年代NYの詰まった映像と、いまでも新しい『デイドリーム・ネイション』は、こうやって引き継がれていくのだろう。

戸川純エッセー集 ピーポー&メー - ele-king

邂逅

〈追悼〉蜷川幸雄
〈追悼〉遠藤賢司
遠藤ミチロウ
町田康
三上寛
ロリータ順子
久世光彦(書き下ろし)
Phew
岡本太郎
杉浦茂
――戸川純による、まるで短編小説のような人物列伝

ele-kingに連載した「ピーポー&メー」の全原稿を改稿し、雑誌に寄稿した原稿、ライナーノーツ、あらたに書き下ろした原稿を加えた待望の最新エッセー集!

装画 鈴木聖
口絵写真 川上尚見(1984)

【著者プロフィール】
戸川純(とがわ・じゅん)
1961年、新宿生まれ。歌手・女優。

 子役経験を経て1980年にTVドラマデビュー。『刑事ヨロシク』(82)で初レギュラーを経、『あとは寝るだけ』(83)、『無邪気な関係』(84)、『花田春吉なんでもやります』(85)、『華やかな誤算』(85)、『太陽にほえろ! 第701話「ヒロイン」』(86)など。ヴァラエティ番組では『笑っていいとも!!』を始め、『HELLO! MOVIES!』や『ヒットスタジオR&N』では司会も。同じく映画では『家族ゲーム』(83)、『パラダイスビュー』(85)、『野蛮人のように』(85)、『釣りバカ日誌(1~7)』(88~94)、『男はつらいよ』(89)、『ウンタマギルー』(89)、『あふれる熱い涙』(92)、『愛について、東京』(93)、『ルビーフルーツ』(95)などに出演。またオムニバス形式の『いかしたベイビー』(91)では監督、脚本、主演をこなす。舞台にも立ち、『真夏の夜の夢』(89)、『三人姉妹』(92)、戸川純一人芝居『マリィヴォロン』(97)、『羅生門』(99)、戸川純二人芝居『ラスト・デイト』(00)、『グッド・デス・バイブレーション考』(18)など。

 ミュージシャンとしてはゲルニカの一員としてデビューし、『改造への躍動』(82)、『新世紀への運河』(88)、『電離層からの眼指し』(89)を。ソロ名義で『玉姫様』(84)、『好き好き大好き』(86)、『昭和享年』(89)。戸川純とヤプーズ名義『裏玉姫』(84)。戸川純ユニット名義『極東慰安唱歌』(85)。ヤプーズの一員として『ヤプーズ計画』(87)、『大天使のように』(88)、『ダイヤルYを廻せ!』(91)、『Dadadaism』(92)、『HYS』(95)。ほかに戸川純バンド『Togawa Fiction』(04)、非常階段×戸川純『戸川階段』『戸川階段LIVE!』(16)、戸川純 with Vampillia『わたしが鳴こうホトトギス』(16)、戸川純 avec おおくぼけい『戸川純 avec おおくぼけい』(18)をリリース。ほかにベスト盤や映像作品も多数。TOTOウォシュレットのCM出演も評判を呼んだ。

 著作類に『戸川純の気持ち』(84)、『樹液すする、私は虫の女』(84)、『戸川純のユートピア』(87)、『JUN TOGAWA AS A PIECE OF FRESH』(88)、『戸川純全歌詞解説集 疾風怒濤ときどき晴れ』(16)。

目次

ピーポー&メー
 遠藤ミチロウ
 町田康(町田町蔵)
 三上寛
 ロリータ順子
 久世光彦

追悼
 蜷川幸雄
 遠藤賢司

ライナーノーツほか
 Phew(Aunt Sally)
 岡本太郎

あとがき

特別収録
 杉浦茂

Neneh Cherry - ele-king

 懐かしい音楽だよね。3Dが参加した“Kong”はいわば『ブルー・ラインズ』サウンドで、1991年を思い出さずにいられない。まあ、マッシヴ・アタックの低域は、こんな生やさしいものではないけれど。
 もっともネナ・チェリーが日本の洋楽ファンに知られたのは1991年ではない。1988~1989年のことだった。彼女のシングル「バッファロー・スタンス」を熱心に聴いた典型的なリスナーといえば、この時代にボム・ザ・ベースやソウルIIソウルを聴いていた連中で、輸入盤店に足繁く通う20代の、ヒップホップ/DJカルチャー/ダンス・カルチャーに並々ならぬ好奇心を抱いていた連中だった。
 ネナ・チェリーを紹介する際に、リップ・リグ&パニックやニュー・エイジ・ステッパーズのことが語られるけれど(ぼくもそう書いてきている)、当時まだ10代なかばをちょい過ぎたくらいの彼女は、それらプロジェクトにおいて特別な存在というわけではない。前者においては義父のドン・チェリー、後者においてはアリ・アップのほうがそれらの音楽における重要な役割を担っている。
 ネナ・チェリーが洋楽ファンのあいだで最初に支持を得たのは、“バッファロー・スタンス”という“ビート・ディス”にならぶアンセムと、そして彼女の最初のアルバムによってだった。ヒップホップに影響を受けたその作品は、レコードをコスることやサンプリングは生演奏よりも劣ると言われた時代のリリースだったので、おそらく皮肉を込めて『Raw Like Sushi (寿司より生)』と名付けられている。おそらく……と書いたのは、当時この手の音楽は本国ではナショナル・チャートを賑やかすほどの猛威だったが、日本ではまだまだマニアックで、『ブルー・ラインズ』にしてもそうだったけれど、ほとんど情報らしき情報は入ってこなかった。それでも音楽は雄弁で、“バッファロー・スタンス”は(80年代前半のマルコム・マクラレンが手掛けたサンプリング・ミュージックの系譜にありながらも)、“ビート・ディス”や“キープ・オン・ムーヴィン”などといっしょにセカンド・サマー・オブ・ラヴの空気を伝える曲として、時代が劇的に変わりつつあることを印象づけるエポック・メイキングな曲として聴こえていた。
 ボム・ザ・ベースやソウルIIソウルがそうであるように、特別な季節を象徴してしまったアーティストは、時代の気流が上がるところまで上がりそして下降していく過程のその先の展開においても同じようにうまくいくとは限らない。彼女のセカンド・アルバム『ホームブリュー』(これもまたUK解釈のヒップホップ作品)は、ぼくは『ロウ・ライク・スシ』のように繰り返し聴かなかった。1992年、目の前にはすでに『ブルー・ラインズ』があったし、翌年にはテクノの時代の到来にともなって、ネナ・チェリーがいた王座にはビョークが座ることになるのだから。

 ぼくは、彼女の義父であるドン・チェリーはもちろんだが、母親であるモニカ・チェリーのアートも素晴らしいと思っている。というか、スウェーデン人のモニカがアートワークを手掛けているドン・チェリーのアルバムが好きなのだ。『オーガニック・ミュージック・ソサエティ』のようなガチでスピリチュアルな作品のジャケットがあの絶妙な色彩の絵でなかたったら、だいぶ印象が違っただろう。それはドン・チェリーが想像するユートピアを補完するものとしては最良のもののようにぼくには思える。紋切り型の説明になるが、チェリー夫妻はそこに、ヨーロッパとアフリカとアジアが調和する世界を見ていた。そして、ユートピアを夢みるある意味強力な両親のもとで育ったネナ・チェリーは、自らのアイデンティティをどのように考えているのか興味深いことこのうえないのだけれど、音楽を聴いている限りでは、彼女は自分の出自にまったく縛られている痕跡はなく、じつに伸び伸びとやっている。それがまさにネナ・チェリーであり、ゆえにビョーク以前の音楽シーンでは、彼女は自由に生きる女性アイコンでもあった。20代はヒップホップで、長い沈黙のあとの復帰作となった2012年のネナ・チェリー&ザ・シングのアルバムも、いま思えば彼女らしいといえるカヴァー・アルバムだったと言える。選曲の妙もさることながら、規模は小さいとはいえセンスは尖っている〈スモールタウン〉というレーベル、それからリミキサーの人選も玄人好みで、早い話、ネナ・チェリーはカッティングエッジでいまイケているものへの関心が高く、音楽のスタイル(アイデンティティ)にとくに拘りはないのだろう。そういう意味では50もなかばを過ぎたいまも若々しく、また、自由な個人主義者であり続けているのだ。

 キーラン・ヘブデン(フォー・テット)をプロデューサーに迎えた『ブランク・プロジェクト』も、そうした彼女の立ち振る舞いと嗅覚によるところが大きいと思われるが、『ロウ・ライク・スシ』の残像がまだあるリスナーにしてみれば、ネナ・チェリーらしさという点ではどう捉えていいのかいっしゅん考えてしまうアルバムでもあった。聴いていて、ヘブデンのエレクトロニック・ミュージックをバックに歌うのが彼女でなければならない確固たる理由があるのかといえば、どうだろうかと戸惑ってしまうのだ。
 また、アンダーグラウンドで評価の高いエレクトロニック・ミュージシャンとのコンビで作品を作るというコンセプトは、それこそビョークとマーク・ベルを思わせてしまう。かつて“バッファロー・スタンス”で踊った人間のひとりからすると、たしかに悪くはない、しかし、あの頃のように繰り返し聴くのかという話になると口ごもってしまうのが正直なところだ。ヘブデンが彼女の魅力をじゅうぶんに引き出しているとも思えない。“バッファロー・スタンス”のファンキーなグルーヴ、さもなければフェミニズムの時代を先取りした“ウーマン”のようなトリップ・ホップのほうが彼女らしいと思ってしまうのはぼくだけではないだろう。だから、ネナ・チェリーにとってヘブデンとの共作としては2作目、『ブランク・プロジェクト』に続くアルバムとなる『ブロークン・ポリティクス』にはあらかじめ警戒が必要だったわけだが、これが思いのほか完成度が高く、すっかり繰り返し聴いている。
 1曲1曲の出来がかなり良い。ヘブデンも強引なエレクトロニック色を出さずに、かわりに彼のフォークトロニカ時代を彷彿させる透明感のあるトラックを並べ、控え目ながらピアノやヴィブラフォンの音色による綺麗なメロディを添えつつ、ヘブデン自身の特徴を出しながらトリップ・ホップとの溝をなめらかに埋めている。3Dによる『ブルー・ラインズ』サウンドが入ってきても違和感がないのはそのためである。音楽は季節モノではないのだが、じょじょにだが落ち葉が北風に吹かれるこの時期には本当によくマッチするし、復帰後のネナ・チェリーのキャリアにおいてはもっともキャッチーで、ファッショナブルで、ポップ・ミュージックと呼ばれうる曲が収録されているという意味では特筆すべきアルバムだ。ソウル・ミュージックに紐づくダウンテンポの音楽としての心地よさがあり、とくに“Natural Skin Deep”は出色の出来映えである。1988年のように時代の追い風は吹いていないけれど、久しぶりのポップ作品であり、ぼくは、ようやく彼女は“バッファロー・スタンス”以来の代表曲を手にしたんじゃないかと思っているんだけれど、同じように“バッファロー・スタンス”が好きだったひとたちはどう思っているんだろうか。
 

Camilla George - ele-king

 前回紹介したマイシャにはヌビア・ガルシアが在籍しており、彼女はいま話題のテナー・サックス奏者だが、アルト・サックス奏者で着目すべきはカミラ・ジョージだろう。彼女はザラ・マクファーレンやヌビア・ガルシアと同じくトゥモローズ・ウォリアーズ出身で、ジャズ・ジャマイカでも演奏していた。コートニー・パインの呼びかけによって、トゥモローズ・ウォリアーズ出身の女性ミュージシャンが集まったヴィーナス・ウォリアーズというプロジェクトにも参加し、ヌビア・ガルシアやベテランのジュリエット・ロバーツのほか、ヌビアと同じくマイシャのシャーリー・テテ、彼女たちと共にネリヤという6人組女性バンドを組むロージー・タートン、メルト・ユアセルフ・ダウンのルース・ゴラーらと共演している。テナー・サックスのヌビアがコルトレーンやファラオ・サンダースの系譜を受け継ぎ、カマシ・ワシントンを引き合いに出されるのに対し、アルト・サックスのカミラはチャーリー・パーカーの系譜を受け継ぎ、現在ならケニー・ギャレットを想起させる。ちなみに、カミラのバンドにはもうひとりサラ・タンディというプレイヤーがいて、ジャイルス・ピーターソンジョー・アーモン・ジョーンズがいま注目のピアニストとして彼女を絶賛している。彼女はアコースティック・ピアノからエレピまで演奏するが、エレピのプレイは往年のスティーヴ・キューンを彷彿とさせるようだ。

 カミラ・ジョージは自身のカルテットで2017年に『アイサング』というアルバムをリリースしたが、このときのメンバーはサラ・タンディのほかにベースのダニエル・カシミール、ドラムスのフェミ・コレオソ(彼はエズラ・コレクティヴのメンバーでもある)で、ザラ・マクファーレンもゲスト参加して1曲歌っていた。基本的にはネオ・バップ~モード的な正統派ジャズ・アルバムだが、ところどころでカリブやアフリカ的な要素が顔を出し、カミラがトゥモローズ・ウォリアーズ出身者であることを裏付ける内容だった。ケニー・ギャレットの曲とスタンダードの“夜は千の目を持つ”をカヴァーしたほかは全てカミラの作曲で、彼女のコンポーザー、バンド・リーダーとしての才能を見せるアルバムだった。それから一年ぶりの新作『ザ・ピープル・クドゥ・フライ』はカルテットから拡大した編成となり、ギターでシャーリー・テテ、トランペットでクエンティン・コリンズらが参加するほか、ヴォーカルではUKソウルの大御所のオマーと新進女性シンガーのチェリース・アダムズ・バーネットがフィーチャーされる。チェリースもトロープやアシュレイ・ヘンリーのリ・アンサンブルで活躍するなど、注目の若手女性のひとりである。カミラ、サラ、ダニエル、フェミ、シャーリー、チェリースというラインナップは、〈ジャズ・リフレッシュド〉などのライヴの常連で、現在の南ロンドン・ジャズを象徴するセッションと言えるだろう。なお、プロデュースのアンドリュー・マコーマックもトゥモローズ・ウォリアーズ出身のピアニストで、ジェイソン・ヤードやシャバカ・ハッチングスなどと共演する。そして、ミックスと録音はロビン・マラーキーとベン・ラムディンがエンジニアリングするなど、随所にUKジャズの重要人物が関わっている。

 『アイサング』がバップやモード・スタイルだったのに対し、『ザ・ピープル・クドゥ・フライ』はいろいろな音楽要素が融合したフュージョン的色彩が強い。こうしたフュージョン化の要因として、シャーリーのギターが加わっていることが大きく作用している。“タッピン・ザ・ランド・タートル”はチェリースのチャント風コーラスをフィーチャーし、全体にアフリカン・テイストを帯びたフュージョン・ナンバーとなっているが、シャーリーのギターはこうした野趣溢れるムードにとても相性がいい。『アイサング』でも随所にアフロ・カリビアンなプレイを見せたカミラだが、“タッピン・ザ・ランド・タートル”はその方向性をより強く打ち出したナンバーと言える。同様に表題曲の“ザ・ピープル・クドゥ・フライ”は、アフリカ音楽の牧歌的なムードを取り入れたジャズとなっている。『アイサング』と同じカルテット演奏もあり、ネオ・バップの“キャリング・ザ・ランニングス・アウェイ”ではカミラのソロに加え、サラのピアノやダニエルのベースもスイング感のある見せ場を作る。“リトル・エイト・ジョン”はチェリースの美しいヴォーカルをフィーチャーしたモーダルなバラード。この曲や“ヒー・ライオン、ブラー・ベア、ブラー・ラビット”での抒情性に富む演奏を聴くと、カミラやサラがオーソドックスなジャズのマナーも身につけ、地に足の着いたプレイヤーであることがわかるだろう。“ザ・モスト・ユースフル・スレイヴ”はかつての奴隷制度をモチーフとした曲で、足に繋がれた鎖の音のようなSEが混ざる。カミラの演奏はブルース色が強く、サラのピアノはメアリー・ルー・ウィリアムズとかニーナ・シモンなどを彷彿とさせる。

 一方でニュー・ジャズ的なナンバーもあり、オマーが歌う“ヒア・バット・アイム・ゴーン”はカーティス・メイフィールドのカヴァー。フェミがタイトなビートを叩き出し、シャーリーのギターがグルーヴィーに並走するという、ダンス・サウンドとしても非常に優れたものだ。“ハウ・ネヘミア・ゴット・フリー”は聖書のネヘミア記をモチーフとした作品だが、ブギーとブロークンビーツを咀嚼したようなビートが斬新。こちらのドラムはフェミではなく、アシッド・ジャズ期からバッキー・レオのバンドなどで長い活動を誇るウィンストン・クリフォードによるもの。アルバム全体でも彼がドラムを担当するナンバーが多く、オマーも含めてアシッド・ジャズ世代と今の若いジャズ世代がうまく融合したアルバムと言える。

即興的最前線 - ele-king

 これはじつに興味深いイベントです。その名も「即興的最前線」。池田若菜、岡田拓郎、加藤綾子、時里充、野川菜つみ、山田光らの異才たちが「即興」をテーマに思い思いのパフォーマンスを繰り広げます。10年代の即興音楽の流れについては細田成嗣による入魂の記事「即興音楽の新しい波」を参照していただきたいですが、何を隠そう、今回のイベントはまさに彼の企画によるものなのです! 熱いステートメントも届いております。入場無料とのことなので、ぜひ会場まで足を運んで「即興」のいまを目撃しましょう。

即興的最前線
次世代の素描、あるいはイディオムの狭間に循環の機序を聴く

日時:11月24日(土)12:00~18:00
会場:EFAG East Factory Art Gallery/東葛西(東京)
住所:〒134-0084東京都江戸川区東葛西1-11-6
料金:無料(入退場自由)
出演:池田若菜、岡田拓郎、加藤綾子、時里充、野川菜つみ、山田光
企画:細田成嗣

12:00~15:00 ソロおよびデュオ
15:00~16:00 集団即興
16:00~16:30 休憩
16:30~18:00 トークセッション

出演者プロフィール:

池田若菜 / Wakana Ikeda
桐朋学園大フルート専攻卒。古楽と現代音楽について学ぶ。後にロックバンド「吉田ヨウヘイgroup」に加入/脱退。ロック、ポップスの中でフルート演奏の可能性を探る。現在は作曲作品を扱う室内楽グループ「Suidobashi Chamber Ensemble」を主宰するほか、ヨーロッパツアーなど海外でも精力的に演奏活動を行う。また、2018年3月より新たなバンド「THE RATEL」を始動。

岡田拓郎 / Takuro Okada
1991年生まれ。福生育ち。東京を拠点にギター、ペダルスティール、マンドリン、エレクトロニクスなどを扱うマルチ楽器奏者/作曲家。2012年にバンド「森は生きている」を結成。2枚のアルバムを残し15年に解散。17年にソロ・アルバム『ノスタルジア』、18年に『The Beach EP』をリリース。映画音楽、実験音楽などでも活動。

加藤綾子 / Ayako Kato
洗足学園音楽大学音楽学部弦楽器コース、および同大学院器楽研究科弦楽器コースをそれぞれ首席で卒業(修了)。同大学院グランプリ特別演奏会にてグランプリ(最優秀賞)及び審査員特別賞を受賞。市川市文化振興財団・即興オーディションにて『優秀賞』を受賞。ヴァイオリンを有馬玲子、佐近協子、瀬戸瑤子、沼田園子、安永徹、川田知子の各氏に、室内楽を沼田園子、安永徹、須田祥子の各氏に師事。

時里充 / Mitsuru Tokisato
画面やカメラに関する実験と観察を行い、認知や計量化といったデジタル性に関する作品を制作発表。展覧会に、「エマージェンシーズ!022『視点ユニット』」(東京/2014)、「見た目カウント」(東京/2016)、「見た目カウント トレーニング#2」(東京/2017)。小林椋とのバンド「正直」や、Tokisato Miztsuru(Miztとのユニット)などでライブ活動を行う。

野川菜つみ / Natsumi Nogawa
神奈川県横浜市出身。木、水、石、木の実などの自然物や様々な素材の音具、マリンバ等の音盤打楽器、エレクトロニクス、フィールドレコーディング等を主に用いた演奏・音楽制作を行う。 桐朋学園大学音楽学部打楽器専攻にてマリンバを安倍圭子、加藤訓子、中村友子、打楽器を塚田吉幸、各氏に師事。卒業後、同大学研究科を修了。現在、東京藝術大学大学院音楽研究科音楽音響創造領域に在籍中。

山田光 / Hikaru Yamada
サックスの内部/外部奏法を追求する即興演奏家にしてサンプリング・ポップ・ユニット「ライブラリアンズ」を率いるトラックメイカー。2010年から2年間ロシアのサンクトペテルブルグで活動、現地のフリー・ジャズ・シーンで多数のミュージシャンと共演を重ねる。帰国後の2012年からは都内の即興音楽シーンで活躍する傍ら、入江陽、毛玉、POWER、さとうもか、前野健太らの楽曲にも参加。

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「アポリア」の跳躍

 「即興演奏家は音楽創造における最古の方法を用いている」とデレク・ベイリーが述べたように、即興それ自体は先端的でも前衛的でもなくむしろ遥かに原初的な営みであり、だからそれをテーマに最前線を見出そうとすることは正しくないように思えるかもしれない。だが二〇世紀半ばを端緒とする即興それ自体に対する自覚——その契機には録音再生技術による記号化されざる音響の反復聴取という経験があっただろう——から紡がれてきた複数の系譜を考えるとき、そこでは「音に何ができるか」とでも言うべき問いに応えようとするいくつもの実践が歴史的に積み重ねられてきたということもたしかである。そしてまた少なくとも現在を眺めわたすならば、それらの複数の系譜が即興というテーマを介して交差し合う先端部のひとつとして、テン年代に台頭してきた東京の新しい世代の即興演奏家たちの試みを捉えることもできる。

 ここで留意しなければならないのは即興という用語がすでに辞書的な意味——現在に集中し、心に浮かぶ想いもしくは構想にそのまま従って、それを外に現実化してゆくこと——をのみ担っているわけではないということだ。そこには構想を現実化するための自由や制度的なるものに対する批判、あるいは未知なるものとの出会いといった様々な含みがまとわりついており、そしてかつては「即興すること」がそのままそれらの含みと互いに手と手を取り合いながら歩みゆくかのようにも思われていた。だがいまやこれら複数の要素を素朴に一括りにして即興に賭けることはできなくなっている。とりわけ即興の原理として抽出された「意想外であること」が、歴史的/個人的な記憶によって不可能である、すなわち「即興は原理的に非即興的たらざるを得ない」とされたテン年代以降、字義通りの即興に関わることはある種の反動であるかのようにさえ見做されてきた。あるいは「即興」を原理的に遂行するためには非即興的なものに、さらには非音楽的なものに賭けなければならないとされてきた。だが本当にそうだろうか?

 「即興」は原理的に矛盾を抱えている。しかしながらそれでもなお、いたるところで即興は実践されている。原理的矛盾など意に介することなく刺激的な演奏が繰り広げられ、ときには新鮮な響きを届けてくれる。わたしたちは思考のアポリアに突き当たるまえに、意識的にせよ無意識的にせよそれを軽々と飛び越えていく具体的な実践にまずは少なくない驚きとともに触れるべきだろう。彼ら/彼女らはどのように「アポリア」を跳躍しているのか。無論その跳躍の仕方は様々だ。「即興音楽」といえども一塊のものとしてあるのではなく、とりわけ都市部では交わることの少ない複数の流れが並走している。それぞれの文脈の最前線における個々別々のアプローチがもたらす跳躍、そしてそれらの実践が滲み交わるところにアンサンブルと言い得るものが生まれるのだとしたら、それもまた原理的不能とはまるで異なる姿をしたひとつの跳躍の実践であることだろう。わたしたちはおそらく「即興」の原理をあらためて設定し直すこと、あるいは原理には還元し得ない別の価値を聴き取ることへと、感覚と思考の配置編成を組み換えながら向かわなければならない。

細田成嗣(ライター/音楽批評)

Wen - ele-king

 ワイリーが起源だとされるウエイトレスはファティマ・アル・ケイディリシェベルなど応用編の方がどんどん突っ走っている印象が強いなか、さらにウエイトレスとニューエイジを結びつけたヤマネコ『Afterglow』やオルタナティヴ・ファンク風のスリム・ハッチンズ『C18230.5』など適用範囲がさらに裾野を広げ、原型がもはやどこかに埋もれてしまったなあと思っていたら、そうした流れに逆行するかのようにウエイトレス以外の何物でもないといえるアルバムをウェンことオーウェン・ダービーがつくってくれた(以前はもっとクワイトやダブステップに近いサウンドだった)。ファティマ・アル・ケイディリやスラック『Palm Tree Fire』からは4年が経過しているし、何をいまさらと言う人の方が多いだろうけれど、なんとなく中心が欠如したままシーンが動いているというのは気持ちが悪く感じられるもので、それこそデリック・メイが1992年あたりにデトロイト・テクノのアルバムを出してくれたような気分だといえば(ロートルなダンス・ミュージックのファンには)わかってもらえるだろうか。つまり、このアルバムが4~5年前にリリースされていれば、もっと大変なことになったかもしれないし、ボディ・ミュージックを意識したようなストリクト・フェイス『Rain Cuts』などの意図がもっとダイレクトに伝わったのではないかなどと考えてしまったのである。ウエイトレスが何をやりたい音楽なのかということを、そして『EPHEM:ERA』はあれこれと考えさせる。それはとんでもなくニュートラルなものに思えて仕方がなく、ファティマ・アル・ケイディリによるエキゾチシズムやシェベルによるアクセントの強いイタリア風味など、応用編と呼べるモード・チェンジが速やかに起きてしまった理由もそこらへんにあるような気がしてしまう。それともこれはアシッド・ハウスが大爆発した翌年にディープ・ハウスという揺り戻しが起きた時と同じ現象だったりするのだろうか。「レッツ・ゲット・スピリチュアル」という標語が掲げられたディープ・ハウス・リヴァイヴァルがとにかく猥雑さを遠ざけようとしたことと『EPHEM:ERA』が試みていることにもどこか共通の精神性は感じられる。悪くいえばそれは原理主義的であり、変化を認めないという姿勢にもつながってしまうかもしれない。いずれにしろウエイトレスが急速に変化を続けているジャンルであることはたしかで(〈ディフィレント・サークルズ〉を主宰するマムダンスは「ウエイトレスはジャンルではない。アティチュードだと発言していたけれど)、全体像を把握する上で『EPHEM:ERA』というアルバムがある種の拠り所になることは間違いない。

 思わせぶりなオープニングで『EPHEM:ERA』は始まる。そして、そのトーンは延々と続いていく。何かが始まりそうで何も始まらない。立ち止まるための音楽というのか、どっちにも踏み出せないという心情をすくい取っていくかのように曲は続く。うがっていえばいまだにブレクシット(これは反対派の表現、肯定派はブレグジット)の前で迷っているとでもいうような。“RAIN”はそうした躊躇を気象状況に投影したような曲に思えてくる。動けない。動かない。続く“BLIPS”あたりからそうした精神状態がだんだん恍惚としたものになり、停滞は美しいものに成り変わっていく。ここで“ VOID”が初期のアルカに特徴的なノイズを混入させ、美としての完成を思わせる。そこでようやく何かが動き始め、後半はウエイトレスとUKガラージが同根のサウンドだということを思い出させる展開に入っていく。それらを引っ張るのが、そして、“GRIT”である。「エフェメラ」とはフライヤーやチラシのように、役割を終えればすぐになくなってしまう小さな印刷物のことで、ポスターや手紙、パンフレットやマッチ箱などのことを言う。“GRIT”はさらにそれよりも儚いイメージを持つ「砂」のことで、『EPHEM:ERA』にはどこか「消えていくもの、失われていくもの」に対する愛着のようなものが表現されている。『EPHEM:ERA』のスペルをよく見ると、ERAの前がコロンで区切られており、「すぐになくなってしまう小さな印刷物の時代」という掛け言葉になっていることがわかる。それはまさにウエイトレス=無重力に舞うイメージであり、エフェメラに印刷されて次から次へと生み出される「情報」の多さやその運命を示唆しているのではないかという邪推も働いてしまう。膨大な量の情報が押し寄せ、誰もそのことを覚えていない時代。クロージングの美しさがまたとても際立っている。


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